ものかき部

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「 「チ」Ⅲ 」 
2009年02月24日(火)



 汚れた体液、吐き出す臭気、こびりつく菌類
 だと
 何をお前は恐れている 何にお前は怯えている

 太陽が全てを照らすように
 水分子が世界に行き渡っているように
 王者の誇りと風格で数多へと広がっていけばよいのだ

 例えそれが「チ」を欲望に変える 栄誉に尊敬にそれらの精神的価値に換えるものだとしても


注記:最初の1行目は前日の「 ため息をつかないで 」を受けています

「 アイラブユー の意味 」
2009年02月23日(月)



 2歳の甥っ子が、三毛にゃんこを見る目は、キラッキラ
 ピャ! っと遠ざかればニコニコ
 ソォ~ っと近づけばマルマル笑顔

 初めて見た時もこんな感じだったかしらねぇ・・・あなたを

「 ため息をつかないで 」
2009年02月22日(日)



 どうしてこの世の中は馬鹿ばかりで
 どうしてこの私は絶対的に抜け出せなくて
 汚れた体液、吐き出す臭気、こびりつく菌類

 どうしてこの世しか
 どうして嘆くことしか

 思い込みで個人を判断 運命を信仰 欲望を構築

 ため息はつくまい
 この世のためにも私のためにも
 ただ そのくらいしか出来ないでいる

「 2つのため息 」
2009年02月21日(土)


 大きな木目の化粧台の鏡と目が合って
 あなたは 大きく「はぁ~」と肩を落とした

 別れ話のせいかしら 思いの外疲れた顔だったから 年老いて自己イメージと違ったからかしら

 あなたは もう一度確認するようにきっちり鏡に向き合って
 「はぁー」

 鏡を覗きたくないのは一緒なのね
 ちょっと嬉しくなった ちょっとだけ救われた気がした

 鏡の中の自分でさえも目を合わせたくない
 全て居のままに動く人形でも 実際に存在しない鏡の私でも

「 アイラブユー ってこんな訳 」
2009年02月20日(金)



 あなたの首筋の匂いをペロッと嗅ぎたい
 
 あたなの手の甲の血管を一本一本ユックリと撫でたい

 アイラブユー ってこんな訳かな 

「 判解分 」
2009年02月19日(木)



 判っているさ
 こうして全て蕩尽してきたのを
 こうして生産もしてこなかったのを

 解っているさ
 永劫何も積み上げられないのを
 永劫は永遠も一瞬も同じになるのを

 分っているさ
 虚しさにも喜怒哀楽もないのを
 虚しさにも何ものにも縋れないのを


注記:「蕩尽(とうじん)」はG・バタイユの文脈でお読み下さい。

「 永遠が1年へ 」
2009年02月18日(水)



 いくら思想を知ろうとも
 いくら真理を掴もうとも
 いくら呼吸を解ろうとも
 いくら他者を括ろうとも
 いくら世界を容れるとも

 夕立のなかった真夏の日暮れはありつづける
 いくら精神の奥底を掘り起こそうとも
 いくら心身の制御を統括しようとも

 全ての感覚が研ぎ澄まされたような夕暮れは
 また いつのまにか 
 小春日和には決して含まれない湿度のような
 また いつのまにか
 気がつかぬ間 気がつく間もなくこっそりと

 いくら思想を知ろうとも
 いくら真理を掴もうとも
 いくら呼吸を解ろうとも
 いくら他者を括ろうとも
 いくら世界を容れるとも

 私はあなたが好きだ 一生を賭けて守り抜く
 私は家族を愛している どんなことでもする
 私は友人に恵まれている 決して裏切らない

 これらの直ぐに揺らめき消え逝く霞ではなく
 じっとりと世界を満たしていく春の嵐の湿気
 春の嵐が山野を覆い研ぎ澄まされた私を蔽う

 毎日繰り返される春の嵐と真夏の夕暮れ
 愛する恋する会話する寝る考える感じる
 喘ぐ事も喰らう事も嘆く事も悔いる事も

 全ての感覚が研ぎ澄まされたような夕暮れは
 また いつのまにか 
 小春日和には決して含まれない湿度のような
 また いつのまにか
 気がつかぬ間 気がつく間もなくこっそりと

 1日1年が数日1年になり1週間1年になるだろう
 そして いつのまにか
 愛する恋する会話する寝る考える感じるだろう
 そして いつのまにか
 喘ぐ事も喰らう事も嘆く事も悔いる事もなくて

 1ヶ月が1年に1年が1年に10年が1年に永遠が1年に
 観えているのに 確信がもてるのに 実感しているのに
 1ヶ月が1年に1年が1年に10年が1年に永遠が1年へ
 思想へ真理へ呼吸へ他者へ世界へ春の嵐へ非恒常性へと

 夕立のなかった真夏の日暮れはありつづける
 いくら精神の奥底を掘り起こそうとも
 いくら心身の制御を統括しようとも

「 生きたい死にたいⅡ 」
2009年02月17日(火)


 
 つまり、有効化されたそれらではなく
 つまり、有用化された道具類ではなく
 つまり、擬人化された存在者ではなく 
 つまり、観念も手も加えられない自然物ではなく

 擬人化と有用化の狭間に煌く
 故人の骨のように バルハラや高天原や神の国の物語のように
 高等の哺乳類ならば必ず持つ生得的な道具化を

 そこに人間性の根源がある
 観念への階層的昇華では決してなく
 我、私、自我という
 道具とは観念無くして作り出せ、誤った観念でも作動するのだから
 道具こそ人間性の根源なのである

「 生きたい死にたい 」
2009年02月16日(月)



 見事に生きて
 見事に死にたい

 生きて
 つまり
 死にたい

 

「 自分対話 」
2009年02月15日(日)



 眠れない時には夜があり 
 眠れる時には夜が無くなる

 見たい時には世界があり
 見たくない時には世界を閉じられる

 話したい時には意思を現せ
 話したくない時には黙っていられる

 食べたい時には口をあけ
 食べたくない時には放っておける

 気がつけば私がいました
 気がつけば世界がありました

 気がつけば
 気がつけば

「 読者接話 」
2009年02月03日(火)



 過重な充実 承認の幸福 呆然と安定 出産と肢体
 遠ざかる無目的 無残 無

 これが人生だと
 これが人間だと
 これが人々だと

 けだし 月は満ち欠け 風はなくもなく 日光は美しい

 
注記:「けだし」は多義的なので多義的に 前3行の「これが」のポジティブ、ネガティブで決定する。その決定をどのように読むか、で読者の心理的不足、期待を逆に探る目的で多義的を使用。順接に「それゆえ」、逆接に「けれど」が一般的ではあるが、この間にある曖昧な読者の心理を。
  :「接話(せつわ):造語」 意味は上部の意味となる。 

「 正義談話 」
2009年02月02日(月)



 どんな正義であっても 結局は虚しさに突き当たる
 虚しいだけならましじゃないか 
 殺しあわなければ人口調整出来ない程 愛に縛られた不良品なのだから

 どんな正義であっても 結局は社会の支点になれる
 中心が無い動物よりもましじゃないか
 譲り合あわなければ人格調整出来ない程 社会に捉われた不良品なのだから

 どんな正義であっても 結局は暴力に側を補われる
 表だけでも繕われているだけましじゃないか
 憎み妬み恐れ合わなければ正義を調練出来ない程 弱者の覇道に閉じ込められた不良品なのだから


注記:「虚(むな)しさ」、「繕(つく)ろう」、「妬(ねた)み」、「覇道(はどう)」 

「 滑稽対話 」
2009年02月01日(日)



 漫画というのは総合芸術なのだよ

 それに比べて文字で書かれている文学やら哲学やら、学問というのは一義的で幅が狭く、とてもではないが総合芸術にはなれない なりえない

 対して幅の広い総合芸術たる漫画は両義性を見事に表現できる訳だ

 例えばこのシーン、どんなに崇高な行為も、所詮全ての行為の1つに過ぎない、という意味と、崇高な行為が貴いのだ、という意味にも、いやいや、崇高な行為が出来るのは一部の人間に過ぎない、という意味にも取れる

 文学ではこうはいくまい

 「先生!」

 はい、きみ

 「先生の言葉は文学的ではないのですか?」

 はい、きみの言う通り

 (一部爆笑せず)

 「漫画とは漫画ならざる捉え方によってしか正確に解釈されない訳ですか?」

 はい、きみの言う通り と同時に対話もこの対話も漫画的でありたいものだね、特に第三者にとって

 (一部のみ爆笑す)


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