Dance日記帳
モクジ|キノウ|ヨクジツ
同期ならず動悸。 ---------------* 【動悸】胸がどきどきすること。心臓の鼓動がふだんより激しくなったり、リズムが乱れたりすること。「―がする」 三省堂提供「大辞林 第二版」より ---------------*
通常ならば、月末最後のレッスンは人が少なく寂しいくらいだ。 振りもほぼ完成されているし、ビデオチェックもある。一般社会人は月末にもなると給料日あとの週末はダンスどころじゃない模様でもある。
今日は特別だった。 昔からのメンバーに混じり、沢山の世代が一緒になったレッスン。 懐かしい顔も有れば、新しい顔も有る。
ダンスを教えていて「嬉しい」「楽しい」と思う瞬間。
特に昔からのメンバーが久しぶりに顔を出してくれるというのは、本心で嬉しいのだ。 縁が切れていなかったのだと確信できるから、其れも仕合わせなのだ。 だからこそ、これからも彼らが「久しぶりにスタジオに顔出してみるか。」と言ってくれるような作品を作ってゆかねばならぬことを再確認。
NYでリフレッシュし、新しい作品への希望へ繋ぎたい。
混乱しつつも、時は過ぎゆく。決して停まらず。
渡米を決めてからというもの、只々忙しく慌ただしく過ごしている。 其のような時に限って、普段はないような出来事があったり、誘いが重なったりする。 困惑するような出来事に遭遇していないだけ有り難いというもの。
さて、何から語ろうか。
まず久しぶりに日舞の師匠から連絡がはいり、渡米前に稽古場に顔を出すことになった。 暫く、正座でのお辞儀もしていない。忙しくしているからこそ、背筋を正す為にも稽古が必要。 果たして自分の演目を躯が覚えていてくれているか、其れが一番の不安ではあるが。
其れはさておき。 何よりも、此の日記の読者が知りたがっている事柄を記述しておかねばならぬ。
来月のオープンクラス。 前々からリクエストにあった「Will」(Boyz �� men)を踊ろうと思う。 中島美嘉のカヴァー。
また、今月に引き続き、Kimiko先生、Kanako先生が日曜日に隔週でレッスンを担当してくださる。そして、私が留守にしている間、ビギナークラスはミナコが代行を引き受けてくれた。 彼女は去年も代行を担当してくださったので、ビギナークラスを安心して任せることができるというものだ。私のやり方、考え方もよく解っているからこそ、信頼してクラスを代行してもらう。 オープンクラスについては代行を探してはいるけれど、おおよそ休講になると思う。
ホームページ更新を早くしなければならぬと思ってはいるものの、結局のところ未だ時間をとることができないでいる。大変申し訳ない。 1日には更新できる予定ではある。
4月16日に紐育へ旅立つことが本格的に決まった。 約一年ぶりの里帰り。
旅行会社へ出向き、打ち合わせをしたり、準備を始めたり、いろいろな手続きをしたり。 兎に角途方に暮れるほど忙しくなってきた。 抑も3〜4月というのは予定していた物事だけでも山盛りあるのだから。
まずはNY在住の親友に電話をかける。 1年ぶりくらいに電話をすると、どもってしまって中々スムーズに英語が出ない。 単語は浮かぶのに、口先に出てくれないのだ。 慌てるものだから、余計に訳のわからない事を言ってしまう。 しかし、そのあたりは20年も友達をやっていてくれるだけあって、片言の英語だろうと、我ながら意味不明だろうと、彼女には何故か意味が伝わっているのだから驚く。 予定を決めかねていた16日も、彼女の「その日ならば大丈夫。ひとりで来るのならば尚更私の暇な時じゃないとね!」という言葉で出発を決めた。
一人旅は本当に久しぶりだ。 昔はよく一人で紐育に行ったものなのに。最近は寂しがり屋になったのか。
人数が多い時ならば「合宿」のようにキッチンがついているアパートメントタイプのホテルを使う。誰かが体調を崩しても、キッチンがついていれば「おかゆ」くらいは作れるし、テイクアウトのものを買い込んで部屋でディナーというのも楽しいものだ。 しかし、独りとなるとそうもいかない。 今年はコロンバスサークル近くに去年リノベイトしたばかりのデザイナーズホテルをチョイスしてみた。本当はプチホテルやB&Bも良いとは思っていたのだが、いざ独りとなると、チェックインチェックアウトの時に他に誰もいないので荷物をみていて貰うわけにもいかず、帰国時などはスムーズにタクシーが拾えないと大変なことになってしまう。そんな理由もあって、某社のフリープランパッケージツアーに申し込んだ。エアポートからの送迎は正直助かる。
さて、今年こそはNYからリアルタイムで日記を写真付きで更新できれば(携帯版は画像は見られません…パソコンでみてくださいね。)と思っています。(設定方法チェックしとかないと!)
期間中のレッスンはどうなるのかと心配の方も多いとは思いますが、必ず月初めにはHPのほうでいろいろとお知らせする予定です。
やるべきこと、やらねばならぬこと、やっておきたいこと… あれこれ沢山ありすぎて整理がつきません。 まずは今日もひとつ寝て英気を養うとするか。
突然と浮上した逃亡計画。別称「第二の故郷里帰りin NY」。 否、実は前々から発表会の準備が始まる前には行こうと思いつつ、先送りしていただけ。 今のうちに計画だけでも立てておくか…と、パンフレットを貰ってなんとなく眺めたところ、「ま、最悪GW明けにでも行こうかなぁ」という私の曖昧な計画は無惨に砕かれた。 そうだ、旅行代金はGWを境に夏に向けて料金があがってゆく。 2月にNYを訪れるのが毎回のことなので(去年を除く)、油断していた。 何がなんでも来月20日までに行かないと…!!!
ということで、例年の如く、一応、皆様に流しておきます。定番のアナウンス。一緒に行きたい人はメールしてくるように。(さすがに緊急計画の今年は誰も名乗りを上げないだろうが…)
眠らずに予算をたてたり、airの料金やHotelの料金などを調べたり、あれこれと情報をネットで収集したり。途端に準備モード全開。
勿論当たり前のことだが、NYへはレッスンを受けに行くのが一番の目的。 となると、ネットでも現地のレッスンスケジュールなどを調べないとならない。また、そのレッスンスケジュールに合わせて滞在日程を組まないとならないのだ。 1年ぶりくらいにNYのレッスンスタジオのホームページにアクセスしたところ、驚いたことに現在引っ越し準備中で「仮営業」をしている模様。しかもミッドタウンの3つの貸しスタジオに分散してのレッスンになっている。 大変有り難いことに、去年は見事に振られてしまった敬愛するCecilia Martaのレッスンはちゃんとスケジュールに入っていたし、数年前からファンになっているChioさんのレッスンは増えていて、レッスン内容も豊富になっていた(FunkだけじゃなくてBasic Jazzも教えているらしい!)。 が、しかし… 何度スケジュールをチェックしてもFacilityをチェックしても…ない。ない?何故? Frank Hatchettのクラスが完全になくなっている。Frankは私にとってはNYの父のような存在。いつNYに戻っても「まだ踊っているんだね。嬉しいよ。」と強く抱きしめてくれて、私がNYに生きていた頃を鮮やかに思い出させてくれる大切な存在だ。 暫くPCの前で呆然となる。 ゲスト講師の欄に彼の名前がある。 この失望は、どう言葉に表して良いのかわからない。全くわからないのだが、余りの出来事に先ほどまでの興奮と感情が入り交じって、どうしたらよいのかわからないまま、こうして日記を書くことで落ち着かせようとしているようだ。 妙に客観的なのは一睡もせず、こうしてPCに向かっているからだろうか。
勢いで書いている日記。だからこそ言葉も選べず。 ひとまず数時間でも眠って、心の平生を取り戻したいのだ。
早速六義園の枝垂れ桜を見に行ってきました。 例年のごとく、桜を見るというよりも人出を見に行ったとう感じなのは否めない。 染井吉野も蕾が膨らみ、賑やかな駒込の春は始まった。 MDSの花見飲み会は今週末土曜日に予定されている。花より団子というメンバーのためにも豚しゃぶ食べ放題。詳細は掲示板をご覧あそばせ。
【step-up】→電圧を上げる(三省堂提供「EXCEED 英和辞典」より) 電圧は電位差。ということで本日のお題。 MDSのメンバーならば、もう何を日記に記そうとしているか当然わかると云うもの。 http://www.stepup-movie.com/index.html(公式サイトPCのみ)
抑も「ストリートダンスとバレエの融合」ということ自体胡散臭い。 身体の使い方もトレーニング方法もリズムも、殆どのメソッドが相反するジャンル。
今まで何本も「史上最高のダンスエンターテイメント」と云う壮大なテーマの映画を観てきたが、ツッコミどころが多すぎてレビューする気も失せるばかり。 バレエをテーマにしている「リトルダンサー」でさえ、多くの方が感涙する横で「はあ?何がどう面白いわけ?どこがどうして感動なわけ?意味不明〜〜〜〜〜」と途中退場をした気持ちを抑えるほうが大変だったりした。 「いいから、もうダンスを題材にする映画はやめてくれー」と路上で署名を集めたくなってしまうほどダンス映画は大嫌いだ。監督や演出の勉強不足や、キャストの練習不足、何もかもが癪に障る。「えーい、ダンスを馬鹿にしてるのかっ!」とスクリーンに向けてコカコーラのスーパーLサイズを投げつけたい気持ちを何度も何度も堪えてきた。
とは言え、「ダンス」と名のつくものについては、すぐに反応してしまうのが性分。 「どうせがっかりするのだろうし、同じ映画代を払うならハッピーフィートのほうが絶対良いと思うんだけどなぁ…」と消極的になりながらも映画館に向かう。 それも当然レイトショーで。 劇場は若い女の子と何故かダンスには全く無関係だろうと思えるオッサンと私の3人。 国際線空路ならばアームレストを全てあげて、ごろ寝状態で満喫できる感じだ。
さて、この作品は先日に公開されたばかり。 まだ観に行ってない方も多いことだろうし、あまりにネタバレしちゃうのも申し訳ない。 観に行くつもりの方は、この先はあまり読まないほうがよろしいでしょう。
正直、まず翻訳が気にくわない。出たよ。出だしからダメだし。 確かにダンス用語を多用しているので、普通にはわからない単語も多いだろうが、「そりゃ全然意味違うってば〜」と思う翻訳の箇所が多くてがっかり。 英語がわかって良かった。 あちこちで「バレエ」と云ってるけれど、正直ほとんどジャズです。はい。 「クラシックバレエ」ではありません。バレエを期待してゆくとがっかりします。 オープニングのところでバレエシーンがたくさん流れて美しいのと、所々レッスン風景や子供のバレエレッスン風景がシーンとして入ってくる程度。 メインキャストが踊るコンビネーションは女性がバレエテクニックを使ったジャズで、男性がストリート(ブレイク系)という感じ。リフティングはいくつか入っているけれど、これもジャズ。バレエでも使うリフトと言えばそうだけれど…。 ジャズを教える先生にとって、あの振付を「バレエ」と言われてしまうと、正直不愉快。 コンテンポラリーでもないし。(コンテのシーンは別に出てきて、これがまた良い振付だった!) 兎に角、ダンスシーンに関しては、良い、です。ボリュームも結構あったし。リハーサル風景が中心というのが私にとっては得点アップにつながったのかもしれません。 途中のライブハウスのユニゾンのシーンもなかなか良い。ダンサーも思った以上に質が良い。
「フェーム」の現代版のような感じで、確かに「中途半端さ」は拭えてないけれども、ストーリーは別としてダンスシーンだけに評価を絞れば80点くらいにはなるでしょうか。 辛口の私がこの評価ですから、なかなかです。
メインロウのスタイルの良さも印象的。脚の美しいダンサーです。ジャズヒールが似合う!
練習シーンについては、どうしても昨日観た「フラガールズ」のドキュメント付録DVDのほうが感動的なので比較してしまう。 「フラガールズ」のドキュメントは見ながら泣いてしまったくらい。自分と重ねる部分が多いのかもしれない。 この映画については、NY留学時代の自分の生活を彷彿させる部分があって懐かしく思ったりもしたのですが、リアリズムに欠ける部分がマイナスなのでしょう。 直前までリハをやらずに、当日の本番前に突然「やっぱり前の振りで!」なんて無理だって!!流石映画。最後の最後で「そうきたかー。あり得ない!」と沈没しそうでした。
さて、気になった方は今週末にでも映画館へ行ってみてご確認くださいませ。
寒いです。 暑いのは苦手なので、少し嬉しいです。初雪も降ったし。
さて、映画「フラガールズ」のDVDがリリースされた。 早速手元に届いたDVDを母とともに鑑賞する。 MDSで発表会を経験しているメンバーならば、最後のシーンあたりで目頭が熱くなったはず。
今回オーダーしたDVDはスペシャルエディション。 メイキングのDVDなどがついてくる。 当然、この付録のDVDが一番観たいものだったりするわけで、早々に再生。 リハーサル風景、フラの自主練の様子… 抑も、私は舞台での輝かしい姿よりも、ストイックに練習を重ねるリハーサルや舞台の裏側の様子が一番好きだ。 自分が舞台をやっていても同様。本番の舞台よりも、そこまでの過程にあるリハーサルや練習が一番楽しいと思う。淡々と練習を重ねてゆくと、余計なものが削ぎ落とされ、段々と説得力のある動きになってゆく。鏡の中の自分が、1ミリずつであっても「理想」に近づいてゆく様子を確認してゆくのが嬉しかったりする。 DVDの中の蒼井優も松雪泰子も地味な基礎練習を繰り返し、不安を打ち明け、舞台に挑んでゆく。映画本編では絶対見られない素顔の部分が堪らなく魅力的だ。
まだフラガールズを観ていない方は是非観てみてください。 特に今年に発表会出演をねらっている方は必見です。
本日のBGMはネットラジオ「Soulful Smooth Jazz」。 日中からずっと流したままのことが多い。
さて、週明け。 休みの月曜は朝から車を飛ばして川崎の親友宅へ。 彼女は先月新しいマンションを買ったばかり。新居祝い。 彼女はライフスタイルや、好きなものなどに可成りの拘りがあるので、新居祝いを勝手に用意するよりもズバリ「一緒に買いに行こう」というのがベスト。 10年以上の付き合いだからこそ許される祝いの方式。 彼女のお気に入りインテリアショップIKEAへ。 いかにもスウェーデン。広い。安い。北欧デザイン! 彼女のお祝いを買いながらも、見事脱線して欲しいものをカートに投げ込む始末。 だって、脚付きのアイロン台が¥350。買わないほうがおかしいでしょ。今まで100円ショップで買った小さなアイロン台で悲鳴をあげながら浴衣にアイロンをかけていた私にとっては夢のような商品だ。 さらにはどさくさに紛れて、スタジオで必要だったプラスチックケースだのも買い漁る。 嗚呼、仕合わせ。 心残りだったのは、食材コーナーで見かけた「ダブル クリスピー クッキー」がダイエット中で購入できなかったということ。ホールウィートのサクサクしたクッキーにチョコレートがサンドされ、さらに片面にミルクチョコがかかっているやつ。今思い出してもヨダレが出る。
彼女が結婚をして、子供が生まれたため、わりと近郊に居ながらも、なかなかゆったりと会う機会が作れない。 でも、こうして年に何度かでも会って一緒に食事をしたり、昔話ができるということは仕合わせなことだと思う。
私にとって、親友と呼べるほとんどの存在は、年に何度か会えるかどうかの人ばかり。 然し、過去、若い時期に、其れこそ朝から晩まで連んでいたり、恋に仕事にと沢山のことを共有し共感してきたからこそ、こうして現在頻繁に会うことができずにいても「絆」はきちんと保持できているのだろうと思う。
レッスンの時、MDSのメンバーのひとり(主婦であり母である)に「専業主婦って憧れるなぁ」と漏らしたことがある。彼女にとっては私のように踊り続け、自分のスタジオまで持つようになった人こそ「夢を叶えた人」であり、羨ましく思える対象なのだろうが。 隣の芝生は果てしなく青く、無い物強請りは限界を知らない。 我が儘勝手、独りで好き勝手に生きてゆくことは誰だって、幾らだってできることだろう。だが、人と出会い、自分以外の人を大切にして「家庭」を築いてゆくことは独りの力でできることではないのだから、本当に凄いことだと思うのだ。ましてや、子供を産み育て、女性としての王道をきちんと歩む彼女たちは素晴らしいと思うのだ。
新居で鮭を焼く、妻として、母としての親友の姿は美しく誇り高いものだと思えた。 私には作り得ない何かを彼女は着実に形にしてきているのだ。 いつまでも、其の仕合わせな笑顔で居て欲しい。私もお裾分けの笑顔を戴こう。
うっかり飲み過ぎた。
土曜日のレッスンでは久しぶりのメンバーも多く参加してくれたし、新しくビギナーからデビューしたメンバーも集まっため、その後にみんなで飲みに。 昔の話で盛り上がったり、今年企画する予定の発表会の話などで気付けばウチのテーブルは女性3人でマッコリ2本が空。
既に可成りの出来上がりだというのに、ついつい調子に乗って、駒込の行き付けへ。 其処へ行けば当然のように知り合いが居る訳で「Monieさんに会いたかった」のような言葉を聞いてしまうと居心地が良く成ってしまうものだ。しかも、それがまた可愛い女子だったりすると弱い。男子に対しては「うざい。あっち行け!」と冷たくできるのに。女子校育ちの影響だろう。 そんなこんなで気付けばジンなども注いで貰って、足腰がヤバい状態に。結局は常連の男子に荷物を持たせ、全体重をもたせかけながら自宅まで送ってもらうという情けない事に。
ええ、当然、今朝起きたら見事な完璧な二日酔い。 気持ち悪いわ、頭痛いわ。胃腸薬飲んで、無理矢理半身浴したところで改善される兆し無し。 予定していたKimiko先生のレッスンは踊れるわけもなく、事務所より見学。ああ、気持ち悪い。 Kimiko先生の振りは「おおっ!!」というカンジの格好いいやつで、「これがグラマラスロックね!」と。参加しているメンバーも必死に踊っていたが、なかなかの見栄えだった。 是非発表会にはこの作品を出して貰いたい。
さて、ここで発表会についての現状説明をしておいたほうが良いだろう。
各クラス担当の先生たちに先週打診したところ、答えが出そろった。 結果としては、作品提供をしてくださる先生はChie先生、Kimiko先生、カナコ先生と私。 残念ながらクラブジャズとハウスについては、先生の都合がつかず今回は見送りが決定した。 ジャズだけの発表会となるようだが、其れは其れで楽しいとは思う。 また、前回の発表会のように「私、作品作ってみたいんです!」という方が居れば、其れにも対応したいという気持ちがある。 ダンスというフィールドの中で、メンバーのみんなが何らかの形で自己表現したり、自己満足できることがあれば良い。人前で踊るのが否だという人は、衣装を作ってくれる係で参加してくれても良いし。「文化祭」みたいなイメージでみんなして舞台を作っていくことができればと思う。
ニュウワナジュドウタイ まるでフランス語のような響き。
此処最近、いろんな方とお逢いする機会があったり、メールをいただくことが多かったりして(お返事してない方、ごめんなさい!ちゃんと読んでます!ご存知の通り、筆無精ならぬタイプ無精なもので…お許し下さいませ。)「ひとは様々だ」ということを再認識する日々。
人の話をきちんと聞く能力のある方や、人の言わんとしている事を受け入れる心のある方は本当に素敵だと思う。 素直さ、誠実さというものは、訓練して身につくものではなかろう。 私も、其れをひとつ欲しいと思うのだ。
今日はふたつの対照的な出来事があった。 ひとつは、或る方に「それは好くない」という主旨を角がたたぬよう、回りくどく促したにも拘わらず、全く耳に届かず、再三の懇願のうえにも理解されぬという地獄をみた。最後のほうには、ほぼダイレクトに「そういう話はもう止めにしましょう。」とまで言葉に出したのだが、その方には一切通じなかった。日本語がわからない方なのだろうかと不安に思うほど。メガホンでも用意しておけば良かったのかも知れぬ。非常に疲れた。周囲は十分私の悪戦苦闘に気付いたうえで「よく頑張ったね」と同情さえしてくれた程だ。(此処でまた「私のこと?」と誤解があってはならぬので、もう少し詳細に話をすれば、或る方はその隣にいる方に対する失言をしていたのだが、本人は全く気付かず、事情のわかる私がその方と隣の方の両方ともを気遣ったうえで話題の変更を誘っていたわけです。)
もうひとつは、「私の言葉足らずだ。誤解されて不愉快に思われるかもしれない。」と不安に思っていたやりとりで、その方は驚くほど私の言葉を前向きに捉えてくださっていた。 いつもは慎重派で、私が「大丈夫だよ!」と言ったとしても何度も「本当に?」と聞き返すような方だというのに。私の不足した言葉をもとに「あなたの言葉に支えられて、今日一日を頑張ることができた。ありがとう。」と言ってきてくださった。同じ言葉を受け取った人の多くは、悪い方向に捉えられても仕方がない状況だというのに。
同じ人間の発する「言葉」だというのに、受け取る側の姿勢ひとつで私は悪人にも善人にも変容するのだ。真意はたったひとつだというのに。不条理だ。
そこでふと思った。
同じ「言葉」を受け取るのならば後者に成りたいと。 どうせ「誤解」するのならば、一層のこと、うんと自分に都合良く、好いほうに捉えるのが仕合わせだ。
そして、ひとつめの出来事では「空気を読もう」とか「ニュアンスを受け取ろう」とかの曖昧な物事で悩むのではなく、其処に発される言葉をきちんと聞く姿勢を大切にしようと思った。 聞こえない言葉や見えない文字を探るのではない。実際には一番簡単かつ単純でありながら、つい流してしまいがちな重要な事柄だ。 ひとの発する言葉に無意味はないと思うべきだろう。
さて、ちょっと話はずれてしまうが、もうひとつ。
夜自宅に戻ると留守番電話が入っていた。 「昨日電話した山田です。チャッピーのことですが、土日でお願いします。」
どこの山田なのか、何のチャッピーなのか。土日はどうするのだか? 確かにウチの留守番電話は初期設定のままの機械音での「タダイマルスニシテオリマス」というやつだから、間違えることもあるだろう。 しかし、何故、ひとつ「○×さんのお宅ですか?」とか「念のため、私の番号は…」くらい入れておいてくれないのだろうか。 内容を察するに、ペットの美容院か病院かホテルか?という感じではある。 せめて相手方のお店の名前か、かけてきた方の連絡先さえわかれば「間違って入っていましたよ」と伝えられるのに…。 たぶん山田さんは、今度の土日にどこかのお店にチャッピーを連れて行き「予約の電話したじゃないですか!」「いや、そんな連絡受けてない!」という水掛け論を繰り広げることだろう。 其れを想像すると、少し心が痛むのだ。
明日こそは柔和に受け入れ体制を整えておきたい。
「私、センスないんですよ。」 よく耳にする戯言。 ……… 【センス】物事の微妙な感じや機微を感じとる能力・判断力。感覚。 「ユーモアの―」「―に欠ける」 三省堂提供「大辞林 第二版」より ……… 私が思うに、「センス」とは生まれ持って備わっている先天性のものではない。 その人物が生きてゆく経過に於いて、身につけ、身に纏い、育まれてゆく能力のひとつだ。 「私、センスないんです。」と言って退ける人については、そもそも最初からその能力をのばしたり、能力を持つことに興味をもっていないのだろうと思う。それどころか、最初から投げてしまっているのだろう。少々キツイ言い方だが。 頑固で、独りよがりで、視界の狭い人ほどこの傾向にある。 心も、頭も、身体も柔らかい人は決して「センスない」とは言わない。人のことを観察しては「そのセンス、いいね」と言うのだ。 そして、自分がまたひとつ良い方向へと変化を遂げたいと思うからこそ、素敵な人に自然と目を留め、より良いと思われるものを身につけてゆく。
センスは常に、死ぬ時まで、現在進行形だ。 センスは何時だって、必ず成長し、変化するのだ。
センスを育てる工夫をしよう。 其れは、単に「上手に踊るため」だけではない。 楽しく毎日を過ごすためにも、自分を魅力的な人間にしてゆくためにもなる。 工夫の第一歩は感覚を研ぎ澄ませることだ。 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、全ての感覚を敏感にさせ、刺激を与える。 普段は観ない映画や舞台を観る。綺麗な絵画や可愛らしい動物や長閑な風景を見る。 いろんな音楽をいろんなシュチュエーションで聴く、人の話や笑い声を聞く。 大げさなことではなくて良い。 いつもは買わないティーンエイジャーの雑誌を立ち読みしてみる。いつもは聞かないラジオ局にチューニングを合わせてみる。それだけでも刺激だ。
感覚を閉ざしてしまってはいけない。 怖がらず、いろんなことに興味をもつ。 最初から自分の可能性にリミットをつけないこと。
MDSには過去にも、いろんなメンバーが変化を遂げてきている。 近視眼鏡の地味でさえないサラリーマンたちが、眼鏡をコンタクトに変え、髪型を変え、姿勢や表情までもを変えてゆく行程は楽しい。 大人になっても、その人が素直である限り、いくらでも変化してゆくのだ。 「変わりたい」と願うならば、必ず「変われる」のだ。 諦めたら、其れ迄。 己を信じよ。 センスを自分の味方につけよう。
メール、掲示板にて「Dreamgirls」の感想を下さった皆様、ありがとうございます。 たった一行の「この振付、楽しいです。」という言葉が、いったい何れ程の支えになっているか。 最大、且つ最高の見返り。
ビギナーからのデビュー組が多く集う土曜日も、久々の復活組が混じる火曜日も、無事1週目を終えました。進んだカウントは約10×8。 いくらnonーテクニックだとしても、結構な進み具合。
発表会の実現は目の前。ほぼ決定。 今週中にも確定する様子。詳細については、決まり次第皆様にお知らせする予定。 スキルアップはもちろんのこと、目標をもって踊ることで喜びや愉しみも増えよう。
*タイトル引用「迷彩」より 一番鍛えておいて欲しい器官は「意識」だ。 鏡に映る自分への「意識」、姿勢や身のこなしなどは普段からの「意識」。 「意識」抜きではダンスなど踊れぬ。 研ぎ澄ませ、敏感にしてゆきたい。 然し「自意識過剰」はマイナス要因である。忘れずに。
地下鉄の構内、JRのコンコースで『平成風俗』のポスターを目にする。 雑誌の表紙や新聞記事(スキャンしてメールしてくれたY子、ありがとう!)、テレビなどで次々と露出されることは、ファンとして嬉しい反面、少し寂しいような気もする。好いものは独り占めしておきたいという我が儘からか。 今日のタイトル「予定の調和…」は『ギャンブル』より。 ふと歌詞を読み直したら、先ほどまで居た「中目黒のホーム」とあって、不意に落ち着きを失う。 ポスターを見たのも「中目黒のコンコース」だったから。
さて、本日は『踊堂結社』の首脳陣と久々に会った。 自然と次の企画に移る計画が浮上する。 先日の舞台を観て、感化された皆様にとっては嬉しい知らせだろう。また、先日全力を出し切って踊ったメンバーにしてみたら、またひとつステップアップのチャンスになろうかと思う。 まだ本格的に企画が動くまでは少々時間がかかる(私自身、充電期間が必須。さもなければ枯渇してしまう。)だろうが、確実な兆しが見えてきているので、舞台を望むのならば今から準備を始めておいたほうが善いと進言しておこう。 この話が実現化される前には、充電旅行に出かけたいと思うのだ。当然紐育へ。
ひとは表と裏のある生き物だと知っている積もり。 しかし、やはり、赤ら様に其れを目の当たりにすると途惑うものだ。 私も人の子、悪口も陰口も云うし、取り繕い、誤魔化し、嘘も吐く。 自分のことを棚上げする積もりは毛頭ないが、然し、人の見え隠れする意地の悪さに落胆するのだ。性善説を信じている訳ではないのだが。 どんなに悪い人であったとしても、自分が誠心誠意、向き合っていれば、相手もそれに応えてくれるなどと思うのは少女趣味でしかならぬのか。 性根の悪さは、死ぬまで治ることは無いのか。 無意識ほど怖いものはないと思うのだ。 無意識ほど無情で無慈悲なものはないと思うのだ。 時には弱音も吐きたい欲望に駆られる。此は愚痴ではなく、弱音だ。深刻では無い。
本日のBGMは久しぶりにJohann Sebastian Bach。故に内容も少々偏った。
明日はオープン初日。 新しい振りに皆様がどう反応するか愉しみでならぬ。
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