呼吸が止められてしまったときの、血がにじむような息苦しさ
月に数回、やってくる
「そうやって、なんにも、なんにも無くなるんだ」
声で追い打ちをかけられる
「私は一人で生きているわけではない」
「この年まで生きてこられてよかったじゃない」
「今日一日さぼったからでしょ」
「飛蚊症(ひぶんしょう)のように変えられないもの」
そういう一時しのぎで抑えられないのは、月に2,3度
「何もかも、なくなるんだ。地位も、文章も、金も、家族も何もかも」
「どうしてみんな気が狂わないんだろう。そもそも気が狂わないって何だろう」
今月初めで出た飛蚊症は、この世界を正常に見ることへの疑念を、秒ごと、分毎に教えてくれる
この世界を正常に見ていること、狂ってみていること、その違いはあるのだろうか
そこを決定する物理的世界、その物理的世界が私を「何もなくなるんだ」というささやきの源なのである
天国、浄土、天上、せめて、地獄に行けると幻想をつかめればいいのだが
深夜に、「もっと勉強しなくては」という夢で起きてしまった。
「ああ、そうだ。おれはダメなやつなんだ」と言葉が、心に浮かんでくる。
なぜだろうか・・・
寝汗のTシャツを替えるために、洗濯機の前にいく。
「ああ、おれはこんなにも幸せなのに」と清潔な家族の洗濯物を見て思う。
なにもなくても、自分を否定する癖が染みついている。
「もう、この自分を否定する癖を取り去ることはできないだろう」
親に与えられた、自分の言葉でつむいできた結果なのだから。
しかし、しかしだ。
癖を取り去ることはできないが、癖を浮かび上がらせないことは、そういえばできていた。
「勉強してクタクタになること」
だった。
「目標を設定して、勉強して、頑張ること」
だった。
明日から頑張ろう。
Tシャツを清潔なものに替えて、寝床に入ろう。