
|
 |
| 2003年05月30日(金) ■ |
 |
| ギックリ腰だよぉぅっ(泣) |
 |
昨日から腰が痛かったんですが、急に治ったので るんるん♪ と思っていたらまたまた突然
「はうっ」←しゃべれない様子
もう終わっていました。死ぬ・・・と思いマシタ。 いつもの腰痛と違うと思った点は右足にしびれがでたこと。
おーまいがー
これは骨がずれた とかー これは筋違えてる とかー 骨が折れかかってる とかー
そういうことはありませんかねぇ?
医者に行くのも今回ばかりは躊躇せずに行きました。はい。 いや、なんだか怖かったものでねえ。
レントゲンには異常はなかったのでリハビリに入ることに なりました。
電気をあてて、あっためて、マッサージしてもらいました。 気持ちよかったっす。
で、そのとき療法士の女性の方がマッサージしながら
「昔スポーツやってませんでした?」 「はい、やってました。テニスとか・・」 「あ〜やっぱり〜、いい筋肉ついてますね〜でもカチンコチンです〜笑」
そうですか・・いい筋肉ですか・・ たしかにスポーツしなかったのは中学の三年間(実はやっていたが) だけで、その前後はゲ○吐くくらいやっていたわけで笑 *Drストップね*
筋肉は足以外には結構ついてましたんで言われるのもわかるんですが
カチンコチンですか 運動不足からのギックリ腰ですか 筋肉切れてるんですか 二週間もかかるんですか・・
しゃーない、運動しますか 来月中旬からのトレーニングは軽すぎるので他にもやりますかねぇ。
|
| 2003年05月29日(木) ■ |
 |
| 歯医者に通っています。(今日で四日目) |
 |
最初の先生は男性で患者にはとても親切なんですが 助手のかたにとってもきつい人だったので先生の 変更をお願いしました。(そこは医師だけでも10 人くらい居るので・・) 変更していただいた先生は女医さん。 最近女医さんに縁があります笑
歯が痛くなったのは25日の夜。 こりゃやばい・・・ まじでそう思いましたね。夜中に痛み出すというのが よけい恐怖心をあおります。 さっそく翌日行くわけですが口全体のレントゲンを 撮ってもらい悪い箇所を治療にかかりました。 治療二回目にして先生の変更をしました
最初の先生は説明などなにもなかったのでお任せ状態 だったのですが女医さんは違いました。 説明をきちんとしてくださって嬉しかった。
が、ふむふむとうなずきながら聞いてきたのですが 先生の所見いわく、 「歯の先端に膿のはいった袋があって、症状の割には早く 排出もしてきているので優秀なんだけど(普通は1〜2ヶ月の 治療になるらしい)歯の先端は普通とがっていて長いもの なんですが、そこがまるで切断したようになっていて 普通はばい菌っていうのは歯根の周りの骨を溶かすらしい んだけども、あなたの場合菌がきつかったせいか歯根を きれいにすっぱり溶かしていて今回きれいに治療しても 再発するかもしれないので了承してね」 って言われました。完治するには完全にそこをあけて きれいにしないといけないんだって。
いっそのこと抜いちゃってくださいっ!と言おうかと思った んだけども怖いから言えなかったぁ〜笑
侮れないねぇ、虫歯ひとつでも命落とすっていうのわかったよ。 神経ない分痛まないから発見が遅れて居るんだって。 あなたの場合早く来てくれたほうですよ〜って笑顔で言われたし。 歯の痛みって夜にでると怖いもんね。 あ〜しばらくは歯医者通いです。
しかし神経の無い歯が炎症起こしていてても無症状なんて 知らなかったな。 身体の機能が良好な時は炎症があっても絶対でてこないん だって。疲れとかでいっきに昨日が落ち込んだときにでるん だって。 最近疲れていたせいかね、気をつけないとね。 これ読んでくださったみなさま、痛くないからって放置してる と菌が脳味噌にまでいきますよ。 あはははははははー
|
| 2003年05月24日(土) ■ |
 |
| すずめの赤ちゃん |
 |
子供たちが近くに住む妹の家に遊びに行った。 同い年の子もいるのでよく行かせてもらいます。
マンションの近くの公園でどうやらすずめのあかちゃん をひろったらしく、マンションにつれて帰ってきた。 持って帰ってきたというのが正解???
最初二羽だった。一羽をいとこの子、もう一羽を岳が もっていた。 家は5階だった。なんとエレベーターから降りようとした 時に誤ってすずめを落としてしまった。 と、そのとき悪いことが重なりフロアとエレベーターの隙間 約5�僂里箸海蹐傍曚す�まれるようにして落ちていった。 すずめはまだ飛べなかった。 バサバサ羽根をいわせながら落ちていった。
子供たちは落ち込んでいた。 しかし、どうやらすずめは生きているようだ。 懐中電灯と網をもって一階に降り、エレベーターを解放にして すずめの救出に頑張った。が、網に入るわけもなく5�僂里垢�ま ではうまくいくはずもなく・・・・・・
エレベーター会社に電話して来てもらうことになった。 とってもたいそうになってしまった。 でも、生きていると分かっていて放っておくことはできなかった。
エレベーターを三階で停め、扉を開け底の部分に降りていく。 もちろんエレベーターの保守契約をしているおじさんね。 きっと怖かったと思う。だって「・・・・こわっ・・・」と つぶやいていたもの。 そりゃそうだよね、真っ暗な底に、しかもゴミだらけでなにがいるか わからないような世界。 しかも停めてあるとはいえ、間違って(んなわけないけどさ)降りてくる かもしれないしね ←エレベーター
そんなこんなですずめちゃんの救出は見事成功。 元の公園に返しに行きました。
その後どうなったんだろう。 きっとネコもいるし、まだ十分に飛べないし、生きている事は 不可能なんだろうな。 岳がひろっても拾わなくても、その子の運命は「死」だったかも しれない。 子供たちが「かわいそう」「家に持って帰って育てよう」と 思った気持ち、よくわかるなぁ。 昔々同じ事やったもんな。
どう思っているんでしょうか。
|
| 2003年05月23日(金) ■ |
 |
| 疲れています・・ |
 |
はぁ・・・結構疲れています。
この暑さも手伝ってかばてています。 ここんとこだーとゆっくりすることもできず、そろそろ きぃーーーーーーーーーーーーっとなりそうなので 明日くらいはゆっくりしたいと思います。
と、電話
親戚の子「りんちゃ〜ん(HN)今日泊まってもいい〜?」 私「か・・・勘弁してください・・・」 親戚の子「じゃ明日は〜?」 私「そ・・それも勘弁してくださいっ」 親戚の子「どっこにも行く用事ないんやろ〜」 私「な・・・ないけど。。もごもご」
そうです、子供には「ゆっくり寝たい」とか「疲れてるのぉ」 とか通用しませんので・・・。
でも、週末はやることが山盛り残っていてゆっくりもして らんないのよねぇ・・つらっ。(泣)
だから却下ね。ごめんね〜 朝五時に起きるのをせめて八時くらいにしてくれたら考えても よかったんだけどなぁ笑
|
| 2003年05月22日(木) ■ |
 |
| 五月病 |
 |
社会人一年生のみなさんは五月病でしょうかねぇ。 五月病はとーっくの昔に経験したかもしれない私です。
ここ数日日記の更新が滞っておりますが気にしないでください。 多少の寝不足はありますが元気にしておりますです。
みなさんご存じかもしれませんが、(TVでも報道していた) うちから車で20分くらいのところで小学生の女の子が 行方不明になっています。正直、ここのところ怖い事件が相次いで いまして、つい一週間くらい前ですか近くで殺傷事件発生 で犯人逃亡中ということで、学校が集団下校になりました。 その後どうなったかはわかりません。
その数ヶ月前には覚醒剤常習犯がなぜか血まみれで逃走。それは ちゃんと捕まったようですが怖いです。
そのもっともっと前ですが、殺人事件がありました。 ま、これも近くです。これは犯人逮捕されました→(自殺していた のが見つかった) 実はもっともっとあるのですが、忘れてしまいました(爆) いやぁ・・怖いです。マジで。 子供を一人で外に出せません。
そういえば、近くの大型スーパーで数件、外国人による誘拐未遂 がおきています。 いつも行くスーパーです。 お菓子コーナーでお菓子を子供だけで選ばせたりできません。 トイレにも一人で行かせれません。
異常ですね。
行方不明の女の子が早く見つかりますように。 それから元気でいますように!
|
| 2003年05月19日(月) ■ |
 |
| 勉強になりました(死んだ後どうなるのかって) |
 |
興味があるかたは下記のURLにいってみてください。 とくにメニューから四十九日の話しへ。
http://www.ttec.co.jp/~onsai/pagehtml/hirahou/hiho_fp.htm
ここにコピペしたいのは山々ですがそりゃ違反かもと思ったので やめておきます。 とにかく、なぜ亡くなった後に七日ごとに法要しないといけないのか がわかりやすく書いてあります。
これを読めば死ぬのも「長い長い次への旅路」と思えなくも ありませんね。 死は別れですが「またね」と言うんですって。
また会いましょうって。
|
| 2003年05月17日(土) ■ |
 |
| なるべくなら会いたくない彼女だった |
 |
それは同級生のAちゃん。
突然電話がかかってきた。 A「杉○ですが」 私「・・・(岳の同級生のお母さんか?違うな。。)はい?」 A「私!私じゃがっ!(岡山弁丸出しで)」 私「私って・・・どちらの杉○さんで?」 A「いや〜っ!Mですっ!(旧姓)」
おいおい、別に旧姓で電話してきたらいいじゃないかよっ。 んな違う名前でわかるわけねーだろが笑
と、そんなこんなで久しぶりで懐かしがったりしたらいいんだ ろうけど、タイトルにあるように「なるべくなら会いたくない 彼女」なので気分は結構ブルーに近かった。 なんで会いたくないのか? そりゃね、昔から好きな男の子を次々と取られちゃったのよ。 次々とっていうほど多くはないんだけど(たった二人) ことごとく彼女に取られちゃったわけで。
一件、丸々としたかわいい感じの子で女の子らし〜っていえば そんなかんじです。
ま、当時私といえば水泳の選手でガンガン泳ぎまくって目の回りなんて ゴーグルの跡ついちゃってるし、競泳水着の跡もくっきりで 身体なんて逆三角形で肩なんてごっつくて・・・ そんなのに比べりゃそりゃねぇ笑 しゃーないと言えばしゃーないね。
ま、そんな彼女がよく自宅の電話番号なんぞ知ってたなぁとあとに なって感心しちゃったけども、彼女がなんで電話してきたか
A「聖○新聞三ヶ月とってくれないかなぁ♪」
おいおい・・・10年ぶりくらいに声きくんだけどいきなり それかよ。
私「ごめ〜ん、うち赤○新聞とってるからぁ♪」 A「あ、じゃぁ選挙だけお願いできるかなぁ」
・・・・・・・
ちなみに、選挙のお願いはとってもきらいなので それだけで冷めてしまうというかね・・。 選挙ってそんなので一票が簡単に動いていいもん じゃないと思うのでねぇ。 しかし、 いいんですがね、どんな用事でかけてきても・・ 新聞だから断りやすいんだけどね、でもねでもね、
あなただけはやっぱり勘弁して ちょーだいっ!←本心
なんか今でも取られそうな気がして・・ アホですか?アホかもしれませんがね。(←自分)
彼女とは、小学校、中学校、高校まで一緒になっちゃって 自分の運命というか、くされ縁を呪ったりもしましたが その後(取られたのは小学校と中学で オマセ) 取られるような事はその後二度とありませんでした。
彼氏がタイプではなかったのでしょうかねぇ・・ぼそっ
|
| 2003年05月16日(金) ■ |
 |
| 命は大事だねぇ |
 |
晩ご飯が終わって歩がポツリとつぶやいた 「おかーさん、命って大切なんやなぁ」 「そうやで、大事やって教えてくれたのは誰やった?」 と聞き返したら二人そろって 「おじいちゃん」 と答えがかえってきた。 おぉ、、、思わず感動してしまった。 死を身近で体験し、人間の命には限りがあって、 それがどうしようもないことだと知って、 それは例えようのないくらい悲しいことだと知った 5歳と8歳の子供たち。 早い経験だと思うけど、おじいちゃんからの最期の メッセージなんだな。 どうか、自分の命、友だちの命、そのほかの命がすべて 大事にできるような人間に成長してください。
|
| 2003年05月15日(木) ■ |
 |
| 子供の発想 |
 |
歩が言った。 「おかーさん、電柱ってなんであるん?」
んが・・・・いきなりかよ。
「それはね、上のほうに電線があるっしょ? 電気の線ね、あれをひいてるんだよ。 あれに触ったらビリビリビリ〜って電気 が通って死んでしまうんやで」 と、てきと〜に答えたら
「なんでよっ!ネコバスは電線の上を通るやんかっ! うきーーーーーーーーっ!」
ネコバスですか。。 そうですね、通りますね、えぇ通りますけどね ありゃぁね、アニメですから、空想なんですから
と言ってみたいけど言えなかった私。
「ネコバスはね、特別なんだよねぇ・・・」
これまた、てきと〜に答えておきました
|
| 2003年05月14日(水) ■ |
 |
| 喪中その2 |
 |
49日まで日にちがあるのでまだまだ喪中です。 喪があけるのは49日でしょうか。一年たたないとだめなんで しょうかねぇ。無知な私です。
義父が2月に急変する前日、「あぁもう食い残したものはない。 うまかったー、おれはもう急変するかもしれへんから後は頼んだぞ。」 なにいってんだーなどと言うてみたけれど、翌朝容態がおかしくなって いた。人は何かしら予感するものなんだろうか。 私が義父の好物を3品作ったようなきがした。なにを作ったんだろう。 お通夜とお葬式の最中ずっと思い出そうとしていた。 ひとつは思い出せた、わけぎの酢味噌あえ。 あと二つが全く分からない。わおーーーーーーーーーーーわからん。
おとうさん、おしえてくださいな。
宜保さんがいたら教えてくれるんだろうか。あ、あの方も亡くなって しまったんだっけ。
しかし、あのときは「好物なんで作らなきゃよかった」と心から 後悔しましたね。思い残すことは無い!なんて思わなかったら 急変しなかったかも・・・・ってね。
まだまだブルーな前田一家です。
|
| 2003年05月11日(日) ■ |
 |
| 喪中 |
 |
義父が5/3に亡くなりました。 だーが喪主でした。
なにがなんだか分からないまま、ドタバタとお葬式が 終わり泣いている暇さえありませんでした。(泣きましたが) 色々とあった義父との関係。しっくりといかずゴタゴタして。 こんな嫁で申し訳ない、そういう気持ちでいっぱいでした。
一度目の危篤状態を脱したとき「あんたは、よーやる」と言ってくれた。 初めてほめてもらった。「打たれ強いなぁ」と言われたことはあったけど笑 誉めてもらったことは初めてだった。あんなに嬉しく思ったことはなかった。 子供を産んだとき「男の子や!でかした!」と言われたけど、あれは ホッとしたな。
繊細で厳しくて几帳面な人でした。優しさを表現するのがとても苦手 だったようにも思います。
一緒に暮らす事が難しいと思ったこともあったけど、今思えば暮らしていて 良かったと思う。 一緒にいたから、最期までして(色々と)あげれたと思う。 それは自分では精一杯だったと思うけど、でもまだし足りないけど そこまでできたのは「同居」して家族だったからだと思います。
下の世話をできたのは最期の最期のほうだったけど、どっかで認めても らったような気がして嬉しかった。変な話しだけど笑
最期になんて言うてたんやろ。聞きたかったな。 でも、きっとええこと言うてくれてたんやろな。 「みんな仲良く、幸せに」って。 お父さんらしいよな。ワイワイあyってるのが好きやった人やもんな。 そうやな、がんばらな!
ほんまにそう思ったこの一週間でした。
ー報告までー
|
|