Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2006年10月31日(火) 上海当世事情 〜 グルメ編 �� 和食 〜



「 私は中国式の食べ方が好きです。

  食卓で何をやっても構わないのですよ。 腕ずもう以外はね 」

                          ジェフ・スミス ( 牧師のシェフ )

I prefer the Chinese method of eating.
You can do anything at the table except arm wrestle.

                                    Jeff Smith



いま、最も活気に溢れる街が観たいなら、迷わず上海へ行くことだ。

なかには、「 半年ぶりに行くと、風景がすっかり変わる 」 と言う人もいる。


飛行機に乗って成田から三時間、関空なら二時間足らずで、中国東海岸の経済優等生 「 上海 」 に到着する。

現在、航空各社にとって上海便は ドル箱 であり、航行距離が短い割には運賃もさほど安くなく、便利な時間帯に発着する便はすぐに満席となる。

日曜最終便で帰国したのも、そういった事情で、本来なら、もう少し余裕のある旅程で戻りたかったのだが、やむを得ず、深夜の帰宅となった。

仕事のこと、文化のことなど、ご紹介したい話は色々あるけれど、先ずは 「 食文化 」 の面から、最新の上海グルメ事情など、簡単に報告したい。

これから上海へ旅行する計画のある方にとって、僅かでもお役に立ったり、ご興味をもっていただけたなら幸いである。


初めて上海へ行ったのは17年前で、その後は、7回に亘り立ち寄ったが、外国人駐在員が増えたせいか、世界中の料理が食べられるようになった。

たとえば、日本食を例に挙げると、数年前までは高級な割烹が何軒か存在する程度だったものが、いまでは市内の至るところで手軽に楽しめる。

価格は、およそ日本と同程度で、昼の定食類ならば 50元 ( 約750円 )、夕食や酒の肴なども、それなりに日本の相場と変わらない。

店舗にもよるが、刺身、焼き魚、肉類などは平均的に味が良く、煮物、鍋物などは イマイチ という印象がある。

現地の中華料理店などは、日本に比べて米が不味いので、美味しい白米が食べたくなったら、日本料理店を訪れたほうが無難だろう。


地元で有名なのは、上海市内や周辺都市に数店舗を構える 『 伊藤屋 』 で、寿司、刺身、焼き物、鍋など、たいていの和食が揃っている。

一昔前までは、上海で 「 生もの 」 を食べるのも勇気の要ることだったが、いまは安心して、刺身でも、寿司でも、普通に食べられるので問題ない。

刺身の他では、味噌汁や、サイコロステーキなどが美味しかった。

日本の居酒屋などで出てくるサイコロステーキは、屑肉を四角く固めた安物が主流だけれど、ここは、普通に牛ブロックを切ったものなので美味しい。

寿司に比べると、オニギリは美味しくないところをみると、やはり米そのものの味が、日本に比べると微妙に劣るのではないかと思う。


焼肉店は、韓国系、日系の店が多数点在しており、多少の格差はあるけれど、どこも 「 悪くもないが、良くもない 」 といった評判が多いようだ。

百貨店やスーパーの中に多い 「 回転寿司 」 は、欧米などと同じく、珍しいネタがあって面白いが、総体的に味はよくない。

ごく普通の 「 うどん 」 が 30元 で、「 しゃぶしゃぶ 」 が 35元 だったりするのも、日本人の感覚からすると奇異な感じである。

ちなみに、中華料理店などで メニュー に 「 日式 ( 日本風 ) 」 と書かれた麺類などを頼むと、想像を絶する不味さの焼きうどんなどが現れたりする。

中国と日本では 「 ラーメン 」 の認識が異なるけれど、日本風のラーメン店も多く、豚骨薄味の 『 味千ラーメン 』 などは アッサリ して食べやすい。


ショッピングセンターのフードコートに行くと、牛丼の 『 吉野家 』 もあるし、たこ焼きとか、鉄板焼きとか、日本の軽食が食べられる。

私は行かなかったが、お好み焼きの 『 ぼてじゅう 』 とか、日本でお馴染みの外食チェーンが多数出店しており、味も価格も日本と変わらないようだ。

1週間内外の短い出張なら、中華料理ばかりでも問題ないが、何年も駐在生活を続けている人にとって、現地で和食が食べられるか否かは大きい。

たかが食事といえども、故郷の味が彼らの活力源となり、精神的支柱としての役割を果たしていることは事実で、けして小さな問題でもない。

日本料理店のウエイトレスの 「 小姐 ( シャオジェエ = お嬢さん ) 」 達が、日本風の源氏名で働いている姿も、彼らに一時の憩いを与えている。






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2006年10月23日(月) 明日から中国一週間



「 生きるというのは、愛するのに似ている。

  理性は全面的に反対するが、健康な本能が全面的に支持するのだ 」

                    サミュエル・バトラー ( イギリスの作家 )

To live is like to love - all reason is against it,
and all healthy instinct for it.

                                 Samuel Butler



明日から一週間、中国へ行くというのに、何も荷造りができていない。

いつものことだが、ギリギリまでやらない習慣は、死ぬまで治りそうにない。


秋の夜、静かな一人の部屋でグラスを傾けていると、つい、哲学の宇宙に引き込まれそうになり、しばし時間を忘れることがある。

冒頭の短文に関しては、理性が生きることに反対していないので、共感できない部分もあるのだが、愛については核心を衝いているように思う。

人生の意味など考えたところで、それは結局、あとから出てくるものだから、結局は人間も他の動物と同じように 「 ただ生きている 」 のが実態だろう。

愛情も同じく、理性や答のある必然性では計りきれない何かが衝き動かすものであって、理性で消してしまえるようなものを、愛と呼ぶには値しない。

愛って何さと尋ねる女性もいるけれど、いま、自分の脳をパカっと開いて、誰かに対する想いを見せることができたら、それがそうなのかもしれない。


上海では、空港まで迎えに来てくれる中国人の方に、最初の二日と、後半の一日を世話になる予定で、途中は一人で行動することになる。

しばらく行かない間に、交通機関は発達したけれど、渋滞が読めないので、移動には余裕をもって臨みたいと思う。

重要な交渉があるのは二日目と三日目だけで、後は視察という名目にしているけれど、生産拠点を見学する他は、買い物と食事を楽しむだけだ。

日本でも同じだが、私は 「 いかがわしいサービスを提供する店 」 が苦手なので、そういうところに近づかないかぎり、さしたる危険もないだろう。

出張で訪れる日本のビジネスマンには、「 その手のサービス 」 に期待する人も多いのか、電話で利用を尋ねられたが、丁重にお断りしておいた。


日本シリーズ第二戦は中日が敗れて、対戦成績が五分となり面白くなってきたが、続きが観れないのは少し残念である。

大阪と神奈川の補欠選挙は、ともに自民党が勝利し、安倍政権の求心力は高まり、逆に、選挙に強いといわれた小沢民主代表は立場が弱くなる。

自分のいない一週間は、この二つの話題で始まりそうだが、悲惨な事故や事件の話題が少なく、平凡な日々が続けばいいなと思う。

北朝鮮に関しては、鍵を握る中国の 「 戦略的外交 」 が、どのような成果を挙げているのか、それが日本にとって有益か否かは、まだわからない。

いまの私は、そんなことより、さっさと荷造りを済ませ、早朝のリムジンバスに乗り遅れないことのほうが、よっぽど重要なのである。






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2006年10月22日(日) 愛とはなにか



「 彼女は何にでも答えがあるものと思い、むさぼるように吸収した 」

                    グレアム・グリーン ( イギリスの小説家 )

She expected answers to every question, and she absorbed them hungrily.

                                Graham Greene



オーソン・ウェルズ主演 『 第3の男 ( 1949英 ) 』 の原作者である。

冒頭の短文は、別の作品 『 権力と栄光 』 からの一文を引用した。


過去に読んだ本や、映画や、雑誌、新聞の一節から、この日記のタイトル通り 『 今夜の気分 』 に合ったものを選び、まず冒頭に掲げている。

悲しいことだが、年齢と共に記憶力が衰え、言葉は覚えていても、どの本に書かれていたのか、どこに収納したのか、思い出せないことが多い。

誰かの文を 「 盗用 」 するのなら、適当にアレンジしても構わないのだろうが、「 引用 」 する場合は、原文のまま忠実にご紹介する必要がある。

日本語でも、英語でも、同じ意味を別の言い方で表現できるが、違う訳し方を試みたい御仁もいらっしゃるはずなので、「 原文引用 」 を心がけている。

記憶の片隅を辿り、書庫をひっくり返して、若い頃、どこかの空港で買ったペーパーバック 『 The Power and the Glory ( 権力と栄光 ) 』 を発掘した。


人生のすべてを知りたいと願う気持ちは、小説や、映画や、音楽に関心を持つきっかけであり、だからこそ若い頃は、それに対して夢中になれる。

だんだん年をとり、人生にはむしろ答えの出ないことが多いのだと気づき、悟りとも諦めともつかない落ち着きが、物事への探究心を追い払っていく。

だからこそ、中年の域に達してもなお、多趣味であったり、森羅万象に疑問や関心を持ったり、情熱的な生き方を楽しんでいる人には魅力を感じる。

また、そういう人から 「 答え 」 を求められたときには、真剣に考え、わからなければ調査し、自分なりの意見を答えようと思っている。

そういった質問のなかで、おそらく、大袈裟ではなく 「 過去最大の難問 」 と思われるものが、「 愛とはなにか 」 という質問である。


この質問に対し、自分の考えや経験を無視し、客観的なスタンスで論理的に回答することは、さほど難しいものでもない。

愛とは 「 いとおしく思う 」 気持ちであり、男女間のみにかぎらず、親が子供を可愛がるとか、そういった自然な情感を意味することである。

愛に似た言葉である 「 恋 」 は、誰かと 「 一緒になりたい 」 という気持ちであり、ちなみに万葉の世界でも、それ以外の意味に使われてはいない。

愛は、モノ や コト に対しても抱きうる ( 愛国心、愛読書、愛車など ) が、恋の対象は特定の人物にかぎられる。

愛を失えば人生に潤いがなくなり、恋をしなくなれば青春が終わる。


ただ、これは愛という言葉の 「 定義 」 を述べたに過ぎず、愛に悩んだり、苦しんだり、失敗したりして、その本質を問う人への答えにはならない。

もちろん私自身も、人間の感情というものは 「 非論理的 」 なものであり、簡単に言葉を並べただけで、その全貌が解説できるとは思っていない。

しかし、だからといって 「 答えがない 」 わけではなく、おそらく、人間が百人いれば百通りの愛が存在するために、結論的な回答が出せないのである。

それでも、想いを寄せ合う男女は、互いの愛に関する考え方に接点を求めようとし、そのすれ違いが溝になったり、負担になったりするのだろう。

愛し、愛されて、両側から太陽を浴びるのも愛だし、好きな相手と思い通りにならないことで、眠れぬ夜を過ごすのも愛である。


最近は充実してきたが、一昔前、弱かった頃の阪神タイガースの投手陣と同じで、愛の成果も 「 投げてみないとわからない 」 ものである。

密かに想い続けるのも愛の形だが、それでは、相手がどのような愛を求めているのか、自分の愛と融和できるのか、認知する術はない。

たぶん、趣味や芸術など多方面に興味を示し、積極的に活動している人は、まだまだ愛に対する探究心や、憧れ、情熱を棄ててはいないだろう。

自分のように、「 そんなメンドーなことより、お金儲けでもしてるほうが楽 」 などと思っている人間でも、以前よりは弱いが愛への憧れはある。

もし、誰かを 「 いとおしく思う 」 ことがあって、その先を知りたいと期待する気持ちがあるなら、いま、あなたは愛の最中にあると思って間違いない。






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2006年10月21日(土) 教室を爆破した中学生



「 都会の地ですくすく育つものといったら、税金くらいのものだ 」

                 チャールズ・D・ワーナー ( イギリスの作家 )

The thing generally raised on city land is taxes.

                          Charles Dudley Warner



田園地帯では農作物がすくすく育ち、都会では税金がすくすく育つ。

都会ですくすく育つものといったら、他に 「 ストレス 」 がある。


中国、雲南省北東部の昭通市にある中学校で、3年生の男子生徒が女子生徒を刺した後、爆弾を爆発させて自殺するという事件が起きた。

まず包丁で女子生徒 ( 24ヶ所を刺されて死亡 ) に切りつけ、居合わせた他の生徒が制止しようとしたところ、腰に巻いた爆弾を作動させた。

事件前、友人に 「 勉強が嫌になったので、何人か殺して死にたい 」 と語っており、計画的な犯行であったことが認められている。

刺された女子生徒に対しては、以前、目が悪いので座席を替わって欲しいと頼んだが断られ、その恨みがあったのではないかと推定されている。

爆弾は実家に保管されていたもので、犯行前、爆破練習もしていたらしい。


亡くなった女子生徒の遺族は、教育当局の対応に不満を感じている。

面会に訪れた担当者は、「 もし教育現場に問題があるとお考えなら、訴訟でもしたらいかがですか 」 と無責任な発言をしたという。

どこの国も、教育関係者の荒廃は似たり寄ったりだが、中国の場合、腐敗した役人の横暴ぶりが目に余ることも周知の事実である。

マスコミが検閲を受けることもなく、こういった問題を取り上げられるだけ、まだ日本のほうがマシだが、まだまだ報道されていない教育の闇がある。

犠牲になるのは子供たちで、大人を信じられないまま、彼らも大人になり、不正と不誠実が当たり前の世の中になっていくのは恐ろしい現実だ。


上海の精神病患者が70年代の5倍になっていることからみても、経済成長に伴う急速な都会化は、ストレスを増大させ、多くの人の心を蝕む。

そこで正気を失うのは、中年のビジネスマンや、教師や、役人だけでなく、たとえば、子供に関しても例外ではない。

また、憲法や法律など、規則とされるものの大半は 「 そんなことをするわけがない 」 という性善説に基づいてつくられていることも事実だ。

だから、隣国が核武装したり、子供が同級生を刺殺したり、教室が爆破されたりしたときに、現行の法や制度だけでは対処しきれない。

もちろん、どんな状況においても、自分を律し、常軌を逸しない者が大半を占めるのだが、全体の何割かは気が狂ったり、悪事に走るものである。


1970年、私が10歳の頃、大阪で万博が開催され、幼い私にはその意味が理解できていなかったが、テーマは 「 人類の進歩と調和 」 であった。

文明の進化と発展が、人類の 「 進歩 」 と認められるためには、発展する以前の人間らしさなど、過去の財産を阻害するものであってはならない。

また、新しい波に乗り遅れた者、潮流に押し流されて漂流する国家との 「 調和 」 を、どのような形ではかるのかが、重要な課題となる。

都会で心に傷を負った者を、人権にかこつけて偽善的に甘やかせるのではなく、休ませる、隔離する、再教育することも、措置として必要だろう。

大人には 「 精神科医 」 が、子供には 「 教育者 」 が、その任にあたるのが妥当だが、日中とも、教育者の資質が低下していて困難になっている。






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2006年10月20日(金) 日教組の解体が日本を救う



「 良い教師は生徒に説明し、優れた教師はやってみせるが、

  偉大な教師は生徒のやる気を引き出す 」

                  ウィリアム・A・ウォード ( アメリカの著述家 )

The good teacher explains. The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.

                                William.A.Ward



教師の部分を 「 管理職 」 に代えても、通用するだろう。

生徒や部下を 「 鼓舞する ( inspire ) 」 ことこそ、最も大切な仕事だ。


福岡県で、生徒が教師に 「 いじめ殺された 」 事件の後、同校が全校生徒に対してアンケート調査を行った。

すると、「 自分も教師からいじめられた 」、「 学校が信じられない 」、「 学校は嘘をつくな 」 など、不信感をあらわにした意見が多く寄せられた。

それが事実であれば、なぜもっと早く、学校を糾弾しなかったのか、犠牲者が出た後では残念に思えてならない。

学校も悪いが、いまになって苦情を申し出た生徒、父兄も、そこは反省し、不正や不道徳に対し 「 最初に発言する 」 勇気を学んで欲しい。

また、こんな 「 能無し教師 」 に翻弄されて人生を無駄にすることの無意味さも、今後の人生の教訓として、しっかり学び、活かしてもらいたい。


冒頭の短文に登場するような偉大さはなくても、教職員諸氏には、せめて、行政の一端を担っている程度の意識はもって、真面目に働いて欲しい。

日本の経済を悪くした根源は 「 銀行 」 にあり、この国から愛国心を奪い、礼儀作法を消失させ、若者のやる気を貶めた根源は 「 日教組 」 にある。

ひたすら寝食を忘れ無我夢中で働き、教え子のためには命をも捧げる覚悟で精進してこそ、国旗が嫌だ、国歌が嫌だなどと語る資格も生まれよう。

己の義務も果たせない連中が、愛国心を棄てる権利などと主張するのは、子供たちにとって手本になるどころか、百害あって一利なしである。

逆に言えば、自分の仕事にまっすぐ精進していれば、国旗や国歌に難癖をつける暇などないはずで、楽をしすぎて 「 バカ 」 になっているだけだ。


日教組の 「 教組 」 は、たとえば、オウム真理教の 「 教祖 」 に通じ、盲従する無気力な信者 ( 教員 ) に、自分勝手で非常識な思考へと洗脳する。

組合傾倒型の教師は、権力者に抵抗すればいいと盲信しているので、校長の指示に逆らい、マトモな授業もせず、国旗掲揚時にそっぽを向く。

そういう連中は、逆に校長から 「 卒業式では国旗を掲揚するな 」 と言われたら、懸命に国旗を掲揚し、大声で君が代を斉唱するかもしれない。

日本の未来のために、まず、最優先で必要とされる施策は、核開発でも、郵政民営化でも、東京五輪の招致でもなく、「 日教組の解体 」 であろう。

群れても、群れなくても 「 バカ は バカ 」 だが、集団化しているために手の施しようがないわけで、孤立させ、一人づつ 「 洗脳を解く 」 必要がある。






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2006年10月19日(木) いざ、上海へ



「 熱意は熱意を生む 」

    ヘンリー・ウォズワース・ロングフェロー ( 19世紀アメリカの詩人 )

Enthusiasm begets enthusisam.

                      Henry Wadsworth Longfellow



アメリカから帰国して2週間、今度は中国へ行くことになった。

来週は、また日記を休ませてもらうことになる。


いづれ行こうとは思っていたのだが、某大手企業絡みの依頼が舞い込み、上海と周辺地域への出張に出かけることとなった。

仕事自体は2〜3日で終わるのだが、久々の中国だし、1週間の予定で、急成長を遂げている上海のマーケットなどを視察してこようと思う。

中国には過去6回 ( 香港の3回を除く ) 訪問していて、アメリカの次に多いのだが、そのうち5回は仕事上の出張で、あまり観光はしていない。

これから、オリンピック、万博をひかえ、街も人も活気に溢れている彼らに、漲る元気を分けてもらいにいくつもりだ。

帰ったら、最新の上海事情を、この日記でご紹介したいと思う。


一人っ子政策を強いられている彼らは、日本の子供たちが親に虐待され、教師から自殺に追い込まれている実態を、どう感じているのだろう。

あるいは、定職に就こうとしない若者たち、仕事がつらいと弱音を吐いては出社拒否する中年、わいせつ行為に及ぶ大学教授を、どう見ているのか。

おそらく 「 信じられない 」 という顔をするだろうが、彼らとて、将来的にそうならないとはかぎらない、いや、むしろ、そうなる危険は高い。

急激な経済成長と都会化の影で、上海の精神病患者数は70年代の5倍に達しており、今後ますます増加の一途を辿ることが予想されている。

日本を 「 高度経済成長のなれの果て 」 とみて、その貴重なテキストから、同じ失敗をしないように学ぶことも、彼らには重要な課題である。


文明の発展は世の中を便利にするが、一部の脱落者を犠牲にする。

ちなみに、「 文明 」 と 「 文化 」 を混同している人も多いのだが、たとえば、インターネット、高層ビル、携帯電話、飛行機などは 「 文明 」 である。

それに対し、日本の歌舞伎や文楽、中国の京劇、箸、座禅、着物、茶道、華道、ラマダン などは 「 文化 」 と呼ばれるものだ。

民族や国の境界線を越えても移植されやすいモノが 「 文明 」 で、他集団への移植が困難なモノが 「 文化 」 だと考えれば、ほぼ間違いない。

日本人は近年、文明の発展に取り組む傍ら、優れた文化を継承することに疎かだったことが否めず、その同じ過ちを繰り返さないで欲しいと願う。


最近、私は少し 「 中国びいき 」 になっているのだが、それは、少し前から知り合いになった、二人の中国人ビジネスマンの影響が大きい。

一人は日本語が流暢だし、もう一人は英語が堪能なので、二人とも通訳を介さずに円滑な会話ができ、とても有益で新鮮な情報を与えてくれる。

今回の仕事にも絡んでもらう予定で、客先を含むと 「 日・中・米 」 の連携と、お互いの利潤をめぐる駆け引きが展開されるだろう。

その中の誰か一人でも無気力だと ツマラナイ が、三者三様に、お互いのビジネスに関する哲学と、譲れない 「 熱い思い 」 があるので面白い。

久々に、ちょっと ワクワク する思いを胸に、決戦の地である上海に旅立つところだが、いまは、交渉の準備資料を揃えるのに四苦八苦ぎみである。






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2006年10月18日(水) 偽善



「 完全主義では、何もできない 」

                  ウインストン・チャーチル ( イギリスの首相 )

Perfection spells paralysis.

                               Winston Churchill



英語の名言は、長文より、上記のような三語の短文のほうが訳し難い。 

直訳の 「 完全主義の綴りは麻痺状態である 」 では、まるで意味不明だ。


民主主義における最大の効果は 「 独裁者を輩出しない 」 という点にあり、国民の主流な意見が反映される 「 国民主体の政治形態 」 だといえる。

一昔前、日本のマスコミは、北朝鮮のことを 「 朝鮮民主主義人民共和国 」 などと表記していたが、これは朝鮮総連の圧力によるものだった。

あの国に、「 民主主義 」 とか、「 人民の共和国 」 などといった言葉を当てはめるのは、どう考えても不適当だと、誰もが感じていたはずだ。

最近の北朝鮮批判、ブーイングの嵐に便乗する格好で、各社ほぼ同時期に 「 北朝鮮 」 と表記が改められ、現在の呼び方に統一されてきた。

自分たちは 「 民主主義の国 」 と主張する独裁国家に対し、日本で唯一、彼らの主張を支持したのが 「 社会党 」 だったというのも、笑い話である。


民主主義は 「 多数決の原理 」 を基本としているために、少数派の人々にとっては、たまに、望み通りの結論が得られないこともある。

そういう人々は、自分と同じように、全体にとっては少数派の弱者を手厚く保護していないという 「 ネタ 」 を振りかざして、民主主義の欠点を突く。

もちろん、大半を占める健康な人、富める人が余分に働いて納税し、少数の弱者を救済することは、近代国家として必要な福祉措置である。

問題は、本当に彼らを救済し、まんべんなく幸せを分け与えようとする善意の他に、彼らにかこつけて、権力に歯向かいたいだけの阿呆がいることだ。

そういった連中による邪な考え、姿勢のことを、人は 「 偽善 」 と呼ぶ。


刑法39条に抵触する可能性のある犯罪者に対して、犯罪者とは呼ばずに 「 触法精神障害者 」 と呼ぶ傾向も、偽善の匂いが プンプン している。

なぜ、「 精神障害犯罪者 」 ではなく、「 触法精神障害者 」 なのか。

一般的に日本語は、二つの言葉をつなげたとき、後にくる言葉が姿や形を表し、前にくる言葉がそれを修飾するという規則がある。

たとえば 「 鳥山 」 は山の名前で、「 山鳥 」 なら鳥の名前になるわけだが、犯罪者という言葉を後ろにつけないことで、彼らを擁護しているのだ。

少年法も同じで、「 少年犯罪者 」 ではなく、「 触法少年 」 と呼ぶ連中らは、そこに死体があっても、犯罪を 「 なかったこと 」 にしようとしている。


9歳の娘に、ゴミ や ホコリ を食べさせて虐待していた母親を、和歌山署は傷害容疑で逮捕したが、この犯人の精神は 「 正常 」 であろうか。

私は、精神病の人を蔑視しないが、このような輩の精神状態を 「 正常 」 とは思えないし、この犯人を 「 きちがい 」 と呼んで構わないと思っている。

私にかぎらず、ごく一部の社会生活不適格者を除けば、何の罪も無い善意の精神病患者に対して、そのような差別用語で蔑視する人はいないだろう。

非道な凶悪犯罪者に対し、誰かが 「 きちがい 」 と叫んだのを聞いて、無実の精神病患者が理由も無く 「 傷つく 」 ということも考え難い。

状況に関わらず、そういう言葉を使わせないという規制は 「 偽善 」 であり、真の弱者保護、弱者救済とは縁の無い話ではないだろうか。


ちなみに、いつのまにか 「 狂牛病 」 という呼び方が消え、「 BSE 」 と表現されるようになったのも、このような 「 偽善 」 が背景にある。

しかし、誰かが狂牛病の話をする度に、精神病患者が傷つくのではないかという発想こそ、異常な偏見であり、差別なのではないだろうか。

精神病だろうが、精神が正常だろうが、少年だろうが、大人だろうが、悪いことをすれば犯罪者であり、凶悪度が高ければ 「 きちがい 」 である。

差別の反対語を 「 公平 」 とするならば、それが正しい基準であり、自分にとっての耳障りが良いように事実をねじ曲げるのは 「 偽善 」 にすぎない。

余談だが、「 狂牛病 」 の不使用に圧力をかけた偽善者たちが、はるかに被害の多い 「 狂犬病 」 を放置しているのは、不思議な話である。


民主主義は完全主義ではないし、どのような主義、思想を用いたところで、すべての人を安全で、快適な環境に置くことなど不可能である。

生い立ちや環境に関わらず、人間の何割かは悪いことをするし、何割かは人並みの仕事ができず、学力が劣り、社会生活に適応できない。

すべて弱者を切り捨てるという発想も ダメ だが、悪人だろうが何だろうが、あらゆる人間に同等の 「 人権 」 を認めるべきという発想もおかしい。

弱者保護と信賞必罰の 「 線引き 」 は、少し前まで バランス がとれていたはずだが、どうも近頃は、おかしくなってきているように感じる。

その調整を崩した犯人は、政府でも、国連でもなく 「 偽善 」 だと思う。






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2006年10月17日(火) イジメ と 自殺 と バカ教師



「 教えることは、二回学ぶことである 」

                 ジョセフ・ジュベール ( フランスの倫理学者 )

To teach is to learn twice.

                                Joseph Joubert



職業選択の自由は、国民すべてに認められた共通の権利である。

努力して資格を得たり、試験に合格すると、やりたい職業に就ける。


ただし、人には 「 職業適性 」 というものがあって、その仕事に従事できる十分な能力を有していても、適性が合致しないと円滑に働けない。

職場の人間関係に悩んだり、職責の重圧に潰されて頓挫する人の中には、自分でも 「 こんなはずでは 」 と、失敗の原因に首をひねる人が多い。

それなりの大学を出て仕事に就き、同期の中に 「 歯が立たないライバル 」 がいるわけでもなく、自分なら人並み以上の活躍はできるはずと感じる。

そう思いつつ働き続け、さほど大きな失敗もなく徐々に自信をつけ、実力を認められて難易度の高い仕事を任された途端、心身に変調が現れる。

ある者は無難に克服し、ある者は 「 無能 」 のレッテルに甘んじ、ある者は精神科の助けを借り、ある者は職を離れ、ある者は 「 自殺 」 する。


それは 「 職業適性 」 の ミスマッチ に拠るところが大きく、本人の能力が低いわけでも、とりたてて精神が デリケート というわけでもない。

自分がどの職業に適しているのかを知るために、「 職業適性診断テスト 」 なるものも存在し、利用することで “ 多少は ” 参考になる。

だが、もっと簡単に、もっと正しく、自分に合った仕事を知る方法は、自分がやろうとしている仕事を 「 情熱をもって愛せるかどうか 」 を知ることだ。

うつ病を経験した勤め人の大半は、「 仕事とは、つらいもの 」 だと認識しており、逆に、仕事が楽しくて夢中になっている人に、うつ病は皆無である。

たとえ精神病にならなかったとしても、情熱をもたずに、嫌々ながら働いているような人は、どんな職種であっても 「 マトモ な仕事 」 などできない。


北海道の小学校、福岡の中学校で、相次ぎ 「 イジメ を苦にした自殺 」 が起き、社会問題となっており、いたたまれない気持ちにさせられる。

特に許せないのは、福岡の事件で 「 イジメ を誘発した 」 のが担任の教師であったという事実で、遺族の無念を思うと胸が痛む。

これが大人の世界なら、自殺する人間のほうが悪い。

なぜなら、自殺も一種の 「 殺人 」 であり、たとえどんな理由があろうとも、苦痛から逃れるために自分を 「 殺す 」 ことなど許されないからだ。

だが、子供の場合は、自分で解決する能力も、機会も与えられないうえに、人生に立ち向かう術を教えるはずの大人が 「 敵 」 では、どうしようもない。


この教師にかぎらず、「 教育 」 という仕事に対して、目的意識や、情熱や、やりがいを微塵も感じていない人間が、いまの教育現場には多い。

どんな思想を持とうと勝手だが、国旗、国歌に敬意を示さない 「 権利 」 を主張する 愚か者 や、それを支持、擁護する 愚か者 もいる。

彼らを 愚か者 と呼ぶのは、右翼、左翼などの思想的観点からではなくて、教師のくせに 「 権利 」 という言葉の定義を知らないからである。

権利と義務の最大の違いは、権利には必ず 「 選択肢があること 」 が条件であり、逆に、義務には 「 選択肢がないこと 」 が条件となる。

たとえば、日の丸に代わる国旗があったり、君が代に代わる国歌があるのなら、彼らの言う 「 権利 」 も成立するが、そのいづれも存在しない。


裁判所は、そのような 「 国語的議論 」 ではなく 「 法的基準 」 を裁定する場所なので、法的には通るかもしれないが、国語的には 「 × 」 である。

どうしても君が代が嫌ならば、代わりの曲を日教組で提案し、国民投票でもやって大多数の支持を得られるかどうか、審議にかける 「 権利 」 はある。

もし、君が代を支持する人数のほうが多ければ、民主主義の原則として、潔く従うべきだし、晴れて推薦曲が選ばれたら、胸を張って歌えばいい。

自分が嫌だから歌わないとか、国旗を掲揚しないというのは、権利に関わる選択の問題ではなく、単なる 「 わがまま 」 でしかない。

私自身、国歌に敬意は表すけれど、たとえば国民が君が代に代わる新しい国歌として、SOL’dOUT の 『 TOKYO通信 』 を選んだら、もちろん従う。


話が横道に逸れたが、能力はともかくとして、個人の自由や権利の主張に忙しく、教育という仕事に誇りや情熱を感じている教師は激減した。

嫌々やっているから、教育に携わる技術的水準は低く、授業も満足にできないわけで、ましてや 「 人格形成 」 まで指導できるはずもない。

きっと、会見に現れた教育長やら、校長やら、文部省の役人らは、自分の子供は 「 私学 」 に通わせ、公立学校のレベルに無関心なのだろう。

冒頭の言葉どおり、人を教育するのは 「 自分が二度学ぶ 」 ことに等しく、本当に教育に情熱をもっているなら、こんな バカ教師 は生まれない。

失った命を救うことはできないけれど、二度とこのような悲しい事件が起きないように、地上から 「 やる気のないバカ教師 」 を廃絶してもらいたい。






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2006年10月16日(月) 個人ノウハウ を 企業ノウハウ へと



「 “ 自慢するわけじゃありませんが ” ではじまるのは、

  たいてい自慢話である 」

                                   英語のジョーク

“ I may say without boasting ” is always the beginning
of a boastful remark.

                                  English Joke



自慢話をすること自体は、けして悪いことでもないと思う。

それよりも、「 何を自慢するか 」 が問題である。


ビジネスの世界には、「 個人ノウハウ 」 と 「 企業ノウハウ 」 があり、組織としては、個人ノウハウ を 企業ノウハウ に昇格させることに意義がある。

たとえば、誰かが知恵を絞り、仕事上の問題を工夫して解決した場合、この 「 成功事例 」 は、その人の経験となり、個人ノウハウ となる。

これを、誰にも教えないで、他の人が同じ問題で失敗し続けるのを横目に眺めるより、皆に 「 成功事例 」 を開示したほうが、全体のプラスになる。

ある意味、他人の成功した話は 「 自慢話 」 と紙一重なので、説明するほうも照れくさいし、聞くほうも場合によっては不快を伴う。

特に、“ 自慢するわけじゃありませんが ” なんて前置きを付け加えられると、余計に 「 自慢したいんだろな 」 と勘ぐったりして、素直に聴きづらい。


そういうときに、私の場合は “ ここからは、自慢話なんだけどね ” と、あえて誇張したり、“ 俺の若い頃はよぉー! ” なんて、声を張ってみたりしている。

一緒に仕事を手伝ってもらっている Oさん は、私より20歳も年下の男性だが、「 出たー、TAKAさんの “ 俺の若い頃は ” 話 」 と、大ウケである。

たとえ 「 ためになる有難い話 」 でも、他人の自慢話なんて話半分しか聴いてないものだが、こうやって笑いをとることで、少しは興味を持たれる。

100% は無理でも、50% が 70% ぐらいにでもなれば、バカ をやる価値もあるというもので、とにかく大事なのは 「 聴いてもらう 」 ことだ。

それに、話し手が賢そうに気取っているよりも、どこか バカ っぽいほうが、聞き手は優越感を押し付けられずにすむし、気を使わなくて楽である。


だが、これだけでは、以前 個人ノウハウ の領域に留まっていて、まだまだ 企業ノウハウ として熟成されていない。

個人ノウハウ は、「 その人しかできないこと 」 であり、企業ノウハウ とは、「 誰でも簡単に取り出せて、誰がやっても一応の成果が出ること 」 である。

誰かの自慢話から、どこに工夫があるのか、大事なことは何か、どの違いが成否の分岐点になったのかを分析し、要点をまとめる作業が不可欠だ。

過去の自慢話を語る 「 猛者 」 が大勢いる会社は、本来、成功事例の宝庫でもあるはずだが、この作業を怠ると 「 単なる過去の栄光 」 で終わる。

また、どうでもいい 「 飲む・打つ・買う 」 などの自慢話はひけらかすくせに、肝心の業務については成功事例を隠す人もいて、なかなか難しい。


巷では 「 2007年問題 」 が深刻な問題として、取り上げられている。

定年を60歳とすれば、昭和22年生まれを中心とした 「 団塊の世代 」 の退職者が最も多く発生するのが、来年、すなわち 2007年である。

最近では、自分より年下の人と仕事をする機会が多いけれど、戦後日本の経済成長に尽力し、我々が若い頃によく怒鳴っていた世代の猛者たちだ。

彼らが去ったあと、彼らの 個人ノウハウ に頼っていた会社は危機に瀕し、衰退する恐れが十分に考えられるため、一部の会社が焦り始めている。

今からでも遅くないので、機会がある度に居酒屋へ誘い、ボイスレコーダーをしのばせて、せいぜい 「 自慢話 」 を集めておいたほうがよい。


もちろん、「 相手 」 をみて、話を聴かなければならない。

成果の挙がらなかった人や、会社の不満ばかり愚痴ってる人、人生や仕事に情熱を感じていない人などに聴いたところで、役には立たないだろう。

個人の趣味に没頭したり、たとえば、このような WEB日記 を書くために、仕事を疎かにして、必死に資料を集めていることを自慢する人もいる。

仕事も満足にできない輩が、資料を集めたり、睡眠時間を削ってエラそうなことを書いても説得力などなく、私なんぞは、ほとんど資料など使わない。

もちろん、それは 「 自慢 」 である。






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2006年10月15日(日) 正しい結婚相手の選び方



「 独身者のほうが、結婚した男よりも、女性をよく知っている。

  だからこそ、彼らは独身者なのだ 」

                                   英語のジョーク

Bachelors know more about women than married men.
That's why they are bachelors.

                                  English Joke



少子高齢化の昨今、こんなことを書くと叱られそうだ。

人口減少に歯止めをかけるためにも、結婚を否定しては不謹慎だろう。


俳優の 村田 雄浩 さん ( 46 ) が、20歳年下の女優 中江 里香 さん ( 26 ) と結婚することになり、周囲から祝福を受けている。

あまり私はテレビ ( 特にドラマ ) を観ないので、詳しくは 村田 さん を知らないが、年齢が同じで、ある友人にも似てるので、顔ぐらいは思い浮かぶ。

お相手の女性は、まったく観たことも聞いたこともないけれど、親子ほどの年齢差を乗り越え、楽しく、幸せに暮らしていただきたいものである。

むしろ、これだけ年齢が離れていたほうが、些細な事柄で争ったり、激しく意見が衝突しないので、案外、うまくいくかもしれない。

頑張れ 村田 さん、独身中年男の夢を乗せて。


およそ、既婚者の大部分は、ご自分の伴侶に何らかの不満を抱いている。

それは、態度や行動面で、自分が望む 「 さも当然 」 のことが出来なかったり、状況への適応力に欠けていると感じたとき、特に大きなものとなる。

人間は誰でも、多かれ少なかれ 「 適応障害 ( Adjustment Disorder ) 」 なのであり、すべての事柄に適応しきっている者など存在しない。

問題は、それが 「 どの方面においてか 」 というところで、お相手にとって、どうでもいい部分なら影響ないが、重要視する部分なら、そうはいかない。

周囲から完璧そうに見える旦那さん ( または奥さん ) でも許せなかったり、駄目男 ( 女 ) でも許せたりするのは、そんな理由が大きい。


人間関係という言葉をよく耳にするが、「 組み合わせによる人間関係 」 ということのほうが、男女、夫婦の間柄では、とても重要である。

たとえば、ゆっくり行動する人と、いつも大急ぎで行動する人が一緒に居ると、ゆっくりの人は、なんだか自分が 「 のろま 」 になった気分に陥る。

急ぐタイプの人は、ゆっくりタイプの人に待たされ、たえず イライラ することが多くなり、そのせいで自分らしさが出せず、なにかと失敗する。

ゆっくりの人も、急ぐ人に追いつこうとして無理をし、本来、自分が長所として持っていた慎重さ、正確さが発揮できず、やはり失敗する。

どちらも、せっかく長所を持っているのに、相手との組み合わせが悪いために機能せず、お互いの折り合えない壁だけが クローズアップ される。


これらの事実を鑑み、物事の価値観や優先順位、趣味、嗜好、生活環境、主義主張で争わない相手を選ぶには、二つの考え方がある。

一つは、自分と 「 生い立ちや環境 」 の近い相手を選ぶことだ。

人間の性格や嗜好、偏見などは、生い立ちと、その後の環境によって形成されやすいものだから、境遇が近いと、共感が得られる可能性も高い。

たとえば有線で学生時代に流行った音楽なんか流れてきたとき、同じ年の男女なら一緒に懐かしがれるが、年の差があると共感できず、しらける。

ただし、この相手なら 「 わかってくれるはず 」 という ベース の上に関係が成立しているので、期待を裏切られたときの ショック は大きい。


二つ目は正反対に、「 まるで共通点がない 」 相手を探すことだ。

中途半端に接点があるために、価値観を共有したいという期待が強くなるわけで、生まれも育ちも違ってるほうが、変な エゴ 抜きでつき合える。

年齢が離れてたり、生まれた町や、国や、惑星が違ってたりなんかすると、知らないことが多すぎて、近づこうとか、近づかせようとかしないものだ。

冒頭の、独身者のほうが女性のことを 「 よく知っている 」 という部分だが、本当は 「 知ろうとして、無駄な努力をしていない 」 が正解かもしれない。

きっと、女性を理解しきるには、男の一生なんて短く、100回ぐらい人生を繰り返し経験しないと、知り尽くすことなどできないように思う。






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2006年10月14日(土) 民主党よ、国民に恥をさらすな



A : 「 君のオフィスでは、どれくらいの人が働いているんだい ? 」

B : 「 半分ぐらいかな 」

                                  英語のジョーク

A : How many people work in your office ?
B : About half of them.

                                  English Joke 



社員の人数を訊ねたが、「 マトモな労働者は半分しかいない 」 と答えた。

これは ジョーク とされるが、実際、そんな企業や組織は数多く存在する。


北朝鮮が核実験を行ったという衝撃的な事件を背景に、国会では、民主党による 「 ( 相変わらずクダラナイ ) 質問 」 が、展開されているようだ。

たしかな裏付けのない週刊誌のゴシップ記事をネタにし、安部首相を中傷したり、著書のタイトルを語呂合わせにして皮肉ったりしている。

昨年も、やはり民主党の若手議員が、信憑性に欠ける 「 中傷メール 」 を振りかざし、国会を空転させ、大問題となったことが記憶に新しい。

政権政党でないため、やる気はあっても、見せ場がないことには同情するが、党首は肝心なときに病欠だし、発言の質は低いし、まったく情けない。

前回の総選挙は自民党の圧勝だったが、これら民主党の 「 実態 」 をみるかぎり、国民は正しい選択をしたのだろうと思える。


それにしても民主党は、得票数を増やす気があるのだろうか。

選挙では、有権者からの得票によって議席数が決まるのだから、国会答弁や、メディアへ出演の機会には 「 頑張っている姿 」 を見せたほうがよい。

議員の報酬や、かかる経費などを 「 国民の血税 」 によって賄われる公僕である以上、それなりの働きを見せておかないと、選挙戦で不利になる。

そんなことは百も承知のはずなのに、無益な中傷や、大喜利のような皮肉で国会を愚弄し、与党の悪口しか能が無いといった姿勢が目に余る。

これで 「 自分に投票した人間が納得する 」 などと思っているのなら、さっさと解散したほうが、日本のためというものであろう。


もし、私が民主党の代議士で、首相を追求する 「 ネタ 」 を持っているなら、国民が 「 北朝鮮にしか関心がない 」 この時期に、それを使わない。

もう少し 「 脅威 」 が収まってから、攻撃に転じたほうが効果的だ。

いまの時期、野党のイメージアップをはかりたいなら、醜聞は控えめにして、代表質問では次のような発言を行うだろう。

「 総理、我々は貴方の醜聞について追求する用意がある。 しかし現在は、北朝鮮の脅威について団結して臨むべき時期だ。 何でも協力する 」

平時は敵対しても、有事には党の垣根を越え 「 与党に協力 」 する度量の大きさを国民に見せ 「 党ではなく、国のために働いている 」 姿勢を示す。


それはそれで、左巻きのジャーナリストやメディアから、「 権力への迎合 」 というレッテルを貼られるだろうが、「 悪口集団 」 よりはよほどマシだ。

国会での口喧嘩に勝ったところで得るものは少なく、選挙戦を有利に運ぶほうが見返りは大きいのだから、ここは 「 イメージアップ 」 に注力したい。

民主党の幹部が揃って上着を脱ぎ、多忙になる外務省の事務仕事などを手伝ったり、テロ警戒を呼びかけ、政府、国民の手助けをするのである。

本来、政治家には政治家の仕事があるのだけれど、野党の仕事というものは、国民にとって 「 何の役に立っているのか 」 が理解されにくいものだ。

そのジレンマに憂いたり、何もできない腹いせに野次を飛ばすぐらいなら、雑用でも、掃除でも、働いている姿を有権者に見せたほうがよい。


そのうち、事態が沈静化し、大衆が北朝鮮の脅威にばかり関心を示さなくなれば、また、醜聞を収集して、与党の追い落としに戻ればよいのである。

ビジネス用語で、営業方法には 「 プッシュ [ push = 押す ] セールス 」 と、「 プル [ pull = 引く ] セールス 」 の二種類がある。

たえず強引に 「 押す 」 だけの 「 押し売り 」 では、一時的に数字を伸ばせても、お得意先に疎んじられ、嫌われた挙句、売り先を失ってしまう。

時には一歩下がって 「 引く 」 ことで、自分本位ではなく、売上至上主義でもない 「 顧客第一優先の姿勢 」 を示せば、得意先からの評価も上向く。

営業経験の豊富なビジネスマン、有能な管理職なら 「 当たり前のこと 」 として理解している原理だが、現在の民主党には、その思想がない。


昨年の 「 郵政解散 」 と呼ばれた総選挙を、よく思い出してもらいたい。

小泉首相は、「 賛同いただける方は、ご投票ください 」 と PR したが、逆に言えば 「 反対なら、投票しなくていいよ 」 という 「 引き 」 の戦法だ。

対する民主党は、「 自民党は駄目 」、「 我々に投票を 」、「 政権を取らせて 」 と、価値観を押し付け投票を迫る、いわば 「 押し売り 」 だった。

ずっとこのような状況が続いているので、大半の有権者は民主党に対して 「 嫌悪感 」 を抱き始めており、それが得票減にも結びついている。

小泉内閣を 「 人気取り 」 と批判する人も多いが、国民の支持を集められない政党に政権を司る資格などなく、民主党は大いに反省すべしである。






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2006年10月13日(金) 憲法改正に関する預言者のお告げ



「 女性の直感は、男性の推理よりも正しいことが多い 」

                                      作者不詳

Woman's instinct is often truer than man's reasoning.

                                    Anonymous



昔からよく聞く定説だが、たしかに、思い当たる節は多い。

考えて、考えて、考えて出した結論が、いとも簡単に敗れたりする。


経験上、「 偶然 」 として片付けられないほど、女性の直感はよく当たるので、そこには何か深い理由が隠されているような気がする。

第一に考えられるのは、「 人間は感情の動物である 」 ということから、人の行動というものは、計算ではなく感情によって決定づけられるという事実だ。

つまり、ある人物が次にどのような行動に出るかは、その人の感情によって決まるのだから、過去のデータを分析したところで、予測するのは難しい。

男性の多くは、知識や情報を収集し、理論付けることによって答が見出せるものと信じて疑わないため、直感に頼ることが少ない。

ところが実際には、相手の顔色や、声の調子や、体の傾け具合などから、その人の感情を読み取り、次の一手を予測するほうがよく当たるようだ。


先を読めない男性の多くが、中途半端に仕入れた情報や、少ない脳みそに詰め込んだ微量の知識に惑わされ、よく、ピントはずれな結論を導き出す。

北朝鮮問題しかり、憲法改正論議しかり、より知識の豊富なほうが、正しい未来予測をできるものと考える人が多いけれど、けしてそうではない。

たとえば、憲法の条文を丸暗記していたとしても、日本の未来にとってどのような憲法が相応しいかを議論する際には、まったく役に立たない。

自分よりも専門知識に疎い人に対して、「 馬鹿は黙ってろ 」 などと偉そうに諭す輩ほど、庶民感情を理解し、時代を読むセンスに欠けていたりする。

特に、憲法改正や、有事立法などの法改正に関しては、集団的自衛権とは何かなど、ややこしい知識を持ち出しては、屁理屈を並べる者が目立つ。


ふつう、人間には 「 防衛本能 」 というものがあり、たとえば、足を滑らせて転びそうになると、自然に手が出て体を支え、身を守ろうとするものだ。

ところが、最近の小学生の中には、転んだとき地面に手をつけず、顔から着地して怪我をする児童が多いという。

過保護な環境のせいで、走り回って転んだり、つかみ合って喧嘩した経験がないため、頭では理解できても、咄嗟に体が反応できないのである。

近頃の大人も同様で、たいした修羅場をくぐった経験もないのに、周辺事態や、戦争の危険性などについて、やたら評論家ぶりたがる頓珍漢が多い。

彼らが根拠にあげるのは、きまって 「 知識 」 のみであり、極限状態に追い込まれた人間の心理や、戦時の大衆心理などを鑑みてはいない。


また、長く平和が続き、戦争経験がない現代の日本人が誤解しやすいことの一つに、「 安全 」 と 「 安心 」 は同義語ではないという要点がある。

この似て非なる言葉は、まったく異なった概念であり、むしろ、対立するものであることを忘れてはならない。

安心できないからこそ、安全が希求されるのであって、根拠も無く安心してしまうようでは、安全が断じて保てないのである。

ここにきて、憲法改正論議が活発化しているのは、国民が安全保障に関して不安になっているからであり、それは、ごく当然の国民感情だといえる。

そういった、国民感情を刺激する 「 背景 」 こそが重要なポイントであって、杓子定規に法の在り方など語っても、まったく意味を持たない。


北朝鮮への制裁強化には大半が賛同しているが、憲法を改正し、部分的に武力行使が出来るよう作り変えることには、難色を示す人々が多い。

実際には、武装強化なくして、隣国への制裁強化などは 「 危なっかしい 」 ことこの上ないわけで、この両輪は、同じ歩調で揃えることが望ましい。

法整備を進め、有事の対応力を身につけておかないと、「 いまに大変なことになる 」 と、友人の奥さん ( 43歳 ボヤっとした主婦 ) が力説していた。

理由を尋ねると、「 いや、なんとなく 」 とのことである。

ここで、核やら、ミサイルがどうとか言われたなら、反論もしたくなるのだが、勘のよい女性の 「 なんとなく 」 には、けして抗えない説得力があるのだ。






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2006年10月12日(木) 北朝鮮を擁護する韓国のエセ左派勢力



「 国民大衆は小さな嘘よりも、大きな嘘の犠牲に容易になるものだ 」

                 アドルフ・ヒットラー ( ナチスドイツの独裁者 )

The broad masses of a nation will more easily fall victim
to a big lie than to a small one.

                                   Adolf Hitler



ヒットラーの著書 『 わが闘争 』 には、興味深い記述が多い。

ただし、その分析や論理が、実際に長く活用されることはなかった。


彼が思うほど、大衆は 「 愚鈍 」 ではなく、独裁者の持つ大きな力に逆らえなかっただけで、無条件に信奉しているわけではなかった。

もし戦争に勝って、政権が維持できていたとしても、いづれは内部の反乱に遭って滅びたか、外圧によって体制は崩壊したであろう。

世界の例をみても、独りよがりの狂人には、惨めな最期が待っている。

テロの首謀者は、「 原理主義者 」 として、自分の考えを持たず、出来合いの思想に凝り固まる集団を養成するが、全体を洗脳しきることはできない。

ましてや、他国に理解されるはずもなく、それを擁護するわずかな周辺国も、利権が途絶えた時点で見放すことは明白である。


北朝鮮は、さらなる挑発を企て、国際社会に メッセージ を放っている。

洗脳された国民は、一見 「 一枚岩 」 にもみえるが、核兵器を製造し、ドル紙幣を偽造し、麻薬を密売し、国民を飢え死にさせる政府を信じていない。

イラン戦争では、アメリカ兵ではなくイラン国民の手によって フセイン像 が倒され、ソ連崩壊時には、やはり市民の手で スターリン像 が倒された。

いづれ、金正日体制が崩れる瞬間には、大多数の国民は 「 悲嘆 」 よりも 「 歓喜 」 をもって、その時を迎えるだろう。

そのためには、国際社会が連携し、その横暴に終止符を打つことが不可欠で、いかなる国も勢力も、その努力を惜しんではならない。


この期に及び韓国では、公務員労働組合などの左派団体が、北朝鮮問題の元凶は100%アメリカにあるとして、反米集会、デモを企画している。

日本でも 「 公務員の飲酒運転 」 が多いことなどが問題視されたが、どこの国でも公務員には 「 ろくでもない連中 」 が多いようである。

特に、韓国の左派団体は、核兵器を正当化し、金正日をはじめとする特権階級を支持し、軍拡競争を歓迎するというのだから 「 狂気の沙汰 」 だ。

また、左派以外の韓国人にも、「 これで、朝鮮半島が統一したら、韓国が核保有国になれる 」 などと喜んでいる連中もいるというのだから驚く。

思想の自由は尊重されるべきだが、たとえ冗談でも、そういった言動が出ることを国家として恥じなければ、韓国民の資質が問われるだろう。


北朝鮮が核実験に成功したとしても、ミサイルに搭載して飛ばすには数年の歳月が必要で、たちまちの危機は日本に訪れない。

だから、「 あわてる必要はない 」 という人もいるが、こういう意見を堂々と語る人は、よほどのお人よしか、あるいは オツム の弱い御仁である。

なぜならば、たとえば、自国のミサイルには搭載できなくても、北朝鮮の核が危険な国家に流通し、世界に核拡散をもたらす可能性は高い。

経済制裁に困窮した彼らが、それを 「 目玉商品 」 として売りに出す危険は十分に予測されることで、既に交渉は始まっているかもしれない。

今すぐ日本に飛んでこないからといって、のんびり構えていられる状況だと思い込むようでは、「 小学生以下 」 のレベルとしか言いようがない。


最近、日本でも左派団体の 「 異常 」 さは目に余るものがあるが、それでも最低限、世界中の左派勢力と同じく、核廃絶を基本要綱としている。

それに対し、韓国の左派団体には、まるで 「 金正日の シンパ 」 ではないかと思わせるような 「 エセ左翼 」 が多く存在し、核武装を容認する。

これは、実際に 「 北から送り込まれた工作員 」 による工作活動の可能性があり、彼らの動きが、今後の対北政策の障害となる危険も孕んでいる。

既に、中国、韓国からも政府レベルでは見放され、完全に孤立した北朝鮮が、「 近隣諸国の大衆を扇動する 」 作戦に出た可能性も否定できない。

政策への世論の反映は重要だが、少数の狂人や、スパイや、お馬鹿さんの意見に振り回されて、対処が遅れないように注意が必要だろう。






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2006年10月11日(水) 北朝鮮が得たカードと失ったカード



「 好戦的な国民など存在しない。 好戦的なリーダー達がいるだけだ 」

               ラルフ・バンチ ( アメリカの政治科学者、外交官 )

There are no warlike people - just warlike leaders.

                                  Ralph Bunche



パレスチナ問題の仲裁役として、1949年の停戦協定に導いた立役者。

ヨーロッパ民族以外の個人として初めて、ノーベル平和賞を受賞した。


アメリカの新聞各誌は、北朝鮮などの独裁国家を取り上げるとき、頻繁に 「 a warlike nation ( 好戦的な国家 [ 国民 ] ) 」 という表現を用いる。

そんな彼らもまた、けして 「 pacifist ( 平和主義者 ) 」 とは呼ばれないが、両者を分かつ決定的な違いは、「 民主主義国かどうか 」 という点にある。

民主主義の最大の効能は、「 独裁者を生み出さない 」 という利点にあり、国民の意思を反映させ続けないかぎり、民主国家では政権を司れない。

冒頭の言葉を信じるならば、個々の国民はけして好戦的でなく、平穏を望んでいるはずなので、その意思を裏切るリーダーの存続を認めない。

無軌道な暴走が罷り通るのは、民主主義以外の国にかぎられる。


北朝鮮が核実験を実施したことで、世界中が震撼し、憤りを示している。

そんな中、まれに 「 たいしたことじゃない 」 とか、「 アメリカは、それ以上に核を保有しているじゃないか 」 などと、天邪鬼なことを言う人もいる。

事実、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国、インド、パキスタンの各国が核を保有し、イラン、イスラエルも、核保有の可能性があるとされる。

だが問題は 「 持っているかどうか 」 よりも、「 誰が持っているか 」 であり、アメリカと北朝鮮を同列に並べて判断するには無理がある。

わかりやすく言うと、「 板前さんが包丁を握っている 」 のと、「 精神異常者が包丁を振り回している 」 状況の違いで、周囲の危機感が違って当然だ。


まさに 「 キチガイに刃物 」 ともいえる状況だが、戦略的外交手段として、北朝鮮が、有効な 「 一枚のカード 」 を手にしたことは間違いない。

ただしそれは、中国、韓国の後ろ盾という強力な 「 二枚のカード 」 を犠牲として失う リスク も避けられないため、あまり得策とはいえないだろう。

中国は、過去において北朝鮮擁護の立場を貫き、7月のミサイル発射事件の後も、国連の制裁決議に反対する意思表示を示した。

孤立する北朝鮮と、包囲する国際社会の仲裁役を果たすべく名乗りを上げたまではよかったが、今回の騒動で、見事に恥をかかされた格好となった。

韓国は、「 太陽政策 」 と呼ばれる融和路線で、粘り強く親密化を目指してきたが、もはや庇いきれない状態となり、その努力も水泡に帰した。


専門家によると、たとえ核実験に成功しても、ミサイルに搭載し遠隔攻撃を仕掛けるなど 「 軍事転用 」 するには、数年の歳月を要するという。

つまり、当面は 「 日本が核攻撃に見舞われる 」 などの絶望的危機は起きそうにないが、逆の見方をすれば、数年後に危機が訪れる可能性は高い。

それを避けるためにも、「 金正日体制の崩壊 」 を果たす以外に道はなく、今後は、より一層の経済制裁、外交的圧力を加えることになるだろう。

その過程で、自暴自棄となった北朝鮮が、思いがけない暴挙に出る危険も否めないが、臆せず、怯まず、周辺諸国は立ち向かわねばならない。

もちろん、日本は民主主義国家なので、その有事に 「 憲法9条を抱いて、無条件に殺されたい 」 という意見の方が多ければ、それに従えばよい。


バンチの示す冒頭の言葉に嘘はなく、すべてあらゆる国の国民は、好んで戦争に荷担する意思などなく、安らぎと平和を望んでいると思う。

しかし地上には、己の野心や欲望のために、国民の安寧を犠牲にすることも厭わない 「 独裁国家の好戦的なリーダー 」 がいて、調和を破壊する。

サダム・フセインもその一人で、私は 「 イラク戦争は必要だった 」 と考えているが、世間には、憲法やら倫理論を持ち出して反対する人もいる。

面白いことに日本には、「 イラク戦争には反対だが、北朝鮮はやっつけろ 」 という、好戦的なのか、平和主義なのか、よくわからない人も多い。

これが日本にとって 「 戦後最大の危機 」 であることは間違いなく、日本の 「 好戦的でない人々 」 がどのような意思を示すのか、その点も興味深い。






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2006年10月09日(月) タワーレコードの落日



「 人間の魂にひそむ情熱で、音楽に糧を見いださないものはない 」

                      ジョージ・リロウ ( イギリスの劇作家 )

There's sure no passion in the human soul, but finds its food in music.

                                   George Lillo



時差ボケ解消にも、この連休は実に有難いと感じる。

仕事関係のメールや留守電も、とりあえず 「 聞いていないこと 」 にしよう。



前回は、「 匂い 」 と 「 記憶 」 の結びつきについて触れてみたが、「 音 」、特に 「 音楽 」 もまた、遠い記憶を手繰り寄せる手掛かりになる。

おそらく、誰にでも 「 思い出の曲 」 とか、忘れられない曲があって、偶然、ラジオや有線から流れだした時、ふと耳をすませてみたりするものだろう。

我々が学生の頃には 「 カラオケ 」 がなかったし、路上で演奏するような 「 勇気ある若者 」 も少なく、音楽は主に 「 聴くもの 」 であった。

なかには、本格的にバンドを組んだり、オーケストラに参加する人もいたけれど、たいていは、親の留守を狙って下手なギターを鳴らす程度だった。

音楽を 「 聴くもの 」 から、「 歌うもの 」、「 奏でるもの 」 として、広く大衆に浸透させた 「 カラオケ 」 などの技術革新は、音楽業界にも影響が大きい。


また、ソニーのウオークマンから始まった 「 音楽を携行する 」 という習慣も、近年の音楽業界を激変させる要因となった。

最近では、音楽はすべて 「 データ化 」 され、ダウンロードさえすれば、いつでも高音質な楽曲を、誰でも手軽に楽しむことができる。

そうなると、必要性を失ってしまうのは 「 ジャケット 」 と呼ばれた レコード、CD を収納していた ケース の装飾である。

特に レコード の時代は、サイズが大きかったこともあって、一種の芸術品的な価値として、その ジャケット を蒐集する コレクター も多かった。

現在のように、楽曲を 「 聴ければよい 」 だけではなく、装飾も含めて愛蔵することが、音楽ファンにとっては当然の決まりごとだったのである。


米音楽ソフト販売最大手の 「 タワーレコード 」 が経営破綻し、売却を受けた清算会社からは、店舗や資産を清算し、廃業させる計画が発表された。

カリフォルニア の州都である サクラメント に開業した タワーレコード は、若者文化の象徴的存在として、常に最新の音楽情報を発信してきた。

しかし、デジタル化された音楽配信サービスの台頭や、量販店など異業種との販売競争に勝てず、最近では 「 ジリ貧 」 の状態にあったようだ。

日本でも、昔ながらの 「 レコード屋さん 」 は激減し、大手家電量販店などで購入したり、ネット配信を受ける人の割合が、日増しに高くなっている。

音楽業界の潮流を鑑みたなら、衰退の憂き目に遭った事実は間違いなく、それは仕方のないことかもしれないが、なんとも寂しい感じがする。


バークレー に古い映画館があって、週末になると通い、ポップコーンを膝に抱えて様々な映画を観たのだが、客足が衰え、数年前に閉鎖された。

映画 『 マジェスティック ( 2001米 ) 』 などに登場したような地方の小劇場だが、そこには最新の シネコン などとは違う独特の風情があった。

観客にとっては、作品の優劣だけでなく、「 どこで観た 」、「 誰と観た 」 などといった個人的な背景も、「 思い出 」 の要素に含まれている。

なにもかも合理的に簡素化し、作品の データ だけが売り買いされてしまうと、映画も、音楽も、記憶や思い出とは縁遠くなってしまうのではないか。

ここにも、人との接触を拒み、コミュニケーションを失いつつある現代人の問題が見え隠れする気がして、この 「 時代 」 に、一抹の不安を感じる。






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2006年10月08日(日) 帰国報告



「 匂いほど、過去をはっきり思い出させてくれるものはない 」

                  ウインストン・チャーチル ( イギリスの首相 )

Nothing recalls the past so potently as a smell.

                               Winston Churchill



長いフライトを終えて空港に着き、電車、タクシーを乗り継いで帰宅する。

玄関を開けると、当然のことながら、いつもの部屋の匂いがそこにはある。


地元にいると気づかない程度の匂いが、それぞれの街には存在するもので、ニューヨークにはニューヨークの、ローマにはローマの匂いがある。

さらに細かいエリアまで絞り込むと、また独特の匂いがあり、たとえば大阪の環状線 「 鶴橋駅 」 付近は、空腹の人にとって刺激的な匂いを発する。

このあたりは在日韓国人、朝鮮人の方が多く住まれており、キムチの名店や、焼肉屋さんが多いことでも有名な土地柄だ。

仕事などで昼時に鶴橋駅を通ると、環状線の駅ホームまで香ばしく誘惑的な焼肉の匂いが漂ってきて、いつも食欲をそそられる。

焼肉屋さんのことなど普段は忘れているのだが、その匂いによって記憶が呼び戻され、「 よし、久々に行くか 」 という気にさせられるのである。


今回は10日間の短い旅だったのでカナダには寄らなかったが、おかげで、学生時代を過ごした街に留まり、のんびりと過ごすことができた。

サンフランシスコ から高速鉄道線の BART ( Bay Area Rapid Transit ) に乗り、バークレー に着いて最初に向かったのは一軒の民家である。

ここは、寮にも入れず、アパートの借り方もわからなかった最初の一年間を過ごした思い出の家で、今も頭が上がらない大恩人の一家が住んでいる。

少し前に、家人にご不幸があったことを知人から聞いていたのだが、すぐに弔問できなかった非礼を詫び、遅ればせながらお悔やみを申し上げた。

ホストマザー はじめ家族の全員が、そんなことなどまるで気にもしていない様子で、笑顔とキスの大歓迎をしてくれたことに、かえって胸が痛んだ。


この家にも独特の匂いがあり、もてなされた夕食も懐かしい匂いがする。

当時のアメリカ人には珍しく、あっさりした健康食を好む一家だったのだが、相変わらず鶏肉と野菜が中心で、いたって味付けも淡白である。

ホテルに移動せず留まるように勧められたが、昔と違って 「 遠慮 」 というものを知ったし、ホテルのほうが気楽なので、丁重にお断りした。

チェックインの後は、ホテルまで旧友に来てもらって、この地に戻って事業を始めた理由や、成功した話、それまでの苦労話などを聴いた。

その後も、滞在中は彼と多くの時間を過ごして、すっかり変わってしまった場所、ちっとも変わらない場所などを訪ね歩き、夜遅くまで語り合った。


この街は、ヒッピー文化発祥の地だとか、福祉最先端の地だとか、アメリカで一番リベラルな地だとも言われるが、そんな理屈抜きで大好きな街だ。

学校も、森を切り拓いて建てただけあって、小川が流れてたり、リスがいたり、ちょっとした丘があったりして、静かで勉強に適している。

当時は、普段から真面目に勉強しているのはアジア人だけで、アメリカ人はちっとも勉強しないから、「 こいつら大丈夫なのか 」 と思ったものである。

彼らは、試験前になると猛烈に勉強を始め、図書館も 「 24時間営業 」 になり、毛布とパンとコーヒーを持ち込んで、必死に取り組んでいた。

次のシーズンも、その次も、まるで同じ事の繰り返しで、「 ぎりぎりまで追い込まれないとやらない 」 アメリカ流は、その後の人生で私にも伝染した。


初年度に空きがなかったので入らなかったが、I−HOUSE ( International House ) という寮もあり、多くのアジア人学生はそこに住んでいた。

それほど寮費が安いわけでもないのに、部屋は狭いし、なにより 「 食事が不味い 」 という噂を聞いていたので、結局、そこに住むことはなかった。

しかし、たまに楽しいパーティがあって招かれたり、違う学部の子と話せたりしたので、ここも懐かしい場所の一つである。

そこで、ふと 「 アメリカのコーヒーは不味い 」 という話をしたときに、教えてもらったのが 「 ピーツコーヒー ( Peet's Coffee & Tea ) 」 だった。

もちろん、今回も Peet’s に寄ったのだが、店内に足を踏み入れた途端に、当時、感動すらおぼえたコーヒーの芳香が鼻腔を刺激した。


この店の創始者はオランダ人で、アメリカの薄くて不味いコーヒーに嫌気がさし、美味いコーヒーを売ろうと決意したのが、創業の理由だという。

ちなみに、日本でも有名な 「 スターバックス ( STARBUCKS ) 」 は、この店で働いたことのある学生が出身のシアトルに戻り、開業した店舗である。

だから、「 スターバックスの原型 」 として Peet’s は知られており、1号店のあるバークレーは、「 アメリカのコーヒーを変えた街 」 でもあるのだ。

スターバックスを創業した三人の学生のうち一人は、Peet’s を後日に買収し、現在は、ナショナルチェーンのノウハウを活かして店舗を拡大している。

学内のコーヒーとは比べ物にならないほど高かったが、風味も格別で、この店の思い出も、深煎りのコーヒーの香りと共に、今でも記憶に残っている。


サンフランシスコ湾に沈む夕陽を眺めたり、小汚かった ( 今でもキレイではないが ) 安い中華料理屋さんに行ったりして、数日を過ごした。

高級な食事にも、レジャーや、観光にも、お金をほとんど遣わなかったが、ゆったりと、贅沢な時間の過ごし方ができて、今回の旅には満足している。

そこで、20年の時を経ても鮮明に記憶を辿れる手掛かりは、視覚や、聴覚よりも、「 匂い 」 を嗅ぎ分ける臭覚なのかもしれないと思った。

いつの日か、同じ景色を美しいと感じ、同じ香りを好きな人と巡り合えたら、また、同じ場所を訪れたいものである。

てなことを言いながら、なかなか長続きしないうえに、最近は恋愛を始めることに積極性を失いつつあるので、次回も一人旅になる可能性が高い。






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