きよこの日記

2003年09月30日(火) 死んだ物質

「私にとって、持って生まれたものは今更変えようがないが、所有物なら、いくらでも努力によって改善できる。持って生まれた歯がダメになったら、プラスティックの歯に代えて、本当の歯より、もっと立派に見せかければいいのです。
 私の人生観は、かくて、プラスティックの歯を容認します。それはつまらぬ「死んだ物質」にすぎないが、(中略)人間は生まれたときから、あるかどうかわからぬ「私」というものを、ただ無限に、周囲の「死んだ物質」の中へ放射してゆこうとする、ラジウムみたいな存在なのでしょう。」

愛読書、『不道徳教育講座』より。

こういうことを実感したいつかの夜の出来事。
男女何人かで飲んでいて、宴もたけなわ、ほろ酔い気分の私でした。
私が「酔いをさましに、ちょっと散歩に出てくる」と言って一人出て行こうとすると、みんなは帰るつもりだと思ったらしく、
「帰っちゃダメだよ」
「絶対戻ってきてよ」と口々にいい、一人が
「じゃあ、この時計を貸すから15分で戻ってくるように」と私にロレックスの腕時計をつけました。
「大丈夫だよ。絶対戻ってくるよ」
と言って、ふらりと店を出た私。
右腕にいつもはない重みが。

私は人生で一番高価なものを身に着けているかもしれないなあ。

と思い、まじまじとロレックスを見てみました。
ふーむ、これが世に名高いロレックスかあ。
とは思うものの、それはそれ以上でもそれ以下でもないものでした。

何のこだわりももたずに、ただ、腕に巻かれただけのロレックスはまがうことなく「死んだ物質」であり、私を毛ほども高めて見せてはくれないし、私にとっても何の価値もたないものでした。
(だって人ものものだもん)

かといって、私が自分でそういう高価なものを手に入れたいか、と言われたら、微塵もそんな気持ちはない、と答えます。
高価なものを手に入れると、「長くつかいたい」とか「傷ひとつつけたくない」とか、そういう執着が絶対出てくると思います。
そうすると、いつもは大事にしまいこんでおいて、いざ!というときに、蔵から引っ張り出すような仰々しさで登場したりして。
それは物に自分が献身しているようで、本意ではありません。

私がどんなに高価なものを持っても、鷹揚に構えていられるぐらいになれたらほしいと思うかもしれませんが、それはきっと、50歳をこえてからでしょうね。



2003年09月29日(月) ルーティーン トーク

「仕事が大変なのは誰だって同じだよ。みんな大変だって思いながらがんばってるんじゃないかな。俺だって、終わるのが10時になることしょっちゅうだし・・・」

やっぱり言うんじゃなかった。
わかっていたのに言ってしまった私が間違っていた。

私が言われたくないことをピンポイントで言ってのける人。
今までにだってこういう一連のやりとりあったんだから、私も学習すればいいのにね。

「今週は月曜がテストだったし、いっぱいいっぱいで、仕事が回らなくて大変だった」
甘えたくって言うわけじゃない。ましてや諭されるなんて心外だ。
ただ、世間話に、近況報告にありのままを言うだけなのに、解決法を伝授しようとする人だ。

困ります。
話したくなくなるの。
目を合わせたくなくなるの。

元彼という人。



2003年09月26日(金) 芸は身を助ける

教師は、芸人ですわ。
ほかの先生方はどう思ってらっしゃるか知らないけど、私はそう思っています。

子どもってやつはやっかいで、教師はいろんなことができて当たり前だと思っていて、やって当然ぐらいのことを思っているのだから困ります。
こちとら生身の人間だもんでねー。
いろいろ大変なんだよー。

授業の工夫をしたり、生徒がのるような話題を、話し方を工夫したり。
道化になったり、あっと驚くスゴ技見せたり。

私は気が多いので、いろんなことに手を出してきました。
器用貧乏っていうやつで、手をだして、チョコッとかじるだけで熟練することはないんですが、教師をやっていると思わぬところで、この器用貧乏も役に立ったりします。

今日は文化祭。
文化祭には職員の出し物がつき物ですが、生徒の出し物と違って、企画ができるのが二,三日前なんていうことはざらですが、みなさんなれたもので、それぞれの分担で衣装をそろえて、練習をして、大まかなリハーサルだけであとはぶっつけ本番です。

それでも、この出し物、例年面白いと評判で、保護者の中には、これを楽しみに文化祭を見に来る人もいるそうです。
一方、あまりにもはじけた先生方の姿に、去年などは
「文化祭の品位をそこなうから、職員の出し物はもうやめてくれ」というクレームが出たとか・・・。

その反省からか、今年はさわやか青春ものでしたよ。
お決まりの女装、ミニスカートはありましたけどね。
私は黒ぶちめがねのまじめちゃん役を生徒の制服を借りてやりました。
そして最後にチューリップの「心の旅」を職員で歌って、私はギター伴奏。
今年も大好評の職員合唱でした。



2003年09月24日(水) ええかっこしい

どうも私は自慢ってやつが苦手だ。
「小学生のころ、ホームランバーであたりが5本連続で出たことがある!」
っていうような、無邪気なものなら楽しいけど、本気の自慢はつらいよ。

だってさ、結局、それを話すってことは、私に「すごーい」っていう反応を期待しているんでしょ?

「大学院を主席で卒業したんだよね」

「あいつはおれが一言がつんといってやらなきゃいけないな」

「すごい」って思えない自慢のとき、それでも、期待を裏切っちゃいけないと思うから、下手な演技でこたえるよ。

だけど、本心では「ええかっこしなくていいのに・・・」と思ってしまう。

尊敬に値することは、わざわざ自ら披露しなくったってにじみ出るものでわかるもんだ。
大げさに人に知れまわるほど、軽薄にすら見えてくるのは、底意地の悪い私だからなんだろうか?



2003年09月23日(火) 『ピンポン』卓球ダウトをさがせ!

窪塚洋介旬間ですな。
今日はテレビで『ピンポン』をやっていました。

『ピンポン』は不朽の名作なんだよ。ホント。
何度読んでもすばらしい。
いや、むしろ、ようやく今頃になってそのメッセージがわかってきたかもしれない。
はじめはただ、卓球ストーリーしか追ってなかったもんね。
だけど、登場人物それぞれの目で読んでいくと、その整合性に驚かされる。
まったく見事にすべての登場人物にとってハッピーエンドなんだもん。
私が一番好きなのは、ペコとスマイルの関係だな。
なんかねえ、男の友情って感じがするんだ。
私にはああいう関係は築けないもん。

何度読んでも、胸が熱くなって、涙がほほを伝う名作だよ。

映画も、原作に忠実で、すばらしい。
窪塚くんのペコ、ヴィジュアル的に満点!
もっと、イキのいい話し方してくれたら120点!
(勝手に審査員だよ)

卓球を前面に押し出したスポコンということで、その映画化に際して、全面的に卓球メーカーの老舗、タマス(バタフライ)が後援、監修しているんだけど、不思議なのは、私にでもわかるような間違いが随所に見られるんだよね。

一番わかりやすいのは、ピンポン球。
公式の試合には、スリースターといって、★★★のマークがあるものを必ず使うはずなのに、練習用のボールなんだよね。
それに、ゼッケンも、日本卓球連盟の認定のものではないし。
ユニフォームも、ほとんど実在しないものだったり、すそを出していたり。
長年の習慣で、どうしても、卓球のユニフォームだけはすそを出すと落ち着かない!
インターハイの県予選で、あれしか台が出ていないのもありえないし。

ラリーがありえないっていうのはもはや言わないよ。
松本大洋、卓球やったことないのに、がんばったよ。
えらいもんだよ。

マニアックな発見。
1年のときのインターハイ予選で、ドラゴンのベンチコーチをしているのは、もしかして、バタフライ道場の平岡さんでしょうか?



2003年09月22日(月) 『池袋ウェストゲートパーク』

友達に『池袋ウェストゲートパーク』のDVDを借りました。

これは何年か前のTBSドラマで、当時、私は「暴力的だなあ」と、いうイメージが先行していて、むしろ嫌悪感をもっていたのですが、今でもいろいろなところで名前をきくということは、なにか、あるのかも知れないなあ、と、というのもあって触手を伸ばしてみました。

残念ながら、私は胸躍らせてこのドラマを見ることはできなかったんだけど、確かに面白みがあるのはわかりました。

でも、正直なところ、私が一番に思うのは、「これはできれば子どもに見せたくないなあ」というPTAのおばちゃん的なことなんだよねえ。
長瀬智也演じる主人公はもと不良だけど、今はどのグループにも属さず家業を手伝う下町の人気者。でも、地元の不良グループのキングも一番頼りにしている実力者で友達思いの熱い男。

それはいいんだけど、主人公、足を洗ったと言いながらも、カツあげはするし、万引きもするんだよ。切れて暴力をふるうこともある。
しかもそれがとてもかっこよく描かれている。
警察に対抗して、不良グループを意のままに操って犯人探しを始めたり。
それを架空の物語の中の話として、自分と切り離して考えられる判断力を持って見るならばまったく問題はないのだけど、残念ながら、すべての子がそうとは言い切れない。
とくに、”かっこいい“ということがすべての価値判断の基準になる年頃というのがあるから、危険なんだ。

このドラマを見てはっとしたこと。
劇中の“カラーギャング”という名称。チームで服装の色をそろえるというルール。
まったく同じものが私の住む地方の街にもあるのだ。
その組織の構造も類似性がある。
その裏にはもちろんそのチームを金づるとする暴力団の存在があると言われている。
暴力団がこのドラマを利用してカラーギャングをつくったのか、自然発生的にできたものか、それは定かではないが、それをカッコいいと思い、それにはまってしまう子どもがたくさんいるというのが現実だ。



2003年09月21日(日) 花村萬月『わたしの鎖骨』

久しぶりにぶらりと立ち寄った図書館。
最近は、期限内に返せる自信があまりないので本を借りるのをためらっていたのですが、これくらいなら読めるかな、と、手に取ったのが花村萬月『わたしの鎖骨』

花村萬月を読むのは初めてなんだけど、でも、ずっと読んでみたかった作家でした。
これは短編集だから、気軽に読めるかな、と思って。

五つの作品が収録されているのですが、どれも読みやすく、がっしりと土台がしっかりしていて、安心してよめました。



2003年09月20日(土) 懐かしさの単位

ふと、テレビをつけたら、「にゃんちゅうと一緒」という教育番組でした。
にゃんちゅうと一種にいるのは、伊藤かずえさん。

WAO!
一時は不良少女だったり、ドラマーだったり、ポニーテールだったりしたかずえさんがこんなところで、おさげ髪に!
少し前に、シャムシェイドのファンクラブに入り、メンバーと結婚したという風のうわさを聞いたっきりでしたが、こんなところで会えるとは。
なつかしいですねえ。

にゃんちゅう自体久しぶりに見たので、にゃんちゅうをみる懐かしさを、1nty(にゃんちゅう)とすると、伊藤かずえさんは20ntyというところでした。

さらにみていると、スペシャルゲストとして、坂田おさむお兄さんが登場です!

かるく100ntyです。

私をふくめて、なぜか我が家は教育テレビが大好きで、小学校から帰るとかならず教育テレビがついていました。
5時からは「お母さんと一緒」が、誰が見るともなく流れていました。
その教育テレビ黄金期の歌のお兄さんが、坂田おさむさんでした。
ちなみにお姉さんは森みゆきさんでした。
体操は、ヒョウチエさんで、子供心にも、ずいぶんシュールなコーナーだなあ、と思いながら見守っていた覚えがあります。

今日は本当に坂田おさむスペシャルで、おさむお兄さんは3曲ぐらいメインボーカルをとっていました。
新曲とおぼしきフォーク調の歌を一人歌うおさむお兄さんをみていて、その目じりのしわをみつけ、まなざしにふくまれる落ち着きに、時の流れを思いました。
そんなことを意地悪く見つけてしまうほど、私も年を重ねたんだねえ。



2003年09月15日(月) デイヴ・ペルザー『”It”と呼ばれた子(幼年期)』

「先生、これ読んでみて。
 なんかすっごく怖くって、泣けるから。」

と、生徒に貸してもらいました。『�爍稗��爐噺討个譴浸辧瞥椎�期)』。
生徒の口によくのぼる本で、前から題はよく耳にしていたんだけど、よっぽどお勧めだったんだねえ。
わざわざ私のところに持ってきてくれました。

今日は3連休の最終日ということで、夕方ぐらいから、ちらちらと学校のことが気になって、晩御飯を食べたら、「明日に備えて早く寝よう」という思いが私をあせらせ11時30分には布団に入りました。
そこで、この本を週末に借りていたことを思い出したのです。

「いけない、いけない。
 せめて、読み始めるだけでもしておかなきゃ」
と、表紙をめくったが最後、一気に最後まで読んでしまいました。

真実が語る力ってやっぱり大きいです。
筆者が幼い頃に受けた虐待の実態を克明につづった本書は、私の心をぐっと掴んではなしませんでした。
家庭という本来一番落ち着けるはずの場所が地獄という不幸は私の想像のつかないところです。
虐待をする親の多くが「これは虐待ではなく、しつけだ」といい、虐待を受ける子の多くが、「自分が悪い子だからいけないんだ」と、自分を責めます。

幼いころに、無条件に愛されたという経験は、その人が成長していくときにとても大きな力になっていきます。
あるいは自信になり、あるいは誇りになり、あるいは保証になることでしょう。
それは人間としての土台ともいうべき部分で、それがしっかりとないと、いくら表層を整えてもカバーしきれないところだとおもいます。

児童虐待の罪深さというのは、その肉体的苦痛そのものに加えて、もっとも愛情を必要とする時期にそれを与えず、心に深い傷を負わせその人のその後の人生に暗い影を落としてしまうところにあります。
そして、虐待を受けた子の多くは自分が親となったときにわが子に虐待を繰り返してしまう可能性が高いと言われています。

なんという不幸の悪循環でしょう。
卵が先か、ニワトリが先か、みたいな。

私はかねがね、子どもは30以降に生みたいと思っています。
これを言うと、生徒など「えー、そんなの子どもがかわいそう。参観日のときに恥ずかしいじゃん」と言われるのですが、そんなのは微細な問題です。
子どもにとって、精神的に未熟な親に育てられることほどの不幸がほかにあるでしょうか。
だから、私は自分のお世話ができて、余裕をもって子どもを受け入れることができるようになってから、子どもを生みたいなあと思うのです。
30歳ぐらいまでに、そうなっていられたらいいなあ、という希望的観測ですが・・・。



2003年09月11日(木) レッドゾーンですよー

本日は激務なりけり。

It was a へとりへとりDAY。

こんなに疲れた日は、ちょっとどこかに疲れた自慢をしたくなるのも人情、と、ご理解くださいな。
(自分は、「仕事が大変だ自慢」されることが嫌いなくせにね)

まあ、部活の朝練習が7時30分から始まることはいつものこととして、今日の激務のもとは、

空き時間がないこと+会議多すぎ

空き時間がないということは、その日一日ノンストップを意味します。
授業は開始チャイムが鳴る前に教室にいて、終了チャイムがなっても生徒と話したり、すぐに教室を出ることは不可能ですから、10分休みなんてないのです。

その上、給食後のわずかな昼休みが会議だというのだからクレイジー。
提出された漢字練習帳のチェックなんて無理!

放課後は、部活と居残りの指示だけしておいて、自分は会議が3つ連続でありました。

何の会議だって?
研究授業を見ての意見交換会と、私の授業を見てもらっての指導とPTA役員との打ち合わせさ。

終了時刻22時30分。
おーい。
極限グロッキーでした。
いらいらしちゃって全然余裕がなかったです。

そしたら「きよこ先生、遅くまでご苦労さんだったで、これあげるでね」
と、校長先生が美術展の入場券をくれました。

会議に校長室を使っていたから、校長先生も帰れずに残っていらしたのですが、
「仕事ができてよかったよ」と、まったく気にしていないご様子。
最後の戸締りをしながら、にこにこと昔話など聞かせてくださいました。

人間が大きいなあ。
校長先生と話をしていたら、さっきまでのいらいらがいつのまにかどこかに消えていました。

私はうんとちっぽけです。
人にやさしくできるのは自分にゆとりがあるときだけ。
ぎりぎりになると、自分のことしか考えられないです。



2003年09月10日(水) 美女軍団員

生徒を手の上に乗せて、思い通りに転がしたい、というのは教師誰もが思うところだと思うのだけれど、でも、

がーがー怒鳴り散らして、とにかく生徒を威圧して、発言させないようにして、自分の思い通りに動かすことには、まったく意味がない。

生徒をその気にさせて、無理やりではなくて、自発的に「知りたい」「やりたい」と思って、教師のねらうところにもっていければ最高ということです。

とはいえ、未熟なもんでなかなかそんな授業はできねーだ。

それは、選択授業のことでした。
検定対策ということで、どんどん自分で問題集をやっていくっていう感じの授業なんです。
でもおしゃべりがとまんないんだ、これが。
私にもどんどんおしゃべりもちかけてきてさ。
なだめたりすかしたり、どなったり。

A子「なんか、にゅーすで北朝鮮の女の人がたくさん応援にきてるのみたー。」
B子「あー、わたしもみたみた。   泣いてなかった?」
A子「うん。泣いてた泣いてた」
B子「なんか先生に似た人がいた気がする」
A子「せんせー。なんか、あの女の人たちの中に、先生いたでしょ」

おーい。ちゃんと勉強してくれよー。
そんな話、授業に関係ないだろー。と、思いつつ。


「なに言ってんだー。
 まあ、あの中にいてもおかしくはない美人っぷりだとは思うけどね」

どっ。
「えー!」「まじでー!」
と、その一時間で一番クラスがひとつにまとまった瞬間でした。



2003年09月06日(土) A DANCER IN THE SUNNY SIDE

私はどうやら踊ることが好きらしい。
幼稚園のころ、おゆうぎが大得意だった。
運動会の学年ダンスが毎年楽しみだった。
私は学校中でもっともラジオ体操が上手にできる自身がある。
日本舞踊もとても好きだった。

こんなことに思い至ったのというのも、今日、学校でエアロビをしたからです。
ユーロなミュージックが流れてきて、陽気なインストラクターのおしゃべりにのって、ひたすらに踊りまくりでした。

楽しいのなんのって。
アドレナリンだかドーパミンだかそんなのがきっと出てるぞってぐらい。
理由なんかなくって、とにかく、口が緩んじゃって、笑顔があふれちゃうんだ。これが。

ノンストップ有酸素運動50分間。
汗の出ること滝の如し。

かなりな運動量だと思うんだけど、ぜんぜん苦にならなかった。

これはいいね!と、同僚の先生とも意気投合。
もう少し涼しくなったら、ジムに通いだしちゃうかも。



2003年09月05日(金) 『LAUNDRY』

窪塚洋介ウォッチャーなのですよ、ワタクシ。
特になんだか、ホワイトのパッケージに。ニット帽をかぶった窪塚くんがかわいらしく座っていて、ファンシーじゃありませんか。

でもね、窪塚くん、今回は、ちょっと、役をもてあましてました。
主人公のテルは、きっといわゆる知的障害がある。
おばあちゃんのもっているコインランドリーで一日中洗濯物が盗まれないように見張ることをし仕事にしている、正義感に燃える心優しい男の子なのですが・・・。

窪塚くんは、いろいろ演技しすぎちゃうんだよねえ。
動かなくって、ただ見つめるだけなのに、目がしゃべっちゃうんだよ。

「目が口ほどにものを言う」というのは真理で、よほど性根のすわったウソツキじゃないといくらかくしても目がすべてを語ってしまいます。
(もちろんここでいうところの目っていうのは、形とかじゃなくて、目の色ということだけど)

職業柄、いろんな人の目を見ているので、目を見るだけで大体その人の気質がわかる気がします。
窪塚くんの目は、テルの目ではない。
それがすべてでした。

目、ということでいうと、小雪という女優さんは、いい目をします。
大きな演技はしないんだけど、目で語ります。

だけど、『LAUNDRY』、たとえていうなら大人の絵本って感じ。
それが好きな人もたくさんいるんだけど、私はとても無理。

大きな水溜りを前に、「この水溜りを飛び越えることができたら、私、変われるかなあ?」
って、飛び越えることに成功して、抱き合い飛び跳ねて喜ぶエピソード。
その陳腐さに苦笑いでした。

期待しないわりに、よくて驚いた作品、『猟奇的な彼女』
始まりの調子から、韓国版トレンディタッチコメディか、と思い、見始めたのですが・・・。
いやあ、すばらしいどんでん返しの結末。
うならせますねえ。



2003年09月04日(木) マイ・ペース

マイペースでいこう、なんていう言葉は、自分を甘やかすことを正当化するために言うようで、あんまり好きじゃないのですが、自分のペースを保ちながらやっていく、ということの大事さは痛感するところです。

その点、私は、最近、マイ・ペースができてきました。

2学期が始まって、また、われを忘れるような日々がやってくるかと恐れていたのですが、一学期のようなことはなさそうです。

愚痴を言い合える人ができた、というのがとても大きいんだと思います。
話すことで、学校の私と、そうでない私の切り替えができるんだと思います。
話すことで、感情を客観化できるんだと思います。

マイペースを保つために、手を抜くべきところは手を抜くようにしています。
なるべく学校に夜遅くまで残らないようにしています。
授業は早めに予測をたてて、教材研究を進めておいて、直前であわてないように気をつけています。。

マイペースは部活にもいえることで、最近、部活にもペースができてきたので、やりやすくなってきました。
私が口うるさく言わなくても、守るべきライン、どういう部活にしたいのか、ということが生徒に浸透してきました。
そうなったら、こっちのもので、皿回しよろしく、要所で力を加えてあげることを忘れなければ、生徒は自分たちでがんばれます。

1学期と比べて、調子がいいことを実感するのが毎朝の目覚めです。
以前は、どれだけ遅く眠っても朝5時あたりから15分おきに目が覚めてしまって、その日の授業のことを思い浮かべながら夢とうつつのハザマをさまよっていましたが、最近は、目覚まし時計がなるまでぐっすりです。
泥のように眠れます。



2003年09月03日(水) 大道珠貴『しょっぱいドライブ』

ヨウちゃんから本が贈られてきました。
冷夏に誘発されて、最近私は個人的に「読書の秋」です。

『しょっぱいドライブ』芥川賞受賞作です。
タイトルがいいですね。
「しょっぱい」って、本来の塩味がきついという意味を離れて、ちょっと、感覚的にイタイ時にいうようになってますよね。
私自身はうまく使えないんだけど。
この本は、まさに、「しょっぱい」感じなのかもしれないなあ。

単純じゃないの。
文体も、登場人物も、いたって普通なんだけど、淡々とした語り口で語られる普通のストーリーのなかで、ハッピーエンドでもなく、強いメッセージやコンセプトが心に残るわけでもなく・・・。
しょっぱい感じなのです。

ただ、単純な喜怒哀楽や起承転結でないところが、この作品のよさだと思います。
だって、今までに読んだことがないような感覚がのこったもの。



2003年09月02日(火) ドキッ!女だらけの『Dの食卓』大会

今日は生徒指導についての研修会だったのですが、終わるや否や、るんるん気分でうちに帰りました。

いやあ、出張はいいなあ。
生徒もいないし、部活もないしね♪
おまけに明日は写生大会だから、予習も必要ないし。

と、いうわけで、今日は前々から、オールナイトで先生友達と遊ぶ約束をしていたのです。
ぶらぶらと飲み歩いて、私の部屋にみんなで帰ってきました。

そして、流れで、『Dの食卓』をすることになりました。
『Dの食卓』、ちょっと年季の入ったゲーマーならば、知らぬ人はいない名作です。
なんとなくお店で見つけて、400円ぐらいだったから、買ったものの、一人でやるには怖くって、手をつけられないままにしていたものでした。

今日とまりに来た先生たちはあんまりゲームをしないみたいなんだけど、
おっかなびっくり扉を開けたら、ガーンって死体があったりして、
みんなできゃあきゃあ大盛り上がり。
夢中になってみんなでなぞを解いて、クリアしたのが2時でした。
うーん。
いいねえ。学校のこと忘れてはしゃぐのって。
翌日は少々寝不足でございましたが、生徒と一緒に文化祭に出す絵もかけたし、まあ、よしってもんだ。

『D』についてもう少し感想を。
正直、話題になったほどすばらしくなくって拍子抜け。
大玉に追いかけられて必死で逃げるローラがまったくの無表情だったりして、かなり笑えた。
でも、話題になったほどグラフィックがよいと思えなかったのは、発表されたときからずいぶんたってしまったからなんだろうね。
当時は、本当に画期的で、フルポリゴンでミニスカートの美女をどんどん恐怖のどん底に突き進ませていくこのゲームは、センセーショナルだったんだろうねえ。

ゲーム界の日進月歩ぶりがしのばれますわ。


 < 過去  INDEX  未来 >


さよこ [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加