今日はいろいろな人と話した。人間、やはり他の人と話をしないとダメだと痛烈に感じた。
今日はまず、起きたのが遅かった。仕方がないので牛乳だけをあおって、10時頃に家を出た。電車の中ではボーっとしていた。最近は、電車の中ではゲームをやっているかプログラミング技術の本を読んでいることが多いのだが、今日はボーっと窓の外を見ていた。何を考えていたのかは覚えていない。卒論のことではなかったと思う。駅ではスニッカーズを買ってその場で食べた。お世辞にも行儀がいいとは言えないが、しょっちゅうやっている気がする。なぜだろう。スニッカーズは駅でしか買う気にならない。
いつもの缶コーヒー、ルーツを買おうと思ったら売り切れていた。仕方がないから、前に飲んでみてまずかった別の缶コーヒーを飲むことにした。少し前、彼女がその缶コーヒーを持っていて、有楽町でもらってきたと言っていたことが思い出される。改めて飲んでみてもやはりまずかったが、そうしないと目が覚めないのだから仕方がない。それから研究室で一時間ほどプログラムの修正をした。たいしたことはしていない。「情報」というクラスのスペルを"Infomation"にしていたので、"Information"に修正したくらいだ。このクラス名の修正というのは意外とやっかいで、プログラムの様々なところから参照されるクラスほど多くの場所に書かれている。したがってなるべく早く修正することが望ましい。もっと望ましいのはクラス名の修正なんてしないことだ。プログラムを書き始める前にちゃんと設計をしておけばいいのだ。ちなみに、今日のタイトルである「設計」は、このようなプログラムの設計の話ではない。
それから、昼食を取るためにラーメン屋へ向かった。学食でもいいのだが、やはりどうしても外で食べた方がおいしい。ちょっと前に友人から、安いラーメン屋を教えてもらっていたのでそこに行ってみたのだ。400円の塩ラーメンを頼んだのだが、見事にそれなりのものしか出てこなかった。麺だけはしっかり入っているが、半分にされてしまったようなチャーシューとメンマとネギしか入っていなかった。ラーメンの具などあまり気にしないが、ここまで乏しいとさすがに気になった。
ラーメン屋からの帰りに、そのラーメン屋を教えてくれた友人に出くわした。そのまま、そいつを研究室に連れて行ってずっと話をしていた。2時前くらいに行って、3時過ぎまでいたから、1時間以上話をしていたことになる。ずいぶん長いこと話をしたものだ。内容はたいしたことではない。そいつと一緒にやっているオンラインゲームの話がほとんどだった。それ以外では今の研究の話や、その友人が取っている講義の話なども少ししただろうか。
3時50分からはゼミがあった。今日は修士の人がいなかったので、僕1人で教えることになっていた。しかし、開始時から30分ほど教授がその学生たちに話をしていたので、僕は残りの1時間ほどで話をした。プログラムをやっているのにほとんど話してばかりだった。もっと手を動かしてもらわないと身に付かないに違いない。来週はもっと手を動かしてもらおう。それにしても、僕が教えているすぐそばに教授がいたのはかなり緊張させられた。とにかく、この1時間も話しっぱなしだった。
そのあと、また少しプログラムの修正をした。新しいクラスを追加しようとしたところで、隣から女性の同級生がやってきた。卒業アルバムに載せる写真を撮ることになったのだが、他の研究室のことはほとんど分からないと、その人は言っていた。正直言って行き詰まっていたので、今日はこのくらいにしてその人と他の研究室を回ることにした。
初めに行った地域計画研究室には、友達がいるはずだったが、そのときは席を外していた。研究室の前には在室と貼ってあったのにあまり当てにならないものだ。そこで預けてあった卒業アルバム用のカメラをもらってきた。なぜその同級生がそんなことをしているのかはよく分からないのだが。頼まれたからやっていると言っていたが。まあ、見るからに頼まれたことを断れなさそうに見えるので、きっとそうなのだろう。そして、ちょうどその時に出前が来たので、そのどさくさに紛れてその場を退散することにした。別に仲が良かった人でなくても、久しぶりに会うとなかなかその場を立ち去りにくいものだ。
それから、流通システム研究室に向かった。その途中、よく知らない同級生に出会った。が、一緒に回っていた同級生はその人のことをよく知っているらしく、ここでしばらく話し込んだ。その人のさらに知り合いもその場に通りかかって、少し話をした。
で、それから本来の目的の流通システム研究室に再び向かった。ここには夜にいないことはほとんどない友人がいる。案の定、今日もやっぱりいた。その時すでに7時近かったが、4年生の学生が全員いたあたりは、さすが厳しいと有名なこの研究室だと思った。ちなみに隣の研究室にはその時点で誰も残っていなかったらしい。僕も本来なら帰っている時間だ。で、嫌がっている人もいたが、適当に卒業アルバム用の写真を撮影した。が、そこからが長かった。何を話したのかほとんど覚えていないが、あれやこれやと7時半くらいまでしゃべっていた。その研究室には彼女もいたのだが、友人と話をしている途中で彼女は帰ってしまった。僕はその後を追いかけたくなったが、追う理由もないし写真の話も途中で、あまりに不自然だったので追うことはできなかった。
そのあと、そこの隣の研究室に向かった。すでにみんな帰ったのだと、途中であった人の知り合いから聞いていた。なぜ向かったのか今にして思えば不思議だが、まあ、その場の流れなのだろう。で、書き置きをしてその場にカメラを残して、そこでも修士の先輩とあれこれ話をした。このときはまだ彼女の後を追うつもりだったが、話が長引くうちにあきらめた。京葉線がいくら来ないとは言え、15分以上間隔が空くことはほとんどない。
で、カメラを置いてやることがようやく終わった頃には、研究室を出てから1時間半が経っていた。僕は帰るつもりだったが、同級生はまだ大学に来てから何もしていないから少しやってから行くと言っていた。すると、そこにさきほどの友人から電話がかかってきて食事に行かないかと言う。僕とその友人は、嫌がっていた同級生を、ちょっと無理を言って誘って食事に行った。確かに楽しかったが、そんな無理と言うべきではなかったと思う。
で、なんだかんだで10時になってしまった。初めに卒業アルバムの写真の話をしていたのが6時半だから3時間半以上、その同級生とあちこち回っていたことになる。さすがにそんな時間から何かをやろうとも思わなかったらしく、僕とその同級生は一緒に帰途についた。その人との話は印象に残っている。引ったくりにあって折れてしまった指、どうも曲がったままになってしまったみたいだ、などと言っていた。今日はずいぶん遅くなってしまった。また引ったくりに遭っていなければいいが。それにしても、その人はかなり弱々しい印象なのだが、引ったくりにあったときはずいぶん抵抗して、そのせいで指を折られたと聞いて驚いた。弱々しいのは見た目だけなのかも知れない。確かに、話を聞いていると、その話の端々に力強さを感じる。僕は基本的に物事を受け流すが、その人はきちんと受け止めているという印象を受けた。ただまあ、自分が間違っているとは思わないが。ただ、きちんきちんと物事を考えていくのはすごいと思う。僕がそれをやるとあとから来たことだけをこなして、先にやっていたことは忘れてしまうのだが。
そのあとさらに、東京駅でもしばらく話し込んでいた。そこで体格の話になった。僕が使いやすいと言っていたマイクロソフトのマウス、その人は使いづらいのだと言っていた。なぜなのかと考えていて、それが分かったのだと、その人は言った。それは、手の大きさが違うからだと。確かに、僕とその人とでは指の長さが3センチほど違っていた。僕が手をかぶせると完全に覆い隠せるくらいに、僕の方が手が大きかった。だから、僕の手にはぴったりでも、その人の手には大きすぎるのだろうと言っていた。確かに、それだけ大きさが違えばそれは十分に考えられる。なんだか納得させられてしまった。マウスだけでなく、キーボードもそうらしい。特に遠くのキーが遠いのだそうだ。確かに、普段見かけるキーボードは、僕が使っているとちょうどいい大きさだと思う。ノートパソコンの場合は少し小さいと感じるが、デスクトップ用のキーボードは最適だと思う。でも、3センチも指が短いその人にしてみれば、それは大きすぎだろう。あと、僕とその人では握力がまるで違う。指の力の強さが違うのだ。僕は左右とも50キロ程度の握力があるが、その人はどちらも15キロ程度らしい。握力15キロはさすがになさ過ぎだろうと思うが、まあ、女性ならあり得ないことはない。その程度でよくひったくりとやり合おうなどと思ったものだが、まあ、勇気を責めるべきではないだろう。犯罪に立ち向かうことを無謀とは思わない。
だからその人は言っていた。女の子用のキーボードやマウスを設計すれば、きっと売れるのではないかと。確かに、僕もそう思う。マウスはまあ、今でもかなり見かける。デザインもサイズも、明らかに女性を意識したものはある。しかし、キーボードはない。僕が知らないだけかも知れないが、少なくとも量販店で見かけることはない。だが、僕のこの指の強さでそこそこ反発を感じる程度のキーボードを、その人が押せば疲れるのは当然だ。事実、その人はキーを押しきれなくて入力を受け付けられないことがあると言う。押したはずのキーが、力が足りなくて押されていないなんてこと、僕にはあり得ないが、女性ならあるのだろう。なんせ、50キロと15キロの差だ。これだけ力が違うのに同じものを使うことに無理がある。確かに、女性用の設計は必要だと感じた。僕は、そんなものを作って誰が買うのだと疑問を呈した。わざわざキーボードなどという周辺機器を購入する女性は少ないのではないかと。だが、その人は反論した。今の時代、PCをヘビーに使いこなす女性や仕事でPCを使う女性は決して少なくないと。確かにその通りだ。女性のSEはよく聞くし、オフィスで通常の入力をする程度ならなおさら多いだろう。確かに、そういう人たちに女性用のキーボードがあれば、疲れは遙かに軽減されるはずだ。今のキーボードは、男の力と手の大きさに合わせて設計されているのだ。女性には、大きすぎて重すぎる。
だが僕は、話の内容よりも、その人の姿に見とれてしまった。こちらをまっすぐ見て、1つ1つのことを真剣に話す。風にあおられて折れてしまうんじゃないかと思うほどに細い身体なのに、そこから感じられる強さと明るさは、僕には真似のできないものだ。本人は何も考えていなくても、きっとあの笑顔は他の人に力を与えることができるものだと思う。見ているだけで、そばにいるだけで、話を聞いているだけで、力を与えてくれる気がする。まるで魔法のような、ほんのわずかな奇跡。その人には、そんな力があるような、気がした。
にしても、僕が気になる人は、そんな人ばっかりだ。小さくて思わず守ってやりたくなるような外見に、僕よりもはるかに強い精神を持ち合わせた人。僕は、そんな人に惹かれるのかも知れない。そのギャップが、僕には新鮮に思えるのかも知れない。なぜだろう。何がそんなに魅力なのだろう。ここら辺に、僕の原点があるのかも知れない。僕は、そんな人を見ると強く思うのだ。わずかでもいいから、そんな人に手助けをしてあげたいと。少しでも力になれるのなら、僕にとってこれ以上の幸せはないと本気で思う。僕が手伝ったことでその人が喜ぶということよりも、その人を手伝うことができる、ということが幸せに値するのだろう。どれほどの強さを見せても、人は完全ではあり得ない。僕は、そんな人を守ってあげたい。そんな人が僕に守られる必要なんてあるのか、僕でなくても誰でもいいのではないか、僕に人を守れる強さがあるのか。どれも、否定的な答えしか考えられないのだが…。
スタイルシートの指定が間違っていて、インターネットエクスプローラで正しく表示されていなかったのを修正した。今まで真っ白な背景になっていたかも知れないが、それはそんな理由だ。ただ、スタイルシートがなくても読めるようにはなっているはずだが。