Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2008年03月29日(土) 自暴自棄が生み出す 「 間接自殺 」 という殺人



「 終始一貫して、私が自分の漫画で描こうとしてきたのは、

  次の大きな主張です。 “ 生命を大事にしよう ” 」

                                手塚 治虫 ( 漫画家 )

What I have been consistently trying to depict in my cartoons is
the big assertion “ Let's respect life ! ”

                                  Osamu Tezuka



殺人事件における動機の大半は、「 怨恨 」 か 「 私利 」 に起因する。

逆に、それ以外の動機であれば “ 殺人事件 ” と呼ぶのには抵抗がある。


たとえば、闘病に苦しむ家人を不憫だと感じて、安楽死させようとした場合、これも一種の 「 殺人 」 ではあるが、その動機に悪意は見当たらない。

本当に “ 不憫 ” だったのか、実は積年の恨みがあったのか、介護に疲れたから殺したのか、その証明は難しいが、事実ならば気の毒な話である。

ヤクザには、被害者への怨恨、殺害によって生じる利得がなくても、恩義を受けた第三者の利益を目的として、誰かの生命を奪うケースがあり得る。

あるいは、得体の知れぬ新興宗教に洗脳され、やはり、怨恨でも欲得でもなく誰かを殺害する事件、無自覚で殺人に関与した事件なども起きている。

同じ 「 殺人 」 でも、このように 「 怨恨 」 と 「 私利 」 に因らない場合には、概ね “ 情状酌量 ” が加えられ、寛大な処罰が下されやすい。


では、相手を特定できない無差別的な 「 通り魔事件 」 の場合、「 怨恨 」 や 「 私利 」 が目的じゃないから寛大な処遇かといえば、それは違う。

不特定な誰かの生命を狙う愉快犯は、人が死ぬことに快楽を求める行為が、彼らの欲望を満たす 「 私利 」 に繋がるわけで、酌量の余地などない。

それに、完全な 「 無差別殺人 」 というケースは稀で、大抵は無差別なように見えても、ある程度、大雑把に対象者を絞っているものだ。

アルカイダによる無差別テロも、主に、白人や、キリスト教徒に打撃を与えることを目的としているわけで、まったくの無作為とはいえない。

相手をまったく選別せず、怨恨も私利もなく、無計画に成り行きで人が殺せるのは 「 精神異常者 」 だけであり、常人には実行不可能な行動である。


茨城の土浦で連続殺傷事件が起きた直後、岡山駅で見知らぬ他人を転落させ、死に至らしめる事件が起きたが、二つの犯行には共通点がある。

それは、いづれの犯人も、犯行動機を 「 誰でもいいから殺したかった 」 と語っている点で、事実、特定の誰かを狙っていたような形跡はない。

この 「 誰でもいいから殺したかった 」 という動機は、事件が無差別殺人であることを裏付けるようにみえるが、それは違うと思う。

普通、殺意というものは 「 被害者を攻撃しよう 」 とし企図されるものだが、この場合、被害者の命運に興味を示している気配が感じとれない。

重要なのは 「 殺す相手 」 じゃなく、「 自分が殺すこと 」 であり、被疑者は、その行為に関連して逮捕されることや、死刑になることを強く望んでいる。


社会心理学では、このように自暴自棄な発想から引き起こされた殺人は、「 無差別殺人 」 でなく、一種の 「 間接自殺 」 とみている。

自殺する度胸もなければ、正しく生き抜く勇気もない輩が、司法に生殺与奪の判断をなすりつけ、不名誉な末路を 「 他人のせい 」 にしたいだけだ。

つまり、他人を殺傷する結果になったが、自分の人生を終わらせることが本来の狙いであるから、動機を辿っていくと 「 自殺 」 の領域に達する。

なぜ、見ず知らずの人間を殺さねばならないのかなどと、他殺を前提として分析すれば複雑難解だが、自殺の一手段と考えれば簡単に説明がつく。

自殺に関して、「 他人を殺傷するわけじゃなく、自分の命なんだから好きにしていいじゃないか 」 という意見の人もいるが、その論旨は誤りである。


圧倒的に、自殺を企図する人間は、しない人間に比べ 「 他殺率 」 も高く、自分の生命を大切にする人は、他人の生命も疎かにはしないものだ。

日本国内で、異常な犯罪が増えている背景には、生命の尊さを自覚していない 「 自殺者の増加 」 が絡んでいることを、改めて認識すべきである。

不況や、所得の格差など、自殺の原因を社会構造に求めるのは 「 痴漢ではなく電車が悪い 」、「 強盗ではなく銀行が悪い 」 という論旨と同じだ。

されど、自殺者に肝要な日本の社会 ( 自殺企図者を罰しない、自殺未遂経験を公然と恥じらいもなく語れるなど ) には、大きな問題があるだろう。

エコロジーに対する意識が高まる昨今、もっと重要な 「 命を大事に 」 という意識改革に社会がつとめなければ、かような異常犯罪は減少しない。






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2008年03月24日(月) 土浦の連続殺傷犯



「 仮定とは危険なものである 」

                  アガサ・クリスティ ( イギリスの推理小説家 )

Assumptions are dangerous things.

                                 Agatha Christie



この時期、おかげさまで仕事は、猫の手も借りたいほどの忙しさである。

特に、東京へ出張する機会が多く、週の半分を過ごしている。


関東に住む人の多くが、三重県や奈良県の位置を正確に示せないように、関西人の多くは、概ね、東京周辺の群馬県、茨城県などの地理に疎い。

若い頃からずっと、出張の多い仕事をしてきた私も、たとえば、前橋や水戸などの県庁所在地は覚えているが、その他の土地の位置関係は曖昧だ。

茨城県の土浦は、20代前半に一度だけ出張したことと、東京に住んでいた頃、土浦出身の女性と短い交際をしたことぐらいしか印象にない。

数十年が過ぎ、当時に比べれば開発されたと思う ( 女性のほうじゃない ) が、記憶の中の土浦は、“ のどかな田園地帯 ” といったイメージが強い。

昔は無かった 「 つくばエクスプレス 」 も、土浦までの延伸構想があるようで、実際は、著しく発展する可能性を秘めた土地らしい。


その土浦で、「 8人連続殺傷 」 などという凄惨な事件が起き、県警による不手際に対する怒りも含め、ご当地では波紋が広がっているそうだ。

一昔前まで、この手の 「 劇場型犯罪 」 は、都市型の犯罪傾向だったはずだが、昨年の12月には、長崎県佐世保市で猟銃乱射事件も起きている。

不謹慎な喩えかもしれないが、都市ではなく田舎で 「 連続殺人鬼 」 が暴れ回るという構図は、映画の 『 八つ墓村 』 を連想させるものがある。

開発が進行したことで、都心のストレスが地方にまで蔓延したせいなのか、あるいは、たった一人の狂人による所為か、いまのところ真相は不明だ。

今回の犯人は、当初、「 母校である小学校 」 を襲う計画だったことから、大阪・池田小でおきた連続殺傷事件を真似たものだったかもしれない。


せっかく “ ある種の極端さ ” を発揮しうる能力をもって生まれてきたのに、自分の都合だけで他人の生活圏を執拗に侵害する者がいる。

早い話、公用禁止用語の キ○ガ○ という人種だが、そんな “ 極端さ ” を芸術の領域に活かすと大成することもあり、一概に悪いともいえない。

ただ、その特徴が犯罪という形で昇華すると、概ね悲惨な結末に至ることは必定で、正しい方向に導く責任は、彼らの 「 周囲 」 に委ねられるものだ。

もちろん警察にも、地域の治安を守る責務はあるが、いくら人員を投入しても、闇に潜み “ 誰でもいいから殺したい ” と企む輩は防ぎきれない。

通常、犯罪には 「 常人が理解可能な動機 」 が存在するものだし、犯人を捕獲する方法も、理屈の伴う “ 仮定 ” に基づいた計画が基礎となる。


つまり、狂気による犯行は、警察力をもってしても防ぎきれるものではなく、仮に捕らえたところで、責任能力が論議となり、ときに罰は下されない。

日頃、彼らが犯罪に至る予兆を敏感に察知しているのは、保護者、家族の類であり、実は、未然に抑止する 「 鍵 」 は、そこにこそある。

厳しいようだが、家族に 「 犯罪を起こす危険のある異常者 」 や、凶暴性を認識している場合、通報したり、身柄を拘束する仕組みが必要だ。

人権問題との絡みはあるが、社会秩序の安寧を保ち、彼らを加害者にしないためには、監督責任を 「 家族 」 に強く求める必要があるように思う。

時代の変化と共に 「 社会規範 」 が崩壊しつつある現在、すべての人権やプライバシーの保護を認める方策は、見直すべき時期にきている。






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2008年03月20日(木) 日本は G7 に参加する資格なし



「 まったく、二人の人間が残りの人生を一緒に住むことなんて、

  ほとんど不自然だと言えることでしょう 」

                      ジェーン・フォンダ ( アメリカの女優 )

God, for two people to be able to live together for the rest of
their lives is almost unnatural.

                                   Jane Fonda



東洋思想には、「 不自然さは、人間からみてのこと 」 という考え方がある。

自然からみれば、不自然など存在しないという、一回り大きな概念だ。


冒頭の句は、60年代の進歩的なアメリカ女性を代表する ジェーン・フォンダ が、「 結婚 」 に対する既成の概念を否定したものとして知られている。

なんとなく、ある程度の年齢になれば結婚したほうがよいのだと、大部分の人は思うものだが、はたして、それは正しいことだろうか。

考え方の異なる他人同士が、協調を迫られながら生きることへの難しさを、彼女は 「 unnatural ( 自然の摂理に反する ) 」 という語句で主張した。

これは、結婚にかぎった話でなく、たとえば、政治体制についても言えることで、勢力の拮抗した二大政党による政局運営にも通じるだろう。

一党支配に比べると、お互いの欠点を補完し合う効果が期待できる反面、妥協点が見出せなかった場合には、結論が棚上げにされる危険も孕む。


日本銀行の総裁人事については、代々、慣例的に、旧大蔵省の出身者と日銀内部の生え抜きが、交互に任命されてきた。

普通ならば、次期総裁の最有力候補は、現在の副総裁であり、執行部の一員として金融政策にかかわってきた 武藤 敏郎 氏 で妥当なところだ。

そんな決め方でよいのかという議論もあるだろうが、国全体の金融政策において重要なのは 「 制度的枠組み 」 であって、総裁の力量ではない。

諸外国と比較すれば、総裁の裁量が大きいとされる日銀だが、かといって、さほど 「 個人的力量に依存しているわけではない 」 のが実情だ。

ところが現在は 「 ねじれ国会 」 の影響から、通常は重要視されない日銀総裁人事にまで野党が難癖をつけるようになり、彼の就任は見送られた。


特に個人的力量など重要ではなく、いわば 「 誰でもいい 」 ような日銀総裁だが、対外的に 「 空席 」 という事態は、どうも具合が悪い。

おりしも、アメリカの サブプライム・ローン問題 に端を発した急激な為替の変化や、世界的な金融不安に直面する現在、これでは体裁がつかない。

いまこそ、G7 ( 先進七カ国財務相・中央銀行総裁会議 ) による話し合いが重要とされる局面で、日本は 「 責任者不在 」 となっているのだ。

深刻な事態に向き合い、先進諸国が協調し、問題解決に取り組もうという中で、国際世論から 「 日本は何をやってるんだ 」 と批判され始めている。

この問題について、国内では、政府・与党が悪いという声も少なくないが、欧米の見識者からは、「 野党の悪質さ 」 への指摘が圧倒的に多い。


過去に、民主党は 「 数の多さにモノをいわせて、横暴なことをするな 」 と、自民党政治に反撥し、国民の理解を求めてきたはずである。

ところが最近の政局をみると、「 数の多さ 」 で身勝手に横車を押し、重要な国益を損なう決議を採択しているのは、他ならぬ民主党による愚行だ。

金融政策については、ゼロ金利解除後も低金利にとどまっているが、少しづつ金融機関の健全性も回復し、金利機能が働く市場になりつつある。

せっかく前向きの循環メカニズムが作用し、頑健性が増してきたところで、景気退行につながる 「 マイナスの方策 」 ばかり、民主党は進めてきた。

多くの国民が彼らに期待し、与党に拮抗できる票数を与えた結果は、いまのところ惨憺たるもので、特に世界の金融市場からは白眼視されている。






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2008年03月19日(水) 車椅子生徒に暴行を加えた教諭の処遇



「 14歳の子供に、自分がどんな仕事をしているか説明できない奴は、

  みな ペテン師 である 」

                     ウィリアム・ボイド ( イギリスの小説家 )

Anyone who can't explain his work to a fourteen-year-old is a charlatan.

                                   William Boyd



生徒や教員からの “ いじめ ” を止めさせる方法は、いたって簡単である。

警察に通報し、刑事、民事の両面で、相手と学校に訴訟を起こせばいい。


北九州市内の県立高校で、49歳の男性教諭が、体に障害のある生徒が乗る電動車椅子のスイッチを切り、動けなくしたうえで暴言を浴びせた。

事件の大筋は、昨年の6月、担任する2年の男子生徒との個人面談の際、生徒の胸ぐらをつかみ、「 うるさい 」、「 だまれ 」 などと怒鳴った模様だ。

校内での介助を 「 きちんとするから安心しろ 」 と話したが、不十分と感じた生徒から 「 約束を守らん先生は信用できぬ 」 と言われ、激高したらしい。

昨年7月に保護者が学校に訴えて発覚した後、学校は担任から外すなどの対応をとり、その生徒は現在も通学を続けているという。

福岡県教委は19日、この教諭を 「 停職1カ月の懲戒処分 」 にしたと発表したが、同教諭は 「 不適切な行為 」 に関する反省文を提出したそうだ。


どうも納得できないのは、�� なぜ、「 今まで処分が下されなかったのか 」、�� なぜ、「 停職1ヶ月の懲戒処分なのか 」、という二点である。

もしも、この生徒が校外で通りすがりの男にインネンをつけられ、かような暴行を受けた場合、「 脅迫 」、「 傷害未遂 」 等の罪で現行犯逮捕される。

被害者が 「 障害のある生徒 」 ということで、情状酌量する余地など微塵も認められないし、法律以前の問題として言語道断であろう。

当事者同士を引き離したとはいえ、そんな犯罪者を現在まで放置し続け、「 免職 」 ではなく 「 停職 」 にした教育委員会の意図が理解できない。

こんな人物を、「 1ヵ月後には教諭として復職させる必要 」 がどこにあり、それがどのような意味を持つのか、ただただ首を傾げるばかりである。


私自身、「 教師による体罰は許される 」 という考えを持っているが、それはあくまでも “ 教師による体罰 ” であることが前提となる。

相手が生徒であれ、一市民であれ、「 身体障害者とのやり取りで自制心を失い、暴力的に恫喝する者 」 を、“ 教師 ” とは認められないはずだ。

自分を律することすらできない人格障害者に “ 教鞭 ” を取らせ続け、僅か一ヶ月の停職で 「 何事もなかった 」 ように済ませてよいものか。

公務員、特に日教組の “ 仲間かばい ” は、今に始まったことでもないが、こんな人物を軽い処分で救済し、“ 教育者 ” の水準を貶めてよいのか。

いじめ、校内暴力による教育現場の荒廃、子供の学力低下を問題視する声もあるが、まず、日教組の “ 自浄作用 ” から改める必要があるだろう。






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2008年03月18日(火) バイト女子の送別会



「 一つ一つの別れは死の味わいをもたらし、

  一つ一つの再会は復活をほのめかす 」

            アルトゥール・ショーペンハウエル ( ドイツの哲学者 )

Every parting gives a foretaste of death, every reunion a hint of resurrection.

                            Arthur Schopenhauer



多くの日本人は、「 一期一会 」 という言葉に、出会いと別れを重ねる。

良い言葉ではあるが、そこには、死の影もなく、復活の希望もない。


時節柄、サブプライムローンの話やら、そこから派生したドル安への傾向、今後の世界経済に関する展望など、日記に書きたいことは山ほどある。

猫の額ほどではあるが、アメリカに不動産を持っているし、外貨預金、株式など、残念なことに、私の資産も軒並み価値を下げている。

ただ、おかげさまで借金がないうえ、細々と暮らせる収入はあるし、昔から 「 お金は天下の回りもの 」 といわれるように、また、良いこともあるだろう。

不可抗力的な損失に一喜一憂するよりも、自分が置かれた状況において、「 常にベストを尽くしているか 」 のほうが重要で、そこには自信もある。

去っていく “ お金 ” に未練はない ( 本当は少しあるけど ) が、この時期は、去っていく “ 人 ” のほうに、一抹の寂しさを感じる。


今夜は、バイト女子 ( 19歳 ) の送別会をすることになり、親しい仕事関係の知人数名と、なぜか、私の彼女も参加して、鍋を囲みに行った。

早くから就職が決まっていて、もともと短期の約束で知り合いから預かったのだが、予想した以上に優秀だったから、ちょっぴり惜しい気もする。

過去に雇用した他の女性たちと同じく、優秀な人は概ね 「 私より、しっかりしている 」 ため、あまり長く居座られても、こちらが疲れたかもしれない。

締めの挨拶では、「 コンサルタント業という仕事が、こんなにも体力仕事とは思わなかった 」 と、仕事の本質を見抜く的確な感想を述べていた。

そして、「 私がいなくなった後も、ちゃんと頑張ってね 」 と、30歳近く年下の “ お母ちゃん ” みたいな愛情で、こちらの心配もしていただいた。


このぐらい年が離れていたほうが、かえって本音で話せる部分もあり、いま思うと、私にとっては 「 良い相談相手 」 だったような気がする。

なまじ知識や経験があると、相手の “ それ ” と比べてしまい、かなわないと思えば、気軽に意見が言えなくなってしまうものだ。

その点、物怖じせずに バンバン 思いついたことを口にする彼女は、私の気が付かないことや、参考になる事柄を、色々と教えてくれたと思う。

以前、20歳代の女性で 「 アタシって “ ○○ な人 ” じゃないですか〜 」 と話す口癖のあるクライアントが来たときも、彼女はよく観察していた。

女性が帰った後、「 あの喋り方は嫌いでしょう? 」 と訊くので、なぜわかるかと尋ねたら、“ お前のことなんて知るかヨ ” という顔をしていたらしい。


バイト女子の分析によると、私は 「 好き嫌いが ハッキリ していて、物事を正直に話すから、カウンセラー には向いていない 」 のだそうである。

マーケティングや営業の仕事については、相手の理解度に合わせて多様な話し方が出来るし、それに “ オモロイ ( 面白い ) ” から OK だという。

なるほど、ごもっともと言いたいところだが、その説明を聴きながら隣で私の彼女が、嬉々として 「 よく言ってくれた 」 と笑うのが、少し癪には障る。

春からの就職先は、うちのような零細企業ではなく、立派な老舗大手だが、持ち前の 「 物怖じしない積極的な姿勢 」 を保って欲しいと思う。

最後に、「 困ったことがあれば何でも相談に来い 」 と告げたら、「 仕事の相談はするけど、恋愛の相談は他の人に … 」 と、ニヤリ 笑顔をみせた。






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2008年03月17日(月) 北京オリンピックへの不安



「 人に幸せになってもらいたいと願うなら、思いやりを学びなさい。

  自分が幸せになりたいと願うなら、思いやりを学びなさい 」

               ダライ・ラマ 14世 ( チベット仏教の最高指導者 )

If you want others to be happy, practice compassion.
If you want to be happy, practice compassion.

                            The 14th Dalai Lama



1936年に開かれた ベルリン・オリンピック には、両極端の評価がある。

ある者は 「 革命的な大会 」 と評し、ある者は 「 五輪史の汚点 」 と呼ぶ。


ベルリン・オリンピック は、ナチスが国を挙げて取り組み、大成功を収めたが、「 ナチスの台頭を許す要因になった 」 と指摘する歴史家も多い。

開催地をベルリンにすることは、1932年にバルセロナで開かれた委員会で決められたのだが、それはナチスが政権をとる半年前のことだった。

当初、ヒトラーはオリンピックに関心を持たなかったが、誰かに入れ知恵をされたのか、「 ナチスを世界に認知させる絶好の機会だ 」 と考え始める。

そうなると徹底的にやるのがヒトラー流であり、世界の招待主をはたすのだから、完璧、壮大に準備し、史上最高の大会にすることが命題となった。

ヒトラーの頭の中では、次の1940年は東京 ( 戦争で中止 ) でやるけれど、その後は毎回、ドイツでオリンピックを行うと、本気で考えられていたという。


メインスタジアムは、古い競技場を改築して使用する予定だったが、ヒトラーの一声で、10万人収容の新しい競技場を建てることになった。

しかも新競技場はコンクリートでなく、莫大な費用を掛けて自然石で作られることになり、その横には、大きな野外劇場も併設されることが決まった。

他の関連施設にも莫大な予算が組まれ、レース判定の為に1000分の1秒まで計れるカメラを開発したり、競技に関しても最大の配慮がなされた。

ナチスはすでにテレビ放送を開始していたが、ベルリン市内数ヶ所に設置された街頭テレビでは、延べ16万人が視聴したという記録もある。

マラソン競技のため、メインゲートには巨大な時計を備え付けたり、過去のデータから気候のいい日程を選んだりする工夫も、この大会が最初だ。


また、古代オリンピックの発祥地であるオリンピアから、トーチにて開会式のメインスタジアムまで運ぶ 「 聖火リレー 」 も、この大会が起源である。

オリンピックを盛り上げるための趣向を模索していたナチス党員が、ふいに思いついたというのだが、その “ 名案 ” は、現在も活用され続けている。

ドイツのラジオ報道班は、できるかぎり聖火リレーを追いかけ、その模様を各地に伝えたが、沿道には観衆が詰めかけ、その効果は絶大だった。

この大会では、初めて長編記録映画 『 民族の祭典 』、『 美の祭典 』 という2部作も撮られたが、後日、ベネチア国際映画祭のグランプリを受賞した。

一部からは、ナチスのプロパガンダという評価も下されたが、映画としての完成度は高く、黒澤 明 監督も、この映画に衝撃を受けたといわれている。


このように、ナチスが総力を結集したベルリン・オリンピックだったが、大会の運営が危ぶまれる 「 大きな不安 」 も抱えていた。

それは、ナチスによるユダヤ人の迫害政策や、人種差別政策に抗議する欧米諸国からの 「 ボイコット運動 」 や、開催地変更の動きであった。

これに対し、ナチスは 「 政治にスポーツは関係ない 」 という主張と、外国人観光客への 「 手厚いもてなし 」 によって、苦境を切り抜けたのである。

記録映像では、ヒトラーの開会宣言や、スタジアム全体がナチス式敬礼をする場面も多いが、実際は、暗く緊張したムードで行われたわけではない。

むしろその逆で、ナチスは、オリンピックに来る選手や、外国人観光客らのために、いたれりつくせりの対応をし、観客を大いに満足させている。


ドイツ鉄道公社は、オリンピックに訪れる外国人旅行者に60%の割引をし、宿を確保していない旅客にも、全滞在期間の予約を施した。

ベルリン市内には、オリンピックのために養成された500人の通訳が配置され、親切で公平、寛大なホスト役を見事に務めたという記録もある。

選手村は、目の前に森が広がる緑あふれる環境の中にあり、食事は各国の習慣に合わせ、世界中の料理を食べることができたという。

サウナ風呂も設置されており、夜になると動物の曲芸などのショーや映画が催され、花火や、ベルリン・フィルの演奏まであった。

なにより目立ったのは、「 ユダヤ人と思われる観光客にも、友好的で親切にしよう 」 と書かれた立看板で、一時的に迫害政策を緩めた点である。


長くなったが、かの悪名高きナチス支配下のドイツでも、数々の工夫と努力によって、オリンピックを成功させたのは、紛れもない歴史上の事実だ。

その鍵は、技術を結集した 「 設備投資 」 と、配慮が行き届いた質の高い 「 サービス 」 と、迫害政策の緩和で得た 「 諸外国の評判 」 であった。

5ヵ月後に 「 北京オリンピック 」 を控えた中国だが、いづれの面においても不安な問題は山積しており、解決に向けた努力もみられない。

特に、ここにきて発生した 「 チベット暴動 」 への対処の仕方は、諸外国の反感を買うばかりか、国内に点在する少数民族をも不安に陥れている。

急速な経済成長に浮かれるのもよいが、「 五輪外交 」 の重要性を甘くみていると、将来に大きな遺恨を遺す危惧があることを、知るべきであろう。






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2008年03月16日(日) なぜ日本の銀行はレベルが低いのか



「 倒産のない資本主義なんて、地獄のないキリスト教みたいなものだ 」

        フランク・ボーマン ( 元宇宙飛行士、イースタン航空 CEO )

Capitalism without bankruptcy is like Christianity without hell.

                                 Frank Borman



もし、貴方が 「 ヤクザ 」 や 「 詐欺師 」 なら、どんな手下を雇うだろうか。

あまり馬鹿でも困るが、優秀すぎたり、正義感が強いのも手に余るだろう。


1990年、住友銀行前副頭取の 西 貞三郎、住銀常務から伊藤萬社長へと送り込まれた 河村 良彦、住銀常務の 松下 武義 らが、世間を騒がせた。

おりしもバブル経済の最中、彼らが地上げをし、続々と仕手筋に融資して、住友銀行を都銀中で収益随一の地位まで押し上げた頃の話である。

彼ら三人は、いずれも “ 銘柄大学出のエリートではない ” という共通点があり、出世のためには、敢えて危ない仕事に手を染める事情があった。

狡猾で知られた当時の元会長 磯田 一郎 は、銀行の使命と社会的責任を無視し、ダーティワークをこなす “ 汚れ役 ” に彼らを指名したのである。

住友家には 「 浮利を追わず 」 という家法もあったが、磯田 指揮下の住銀は、不動産、株式という 「 浮利 」 を、都合のよい手下に命じて貪った。


その後、磯田 一郎 の重用した 河村 が、こともあろうに “ 地上げ屋 ” の 伊藤 寿永光 を伊藤萬の常務にしたことから、住銀は窮地に立たされる。

絵画取引を中核とした 「 イトマン事件 」 が発覚し、その背景には、住銀による不正融資があったことなど、彼らの供述から事実が明るみにされた。

同じ頃、仕手グループ 「 光進 」、「 誠備 」 に不正融資をした疑いで、住銀 青葉台支店 の 山下 章則 支店長 が逮捕され、磯田 は会長を辞任する。

これが住友銀行の不正融資をめぐる 「 イトマン事件 」 の概要だが、古くは1958年の 「 千葉銀行事件 」、1970年の 「 富士銀行事件 」 などもある。

先日、三井住友銀行が不動産会社の紹介にて貸し出した170億円のうち、100億円が回収不能と発表されたが、これも “ 不正 ” の疑いが強い。


1987年の春には、野村、大和、日興、山一 という日本の証券大手4社が、ニューヨーク証券取引所への上場を見送る “ 事件 ” もあった。

上場すれば、年4回の株主向け業務報告や、子会社も含めた連結決算の迅速な発表といった厄介な事務仕事が増える。

また、捜査部門だけでも240人 ( 全体職員は2000人 ) を擁する 「 SEC ( 証券取引委員会 ) 」 があり、インサイダー取引は即座に摘発される。

日本では許されているルーズ、またはダーティな取引が、ニューヨーク証券取引所では通用しないことを知り、彼らは上場を見送ったのだ。

その後、1989年には三菱銀行が上場したが、当時、日本の全銀行、証券、生保のなかで、わずか1行しか上場できないというのが実態であった。


世界の銀行ランキングにおいて、日本の都市銀行は上位を占めているが、それは、財務省の傘の下で、保護され、カサ上げされた結果である。

銀行や証券という “ 道楽息子 ” を財務省が甘やかさず、厳格にしてフェアな国際ルールで競争させたら、たちまちランクは急降下するだろう。

現在、「 新銀行東京 」 の経営難に関し、“ 素人に何ができる ”、“ 公務員に銀行の仕事が務まるか ” などと、数々の批判が飛び交っている。

たしかに、公務員と違って銀行員の場合には、業績が悪ければ 「 クビ 」 になることもあるし、常に採算を問われる立場にあるだろう。

しかしながら、「 倒産がない ( 倒産させない ) 」 という点からみて、日本の銀行は役所と大差ないわけで、ここが一番の問題点なのである。


どんなに犠牲を伴おうとも、企業はその責任を 「 倒産 」 という形によって負うべきであり、それなくして資本主義社会の健全化、浄化はあり得ない。

過去において、日本の金融スキャンダル、銀行破綻に際し、たとえ預金者に損害が生じたとしても、公的資金を注入したことは 「 誤り 」 である。

仮に、東京都が新銀行東京に、アメリカがサブプライムローンに関して公的資金を投入したとしても、今後、民間の金融機関は救済すべきでない。

昔と違い、いまの都市銀行は下品にも 「 公然と “ サラ金 ” を傘下に置いている 」 が、多重債務者の増加は、本体の経営を圧迫する危険も孕む。

近い将来に、「 サラ金は、一種のサブプライムローンですよ 」 と開き直り、彼らが公的資金の捻出を要請する危惧もあるから、ここは要注意だ。






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2008年03月13日(木) 議論できない無能な二大政党



「 委員会が何かしようとしたら、委員は3人以内にし、

  そのうち2人は欠席しているのが得策だ 」

                ロバート・コープランド ( アメリカの音楽評論家 )

To get something done a committee should consist of no more
than three men,two of whom are absent.

                                Robert Copeland 



テレビ朝日の 『 朝まで生テレビ 』 をご覧になった方は多いだろう。

毎回、冒頭で 「 今夜は徹底的に議論してもらいます 」 との挨拶がある。


1987年に番組が開始されて以来、月に1回ぐらいの頻度で放送されているが、この番組で何かが 「 議論 」 されたという話を、私は聞いた事がない。

たまに ( よほど暇なとき ) 少しだけ観る程度なので、もし、私の知らない間に議論が交わされているのなら、こちらの不勉強を認めよう。

私の観た範囲では、司会者として露骨に中立性を欠いた 田原 総一郎 氏 が誘導的に議事を進行させ、参加者は一方的に持論だけを述べている。

毎回、討議するテーマに詳しい第一人者が集まり、大いに熱弁をふるうが、不思議なことに参加者は、誰もその影響を受けないし、考えを変えない。

私の知るかぎり、日本語では “ 自分の言いたいことだけ喋り、他人の話に耳を傾けようともしない状態 ” を 「 議論 」 とは呼ばないはずである。


国会も似たようなもので、いくら答弁が達者でも、筋道の通った話をしても、会期が延長されても、誰も 「 目からウロコが落ちました 」 とは言わない。

まず始めに 「 党としての要求 」 ありきで、野党が歩み寄りをみせるのは、反対を続けると 「 国民の反感を買うので損 」 と判断する場合だけだ。

つまり、会議だ、議論だというが、関心があるのは 「 相手の発言 」 でなく、「 世論の反応 」 だけといって過言ではないだろう。

その構図は今に始まった話でもないが、衆院は自民党、参院は民主党が最大政党となった “ ねじれ ” から、投票に臨んでも結論が得られない。

これが民間企業の会議なら、参加者全員が 「 無能 」 の烙印を押されることは必定で、結論の出ない会議を繰り返すのは 「 月給泥棒 」 である。


安倍内閣が “ 数の論理 ” を以って強行に、粛々と法案を通していった頃、民主党は 「 まだ議論が出尽くしていない 」 と反感を示した。

自民党が参院選に惨敗し、福田政権に代わり、確実に、話し合いの時間は増えたが、その結果、「 議論 」 が交わされるようになったとは思えない。

両党とも、意地の張り合い、睨み合いばかりで、殴り合いでもしてくれれば見応えもあるが、「 非力な暴走族の口喧嘩 」 と同じで、騒がしいだけだ。

今回も、「 次期日銀総裁 」 さえ決められないという不細工な話で、海外から馬鹿にされるわ、市況に悪影響を及ぼすわの惨憺たる状況に陥った。

自民党には 「 大蔵省、日銀、都市銀行 」 による “ 天下り 3点セット ” の推薦案しか策がなく、民主党にいたっては、まったく心当たりもない。


こうなりゃ、すべての法案を 「 衆院 ○ → 参院 × → 衆院 差し戻し ○ 」 という図式で、とっとと 「 議論なし 」 で決めたほうがよい。

そして、自民党でも民主党でもいいから、さっさと解散して総選挙を行って、いびつな “ ねじれ ” に終止符を打つべきだろう。

ちゃんと 「 議論 」 が出来る政治家ばかりなら、むしろ、この “ ねじれ ” は国政の健全性を高め、進化を促すが、その期待はできそうにない。

自民党がよいか、民主党がよいかというのは、判断に迷うところだろうが、女性の場合は、それを決める一つの指標がある。

ご自分の恋愛観に置き換えて、「 悪い男 ( 自民党 ) 」 がお好みなのか、「 頼りない男 ( 民主党 ) 」 が好きか、それで投票なさるとよいだろう。






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2008年03月12日(水) 犯人なきバラバラ殺人



「 結婚を成功させるには、何度も恋に落ちなきゃならない。

  しかも、いつも同じ人に対してね 」

              ミニヨン・マクローリン ( アメリカのジャーナリスト )

A successful marriage requires falling in love many times,
always with the same person.

                              Mignon McLaughlin



人間は ミス を犯すものだが、それ自体は大きな問題でもない。

誤りに気付いたときに、軌道修正したり、やり直す勇気こそが重要だろう。


渋谷区に住む外資系企業社員 三橋 裕輔 さん の切断遺体が見つかった事件で、妻 歌織 被告の第10回公判が東京地裁で行われた。

被告人質問で 歌織 被告は、、「 地球上の全部のエネルギーが自分の中から込み上がってくる感じだった 」 と、殺害時の心境を述べたらしい。

悩みを抱える人間に対して、ある程度、喜怒哀楽の感情は理解できても、 “ 地球上のエネルギー ” なんて話を出されたら、到底、共感はできない。

小学生時代に、国語テストで 「 そのときの A 君 の気持ちを書け 」 なんて設問があったけれど、よく考えてみると難しい問題だったのかもしれない。

仲の悪い夫婦がいて、「 そのときの 妻 の気持ちを書け 」 と尋ねられても、それが殺意なのか、心労なのか、他人に判断できるものではないだろう。


本来、社会秩序を維持するために必要な 「 罪人の処遇 」 は、犯した罪の大きさによって裁かれるべきで、特例は、法の下の平等に支障をきたす。

ところが実際には、少年法や、刑法第39条および第41条などに規定される 「 被告の責任能力 」 が重視され、判決に多大な影響を及ぼしている。

つまり、現行の司法制度では、「 どんな罪を犯したか 」 よりも、「 誰が罪を犯したか 」 のほうが重要で、刑期は犯罪者の個性によって決まるのだ。

では、精神異常があれば平等に罰を免れるかというと、これがまた違うわけで、麻原 彰晃 や、宅間 守 などは、死刑を言い渡されている。

その違いは、「 精神鑑定 」 の結果によるものとされるが、この精神鑑定も曖昧な部分が多く、担当者が変わると結果が覆るケースも珍しくない。


心神喪失が認められると、「 不起訴になるか、起訴されても無罪となる 」 という刑法第39条に関しては、社会的に抵抗感を抱く向きが多い。

事物の是非・善悪を弁別し、かつそれに従って行動する能力 ( 責任能力 ) に欠けているという理由からだが、社会秩序の安寧は置き去りになる。

今回の事例も、精神鑑定で 「 心神喪失または心神耗弱 」 が認められそうな気配にあり、無罪放免となる可能性も浮上してきた。

世の中には、「 結婚 」 によって人格が変わったり、夫婦間の不仲が原因で精神を病む人というのが、かなりの人数いるようだ。

殺す前に別れればよかっただけの 「 犬も喰わない夫婦喧嘩 」 に、司法や精神医学が介入し、殺人まで容認するのは、後々、問題を残す気がする。






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2008年03月11日(火) 企業の 侍 ( さむらい )



「 どんな人生であれ唯一の義務は、自分自身に忠実であることだ 」

                 リチャード・バック ( アメリカの飛行士、作家 )

Your only obligation in any lifetime is to be true to yourself.

                                  Richard Bach



卒業、就職のシーズンになり、街には、溌剌とした若者が闊歩する。

この季節を迎えると、自分が社会人になった頃のことを思い出す。


私が学校を出た1982年当時は、いまと違って日本経済が好調だったから、各企業の人事部は有望な新人を確保するために、しのぎをけずっていた。

入社した直後、我々も人事部の要請を受け、同じ出身校で出来の良さそうな後輩を勧誘したり、人材集めに協力したことを憶えている。

それから二年後の1984年2月29日、アメリカ製ゴルフクラブなどのブランド商品を主力に取り扱っていた 『 大沢商会 』 という会社が倒産した。

原因については、時流に乗り遅れたとか、同族経営の破綻だとか囁かれたが、会社更生法の申請が認められ、現在も同社は事業を継続している。

この事件について、倒産劇そのものへの関心は薄かったが、当時、同社の人事部長をされていた 平田 裕 氏 の奮闘ぶりが、強く印象に残った。


従業員が困るのは必定だが、2月29日に倒産した同社は、ほぼ1ヵ月後に入社を控えた50名の 「 就職内定者 」 を路頭に迷わす悩みも抱えていた。

平田 氏 は、翌日の3月1日から二週間、人事部員を総動員して学生の家や下宿先に頭を下げに行く一方、彼らの就職先の確保に走り回った。

いくらその当時が 「 売り手市場 」 だったとはいえ、4月の入社式まで一ヶ月というところだったから、大変に困難な作業だったはずである。

結果、平田 氏 をはじめとする人事部員の努力で、15日までに43名の学生が “ 再就職先 ” を得たのだが、これは驚異的な成果と呼べるだろう。

せっかく自分たちの会社を志望してくれたのに、前途ある学生をスタートでつまづかせてはならないという執念が、平田 氏 らの原動力だった。


43名の就職が決まり、5名は留年して翌年の就職を期すことになったが、「 50−43−5=2 」 残る2名は、意外な反応を示した。

保全管理人は裁判所と打ち合わせて 「 新規採用はしない 」 と決めていたが、なんとこの2名は、「 それでも大沢商会に入りたい 」 と言ったのだ。

二人とも法政大学経営学部の学生だったが、この会社で、一流ブランドのスポーツ用品を売るのが夢だったから、簡単には諦めきれないという。

少しでも再建の可能性があるなら、夢の実現に賭けたいという彼らの熱意にほだされ、平田 氏 は、保全管理人に頭を下げることを決意した。

保全管理人も裁判所も提案を受け入れたが、沈みかかった企業に、あえて乗り込む新人が現れたことは、既存の社員にも大きな励ましになった。


この一件をよく憶えているのは、当時の上司が、酔えば必ずこの話を持ち出し、平田 氏 と、この2名の学生を 「 侍 ( さむらい ) 」 と評したからだ。

平田 氏 は、就職内定者だけでなく、15名いた身体障害者の雇用も他社に頼んで回り、12名の職場を確保 ( 2名は既に縁故で就職 ) している。

その功績と人徳は、広くマスコミにも紹介されたが、平田 氏 の辞意は固く、4月20日に辞表を提出し、潔く退職した。

保全管理人は慰留を説得したが、平田 氏 は、多くの人の 「 肩たたき 」 もしたし、“ 自分が残るわけにはいかない ” と思ったのだろう。

就職シーズンを迎える度、この美談と、酔った上司に 「 貴様は 侍 か? 」 と尋ねられ、「 拙者は町人でござる 」 と答えて殴られた記憶が蘇る。






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2008年03月10日(月) 仰げば尊し、わが師は逮捕



「 文に秀でていても、徳を欠けば学者ではない 」

                               中江 藤樹 ( 儒学者 )

No matter how learned you may be, you are not a scholar if you lack virtue.

                                   Tojyu Nakae



コミュニケーションにおいて、言葉の果たす役割は 7% といわれる。

残る 93% は、当然、言葉以外の方法で、人は想いを伝えているのだ。


言葉による意思の伝達 ( バーバル・コミュニケーション ) の10倍以上を、言葉以外による伝達 ( ノンバーバル・コミュニケーション ) が占める。

たとえば、恋人との待ち合わせ時刻に遅れた場合、「 怒ってる? 」 と相手に尋ね、「 怒ってないよ 」 と回答された状況を、頭に思い浮かべてほしい。

文字にすると 「 怒ってないよ 」 なのだから、相手は許してくれていることになるが、はたして、それを額面通りに受け取ってよいものだろうか。

もしも、相手が柔和な微笑みを添えて、優しく 「 怒ってないよ 」 と言ったのなら、これは、おそらく本当に、咎める気はないと判断できるだろう。

しかし、こちら側に顔も向けず、いかにも不機嫌そうに 「 怒ってないよ 」 と冷たく言い放ったら、“ 本当は怒っている ” のではないかと感じるはずだ。


あるいは、ユーモラスな表情でおどけながら、「 怒ってるもーん♪ 」 などと可愛く唇を尖らせ、甘えて腕を組んできた場合は、どうだろうか。

言葉で 「 怒ってる 」 と口にするか、「 怒っていない 」 と口にするかよりも、相手の仕草や表情こそが、実は、本当の気持ちを物語っている。

このように、言葉というものは、事務的に出来事を伝えるツールとして適しているが、その人の感情や、性格などを十分には伝えきれない。

ブログの場合も、たとえば、ある一日の文章だけをみて、どのような人格の作者なのか、どういった思考の持ち主かを、判断することは難しい。

継続的に読み続けて、初めて “ その人物の本心 ” が読み取れるもので、ただ一日だけなら、「 心にもない奇麗事 」 を書き並べることも可能だ。


埼玉県川口市の高校では、元教え子の20代女性に関係を迫り、100通もの脅迫メールを送りつけた疑いで、校長が逮捕される事件が発生した。

逮捕は、奇しくも 「 卒業式 」 直後で、その日も校長は演壇に立ち、居並ぶ卒業生に対して、「 社会に貢献できる人間に 」 と説話したらしい。

学校側は 「 卒業証書の再発行 ( 校長名を削除したもの ) 」 など、対策に応じる準備を進めているが、とんだ 「 仰げば尊し 」 になってしまった。

こういう事件で憤りを感じるのは、責任逃れのつもりか 「 普段は真面目で教育熱心な先生でした 」 などと語る、教育委員会や同僚の談話だ。

異常者、犯罪者などは、日頃の言動を観察し続ければ見破れるものだし、本当に気付かなかったとすれば、まったく 「 人を見る目 」 がなさすぎる。


この 「 変態校長 」 も、卒業式では生徒を前にして “ ごもっともな訓示 ” を垂れているが、重要なのは言葉そのものでなく、語り手自身の人格だ。

三流の政治家、反社会的教師、やる気のない会社員など、日頃の精進も出来ていない無能な連中が、言葉だけは一人前に、立派な御託を並べる。

そんなとき、「 アンタの話はわかるが、アンタにだけは言われたくない 」 と感じる場面が、どうも近頃、世の中には多い気がしてならない。

生徒が話を聴かないとか、子供が躾に従わないとか、上司が耳を貸さないとか、部下が命令を理解しないと嘆く前に、まず、自身の反省が必要だ。

いくら言葉や文章の精度を発達させても、人から 「 一目置かれる存在 」 にならねば、人の心に響かせることはできないことを、知るべきだろう。






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2008年03月09日(日) 有効な時間の活用法は、眠りから



「 人類永遠の課題は、起きている時間をどのように構成するかだ 」

                 エリック・バーン ( アメリカの精神病理学者 )

The eternal problem of the human being is how to structure his waking hours.

                                   Eric Berne



30分だけ早起きして、朝6時から近所を走る生活にも、少し慣れてきた。

まだまだ始めたばかりだが、少しはお腹も引き締まってきた気がする。


私の周囲にも 「 6時起床組 」 はいるが、彼らの大半が “ 早寝、早起き ” なのに対し、私はというと、概ね、床につくのが深夜2時を回る。

ならば、平均睡眠時間が4時間ぐらいなのかというと、そうではなく、出張を除くとほぼ毎日、約2時間前後の 「 昼寝 」 をしている。

自営だから時間の制約を受けないこともあるが、昔から 「 夜討ち朝駆け 」 といって、忙しい人を相手にしていると、昼間は仕事にならない。

午前中 ( 朝8時〜12時 ) と 夕方 ( 16時〜20時 ) に仕事を集中させることで、相手に時間的余裕がある始業前、就業後の商談もできる。

4時間も昼休みを取ると、支障があるように思われがちだが、その時間帯は誰もが忙しいので避け、あえて、そこで休息や睡眠を摂るのである。


医学的にも、連続して長時間睡眠を摂るより、昼寝 ( シエスタ ) を加えた分割睡眠のほうが疲労は取れると証明されており、実際、体は快調だ。

もちろん、組織的に同一時間帯での勤務が要求される勤め人の場合には、そうもいかないはずなので、私と同じような夜更かしは体に悪い。

その場合は “ 早寝、早起き ” を心がけるしかないのだが、それでも、許される可能な範囲で、自分の仕事に合った時間配分を工夫するとよい。

メモ を取る習慣も、仕事に取り掛かる準備や、作業時間の軽減に効果があるし、努力によって時間は、「 短縮 」 したり、「 創出 」 できるものだ。

まず、自分が 「 最も仕事に集中すべき時間帯 」 を決め、そのために十分な睡眠時間を確保し、二者を阻害しない範囲に 「 趣味の時間 」 を宛てる。


心身の健康を保ち、良い仕事をしている人は、概ね、そのような時間割が自然に出来ており、バランスよく生活のリズムが維持されている。

仕事の責任が増すほど、「 健康管理も仕事のうち 」 と言われるが、事実、睡眠不足や不健康な状態では、満足な仕事が成し遂げられないものだ。

趣味やネットに嵌るのも自由だが、睡眠時間を削ったり、自分の時間割を狂わせてしまうようでは失格で、時間の使い方が悪いとしかいえない。

むしろ難しいのは、大人よりも、勉強や、スポーツや、遊びや、やるべきことが山ほどある 「 学生 」 の時間割で、さほど、大人の場合は難題でもない。

自分を律し、「 何が重要か 」 という目標意識さえ明確に理解していれば、自堕落に時間を浪費しないのが “ 大人のたしなみ ” というものだろう。


2時間は無理でも、昼休みに15分だけでも仮眠すると、かなり疲労回復に役立つという実験データがある。

時間を有効に使う術は、起きている間 「 いかに頭をスッキリさせておくか 」 ということと同じで、そのためにも、睡眠の持つ意義は大きい。

睡眠薬がないと眠れないとか、どうせ眠れないから夜更かしするという人もいるが、結局、彼らもどこかで眠りに襲われるのである。

睡眠不足のため、仕事時間内に十分な活躍をしていないから、夜になれば心配で眠れず、それで夜更かしをして、また睡眠不足で仕事に臨む。

そんな悪循環に陥っている人は、「 薬 」 よりも 「 早朝のジョギング 」 でもしたほうが、正しい 「 時間割 」 に戻せる可能性は高く、害も少ない。






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2008年03月06日(木) 男女における恋愛観の違い



「 愛は、後悔を封じ込めたボトルの中で生き続ける 」

                          ショーン・オフェーロン ( 作家 )

Love lives in sealed bottles of regret.

                                  Sean Ofaolain



先日、数年前に交際していた女性から、携帯にメールがあった。

仕事帰りに 「 お茶しよう 」 ということになり、待ち合わせ場所へ向かう。


長く生きてると、こういう経験は何度かあるけれど、私も含め男性諸氏は、わざわざ連絡してきたのだから “ なにか艶っぽい予感 ” を感じるものだ。

ところが、十中八九 “ 艶っぽい話は何もない ” もので、相手の女性にしてみれば、「 未練があるなら、電話でそう言うわよ 」 てなもんである。

今回も、それなりの用事 ( 貿易の相談 ) があって話がしたかっただけで、用もないのに “ 自分を捨てた男 ” に会いたいわけがないと言われた。

久しぶりに眺める彼女は美しく魅力的だが、よく考えてみれば、だからこそ交際していたわけだし、もっとよく考えれば、別れたのにも理由がある。

幸か不幸か、私の脳は 「 嫌な記憶は削除 」 される仕組みになっているので、懐かしさも、気まずさもなく、素直に美女との語らいを楽しんできた。


人によって個人差はあるだろうが、一般的に男性は、新しい恋を始めるときに、パソコン でいうと 『 名前を付けて保存 』 することが多い。

メモリー の容量が多ければ、同時に複数を保存しておけるだろうし、新しい フォルダ を増やしたとしても、前の フォルダ の情報は微かに憶えている。

そんな男性に対して、女性の場合は 「 恋 」 を記憶するための スペース が一箇所しかなく、新しい恋を 『 上書き保存 』 する人が多いように思う。

だから、恋をしているときは一途なのだが、新しい恋に上書きされた途端、前の情報は一片も残っておらず、露と消えてしまうのではないだろうか。

そんな男女が再会すると、男性は 「 別れたとは言えど、一度は愛し合った二人なんだし 」 と記憶が蘇るけれど、女性の方は、まるで未練などない。


私も男性なので、やはり 『 名前を付けて保存 』 する派だが、メモリー容量が多い割に CPU の性能が低いようで、「 保存データ 」 が再生できない。

出会った場所、交際した時期や期間、デートをした場所、別れた理由などを断片的には覚えているのだが、「 どんな話をしたのか 」 などが曖昧だ。

もっと情けないのは、「 ファイル名 」 すら忘れているケースで、久しぶりに電話をもらって 「 どちら様でしたっけ 」 などと尋ね、顰蹙を買うこともある。

今回も、「 運命が少し違っていたら、いまごろ二人は結婚していたかもね 」 などと言われ、思わず 「 えっ、そうなんですか! 」 と驚いてしまった。

もし タイムマシン があれば、当時の自分に会いに行き、「 お前、いったい何を言ったんだ 」 と詰問したいが、とりあえず、笑って誤魔化すしかない。






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2008年03月05日(水) 新人に失敗させる度量のある企業



「 成功の 99% は、以前の失敗の上に築かれる 」

               チャールズ・F・ケッタリング ( アメリカの発明家 )

Ninety-nine percent of success is built on former failure.

                             Charles F. Kettering



昔から 「 失敗は成功の母 」 などと言うが、まさしく、その通りだと思う。

成功事例より、マイナスの経験から学ぶことのほうが、はるかに大きい。


エジソンは、電球を発明するまでの間に、いろいろな素材を試したが、実に1万回以上も失敗を繰り返したと、記録に記されている。。

そのことを問われると、彼は 「 失敗ではなく、うまくいかない方法を1万通り発見しただけですよ 」 と答えた。

人生で大事なことは、失敗するかどうかよりも 「 失敗から学べるかどうか 」 であって、くじけず、投げ出さず、やり遂げる熱意が成功を生む。

長期戦においては、最初に成功することなど重要ではなく、むしろ、致命的でない失敗なら、最初のうちに何度も体験したほうがよい場合もある。

ましてや、まだ 「 挑戦すらしていない若者 」 の可能性を、出発点の段階で見下し、評価を断定する御仁などは、愚の骨頂と言うべきだろう。


新入社員の 「 質 」 に関して、企業の4割が “ 5年前よりも低下をした ” と感じていることが、日本生命保険のアンケートで明らかになった。

理由 ( 複数回答 ) は、「 コミュニケーション能力・協調性の不足 」 が最も多く、「 向上心・積極性の不足 」、「 忍耐力の不足 」 の順に続いたという。

わからないでもないが、では、「 新入社員の 質 」 を云々する 「 幹部社員の 質 」 や、あるいは、「 その企業全体の 質 」 はどうなのだろうか。

調査は1月に実施し、全国の2669社から回答があったようだが、規模の小さな企業ほど、新人への強い不満が窺えるという。

私からみれば、「 そんな愚痴を言ってるから、その企業は伸びない 」 のではないかと思うわけで、企業自体の体質や考え方を改める必要を感じる。


新入社員にとって最も大切な仕事は 「 仕事を覚えること 」 であって、そのためには、「 失敗をさせ、そこから学ばせること 」 が不可欠となる。

新人に 「 質 」 を問うのは、最初から “ ミス の少ない仕事 ” を期待している表れで、先輩社員の 「 手の内に収まる小物 」 しか育てる気がない。

そこそこの能力の 「 小物 」 を採り、失敗させないように監視し、過保護に育てられたとしても、やはりどこかで失敗し、躓く羽目に遭う。

そんな人物は、失敗から “ 学ぶ ” ことができず、汚点として “ 絶望 ” し、すっかり打ちのめされて、やる気を失くしてしまいやすい。

本気で人を育てる気概のある企業は、「 新人に失敗させる度量 」 を有しているもので、だから、「 新人の “ 質 ” 」 などに大きな関心を寄せていない。


矛盾するようだが、顧問企業の人事をサポートする仕事柄、新人の能力を見極めたり、各企業の好みにあった人材を配置する作業をしている。

おかげさまで、今までに大きなクレームはないが、本音で言うと、それぞれの企業に最適な人材を、紹介できているわけではない。

特に中小企業の場合、「 この会社には、本来、A君のような人材が必要だけれど、B君でないと扱いきれないだろうな 」 という制約が、随所にある。

磨けば光るダイヤの原石より、綺麗なガラス玉を有難がる企業も多いので、我々のような仕事に就く者には、そこが毎年、悩みの種となるのだ。

万人に評価される “ 質 ” の良い新人と、真に価値のある人材が同一とはかぎらないし、望むべき新人を獲得できないのは、企業に問題がある。






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2008年03月03日(月) 海上自衛隊の護衛艦が、またも接触事故



「 何事も小さな仕事に分ければ、とりたてて難しいことではなくなる 」

              ヘンリー・フォード ( アメリカの事業家、自動車王 )

Nothing is particularly hard if you divide it into small jobs.

                                    Henry Ford



本来、どこの組織にも “ 雑用 ” という仕事はない。

軽い仕事だと思って雑にやるから、それが雑用になってしまう。


私が最初に入社した商社は、「 ラーメン から ミサイル まで 」 販売するような企業だったが、新入社員の頃は、そんな実感がなかった。

組織が大きくなると、仕事は細分化されており、自分の仕入れた小麦粉がラーメンになるとか、小さいボルトがミサイルになるとは想像し難い。

もちろん、頭では理解しているのだが、特に若い頃は、目先の仕事に追われていると、なんだか 「 ちっぽけな作業 」 を繰り返している気になる。

たかが歯車、されど歯車で、一つひとつが重要だし、そんな 「 当たり前 」 の単純な作業から馴れていかないと、大きな仕事もこなせない。

大きな仕事ほど、小さなところに神経を集中し、けして手を抜かず、全員が心を一つにして取り組まないと、満足する成果に辿り着けないものだ。


イージス艦の事故発生から日も浅いが、今度は、ベトナムのホーチミン港に入ろうとした海上自衛隊の護衛艦が、停泊中の貨物船に接触した。

けが人はなく、護衛艦は艦尾部分がへこみ、旗ざおが曲がる程度の被害、カンボジア船籍の貨物船は、塗装がはがれた程度の被害だという。

原因は明らかにされていないが、護衛艦の艦橋にいた現地の水先案内人による指示にミスがあった可能性もあり、現在、海自で調査中とのこと。

ただ、たとえそうだったとしても、接触事故を起こした事実に変わりはなく、護衛艦側に操船上の過失があったことは、言い逃れができない。

ガソリンスタンドを出るときに、どれほど店員の誘導が下手だったとしても、出会い頭に事故が起きれば、ドライバーの過失が問われるのと同じだ。


どんな組織にも、全体が直面している課題を 「 他人事 」 としか捉えられず、自分もその一端を担っている意識に乏しい人がいる。

福田総理による涙の謝罪や、石破防衛大臣の更迭騒ぎを見るまでもなく、いま、海上自衛隊に対し、世間はどのような目を向けているかは明らかだ。

だからといって萎縮する必要はないが、この期に及んで事故を連発させるのは、「 緊張感が足りない 」、「 反省が足りない 」 とみなされるだろう。

いくら最新鋭の艦船を所有していても、一つひとつの緻密な作業が完璧に実行されなければ、円滑な操舵や、任務の遂行が期待できない。

周辺諸国に対し、「 自衛隊の船は、マトモに着岸すらできない 」 という情報が流れることも、外交上、防衛上の大きなデメリットになってしまう。


ここは、大臣の更迭よりも、海上で実務に就いている将兵の意識改革や、技術力、集中力の向上、士気の改善が急務であろう。

平和ボケした国の軍隊とはいえども、かように “ たるんでいる ” 状況では有事の不安が否めず、もっと 「 練兵度 」 を高める必要があるはずだ。

憲法九条がどうとか、軍備がどうとか、戦略がどうと語る以前に、各将兵が自分の役割を確実にやり遂げる修練を積むことこそが、最も重要である。

一人のキーマンではなくて、無数の隊員が、それぞれ崇高な理念をもって行動しなければ、国防能力は向上しないだろう。

昔から 「 企業は人なり 」 と言うが、自衛隊においてもそれは同じで、個々の隊員の意識レベルが低い状態で放置されると、国防の将来が危うい。






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2008年03月01日(土) ロフト : パート 2350人を正社員に



「 じっと目を見れば、真実と、美と、コンタクトレンズだけでなく、

  能力の有無も見えてくるものだ 」

                      ローレンス・J・ピーター ( 教育学者 )

Competence, like truth, beauty and contact lenses,
is in the eye of the beholder.

                               Laurence J. Peter



日本を 「 格差社会 」 だと思っている人は、明らかに勉強不足である。

あるいは、“ 格差 ” という言葉の意味を、広義に捉えすぎている。


たとえば、働けない事情があって生活保護を申請した場合、認められれば最低限の生活を営む費用として、月額16万円程度の金額が支給される。

その一方、ハローワークに行って検索すればわかるが、毎日、フルタイムで働いても15万円以下の手取りしか支払われない仕事が無数にある。

六本木ヒルズの上階に住んでいる人と、公園で段ボールに寝泊りする人の比較は、「 やってきた結果の差 」 であって 「 格差 」 とは言わない。

同じ仕事に就き、同じ成果を挙げながらも報酬が不平等だったりすれば、それは格差と呼ぶに相応しいが、それぞれに働きぶりは異なる。

むしろ前例のように、働いても、働かなくても 「 所得の格差がない 」 ことのほうが、国全体の問題として考えれば、憂慮すべきポイントではないか。


近年、ビジネスのグローバル化を推進する流れの中で、高度経済成長期には 「 護送船団方式 」 と呼ばれた “ 終身雇用 ” の仕組みが崩壊した。

労働者派遣法が緩和され、あらゆる業界にパート、アルバイト、派遣社員、契約社員などの不定期採用が取り入れられ、正社員の雇用が減っている。

これは、たとえばアメリカのように、外国人の移住が盛んで、人の出入りが多い国には適しているが、国土が狭く、単一民族の島国には無理がある。

日本の場合には、「 生産者も一消費者 」 であって、賃金を安くして企業が潤っても、消費者の購買力が落ちるので、その景気は長く続かない。

輸出に徹する企業はよいが、全体の賃金ベースが低下すると内需が落ちるのは必然なので、国内消費に期待する企業は、墓穴を掘る結果となる。


アメリカと友好的な関係を保つために、日本は数々の 「 外圧 」 を受け入れてきたが、中には、日本にとってプラスのものも、マイナスのものもある。

イラク戦争に関連する自衛隊の派兵や、インド洋での給油に税金が遣われることを騒ぐ人もいるが、それらは、さほど大きな負担ではない。

もっと懸念すべきことは、外圧によって労働派遣法が緩和させられ、結果的に全体的な労働力が 「 安売り 」 させられ、相場が崩れることだ。

成果配分方式や、実力主義を浸透させることに異存はないが、魅力のある職種に就ける割合が減らされ、若者の労働意欲を低下させてはならない。

非正規社員の雇用数増加は、いずれ、外資による 「 日本制圧 」 の片棒を担がされている危険があることを、各企業は心得ておく必要がある。


生活雑貨専門店を展開する 『 ロフト 』 では、パート、契約社員、正社員の3区分を撤廃し、パートの希望者全員を3月16日から正社員にする。

この企業には、2650人のパート従業員がおり、大半にあたる2350人が、正社員になることを希望しているという。

パートが悪いとは言わないけれど、正社員になれば、働き方次第で管理職などへ昇格できる道が開け、それで能力を開花させる人も多いだろう。

ニートやフリーターの増加に眉をひそめるだけではなく、この企業のように、前途ある若者に 「 活躍の舞台 」 を提供する姿勢が求められる。

外圧に抵抗して 「 鎖国 」 する必要はないが、日本経済の特性と、自立の維持を鑑みれば、非正規雇用の比率は抑えることが望ましい。


ちなみに、“ パート ” と “ アルバイト ” を混同している人も多いが、パートとは本来、「 通常の正社員よりも働く時間が短い労働のこと 」 を指す。

それに対しアルバイトは、「 本業を持ちながら、副業として行う労働のこと 」 で、学業という本業を持っている学生が働くと、アルバイトとなる。

主婦の場合は、家事を本業と言えなくもないが、一般的にパートと呼ばれることが多く、法的には、パートもアルバイトも同じ扱いになっている。

小売店や、外食産業などでは、ベテランのパートやアルバイトが、新入りの正社員以上の働きをしている例も多く、会って話すと、彼らの能力は高い。

私のように、19歳の学生アルバイトから 「 しっかりしてよね 」 と、お説教をされる経営者もいるし、能力のある人は、なかなか侮れないのである。






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