僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
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2006年03月31日(金) 銀座のコオロギ

コオロギを買いに東銀座のパウパウアクアガーデンへ行きました。玄関で飼っているトウキョウダルマガエルの餌です。しかし売り切れてました…。
暖かい日が続く中、餌を上げない日が続くと飢えに強いやつらもさすがに参ってしまうんです。暖かい日が続くということは、そういう意味でもあります。


2006年03月29日(水) 秋葉に行ってきました。

つなぎのモニタを買いに。リビングのモニタがやられて電源も入らないんです。
17インチの、液晶じゃないやつを買ってきました。秋葉原で。僕はこういうのはその日に持って帰りたいのでそのまま抱えて電車に乗り、駅からは自転車の後ろに乗せて押して歩いて持ち帰りました。街でも電車の中でも邪魔がられました。実はこの行動、二度目なんです。前にも録音室のモニタが壊れてやっぱり秋葉原で買って来たのが一度目。その頃はまだブラウン管のモニタが中古市場に残っていた時期だったようですが、今日行ってみるとチェーン店がやっている中古屋さんにはほぼ液晶のみ。ブラウン管のものでも最低で6000円くらい。引越しまで一時期使えればいいと思っていたのでそんなお金を出す気にもなれず、奥地へ潜入。どんどんと樹液みたいな臭いのする、上半身の動かない独特の動きをする人々と接近遭遇…。おでんの缶詰をむさぼる何人かわからない女の子多数…。店員の目がヤバく、話し掛けると話し終わる前に半ギレで「わかりません」と言うw。

面白すぎました。親はなくとも子は育つと言うけど、手をかけないでメディアばかり見せてると子供はきちんと変になるってことを確認して安心しました。

初心者の自分にとっては奥地にあたる場所に、その中古屋さんはありました。なぜかモニタのデモで洋楽のPVが流れててちょっとだけコミュニケーション能力を取り戻した人が店員さんでしたw。少し茶色っぽいひげを生やしていたので「脱色とかしてますか?」って言ったら意味もなく照れた。紐をかけてくれて親切に「取れやすいんで、抱かかえたほうがいいと思います」との事。確かに紐のかけ方が僕にもわかるくらい下手だった。機械でかけたのに…。でもいいと思います。彼は三次元の事はまだ苦手なんだと思う。ここでいい客でないと彼はまた仕事にやる気を感じなくなって二次元に戻ってしまうかもしれない…。

僕はできるだけはつらつと「ありがとう。助かった!」と言い、店を出ました。頑張ってね。


2006年03月28日(火) 櫻の木と櫟の木

霧雨の振る中、カブトムシを採りに行った僕は父とはぐれてしまいました。幼い僕は泣く事もせず、櫟の木を中心とした雑木林の中を雨に濡れてさらに香りを増した樹液や葉のにおいを嗅ぎながら、踏み込むと少し靴を汚すくらいに埋まる腐葉土の地面を歩いてなだらかな斜面を奥へ奥へと歩きました。

どうしてその景色の中で僕が傘を差してなかったのかわからないけれど、霧雨は暖かくて坊主頭の髪の毛と眉を辿って落ちていく水がすごく優しく、心地よく感じていました。

時間と関係なくなったような霧の中、斜面を登り切った位のあたりで雑木林が突然途切れ、少し開けた場所へ出ました。膝くらいまでの高さの草が一面に生えていました。その草の先に、雨に濡れているせいかわかりませんが、幹の黒く見える葉の色の薄い木が立っていました。長い年月この場所にいたであろうその木は、多すぎるほどに茂らせた葉を霧雨に輝かせていました。幼い僕は櫟の林から出ないで、それをただ立ち尽くして見ていました。


2006年03月12日(日) 作戰会議1

夜八時に山作戰スタッフは召集された。集合場所はファミレスの前のジェーの坊主頭。時間に集まったのはジェーと寧々だった。usaは残業に追われて妄想の国へ逃げてしまい、突然「死にたくないっ!」と叫んでいたあの頃の輝きは失っているらしい。さわしゅんは毎朝五時頃起きて証券関連の仕事をはじめたらしい。役者のくせに社会的強者になろうとしていると思われる。何しろ今回の来るかもわからないバブルは強者だけが潤うバブルなんだそうだ。日刊ゲンダイに書かれてた。とにかくさわしゅんはそんなあわよくば出し抜いてやろうという気持のせいで遅れてくるらしい。

俺は駅から少し離れたファミレスの場所が半信半疑で、知っている道を辿ってかなり遠回りして行ったので遅れた。村チェは眠そうな目でエロエロ光線を出しながらやってきた。この女と寧々は日記でももっと本性をあらわさなければいけないと思う。基本山作スタッフの基本姿勢は、「相手に理解してもらう喩えよりもエロい喩えを…」なのだから。

今回のこの会議、自分が劉備だというつもりはないが、山作戰の名軍師諸葛亮ことジェーが「酒が入ると��(高)山の虚言癖+大風呂敷が酷くなるから」といつもの酒入り作戰会議を却下し、山作戰の進む方向を指し示す堅実な会議を提案したため実現した。ファミレスならとりあえずビールは免れるだろうという包囲網である。理論的かつ迅速、上品な笑顔を浮かべてされる彼の発言は山作戰の中で主宰であるはずの俺の発言よりも力を持つ。

ファミレスの中はとにかく稼動が負けている状態。日本の治安の良さに助けられているといった感じで、40人位は入っているフロアに専用のスタッフは1人。居酒屋ではないので追加注文はほぼないのでこれでいいんだろうか。居酒屋馴れしている山作スタッフの意見は「にしても少なすぎはしないか」というものだった。

席について注文を決める。寧々と俺は基本的に注文を決めるのが遅い。どれも食べたいようで、そうでないような気がする。今回は寧々がメニューを見つめて最後までうなっている。俺は早々と目を輝かせて決めた一品を頼むためにアキレス腱を伸ばして待っていた。やっと寧々が注文を絞り込んだようで店員を呼ぶ。

滑舌の悪い店員がやってきて注文を聴いた。ジェーが頼んだものにご飯がつかない事を伝えるのになぜか喧嘩腰で、「こちらはご飯やパンがつきませんがよろしかったでしょうか?」と予言のような口調で言う。「いやいや、よろしかったでしょうかって言われてもまだその事については話題にものぼってませんよ」と心で突っ込みながら鷹派店員とも大人の関係で注文。みんながそれぞれ「かつ定職」などを頼み終えるのを待ち、俺はその時を待った。寧々が注文を終わったのを見計らって俺は用意していた言葉を、用意していた声の高さで、用意していたタイミングで言い放った。「瓶ビール!グラスひとつ!」

タイミングはばっちりだったと思う。しまりかかったシャッター的なものの下を滑り込んですり抜ける、インディージョーンズっぽささえ漂うタイミングだった。店員は案の定、復唱して去ろうとする。その刹那、ジェーの目の黒目が少し増え、キラリと光ると同時に彼はふちを持ちずれてもいない眼鏡を直す動作をしながら「グラス二つで!」と明るく言い放った…。

負けたよ。ジェー。その後、「私も飲みたかった」と寧々が体調を崩し、俺が彼女が一切れ残したかつを奪おうと狙っているうちにさわしゅんが登場。その後堅実に進んでいく話題に俺がちゃちゃを入れ続けてミーティング終了。かつは鷹派の店員に下げられてしまった。

その日は暖かかった。そこでミーティング中に俺が提案した「帰りに缶ビールでも買って道端で飲みたいんですけど」という作戰は子供の科学する芽を摘むような視線で却下され、ミーティングは終わったのだった。良いミーティングだったし、成果もあったと思う。しかし俺はまた敗北を喫したのだった。ミーティングに勝ち、勝負に負けたのだった。

スタッフみんなが日記に優等生らしい文章を書くので、負けたはらいせに俺が招待を全部暴いてやる事にしました。申し開きは日記でしなさい。

次回は「ジェーとの出会い〜お台場海浜公園〜」です。「知的軟派師」ジェーの実体を浮き彫りにします。

つづく。

番頭の下町案内

寧々の妄想日記


さわしゅんの徒然日記

usaの ●●でいいでしょうか?

ジェーの務まってるのか?!山作戰スタッフ

山作戰


2006年03月10日(金) 荒川静香を癒やす男の影とジェー

アサヒ芸能に「4人の男をスッパ抜く」と載って入るらしいよ。トリノ五輪のコーチのモロゾフ、東北高校時代の先輩五輪選手、フィギュア仲間だった御曹司、ロシアのヤグディン選手(ソルトレークシティー五輪の金メダリスト)の四人だって。大会の後にメアド交換したりするのかな。想像すると面白いなあ。同じ競技やってるからって外国の人と付き合うところ普通いかないんじゃないかと思うけど、違うんだねえ…。

それにしても荒川静香、桑田真澄に似ていても綺麗っていうのはすごい事だともう。僕は、ただの美人よりも「その顔に生まれた人の中で最も美人」っていうのに興味があるなあ。安藤が粉砕されたのは何よりだと思うけど、それはまた別の話。綺麗に生まれたって大概30近くなるとデフォルトの良さだけではどうしようもなくなるわけで、そう考えると使い方次第で良くなる革製品みたいな…w。歳かなあ…。

さて、それはいいとして、山作スタッフ、ジェーを癒す四人の女性について次は書いていただきます。または、ジェーにも荒川選手を癒していただくやもしれませんw。お楽しみに!


2006年03月04日(土) 歌詞

「歌詞だと普段言えないような事も言えちゃうんです」的な発言を未だに目にします。僕が若い頃はハウンドドッグその他の人がそう言ってたと思うw。たまに音楽雑誌をパラパラしてると今もそういうインタビュー記事に出くわす。でもそれってどうなんでしょう。僕は歌詞は歌詞としてある程度(文学とまではいかなくても)鑑賞に耐えうるものであって欲しいと思うなあ。自分の書くものが絶対そうだとは言わないけど、できればそうありたいとは思います。

「なんとなく付けました」って感じの歌詞がすごく大量に存在して、それに中高生が騙され、または「若者ってこんなの!」って勘違いしてる大人たちが若ぶってありがたがったりして商売がなり立つのかな?それはそれでいいんですが、もう少し複雑なプロセスを経てお金に結びつかないと音楽が磨り減ってしまうのではないかと心配になるのは僕が臆病だから?人の心配してる場合じゃないのね。

さらには歌詞をつけ、歌うためにありもしない不幸を演出して無理にヒロインになっていく人。このタイプは少しは良心的かな。これはショー的要素としてありかね。どうなんだろう。この辺はわからないなあ。

では卒業をテーマに春の発売に間に合うように歌詞を書きたくなる人ってどうですか?すごいとは思うけど、アーティストとは程遠いw。商売人とかマーケティング事業部とか呼びたいな。

「君に思いを伝えよう(大概の場合なぜか「つたえよを」って言う)」とか実感を持って歌える人って素直にすごいよなあ。多分ろくな本を読んでないw。読んでたらそんなシンプルな言葉を力込めて歌うのは困難。どこかで欲が出てしまうはず。または自分大好きでないと自殺すると思う。

音楽の教科書に載っているものでさえ歌詞が幼稚な曲は多いと思う。歌詞に書いて言いたい事がなければラララでもいいじゃないですか。「歌詞ないと売れないんで、歌詞つけました」って認めていいと思います。そして自分がそういう理由で歌詞つけてるのに気づいてない人も多いんじゃないでしょうか。そういえば、故スキャットマンジョンは歌詞なんてほぼない曲を売ったね。


それはそうと、歌詞ができない苛立ちを世間に向けてはいけないんだね。ごめんなさい。


2006年03月03日(金) 薬(医者処方)VS風邪 風邪の勝ち そして 系さんとの愛。

ここ数日、風邪を引いている場合じゃない感じだったので喉の痛みやダルさに対して、薬をあてがって寝込まない方向で誤魔化していました。まあ昨日までは世をしのぶ仮の仕事でも研修講師をしたりと忙しく、そこそこ気を張って質はともかくこなしました。

が、限界というのはあるのですね。誤魔化しきれません。昨日の夕方くらいから両手で何かを抑えているその指の間からじわじわ抑えきれずに漏れ出て来る感じ、防ぎきれていないので指の間を狭めなきゃと思うんだけど、「せばめなくていいんじゃない?」と耳元でささやくだれか。今朝ついに喉の左右に刺すような痛み、ダルさと関節痛を併発し、立派な寝込むほうの人が出来上がりました。

「猫みたい猫みたい」と無意識に書いていまして、本当は「寝こみたい」んですけど
、今日はお休みを頂き、やっと寝込む権利を(かなり無理にだけど)頂いたわけです。

今の会社も残すところあとわずかの出社。発つ鳥後を濁しまくってます。

ココ最近制作が佳境をむかえているなかなか出ない次の作品集がらみの話、アワヨクバワレサキニという曲の弦の録音が終わりました。今は詰めの作業をネット経由でやってます。共通言語を持っていれば、ある程度の作業は離れていてもできる。でも、やっぱり会ってやったほうが早くて正確なのはあたりまえだよね。それまでに会って話してた沢山の時間が、会えない時間を支えている…。
恋愛と似ているような…。ぷぷ。


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