部長motoいっぺい
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2003年09月30日(火) Readingの指導

息子が通う現地校では、毎日のReadingが宿題として課せられている。

発音に関しては、下手に僕のJapanese English的な発音が彼にうつってしまってもいけないので、よほど間違っていない限り、僕が指導することはない。
読めない英単語があった場合も、その単語を彼が知っていそうな場合は、日本語訳を彼に教え、「これって英語ってなんていうの?」と問いかけ、息子に気づかせるようにしている。こうすることにより、僕の発音が彼にうつってしまうことを防いでいる。

彼が音読するのを聞いていて気になるのは、「the」とか「a」を読み飛ばすことが少なからずあること。聞いた話では、「the」とか「a」をきちんと使い分けられるということは、日本語で言えば「てにおは」がしっかりした英語を使えるということらしい。

今のうちに、文章の流れの中で、「the」とか「a」が自然に使い分けられるようになってほしいという、僕の焦りにも似た気持ちがあり、ついつい間違ったときに厳しく指摘してしまうが、厳しすぎて息子を萎縮させてしまっているようで、しばし反省。


2003年09月29日(月) 親孝行な男の話

E氏は、僕と最も仲のよい同期の一人である。

E氏はとても明るく、同期の仲間を引っ張っていく行動派の男である。
僕は彼ほど底抜けに明るくはなれないので、彼と飲むたびに「俺はEみたいになりたいョ」と本心から言ったものだ。

そんなE氏のお母さんが56歳という若さで亡くなったと、同期のメーリングリスト経由で連絡が入った。

詳しいいきさつは知らないが、E氏の家庭は母子家庭だったようだ(それさえも定かではないが)。そのためか、彼はとてもお母さんを大事にしていた。
きっとお母さんにとっても、E氏は自慢の息子だったに違いない。

同期から聞いた話だと、ここのところお母さんが体調を崩していたため、会社を定時退社することも多かったらしい。

普段明るい男ほど、こういった時の落差が痛々しいように思う。

彼のお母さんのご冥福をお祈りするとともに、彼が一日も早く元気を取り戻して明るい笑顔を見せることを願う。


2003年09月28日(日) ゴルフクラブ

土曜日、駐在3号と長期出張者のTさんと、ゴルフをしてきた。

ここのところ、打ちっぱなしなどで多少練習などをしていたため、自分自身に期待をしていたのだが、結果は撃沈。
まあ、撃沈と言っても以前に比べればずい分とましになったのは確かなのだが、土曜日はなにしろドライバーが当たらなかった。

ラウンドが終わって、クラブハウスで一杯ビールを飲んでいた時に、僕のゴルフ師匠である駐在3号に、「いったい何が悪いのか?」と率直に聞いてみた。

すると、

「いい加減、クラブ変えたほうがいいっすよ」
と、言うではないか。
加えて、駐在3号のアドバイスには、Tさんも同調していた。

確かに僕のクラブは、10年以上前に上野のアメ横で中古で買ったものだから、かれこれ15年くらい前のモデルになる。

駐在3号は、

「クラブ変えると、ホント今までのゴルフは何だったんだろう、って思いますよ」
と、まるでゴルフショップの回し者みたいなことを言う(笑)

とは言われても、自分の腕が未熟なのはよーくわかっているし、電化製品のように、変えれば明らかに効果が出ると約束されているものでもないため、ちょっと二の足を踏むのは確かである。


でもさぁ〜、駐在3号(と、Tさん)があそこまで言うんだから、買ってもいいかなぁ〜>嫁


2003年09月27日(土) アメリカ国内出張報告(後編)

出張最終日。

午前中は、取引先企業の工場を見学。
僕がこれまで見た工場と違ったのは、ジーンズにTシャツ姿の現場の作業者レベルが、品質向上に関する取り組みを説明したこと。これはアメリカでは実に珍しい光景と言っていいと思う。

「これまではただ単に言われたことをやっていただけだけど、今はなぜそのようにしなければならないか、きちんと説明を受けているので、品質もモラルも上がった」
と、誇らしげに言っていたのに、とても好感を持った。


工場見学を終え、帰りの飛行機に乗るために空港に行き、お土産を買うためにレジに並んでいたところ、僕の前にいたインド人らしき女性が、声を発するぬいぐるみを買っていた。
その声がおかしな声だったので、その女性と、友人らしき東洋人の女性が笑っていた。僕は、

「それって、セキュリティーゲート通るの?(笑)」
と軽口を叩いたところ、そのインド人女性が笑いながら「そうだと良いんだけど」答えてくれた。

飛行機に乗り込んだところ、偶然にもその二人連れと席が隣り合わせになる。

僕は東洋人の女性が、日本人か中国人のどちらかだと思い(上手な英語だったが、若干アジア訛りがあった)、国籍を尋ねてみたところ、なんと日本人だと言う。

彼女の話では、日本で理系の大学院を卒業したあと、日本の製薬会社に5年ほど勤務し、その後カナダとアメリカに1年間語学留学し、そのままアメリカの製薬会社に入ったのだと言う。

つくづく、近頃の日本人は、男性よりも女性のほうが思い切りがいいなぁと思い、はて、20年後に我が娘はどうしているのだろう?という思いが、脳裏をよぎった。


2003年09月26日(金) アメリカ国内出張報告(中編)

2日目は朝からミーティング。
朝7時15分にホテルのロビー集合だったのだが、これはアメリカ中部標準時での午前7時15分であり、アメリカ太平洋標準時では午前5時15分となる。

枕が替わって眠れなかったこともあり、かなりボーっとした頭で会議に臨む。2時間という中途半端な時差を初めて経験したが、意外とキツイと感じた。

日中の会議は無難にこなし、夜は同じ会議に参加していた競合他社のMさん(日本人)と一杯やろうかということになった。一旦部屋に帰って、待ち合わせのロビーに戻ると、Mさんはすでに別の会社のデニスというおじさんとカクテルバーで一杯始めていた。

結局、ホテルのバーで午後10時頃まで3人で話し込んだ。デニスは眠いといって先に部屋に戻ったが、Mさんと僕は引き続き語り続けた。

Mさんと話し込んだのは初めてだったのだが、改めて純粋なエンジニアだなと実感。僕もエンジニアの端くれではあるが、Mさんほど突っ込んで技術的に考えようとは思わない。
もちろん僕も、業務で必要な知識は持っているのだが、それ以上に突っ込んで考えようとしないのは、僕に欠けているところかもしれないと、少々考えさせられる。

途中、カクテルバーの店員が、僕とMさんに怪しげな店を紹介しにきたが、きっとMさんに寄って来たんだと思う(笑)
「明日帰らなければならないので、残念だけども今回は行けない」とMさんが言うと、「じゃあ次回来るときに寄ってくれ」と地図を描いてMさんに渡していた。

気がつくと時計は午前0時を回っており、あわてて部屋に戻って就寝。

今思うと、これも2時間の時差のせいかも知れない。


2003年09月25日(木) アメリカ国内出張報告(前編)

月曜日から水曜日まで、カンサス州のウイチタという町に出張に行って来た。

ウイチタというのはあまり日本に馴染みがないと思うのだが、アメリカのちょうどど真ん中にある町である。一番「近い」海が、テキサス州にある海で、飛行機で3時間くらいかかるらしい。。。

行き方としては、僕の地元の空港から約2時間半かけてコロラド州デンバーに行き、その後さらに1時間飛行機に乗る必要がある。

乗り換え地点であるデンバーについて驚いたのは、羽田空港のターミナルよりも大きいターミナルが「ユナイテッド航空だけ」のために提供されていたことだろうか(デンバーはユナイテッド航空のハブ空港)。
さらに、なんとそのターミナルの他にも、2つターミナルがある。

ウイチタは初めて訪れる町だったので、あらかじめ観光ポイントを探しておこうとインターネットで検索してみたのだが、もともとヒットするページが少ないのに加え、ヒットしたページには観光ポイントらしきものが書いてあるものがなかった。

行ってみて分かったのだが、ウイチタには観光ポイントがない。。。

日本人に馴染みのあるものとしては、ケロッグ、キャンプ用品のコールマンと、飛行機工場(ボーイングの部品工場・セスナ社)くらいだろうか。

月曜日は午後3時くらいに現地に到着したので、レンタカーで市街をひと回りしてみたのだが、確かにめぼしい物はなかった。


2003年09月21日(日) Pフェアに行く

今日は朝から天気もよく、30マイルほど離れた町で行われているPフェアなる秋祭りに行ってきた。

朝、出かける準備をしていたところ、駐在1号から電話がかかってきて、

「Pフェアに行きたいって、奥さんが言ってるんだけど、駐在2号。くん、行き方知ってる?」
注:駐在1号は自分の奥さんのことを「奥さん」と呼ぶ

たまたま僕もウェブサイトで調べたばかりで、行き方のページを開いていたので、口頭で日本語訳をして伝え、その後プリントアウトしたものをファックスした。

駐在1号いわく、

「いつも突然なんだよね〜、この手の話。。。」

「Pってとこが、町の名前なのかもどうかも知らないのにね〜。。。」


と、ボヤキ節。


お祭り自体は、なかなか大きなもので、会場を一周するだけでもかなり歩かなければならない。また、会場の半分程度は、移動式遊園地で占められており、子供たちは次々と乗り物に乗って楽しそうにしていた。

会場の中には、ロープウェイ(ゴンドラ)も設置されており、解説を読むと1962年のとある万国博覧会で用いたものを、1980年にこの地に移設したとある。

ゴンドラのつくりは、基本的には今のスキー場にあるものと一緒で、1962年にこのアイディア(乗降口ではゴンドラがロープから外れて、ゆっくりとした動きとなる)が既にあったことに僕も嫁も感心した。

たいした距離を移動するわけでもないのに、大人片道4ドル50セントもとられたが、「歴史的価値のある一品」を維持するためには、これもやむなしか、と自分たちを納得させた僕たちであった。


【お知らせ】
明日からは出張(アメリカ国内)につき、3日ほど日記をお休みいたします。


2003年09月20日(土) 海外で仕事をするストレス

といっても、僕のことではない。

今日は日本語補習学校の授業参観日で、授業参観の後に保護者懇談会があった。その席で、嫁の知り合い(友人?)で我が家にお越しになったこともあるMさんが、来月末をもって急遽帰国されると伺った。

家内によるとMさんのご主人は、仕事がうまくはかどらず、ずいぶんとストレスを感じて、体まで壊してしまったらしい。そのため、急遽ではあるが赴任後1年ほどでの異例の帰国となったようだ。

考えてみると、これは他人事ではない。

英語圏で英語を使って仕事をするということが、ノンネイティブにとってどれほどのストレスであるかは、僕が身をもって体験している。特に真面目な人であればあるほど、理想と現実とのギャップに悩むこともあるのだと思う。
たまたま僕の場合は、仕事上大きなトラブルもなく、周りの人たちや家族の適応にも恵まれ、これまで「帰国したい」と思ったり、体を壊すことなく過ごしてきたが、ボタンを一個掛け間違えていれば、そういう危険性もあったのだと思う。

「アナタ、それほど繊細なの?」とは突っ込まないように(笑)>嫁


2003年09月19日(金) ゴルフ塾

この夏に赴任した研修生のKくんは、大学のときにゴルフ部に所属していたらしい。同じ時期に赴任したYくんは、Kくんと同期で、先日駐在1号の家でバーベキューパーティをしたときに、しきりにKくんに、「ゴルフ教えてョ」と言っていた。

それがきっかけとなり、Kくん主催のゴルフ塾が開かれることになった。

1回目は先週の金曜日。

初回のゴルフ塾は、会社近くの打ちっぱなしでの練習。ちょっと引っ掛け気味の僕の球筋をみたKくんは、僕のグリップについて改善の余地ありと診断してくれた。Kくんの指導どおりのグリップは、最初は違和感があったのだが、慣れてくるとクラブがボールにきちんと当たったときの感触が、今までよりも良いものであったため、しばらくはこのグリップを試してみようと思う。

ゴルフ塾は毎週行うと決めたわけではないのだが、これから雨の季節を迎えることと、昼が短くなることもあり、今週は終業後にゴルフコースに出ることにした。

9ホール周りきれるとは思っていなかったのだが、午後5時からゴルフを始める物好きはおらず、待ち時間なしてゴルフができたため、日没の午後7時15分前に9ホールを周りきることができた。

Kくんは、

「一度、終業後にゴルフコースを周って見たかったんですョ」

と、喜んでいたが、スコアはなぜか僕のほうが一打良かった。


2003年09月18日(木) 今年度初のオープンハウス

今日は、子供たちの学校のオープンハウスだった。

定時に仕事を切り上げようと思っていたのだが、こういう日に限って、急ぎの問い合わせを日本から受ける。結局、いつもと変わらない時刻に会社を出ることになったため、オープンハウスの後半のみの参加となった。

息子のクラスでの様子も気になると言えば気になるが、何と言っても今回の「目玉」は、今年からKindergartenに通うウチの娘が、きちんと授業を聞いているかどうか。

娘の担任は、ミス・ホワイト。息子を担任してくれたミス・アンジェラが異動で学校を去ってしまったため、その代わりとして今年から採用された新人らしい。

彼女は以前にグアムのホテルで働いていたことがあったらしく、「オテアライハ、コチラデス」とか、「オクツノサイズハ、イクツデスカ」などという、特定の日本語のみを知っていた。
(余談ではあるが、ウチの娘は「お手洗い」の意味を分かっていなかった。。。)


ミス・ホワイトに、ウチの娘がクラスでどのように過ごしているかを尋ねたところ、

「彼女は良くやっているわ。いっぱい手を上げて、授業にも参加しているし、ちょっと元気が良すぎることもあるけれど、ボーっと天井を見上げているおとなしい子よりもずっと良いと思うわ」

と、お褒めのお言葉を頂いた。


僕はミス・ホワイトの言葉を聞きながら、息子がKindergartenに通いだした直後のオープンハウスのことを思い出していた。

当時の息子の担任であったミス・アンジェラから僕は、

「言葉が通じなくて辛いのは分かるけど、意地悪されてもクツを投げるのはいけないことだと、教えてあげてくださいね」

と言われていたのだ。

息子は日本の幼稚園では、物を投げたり友達を叩いたりする子ではなかったので、それを聞いた僕は、いかに息子が「言葉が通じないことによるストレス」を受けているかを思い知らされ、不覚にもミス・アンジェラの前で泣いてしまったことがあった。

あれから2年。子供たちはずい分とたくましくなった。


2003年09月17日(水) プレイステーションの日米互換

プレイステーションの日米互換を語る前に、CDとDVDの規格について説明をする必要があると思う。

Compact Disc(いわゆるCD)については、全世界共通の規格であることはよく知られている。
それにより世界のどこに行っても、CDプレーヤーにCDをセットすれば音楽を楽しむことができるのだが、反面違法コピーによる被害が拡大しやすいと言う問題点を抱えていた。

DVDではこの問題を多少なりとも解決しようということで、Region Code(地域コード)という考え方を取り入れ、例えば「北米」という地域コードが割り振られたDVDソフトウェアは、同じ「北米」という地域コードが割り振られたDVDプレーヤーで再生しなければならない。
(面倒なので、Region Freeの説明は省く)

さて、本題のプレイステーションの互換性についてであるが、初代プレステはソフトウェアがCDのみで供給されていたのに対し、プレイステーション2についてはDVDも使用できるようになった。

そのため、プレステ2に関しては、日本のソフトはアメリカの地域コードが割り振られているプレステ2の機器では動作しない(また逆もしかり)と、容易に推測できたのだが、初代プレステについては地域コードという考え方はないので、少なくとも英語版のソフトウェアは日本のプレステ機器で動作するものだと思っていた。
(だって、日本語版ウィンドウズに、英語版のソフトウェアってたいがいインストールできるでしょ)


しか〜し、である。

詳しい理由はよく分からないが、英語のソフトは日本で買ったプレステでは動かないことが、「ソフトを買ってきてから」判明。。。


そのため、一度も使用されていない英語版「Gran Turismo 2」が、わが家にいつまでも残されている。


2003年09月16日(火) もーむす。

日曜日の午後7時から放送される、Hey!Hey!Hey!を見ていて思ったのだが、今のモーニング娘。の全員の顔と名前が一致する人って、どの位いるのだろう。

後藤真希が脱退したのは知っていたが、藤本美貴が加入したのは知らなかったり、この前何人か新加入したと思ったら、さらに増えているし・・・。

ちなみに、こちらで放送されているHey!Hey!Hey!は2ヶ月半遅れなので、そもそも見ているものが最新でないし。。。


メンバーの顔と名前が一致しないのが、僕が海外にいて歌番組を見る回数が激減したせいなのか、それともオジサンになったからなのか、そもそも今日の今日まで全員把握している方が日本の「若者」も含めて少数派なのか、知りたいところではある。



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2003年09月14日(日) Aki Matsuri

僕と嫁が通ったことのある、近くのコミュニティ・カレッジで「Aki Matsuri」なるイベントがあった。

Aki Matsuriというだけあって、日本文化を紹介しつつ多少のお祭りムードをかもし出すというイベントで、今年で十数回目になるらしい。

嫁はボランティアとして、書道の実演コーナーのお手伝いにお昼の2時間ほど借り出されていたため、僕は子供たちをつれて会場をウロウロしていた。

展示内容としては、書道・活け花・茶道・盆栽・武術(剣道・合気道・空手など)と、盛りだくさんであり、息子や娘が始めて見るものもたくさんあった。彼らは純粋な日本人でありながら、日本の文化に初めて触れるのがアメリカで、というのも、幼くして日本を離れた彼らならではということか。

僕が「日本文化」を見て改めて感じたのは、「様式・様式美」を大切にしているな、ということ。
アメリカを含めて西欧諸国では、様式よりも結果を重視するため、例えば空手の「型」なんかを練習している時間があるのならば、「ボクシングのスパーリング」に時間をかけるような気がする。

また、西欧諸国では「楽しむこと」が趣味の基本となっているような気がするのだが、日本文化では「きちんとすること」が楽しむことの前提になっていると思う。

もちろん、どちらが良いとか悪いとかということではなく、単に違いを再認識しただけに過ぎないのだが、こういった違いが、まれに文化の摩擦という形で現れるのかもしれない。


2003年09月13日(土) 懇親鮭釣り大会こぼれ話

フィッシングツアーで同室となったのは、韓国人のホンさん。

ちなみに余談だが、日本語で言うところの○○さんの「さん」にあたるのは、韓国では「○○ソンセンニム」と言うらしい。「ホン・ソンセンニム」によると、ソンセンは先生のことを指すらしい。また、同僚・年下に対しては「○○シ」と言うと教わった。

ところで、このホンさん、僕よりも10歳弱は年上だと思うのだが、腰が低く、しきりに僕に先にシャワーを浴びろと言い、僕がアジア人らしく「いやいや、年上の肩から先にどうぞ」と言っても遠慮して、ついには部屋から出ていてしまった。
ホンさんは、自分のイビキがひどいことを気にかけており、先に僕に寝て欲しいということだった。

やむなく僕はシャワーを浴び、一足先にベッドに入った。

その後、ホンさんは部屋に戻ってきてシャワーを浴びたのだが、結局は僕が寝付く前にベッドに入り、3分もしないうちにイビキをかき始めた。。。

まあ、確かにひどいほうのイビキではあったのだが、それ自体は別に僕の眠りを妨げるものではなかった。しかし、僕が何より気になって仕方がなかったのは、彼が「睡眠時無呼吸症候群」のような症状を見せていたことだった。

ガーガーというイビキが規則的に聞こえてくる分にはいいのだが、途中長いときには15秒程度は呼吸音が聞こえてこず、その後慌てたように呼吸を再開するのだ。

「この人、死んじゃわないかな・・・」

と思っていたら、僕も眠りが浅くなってしまった。


2003年09月12日(金) 釣果発表

9月9日から11日まで、懇親鮭釣り大会に行ってきた。

初日は午後3時過ぎに現地に到着し、軽食をとった後にすぐに小型ボートに3人ずつ乗り込み、フィッシング開始。

しかしあいにくの天気のため波が荒く、すぐに○○気をもよおす。。。
我慢しながら何とか一匹釣り上げたが、ガイドいわく、「犬にやる魚」とのことで、リリースする。
小一時間ほどしたところで、同乗していた女性が、「気持ち悪い」「寒い」と言い出したのを良いことにロッジに帰ることにしたが、帰るまでに僕も我慢しきれず「魚にエサ」をやってしまう。。。

ロッジに戻って部屋で昼寝をし、体調を整えて翌日に備える。


翌日も朝からあいにくの天気。
しかし、酔い止めの薬があるとのことだったので、「多分効かないだろうな」と思いながらも、藁にもすがる思いで口にする。すると、不思議なくらい効果てき面で、全く気持ちが悪くなることなく釣りをすることができた。

その日は結局、参加者中最も大きい42ポンド(19キロ)の大物を釣り上げることができた。


最終日も午前中は釣りに出る。
4時間ほど粘ったものの、結局は17ポンド(7.7キロ)の小物にとどまるが、家に二匹持って帰ることが出来て、僕としては満足。

結局、大会を通して、僕の釣った42ポンドを越える人がおらず、一人5ドルずつ徴収していたプール金の合計、145ドルを僕が受け取ることに!

賞金を受け取ったときに、何か気の利いたことの一つも言おうかと思ったが、うまくタイミングがつかめずに、「サンキュー」としか言えなかった事が残念。

夜、8時半頃二匹の鮭とともに帰宅し、お風呂に入る前に捌くことにする。結局なんやかんやで、10時半頃までかかって、なんとか解体作業完了。
嫁は、僕の実家に電話をして、いくらの醤油漬けの作り方を教わり、夜のうちに仕込んでおく。

今朝の朝食は、塩ジャケといくらの醤油漬け。
完璧な朝食に満足。



【刃渡り16センチの包丁から、全長をご想像ください】


2003年09月09日(火) 懇親鮭釣り大会

今日から2泊3日で、とある離れ小島に懇親鮭釣り大会に行ってきます。

2年前に行ったときは、ガレージのドアが壊れて嫁が苦労したり、とかく僕がいないときに限ってなにか起こるので、ちょっと心配です。

まあ、もう2年も生活したんだから、大概のことは自分で何とかできるよね>嫁


2003年09月08日(月) 絶対間違ってるって!

日曜日のこと。
家族でウォータースライダーが併設されている遊園地に行って来た。

土曜日までは暖かかったのだが、あいにく日曜日はぐずつき気味の天気。気温も摂氏20度弱までしか上がらなかった。

晴れていたらプールに入ろうかと思っていたのだが、この気温(かつ曇り空)でプールに入ったら風邪を引いてしまうと子供たちを説得し、遊園地だけを楽しむことにした。

が、遊園地についてみると・・・

何と、この寒さの中、プールで水遊びをしている人がいるではないか!

子供たちが、「プールで遊んでいる人もいるよ!」と言い出したので、

「絶対、間違ってるって!」
といって、通り過ぎようとしたのだが、そこに嫁が一言。


「間違ってる人、山ほどいるヨ・・・(汗)」


どういう感覚してるんだね、この国の人たちは。


2003年09月07日(日) 上には上がいると知ってはいるけれど

確かにね、ボスオ、そんなに真剣に、人生狂わせるほどやっちゃいないけどさ、正解数635程度で、

「結構上手でしょ」

な〜んて書いちゃって、こっ恥ずかしいったらありゃしない。

謎美女もへじさんの日記から端を発した、エンピツ界を巻き込んだボスオ騒動?だけど、本家本元の掲示板を見たら、全然ラベルレベルが違うでやんの。


「オジサンのわりに結構上手でしょ」
って変えておこうかな。それとも、変えてもやっぱりダメ?

はぅ。


【米国太平洋時間21時23分現在】
正解661 ミス39 正解率95%


2003年09月06日(土) Tooth Fairy

今日の朝、娘の下の前歯を抜いた。駐在2号。家の伝統に従い、ラジオペンチで。

娘にとってはこれが初めての抜歯であり、数日前からグラグラしてきた歯を僕に抜かれるのを怖がっていたのだが、お兄ちゃんから「歯医者で抜くほうが痛い」という話を聞かされ、ついに観念したらしい。

半分抜けかかってた歯は、案の定あっさりと抜けた。


アメリカにはTooth Fairy(歯の妖精)という言い伝えがあるようで、夜寝るときに、抜けた歯を枕の下においておくと、Tooth Fairyが25セントコインと引き換えてくれるのだそうだ。

もちろん、25セントに交換するのは親の役目なのだが、小さい子はサンタクロースなどと同様、信じている子もいるらしい。

我が娘はというと、

「私が寝ている間に、そ〜っと25セントを置いておいてね」
と・・・。


知ってるんかい!(笑)


2003年09月05日(金) 巷で噂の

僕もハマリました。ボスオ。。。



大学時代に学んだ数少ないことの中で、会社に入ってから「唯一」役に立ったのが、タイピング(笑)
大学の研究室にあったワークステーション(死語?)に、タイピングソフトが入っており、当時の学生仲間で競い合った思い出がある。研究らしい研究もせずに、日夜タイピングソフトと戦った僕は、仲間内でも上位である「タイピング7段」の腕前まで上達した。

タイピングスピードには、そこそこ自信を持っている僕としては、ボスオにチャレンジしないわけにはいかない!

ということで、チャレンジした結果としては・・・


正解タイプ数635 ミスタイプ数16 正解率98%


結構上手でしょ。


2003年09月04日(木) 暴露!嫁の失敗(その3)

ほぼ1年ぶりに、嫁の失敗話。

断っておくが、この1年の間、嫁が失敗をしなかったわけではないので、念のため(笑)


今日午後1時ごろ、遅めの昼食を近くの中華料理店で取っていたときのこと。
見知らぬ電話番号から、僕の携帯電話に電話がかかってきた。

「誰だろう??」と思いながら電話に出てみると、我が嫁。

「家から閉め出されちゃった〜!」

「・・・・・(汗)」

嫁の話によると、裏庭の掃除をしていたところ、裏庭への出口が閉まってしまい、ロックがかかってしまったのだそうだ。
家に入れなくなってしまったので途方にくれていたところ、近所の人が家の前を通りかかったので、とりあえず電話を貸してもらって僕の携帯に電話をしてきたという。

仕方がないので、駐在1号の許可をとって、35分かけて自宅へ向かう。
家に着くと、ガレージの前で嫁がちょこんと座っている。

僕は車の中からリモコンでガレージのドアを開け、颯爽と(←ココが大事)会社に戻った。


実は、この出来事(閉め出し)は、初めてではない。
アメリカに住み始めて間もなく、同じ原因により嫁は閉め出しを経験している。

その時は、とある窓のカギが壊れており、その窓から「侵入」できたため、僕は会社から帰る必要はなかったのだが。
(↑めっちゃ、無用心という話が・・・)

とりあえず、同じ失敗はしないように(笑)>嫁



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2003年09月03日(水) ESLテストこぼれ話

ESLクラス編成テストで、
「あなたの好きなゲームは何ですか?」
という質問に、娘は堂々と

「Peach Taro!」
と答えたそうだ。



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ちなみに、このゲームのルールは理解してないんですけどね。。。


2003年09月02日(火) ESLテスト結果速報

臨時ニュースをお伝えいたします。

米国太平洋時間の9月2日午前11時から、駐在2号。家の語学担当である娘さんの、ESLクラス編成テストが実施されました。

娘さんはテストの順番を待っているときに、「ウォーリーを探せ」の本を見つけてしまい、試験官が事前の質問に来たときには、完全に気もそぞろ。
両親が鋭い視線で「試験官の話をちゃんと聞け!」とメッセージを送りましたが全く意に介さず、試験官の質問に「単語で答える」という攻撃に出ました。

その後娘さんは別室でのテストとなりましたが、別室は待合場所のすぐ横であり、かつドアが開け放たれていましたので、両親は耳をダンボにして聞き耳を立てておりました。

両親によりますと、質問は以下のようなもの。

・説明を聞いて、絵の中のものを指し示す
例:机の下にあるものを指差してください

・3種類の絵の中から、正解を選ぶ
例:一番高いものはどれ?

・あなたの好きな○○は何ですか?(口頭試問)
例:あなたの好きなゲームは?

・私に○○を質問してください(口頭試問)
例:私の家の場所を聞いてください


試験中娘さんは、時おり「おしゃべり娘」の片鱗を見せて、余計な話に持ち込もうとしていましたが、試験官もプロのため、なかなか自分のペースに持ち込めない様子。

そうこうしているうちに、15分ほどでテストは終了。
テスト終了後の両親の感想としては、

「実力を出し切れなかったのでは???」
という、全く親バカなものでしたが、テスト終了後5分ほどして試験官から結果を聞いたときには、両親とも意外な結果にびっくり。

結果は

「ESLの必要なし」
というもの。

試験官いわく、

「最低点ではありますが、ネイティブの子供として扱えます」
とのこと。

この結果により、これからは駐在2号。家の娘さんは

「出来の悪いネイティブの子」
として学校で取り扱われるようです。

ちなみにこの結果に、駐在2号。家の両親は、狂喜乱舞しており、特にこれまで息子さんの言語習得(日本語・英語)で苦汁をなめてきた奥さんは

「初めて子供の語学で認められた」
と、涙も見せんばかりの喜びようでした。
奥さんは「誰かにこの結果を言いふらしたい」と思っているようですが、小心者のためそれも出来ないようです。

以上、臨時ニュースでした。


2003年09月01日(月) サマージャーナル

今日はレイバーデーのためお休み。
学校の新学期は明日から。

現地校では宿題らしい宿題は出なかったのだが、1st Gradeの終わりに担任の先生から一冊の「夏休み帳」が配られていたため、昨日までに嫁が息子の尻をたたいて、ほとんどは終わらせていた。

しかし、唯一「サマージャーナル」(夏休みの日記)については、写真をプリントアウトする必要があったため、僕が面倒を見ることになっていた。

嫁はプリントアウトした写真を、普通の紙に切り貼りするつもりだったのだが、僕は面倒だったので、レターサイズのフォト用紙(マット)の上半分に写真を、下半分に罫線を印刷し、プリントアウトした紙に直接日記を書かせるようにした。

印刷した写真を見ながら、息子に「これは何の写真?」「楽しかった?」などと聞き、英語にさせていった。もちろん間違いはいっぱいあるのだが、なるべく息子の書きたいように書かせて、訂正は時制の間違い程度にしておいた。

出来上がったサマージャーナルは、最初はホチキス止めするつもりだったのだが、なかなか立派に書きあがっていたので、思わず3穴のクリアポケットに日記をはさんで、バインダーで綴じてみた。思わず親が満足(笑)

明日は先生に褒められるといいね>息子