僕は禿げる。(中略)それでも歌を聴いてくれますか?
DiaryINDEX|past|will


2006年11月23日(木) ぶっちゃけない大人

お久しぶりです。お疲れ様です。��(高)山です。

なんだか世の中が殺伐としていて、親と子供の疎通の荒さが露呈して、逆切れしてと酷いもんですね。この期に及んで学校に期待するのは、駅前に鍵をかけないで自転車を置いて、盗まれて文句を言うようなもの。期待することと現実の差を埋めきれない苦しみはまるで平和憲法のようです…。

どんなに願っても現実は僕らの思いを鋭く刻みつけて来る。でも現実はそれ以上でも以下でもなく、ただそこにあるだけなんですね。現実はもちろん人じゃないので悪意はない。話も通じない。北朝鮮に話が通じる良き隣人だとすれば平和憲法は有益ですが、そうじゃないんですよね。

刻み付けて来る現実から守るために子供に何をすべきなのか、それは結構シンプルな事だと思います。僕が考えるに、一つは「ぶっちゃけない」!

親の悩みや、醜いところを子供に見せ過ぎてはいけないと思います。大人にはみんながなる。働くのが当然。そこそこ楽しそうでなければいけない。スーパーマンのような大人でいることが本当は最も子供にとって良いことなんじゃないでしょうか。みんながみんな野党のような不平不満の蔓延する世の中じゃ子供は育てにくい。現状を納得できる技術を磨く授業なら僕得意です。それでいつもジェーに叱られてます…。

ともあれ、おいそれと感情をぶちまけたり、悩みを語ったりする友達感覚の親子では、子供に甘えて、子供を甘やかすことはできても、子供を未来にもてなすことはできないと思うんですよね。少なくとも、僕が子供の頃の大人たちは、それをしていたと思います。

僕にもできるかな。


2006年11月03日(金) 現実を 打つべし!打つべし!

ある日見ていた格闘技の試合でセコンドが選手に「手出さないと倒せないよ!」って言ってた。当たり前だろ!って思いました。でも、あの非常事態にはあのシンプルなアドバイスが最も効果的なんですね。

僕にとって「曲を作ることが何か」なんて、考える暇もなく曲を作ったほうがいいと思うんですが、一応の整理のため(?)に考えてみました。、そして昨日の夕方、立ち技(打撃)系の格闘技に喩えるのがしっくりくるんじゃないかという結論に勝手に達しました。達したはずです。

僕の場合曲を作って歌うことが「攻撃」だとすると、「世を忍ぶ仮の仕事」と呼んでいるものが「フットワーク」に相当するかな。これは大事。フットワークが悪いと受けなくていいダメージを受けて「攻撃」が出しにくくなる。思い切り動いたほうがいいこともあるし、必要最小限に動くことも必要、そしていつも「攻撃」をするためのモーションに移れるように動かなければいけない。足を止めて打ち合うのも長くは続かない。

ところで、戦っている相手は「現実」でしょうか?え、そんな重たい話じゃないですw。

フットワークばかりに力を注いで攻撃ができないのも論外。作る曲数はボクシングなんかでいう「手数」かな。一撃必殺のパンチが出ればもちろん良いと思うけど、そればかりを狙っていてもしかたない。「思いばかりが詰まって重い一撃」なんていうのもある程度のレベル以上の闘いでは歯が立たない漫画の世界。あくまで数打っていく必要がありますね。

基本に忠実に手を出していけばラッキーパンチもあるかなとかずるいことも考えたりしてます。

この試合、何ラウンドあるかは不明ですし、時間無制限かもしれません。しかし、すっごく後のほうでいいパンチが出る気がするような気も、先に手数を出しておかないと大変なような気もします。

まあパンチを出すこと自体が好きって話もありますが、それはまた、別の話。

セコンドから「手出していこう」って声が聴こえます。

「手出していかないと倒せないよ!」


山作戰 ��(高)山 |HomePage

My追加