同じ熱度で - 2004年11月30日(火) やけに寒い一日。 5枚も着込んでいたのにどんどん寒気が沁み込んできた。 でも、北海道はもっと寒いはず。 今日も昨日の続き。 結局、昼までにインタビューの返信は送られてこず、他の作業を進める。 残すはイラスト2点と表紙の調整のみ。 ファンジンの発売は、早くても来週の中頃になりそう。 なんとか終わらして早くバイトを見つけなければ。 年が明ければすぐテスト期間に入り、バイトなんかロクにできなくなる。 ということは、親に借りた借金がどんどんと増えることになり、このペースだと16万とか、そういう数字になってしまう。 すべてはkevinさん(22才)にかかっている。 - 二日連続おでん - 2004年11月29日(月) 午後の授業が休講になったりで、引き続きファンジンの続き。 学校から帰る途中、家電屋に寄りHPのインクとスーパーファイン用紙を買う。 2つで約4500円。高い。 残っている作業はイラスト、表紙の微調整ぐらい。 が、肝心のインタビューの返事が未だ未だ返ってこない。 このままだと明日の昼までには返ってこなそう。 どうしようか。 まだ公にはアナウンスしてないわけだし、いくらでも先延ばしはできるっちゃできるんだけれど、こういう作業は1回中断してしまうとなかなか上手く再開できないもんだし、第一、ゲストライターの方々に忙しい中〆切通りに書いてもらった意味がなくなってしまう。 難しいところだな。 しっかりしてくれkevinさん。 - 視力低下中 - 2004年11月28日(日) 今日は終日12時間ぐらいパソコンの前でファンジンの作業。 昨晩寝た時の格好のまま、一回も外の景色を見ることのないまま1日が終了。 2.0あるはずの視力も0.3ぐらいは落ちたはず。 いろいろなジャケットやイラストをスキャンしながら、誌面が完成してくると否がおうにも興奮してくる。 大したDTPの知識もないが、その割にはシンプルかつ奥行きのあるレイアウトが完成しつつあって、ほんとに疲れるけれど全然飽きない。 問題は未だ返ってこないインタビューの返事。 翻訳のための時間を考えると、火曜の昼がデッドラインなんだが、いかんせん特集の中で欠かせないインタビューであるため、最悪札幌に間に合わない可能性もある。 すでに催促のメールは出しているから迂闊に催促はできないし、とにかく祈るしかない。 あと、印刷代が意外とかかることを今更計算して気付いた。 一冊当たりの原価は150円もしないはずだが、仮に300部刷れば少なくとも40000円以上はかかるわけで、そんなお金はよく考えると全然ない。 別に利益なんかを求めているわけではないが、やっぱり運転資金は必要なわけで、その他の消耗品(インク、ホッチキスなど)も含めて多少の資本金は用意しておかなければならない、ってことを今更今更。 とりあえず、明日も今日の続き。 - 進んだり戻ったり - 2004年11月26日(金) 来週の札幌に間に合わせるために、ファンジンの作業を進める。 紙面を400倍に拡大して、ドットをいじりまくり。 1回凝ってしまうとなかなか止められなくなって、グッタリとした疲労感。 あっ、でも肝心のインタビューの返事があと1つ返ってこない。 他がすべて終了しても、これがないとどうにも出せないから焦る。 夜、ドラム候補の人と共にスタジオへ。 が、想像できないくらいに酷かった。 ドラム歴は2年らしいのだが、8ビートを叩くことすら危うく、どんなリフを弾いてもリズムが合うことは一度もなかった。 下手とかそういう次元じゃない。 今年一番長い二時間。 - 外気に触れる - 2004年11月23日(火) 朝10時、いろいろなものを片付けるために早めに起床。 が、速攻で無気力状態に突入し、コタツに入りながら腐る。 これではヤバイと思い、顔を洗って外へ。 新しいバイト探しも兼ねてバイクで街を走る。最初は北大路通りを東へ。 高野の交差点で、南下するかそのまま直進するか迷うも、なんとなく後者を選択。 その先の北大路白川で南下し始め、その先に偶然見つけたガケ書房でちょっとだけ物色。 前から前からこのお店は気になっていたが、いざ入ってみると、漫画とCDの割合が多い恵文社といった面持ち。 今後の寄り道場所が1つ増えた。 その後は銀閣寺前で左折。 偶然今日までやっていた京大の学祭をこれまたちょっとだけ覗いて帰宅。 夜は新しい防寒着をゲットするため四条へ。 調子に乗って藤井大丸なんかに行ってみるが、カッコいいと思った服は25000円なんていう僕にとっては天文学的な価格を提示していたので、あっさり断念。 この時期に売っている暖かい服なんて、大体どれも同じようなデザインで、どこの店に行っても同じような服が売っているのだけれども、少しでも個性的なデザインが入ると一気に値段が上がる。 でも、いい加減新しい服が欲しい。 その後、三条河原町の居酒屋で、前やっていたバンドに新しくドラマーとして入るかもしれない人と顔合わせ。 すでに社会人として働いている人なのだが、ブッチャーズを起点にFUGAZIやメロディックな音楽も好んで聴いている人のよう。 とりあえず週末にはスタジオに入ることになったから、そこで何らかの感触をつかめたらよいと思う。 - 窓の外はずっと黒 - 2004年11月22日(月) ほんとうは学祭の片づけで学校に行かなければならなかったのだが、起きたのは午後6時。 しまった。 一週間のうちで一番大切な授業も出損なった。 起床後は常に貧血気味。 学祭も終わって、自分のやりたいことをどんどんやらなければならない時期。 どうやらバイトは落ちたみたいで、財政基盤が非常に脆弱なまま11月も終わってしまいそうで恐ろしいが、こういう不安定な時こそグッと面白いものを掴める気がするし、腐らずに前を向いていよう。 - 疲労と達成感と - 2004年11月21日(日) やっと学祭が終わった。 朝から晩まで死ぬほど働いて疲れたが、打ち上げのビールが想像以上に美味しくて、幸せな気分だった。 今日はゆっくり寝て、新しい一週間を楽しむ用意をしよう。 - 燃え尽き寸前 - 2004年11月20日(土) 学祭初日。 学校内は去年より人が少ないように感じたが、ライブの方はお客さんもたくさん入って楽しかった。 調子に乗って、中三の時にスウェーデンで買ったギターにヒビを入れてしまったけれど、まぁお祭だからよかろう。 そんでもって夜は12時まで学校で明日の準備。 もうクタクタ。 明日は7時集合。 遅刻しないようにもう寝る。 - 追われて追われて - 2004年11月19日(金) 明日、明後日と学校で学園祭があるためにいろいろと用意で忙しい。 明日は9時集合なのにもう4時すぎ。 明日は2つのバンドでライブ。 確実に死ぬ。 時間の合間を縫って、明日のライブのためのSEを30分で作る。 リズムマシンとキーボードとピッチシフターで作った、即席4つ打ちスキャットマン。 絶対笑える。 - 叩叩叩 - 2004年11月17日(水) ファンジンの作業が急ピッチで進む。 以前インタビュー原稿を送っておきながら、なかなか返事が返ってこなかった所に確認のメールをすると、届いていないとのこと。 慌てて再送したら、わずか2時間ぐらいで返事が返ってきた。 こういうインディシーンで活動している人たちって、本当に真摯な人たちばかりで感動する。 夜、学祭に向けて久しぶりにスタジオ。 メタリカとスレイヤーというベタなメタルナンバーをコピーしているんだが、なにしろ編成がギターとドラムだけなので、いろいろな面で楽。 馬鹿みたいな2ビートを叩いていると足がつりそうになるが、こういう速い曲は好きなのでまったく飽きない。 来年あたり、時間ができたらドラムでどっかのバンドに入ろうかな。 - 口から生命が逃げる - 2004年11月16日(火) この間面接を受けたバイト先から今日中に合否の連絡が来るはずだったのに来ない。 これは落選決定なのか。 だれかこの明らかに栄養が足りてなさそうな茶色い髭が生えだした僕を雇って下さい。 ファンジンの方は、インタビューの返答がまだ返ってきていない状況だが、着々とレイアウトの方を決めていく。 今回は縦書きに設定したのだが、やはり外国のバンドがいっぱい出てくるわけで、アルファベットが縦に並んでいるとやはり読みにくい。 しかし、全てのバンドをカタカナで表すのも無理があり、若干縦書きの限界を感じる。 それにしてもここ数日の京都はめちゃくちゃ寒い。 暖かいコートを1枚しか持っていないため、毎日のように同じようなかっこをせざるのをえないのが苦しいが、そんなことを言っていたらバイクに乗ったまま心臓が止まりそうなくらい寒い。 早いうちに、ずっと前に親からもらったVISAのギフト券でも使って服を買おう。 でも、ギフト券っていうのはどの辺の店まで使えるのかわからなくて逆に困ったりもする。 レジでこれ使えますか?って聞くのも野暮ったいし。 - 神待ち - 2004年11月14日(日) ここ数日、blogへのアクセス数が100を越えていてビックリする。 特に先週の金曜日は謎の200越え。 ホームページを始めて2年ぐらいは、多くても20ぐらいのアクセス数しかなくて、見ている人もほとんど知り合いだったはずなんだけど、今じゃまったく顔を知らない人が毎日のようにこのblogを見ているんだな。 とても嬉しいけれど、やっぱり恐怖も感じる。 昼間は明日提出のレポート「ミルが個性を擁護する理由」をやる。 なかなか筋を摑めなかったが、書き出したらあっという間に終わった。 ファンジン用の原稿は1800字ぐらいまで書いたが、その先が書けない。 続々と他の原稿が揃いつつあるのに、当の本人が書けないのは情けない。 来週は馬鹿みたいに忙しいのだから、何とか書かなければ。 - 俺みたいに愛してみろよ - 2004年11月11日(木) 先日、モーオタの方々のblogについてこの日記で書きましたが、その中の田中れいなさんという人のファンサイト(blog)がヤバイことになっています。 どうやら2、3日前に彼女の写真集が発売されたようなんですが、なんとそのblogでは、写真集全ページレビューという前代未聞の驚愕の試みが始まっています。 とりあえず、現在のところ表紙から9ページ目まで終わっているのですが、1ページ毎に「可愛い度」「かっこいい度」「セクシー度」などを5段階評価し、さらにその写真から連想される熱い妄想を丹念に書いていく熱の入れよう。 近年、音楽作品のレビューにおいても、アルバムを1曲単位でレビューするということは減少方向にあると思いますが、それを写真集に対してやってしまうとは、もはや驚きを通り越して尊敬の念しか沸きません。 なんか、僕ももっと音楽を好きになれるんじゃないか、って思ってしまったりします。 - 俺的求職活動 - 2004年11月10日(水) 昨日に引き続き原稿書き&迷いに迷ったインタビュー第3弾バンドへメール。 いい返事が返ってくることを願う。 夜、バイトの面接をしてもらうために電話。 結果、明日面接をしてもらうことに。 微妙に伸び続けてきた髭を剃るべきかかなり悩むが、大学を卒業するまで髪も髭も切らないことにした(つもりな)ので、玉砕覚悟で挑むことに。 よく考えてみれば、前のバイトを辞めてからかれこれ一月半もすぎてしまい、毎日の生活パターンが非常に脆弱になった気がヒシヒシとする。 喝を入れるためには、喝のあるバイトをしなければ。 - 筆おろし - 2004年11月09日(火) ファンジン用の原稿を必死に書く。 自分で編集をやっているせいか〆切が相当曖昧で、なかなか書き始められなかったのだが、とにかく今週末には全ての原稿が集まるようにする。 よく考えてみれば、音楽ネタだけで今まで2000字も書いたことがなかったのだが、グルグルと書いていくうちに結構な量になってビックリ。 まぁ、頭でっかちにならないように気をつけて書こう。 - home - 2004年11月08日(月) 慌しい週末。 朝八時頃に帰京。 一時間ほど仮眠を取り、英語のテストの予習、提出レポートの加筆をする。 その後学校で授業&テスト。 午後、スーパーで食料品を購入し、東京遠征で仕入れた音源を片っ端からかけながら家計簿をチェック。 また、北海道ツアーの問い合わせもする。 東京遠征はいろいろと収穫があった。 でも、ショックな出来事もいくつかあって、その1つが家を出る前に母がこぼした「近い将来実家がなくなるかもしれない」という話。 僕の実家は、前にスターバックス、後にモスバーガー、右手に丸井があるような駅前商業圏にぽつねんとある。 周りから見れば、こんなところに人が住んでいる様は異様で、家に入るのでさえ人目が気になったりするのだが、まぁとにかく春先にうちのじいちゃんが亡くなったことによって発生した相続が思っていた以上に大変らしい。 所有している土地の一部を売却することなしにはどうしようもない状態らしく、「あなたが将来住む家は自分で建てなさい」とのこと。 なんだかすごく複雑な気分。 相続税が何のために制定されたのか明確には知らないけれど、おそらく富が一部の人に集約しないための策なんだと推測はできる。 たしかに、僕の家は平均的な家庭より裕福な暮らしをしているのかもしれないが(少なくとも僕は裕福な暮らしをしていると実感したことはないが)、当然家がなくなれば生きていけないわけで、夫に先立たれたばあちゃんはどうなるのよって思ったりする。 倫理的に考えれば、富の分配ってどこまで必要なんだって考えたりもする。 先進国が後進国に援助をする義務っていうのは、ある程度までは理解できるんだが、仮に僕の家から搾り出された税金がどのように使われているかっていうのは、実際問題多大な不確実性を伴っているわけで、なかなか難しいところだと思ったり。 - 消化 - 2004年11月06日(土) 早朝帰郷。 あいかわらず始発を待つ人で溢れかえる新宿駅に辟易。 ゆっくり家で睡眠を取りつつ、月曜提出のレポート「ミルが『自由論』で意見の自由を擁護する理由をまとめよ」をやる。 ただ単純に要約すればいいレポートだが、ページ数がかなりあるのでなかなかまとまらず。 午前2時の時点でまだ半分弱。 続きは明日の午前中に片付けなければ。 それにしても実家は快適だ。 何より何よりお菓子がいっぱいあるのが嬉しい。 調子に乗ってドラ焼、饅頭、シュークリーム、シューアイスをはしごする。 ちょっとは太って帰りたい。 - ぶらさげて - 2004年11月04日(木) 一日中、目の焦点が合わなかった。 数ヶ月に1回ぐらいはこういうことが起こるのだが、1回こうなると視覚全体に変な圧迫感を感じ、まともに本やパソコンの画面を見られなくなってしまう。 目を手で覆っても変な違和感が残り、気持ちが悪くなる。 いろいろ片付けなければいけない作業が残っているため、何件かは東京に一緒に持って帰らなければ。 明日の晩、いよいよシェルターに向けて京都を発つ。 - 根拠 - 2004年11月03日(水) 今日は学校でレコーディングをしたり、CDをいっぱい買ったり、磔磔でライブを見たり。 若干疲れ気味で家に帰ってくるとひどい腹痛。 何にもできないまま3時間ぐらい悶える。 アメリカ大統領選は、どうやらブッシュの再選が確実のようで、何だかなぁという気分になる。 別にブッシュとケリーの政策の違いをそこまで熟知しているわけではないが、やっぱりブッシュのおかしさは目につく。 たとえば、ブッシュは中絶や同性愛の禁止を明言しているが、その理由が「聖書に書いてあるから」というのは意味が分からない。 別に宗教自体を非難するつもりはないが、その言葉の意味も考えずに、ただ「聖典であるから正しい」という原理的すぎる視点から短絡的な答えを導き出そうとするのはちゃんちゃらおかしい。 とにかく、あと4年間は戦争が続くんだろう。 - experiment of life - 2004年11月02日(火) グダグダとまた将来のことを考える。 一応、親には年内中に進路を決めるとは言ったが、どうにもこうにも決められそうにない。 選択肢としては、進学か就職のどちらかしかなく、以前は後者に傾いていたのだが、ここ最近の勉強熱のせいで前者に傾きつつもある。 しかし、自分にとっての「理想の生活」というものを考えてみると、実は公務員にでもなるのが一番いいんじゃないかとも思ってしまう。 たぶん、「理想の生活」っていうのは、適度に給料の入る仕事をしつつ、今みたいに行きたいライブに行け、CDもいっぱい聴けてみたいな生活なんだろうな。 そう考えると、安定した給料をもらえて5時には仕事が終わる公務員っていうのは最適なのかもしれない。 おそらく、日本各地の大学生も同じことで悩んでいるんだろうな。 昨日の日記で取り上げたミルの『自由論』にはこんな一節がある。 「人間が不完全であるかぎりは、さまざまな意見のあることが有益であるのと同じく、次のことが有益である。すなわち、さまざまな生活の実験があること、他人への危害がないかぎり自由な活動の場が多種多様な性格に対して与えられること、また、さまざまな生活様式をもし試みるのが適当と思う人があれば実際にやってみてその価値を明らかにすること、が有益である」 この「生活の実験」という言葉。 なんか不恰好に聞こえるけれど、すごく希望を持たせる言葉じゃないかなって僕は思う。 - 幸福のための個性 - 2004年11月01日(月) 最近勉強が楽しい。 今まで点だったものが線になっていくような感覚を強く受ける。 自分が一番興味があるのはやっぱり倫理的なことで、今日も応用倫理の授業を聞きながら興味深いことをいっぱい吸収した。 今、授業でやっているのはポルノグラフィーについてなのだが、そういった表現の自由の問題からミルの『自由論』を読む。 ミルの主張する「危害原理」というのは、簡単に言えば「人に迷惑(危害)をかけない限り、政府は個人の行動に干渉してはならない」というもの。 150年近く昔の論文だが、これはこれで現代でも十分筋が通っているように見える。 これは、そのままポルノ肯定派の意見として見ることも可能だろう。 しかし、現代にはもう1つ「パターナリズム」(お父さん主義、温情主義)というものも存在していて、ここでは「本人の利益のためには、本人の意に反して行動を制限してよい」という思想がある。 たとえば、シートベルトやヘルメットの装着、喫煙の制限なんかがその1つの例だ。 こちらは、ポルノ否定派の意見として見ることも可能だろう。 こういう2つの意見を取り上げて、さぁどちらが正しいというのはそう簡単には言えない。 たとえば、ポルノが与える危害とは何かと考える必要もあるし、ポルノというツールが性犯罪を減少させているという統計的なデータも十分考慮に値するし、すごく幅広い視野からのぞかなければ、答えはなかなか見えてこない。 でも、やっぱり現代の倫理学が抱えている問題は非常に重要なことばかりだと思う。 安楽死、富の分配、動物の権利、ジェンダーなどなど、目をつぶっていてもすぐ目の前を通り過ぎていく問題ばかり。 もっと自分の頭で考えなければ。 最後に2つミルの『自由論』から引用 両文僕にとっては衝撃的な文でしたが、特に2つめの文は、「個性」というものに初めてポジティブな意味合いを持たせてくれた文です。 「われわれの願望や衝動もまた同様にわれわれ自身のものでなければならぬ」 「人間としての他とは異なった価値はなんになるのであろうか。人が何をするかということのみならず、それをするのがどのような人々なのかということも真に重要なのである」 -
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