部長motoいっぺい
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| 2003年09月30日(火) |
Readingの指導 |
息子が通う現地校では、毎日のReadingが宿題として課せられている。
発音に関しては、下手に僕のJapanese English的な発音が彼にうつってしまってもいけないので、よほど間違っていない限り、僕が指導することはない。 読めない英単語があった場合も、その単語を彼が知っていそうな場合は、日本語訳を彼に教え、「これって英語ってなんていうの?」と問いかけ、息子に気づかせるようにしている。こうすることにより、僕の発音が彼にうつってしまうことを防いでいる。
彼が音読するのを聞いていて気になるのは、「the」とか「a」を読み飛ばすことが少なからずあること。聞いた話では、「the」とか「a」をきちんと使い分けられるということは、日本語で言えば「てにおは」がしっかりした英語を使えるということらしい。
今のうちに、文章の流れの中で、「the」とか「a」が自然に使い分けられるようになってほしいという、僕の焦りにも似た気持ちがあり、ついつい間違ったときに厳しく指摘してしまうが、厳しすぎて息子を萎縮させてしまっているようで、しばし反省。
E氏は、僕と最も仲のよい同期の一人である。
E氏はとても明るく、同期の仲間を引っ張っていく行動派の男である。 僕は彼ほど底抜けに明るくはなれないので、彼と飲むたびに「俺はEみたいになりたいョ」と本心から言ったものだ。
そんなE氏のお母さんが56歳という若さで亡くなったと、同期のメーリングリスト経由で連絡が入った。
詳しいいきさつは知らないが、E氏の家庭は母子家庭だったようだ(それさえも定かではないが)。そのためか、彼はとてもお母さんを大事にしていた。 きっとお母さんにとっても、E氏は自慢の息子だったに違いない。
同期から聞いた話だと、ここのところお母さんが体調を崩していたため、会社を定時退社することも多かったらしい。
普段明るい男ほど、こういった時の落差が痛々しいように思う。
彼のお母さんのご冥福をお祈りするとともに、彼が一日も早く元気を取り戻して明るい笑顔を見せることを願う。
土曜日、駐在3号と長期出張者のTさんと、ゴルフをしてきた。
ここのところ、打ちっぱなしなどで多少練習などをしていたため、自分自身に期待をしていたのだが、結果は撃沈。 まあ、撃沈と言っても以前に比べればずい分とましになったのは確かなのだが、土曜日はなにしろドライバーが当たらなかった。
ラウンドが終わって、クラブハウスで一杯ビールを飲んでいた時に、僕のゴルフ師匠である駐在3号に、「いったい何が悪いのか?」と率直に聞いてみた。
すると、
「いい加減、クラブ変えたほうがいいっすよ」 と、言うではないか。 加えて、駐在3号のアドバイスには、Tさんも同調していた。
確かに僕のクラブは、10年以上前に上野のアメ横で中古で買ったものだから、かれこれ15年くらい前のモデルになる。
駐在3号は、
「クラブ変えると、ホント今までのゴルフは何だったんだろう、って思いますよ」 と、まるでゴルフショップの回し者みたいなことを言う(笑)
とは言われても、自分の腕が未熟なのはよーくわかっているし、電化製品のように、変えれば明らかに効果が出ると約束されているものでもないため、ちょっと二の足を踏むのは確かである。
でもさぁ〜、駐在3号(と、Tさん)があそこまで言うんだから、買ってもいいかなぁ〜>嫁
| 2003年09月27日(土) |
アメリカ国内出張報告(後編) |
出張最終日。
午前中は、取引先企業の工場を見学。 僕がこれまで見た工場と違ったのは、ジーンズにTシャツ姿の現場の作業者レベルが、品質向上に関する取り組みを説明したこと。これはアメリカでは実に珍しい光景と言っていいと思う。
「これまではただ単に言われたことをやっていただけだけど、今はなぜそのようにしなければならないか、きちんと説明を受けているので、品質もモラルも上がった」 と、誇らしげに言っていたのに、とても好感を持った。
工場見学を終え、帰りの飛行機に乗るために空港に行き、お土産を買うためにレジに並んでいたところ、僕の前にいたインド人らしき女性が、声を発するぬいぐるみを買っていた。 その声がおかしな声だったので、その女性と、友人らしき東洋人の女性が笑っていた。僕は、
「それって、セキュリティーゲート通るの?(笑)」 と軽口を叩いたところ、そのインド人女性が笑いながら「そうだと良いんだけど」答えてくれた。
飛行機に乗り込んだところ、偶然にもその二人連れと席が隣り合わせになる。
僕は東洋人の女性が、日本人か中国人のどちらかだと思い(上手な英語だったが、若干アジア訛りがあった)、国籍を尋ねてみたところ、なんと日本人だと言う。
彼女の話では、日本で理系の大学院を卒業したあと、日本の製薬会社に5年ほど勤務し、その後カナダとアメリカに1年間語学留学し、そのままアメリカの製薬会社に入ったのだと言う。
つくづく、近頃の日本人は、男性よりも女性のほうが思い切りがいいなぁと思い、はて、20年後に我が娘はどうしているのだろう?という思いが、脳裏をよぎった。
| 2003年09月26日(金) |
アメリカ国内出張報告(中編) |
2日目は朝からミーティング。 朝7時15分にホテルのロビー集合だったのだが、これはアメリカ中部標準時での午前7時15分であり、アメリカ太平洋標準時では午前5時15分となる。
枕が替わって眠れなかったこともあり、かなりボーっとした頭で会議に臨む。2時間という中途半端な時差を初めて経験したが、意外とキツイと感じた。
日中の会議は無難にこなし、夜は同じ会議に参加していた競合他社のMさん(日本人)と一杯やろうかということになった。一旦部屋に帰って、待ち合わせのロビーに戻ると、Mさんはすでに別の会社のデニスというおじさんとカクテルバーで一杯始めていた。
結局、ホテルのバーで午後10時頃まで3人で話し込んだ。デニスは眠いといって先に部屋に戻ったが、Mさんと僕は引き続き語り続けた。
Mさんと話し込んだのは初めてだったのだが、改めて純粋なエンジニアだなと実感。僕もエンジニアの端くれではあるが、Mさんほど突っ込んで技術的に考えようとは思わない。 もちろん僕も、業務で必要な知識は持っているのだが、それ以上に突っ込んで考えようとしないのは、僕に欠けているところかもしれないと、少々考えさせられる。
途中、カクテルバーの店員が、僕とMさんに怪しげな店を紹介しにきたが、きっとMさんに寄って来たんだと思う(笑) 「明日帰らなければならないので、残念だけども今回は行けない」とMさんが言うと、「じゃあ次回来るときに寄ってくれ」と地図を描いてMさんに渡していた。
気がつくと時計は午前0時を回っており、あわてて部屋に戻って就寝。
今思うと、これも2時間の時差のせいかも知れない。
| 2003年09月25日(木) |
アメリカ国内出張報告(前編) |
月曜日から水曜日まで、カンサス州のウイチタという町に出張に行って来た。
ウイチタというのはあまり日本に馴染みがないと思うのだが、アメリカのちょうどど真ん中にある町である。一番「近い」海が、テキサス州にある海で、飛行機で3時間くらいかかるらしい。。。
行き方としては、僕の地元の空港から約2時間半かけてコロラド州デンバーに行き、その後さらに1時間飛行機に乗る必要がある。
乗り換え地点であるデンバーについて驚いたのは、羽田空港のターミナルよりも大きいターミナルが「ユナイテッド航空だけ」のために提供されていたことだろうか(デンバーはユナイテッド航空のハブ空港)。 さらに、なんとそのターミナルの他にも、2つターミナルがある。
ウイチタは初めて訪れる町だったので、あらかじめ観光ポイントを探しておこうとインターネットで検索してみたのだが、もともとヒットするページが少ないのに加え、ヒットしたページには観光ポイントらしきものが書いてあるものがなかった。
行ってみて分かったのだが、ウイチタには観光ポイントがない。。。
日本人に馴染みのあるものとしては、ケロッグ、キャンプ用品のコールマンと、飛行機工場(ボーイングの部品工場・セスナ社)くらいだろうか。
月曜日は午後3時くらいに現地に到着したので、レンタカーで市街をひと回りしてみたのだが、確かにめぼしい物はなかった。
今日は朝から天気もよく、30マイルほど離れた町で行われているPフェアなる秋祭りに行ってきた。
朝、出かける準備をしていたところ、駐在1号から電話がかかってきて、
「Pフェアに行きたいって、奥さんが言ってるんだけど、駐在2号。くん、行き方知ってる?」 注:駐在1号は自分の奥さんのことを「奥さん」と呼ぶ
たまたま僕もウェブサイトで調べたばかりで、行き方のページを開いていたので、口頭で日本語訳をして伝え、その後プリントアウトしたものをファックスした。
駐在1号いわく、
「いつも突然なんだよね〜、この手の話。。。」
「Pってとこが、町の名前なのかもどうかも知らないのにね〜。。。」
と、ボヤキ節。
お祭り自体は、なかなか大きなもので、会場を一周するだけでもかなり歩かなければならない。また、会場の半分程度は、移動式遊園地で占められており、子供たちは次々と乗り物に乗って楽しそうにしていた。
会場の中には、ロープウェイ(ゴンドラ)も設置されており、解説を読むと1962年のとある万国博覧会で用いたものを、1980年にこの地に移設したとある。
ゴンドラのつくりは、基本的には今のスキー場にあるものと一緒で、1962年にこのアイディア(乗降口ではゴンドラがロープから外れて、ゆっくりとした動きとなる)が既にあったことに僕も嫁も感心した。
たいした距離を移動するわけでもないのに、大人片道4ドル50セントもとられたが、「歴史的価値のある一品」を維持するためには、これもやむなしか、と自分たちを納得させた僕たちであった。
【お知らせ】 明日からは出張(アメリカ国内)につき、3日ほど日記をお休みいたします。
| 2003年09月20日(土) |
海外で仕事をするストレス |
といっても、僕のことではない。
今日は日本語補習学校の授業参観日で、授業参観の後に保護者懇談会があった。その席で、嫁の知り合い(友人?)で我が家にお越しになったこともあるMさんが、来月末をもって急遽帰国されると伺った。
家内によるとMさんのご主人は、仕事がうまくはかどらず、ずいぶんとストレスを感じて、体まで壊してしまったらしい。そのため、急遽ではあるが赴任後1年ほどでの異例の帰国となったようだ。
考えてみると、これは他人事ではない。
英語圏で英語を使って仕事をするということが、ノンネイティブにとってどれほどのストレスであるかは、僕が身をもって体験している。特に真面目な人であればあるほど、理想と現実とのギャップに悩むこともあるのだと思う。 たまたま僕の場合は、仕事上大きなトラブルもなく、周りの人たちや家族の適応にも恵まれ、これまで「帰国したい」と思ったり、体を壊すことなく過ごしてきたが、ボタンを一個掛け間違えていれば、そういう危険性もあったのだと思う。
「アナタ、それほど繊細なの?」とは突っ込まないように(笑)>嫁
この夏に赴任した研修生のKくんは、大学のときにゴルフ部に所属していたらしい。同じ時期に赴任したYくんは、Kくんと同期で、先日駐在1号の家でバーベキューパーティをしたときに、しきりにKくんに、「ゴルフ教えてョ」と言っていた。
それがきっかけとなり、Kくん主催のゴルフ塾が開かれることになった。
1回目は先週の金曜日。
初回のゴルフ塾は、会社近くの打ちっぱなしでの練習。ちょっと引っ掛け気味の僕の球筋をみたKくんは、僕のグリップについて改善の余地ありと診断してくれた。Kくんの指導どおりのグリップは、最初は違和感があったのだが、慣れてくるとクラブがボールにきちんと当たったときの感触が、今までよりも良いものであったため、しばらくはこのグリップを試してみようと思う。
ゴルフ塾は毎週行うと決めたわけではないのだが、これから雨の季節を迎えることと、昼が短くなることもあり、今週は終業後にゴルフコースに出ることにした。
9ホール周りきれるとは思っていなかったのだが、午後5時からゴルフを始める物好きはおらず、待ち時間なしてゴルフができたため、日没の午後7時15分前に9ホールを周りきることができた。
Kくんは、
「一度、終業後にゴルフコースを周って見たかったんですョ」
と、喜んでいたが、スコアはなぜか僕のほうが一打良かった。
| 2003年09月18日(木) |
今年度初のオープンハウス |
今日は、子供たちの学校のオープンハウスだった。
定時に仕事を切り上げようと思っていたのだが、こういう日に限って、急ぎの問い合わせを日本から受ける。結局、いつもと変わらない時刻に会社を出ることになったため、オープンハウスの後半のみの参加となった。
息子のクラスでの様子も気になると言えば気になるが、何と言っても今回の「目玉」は、今年からKindergartenに通うウチの娘が、きちんと授業を聞いているかどうか。
娘の担任は、ミス・ホワイト。息子を担任してくれたミス・アンジェラが異動で学校を去ってしまったため、その代わりとして今年から採用された新人らしい。
彼女は以前にグアムのホテルで働いていたことがあったらしく、「オテアライハ、コチラデス」とか、「オクツノサイズハ、イクツデスカ」などという、特定の日本語のみを知っていた。 (余談ではあるが、ウチの娘は「お手洗い」の意味を分かっていなかった。。。)
ミス・ホワイトに、ウチの娘がクラスでどのように過ごしているかを尋ねたところ、
「彼女は良くやっているわ。いっぱい手を上げて、授業にも参加しているし、ちょっと元気が良すぎることもあるけれど、ボーっと天井を見上げているおとなしい子よりもずっと良いと思うわ」
と、お褒めのお言葉を頂いた。
僕はミス・ホワイトの言葉を聞きながら、息子がKindergartenに通いだした直後のオープンハウスのことを思い出していた。
当時の息子の担任であったミス・アンジェラから僕は、
「言葉が通じなくて辛いのは分かるけど、意地悪されてもクツを投げるのはいけないことだと、教えてあげてくださいね」
と言われていたのだ。
息子は日本の幼稚園では、物を投げたり友達を叩いたりする子ではなかったので、それを聞いた僕は、いかに息子が「言葉が通じないことによるストレス」を受けているかを思い知らされ、不覚にもミス・アンジェラの前で泣いてしまったことがあった。
あれから2年。子供たちはずい分とたくましくなった。
| 2003年09月17日(水) |
プレイステーションの日米互換 |
プレイステーションの日米互換を語る前に、CDとDVDの規格について説明をする必要があると思う。
Compact Disc(いわゆるCD)については、全世界共通の規格であることはよく知られている。 それにより世界のどこに行っても、CDプレーヤーにCDをセットすれば音楽を楽しむことができるのだが、反面違法コピーによる被害が拡大しやすいと言う問題点を抱えていた。
DVDではこの問題を多少なりとも解決しようということで、Region Code(地域コード)という考え方を取り入れ、例えば「北米」という地域コードが割り振られたDVDソフトウェアは、同じ「北米」という地域コードが割り振られたDVDプレーヤーで再生しなければならない。 (面倒なので、Region Freeの説明は省く)
さて、本題のプレイステーションの互換性についてであるが、初代プレステはソフトウェアがCDのみで供給されていたのに対し、プレイステーション2についてはDVDも使用できるようになった。
そのため、プレステ2に関しては、日本のソフトはアメリカの地域コードが割り振られているプレステ2の機器では動作しない(また逆もしかり)と、容易に推測できたのだが、初代プレステについては地域コードという考え方はないので、少なくとも英語版のソフトウェアは日本のプレステ機器で動作するものだと思っていた。 (だって、日本語版ウィンドウズに、英語版のソフトウェアってたいがいインストールできるでしょ)
しか〜し、である。
詳しい理由はよく分からないが、英語のソフトは日本で買ったプレステでは動かないことが、「ソフトを買ってきてから」判明。。。
そのため、一度も使用されていない英語版「Gran Turismo 2」が、わが家にいつまでも残されている。
日曜日の午後7時から放送される、Hey!Hey!Hey!を見ていて思ったのだが、今のモーニング娘。の全員の顔と名前が一致する人って、どの位いるのだろう。
後藤真希が脱退したのは知っていたが、藤本美貴が加入したのは知らなかったり、この前何人か新加入したと思ったら、さらに増えているし・・・。
ちなみに、こちらで放送されているHey!Hey!Hey!は2ヶ月半遅れなので、そもそも見ているものが最新でないし。。。
メンバーの顔と名前が一致しないのが、僕が海外にいて歌番組を見る回数が激減したせいなのか、それともオジサンになったからなのか、そもそも今日の今日まで全員把握している方が日本の「若者」も含めて少数派なのか、知りたいところではある。
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