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「 名もなき一つの死後になるのだろうか 」
2016年09月15日(木)



 なるほど、多くの人が誇りと愛のために死を受け入れる

 けれど、それは継続する死後、ではなく肉体の瞬間としての、死、なのだ


 哀しい

 胸が締め付けられる

 哀しいだけだ

 哀しすぎることはない

 
 私も墓標の森のように、名もなき一つの死後になるのだろうか

 誰にも何も残せないで


 私を知るものが数十年で記憶が失われて

 誇りだけが、愛だけが、それを慰めるものなのだろうか


 今日も、名もなき命が、失われていっている

「 なるほど日本人であるⅦ -ちょっとぐらい おかげさま- 」
2016年09月02日(金)



 嫌味を言うて 過ごすなら
 
 どうせ終わる 人生だもん

 ちょっとぐらい おかげさま

 どうせただの 言葉なんなんだ

 
 恥ずかしがらずに いいまっしょい

 我慢せずに いいまっしょい

「 絶対的自我35 -誰も読まなくなる日記 止まる- 」
2016年09月01日(木)



 午前、午後、夜と種類も異なる仕事を3つした。

 ホッと一息、電車の中で少し眠る。

 周りに人がいて、明るくて、そういう時には聴こえない声

 「お前はまた1日死に近づいているのだ」
 「お前はまた1日死に近づいているのだ」

 どんなに、個体の人生が充足しようとも、
 どんなに、個性が天に昇るまで発揮しようとも、

 それに替えがたい、「死へ近づいた1日」

 ・・・

 私は不安症なのだろうか。

 

 「そんなのは先なんだからクヨクヨするな」
 
 「そうやって不安がっていると逆に体調を壊すよ」

 という人々の声に耳を傾けるべきなのだろうか。

 なぜなら、誰しもが死を体験したことがないからだ。

 偉そうに、不安がっているのではなく、今日1日を精一杯活きる、それだけを考えるべきだろうか。


 私は不安症なのだろうか。

 心を研ぎ澄ましてみれば、答えは暗闇から湧き上がってくるようなものだ。


 この誰も読まない日記

 必ず 止まる


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