ほぐにゃっ(擬音) もうこんな時間じゃないのー。
明日実家に帰ります。 年が明けるまで帰ってきません。 実家にもPCがあるのでアクセスするかどうか,うーん,わかんないけど。
ともあれいってきま。 そのまえに寝ま。
夏タイヤだ…。どうすべ…。
明日っつっか今日だ。
<訃報>石垣りんさん84歳=詩人 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041227-00000002-mai-peo
僕は小学生中学年の頃に彼女の詩を読んで,「たかが詩なんてものにこんなにちからがあると思わなかった」と,衝撃を受けたわけなのです。 んでもってそれがこびりついていて,中学1年の時にエンデの「鏡の中の鏡」を読んで,融合して何故かこのような詩人・絵描き状態に突入するわけですがまあそれは置いておいて。
彼女の詩に滅多な感想は言えないなあ,と思うのです。 この打たれる感じは自分のものとして黙って自分の身に受けていようとただ思うばかりで。 「ご教訓じゃあるまいし」あるいは「何を偉そうに断言をして」と言えば言えるのかもしれんが。あるいは,技術の面から言うと何も「新しい」ことをするわけでなし,それこそ古臭い戦中・戦後の時代をそのままに生き抜いてきたような。 しかしこの人の言葉を裏付けるのは,この人の人生そのものだ。なんという強度。詩表現そのものの強さじゃないかもしれない。透かしてあまりの強さで映し出されてくる,この言葉を書かせた彼女の人生そのものに打たれてしまうのだろうなあ。 自分の人生を書くことに価値を見出す人と,遠く行くことに価値を見出す人とそれぞれだろうから,彼女のやり方が僕は絶対であるとは言わない。僕自身,そういう詩を書きたいと思うこともあれば,言葉表現の面白さに身をゆだねたいと思うこともあるわけで。 でもひとつの,つよい意思で打ち出された,つよいかたちだ。 僕は美しいと思う。
自分の作品に感想を言われたり向き合った批評をされることがほとんどないので,落ち込んだりさみしくなったりもするのだけれども。 もしそれが,上記のように「感想を言いたくない」というところまで昇華できたことだとしたら,これくらい僕が報われることもないのかもしれない。 表現の評価にそれを求めるあたりは,表現者としての業か。 あ,ただ単に作品の程度が低いからろくなことも言う気にならないって話かもしれないけど!にょほほ!(ここまで書いてきてそれかよ)
ttp://homepage3.nifty.com/ja8mrx/rinnmokuji.htm ↑で石垣りん氏の詩作品が読めますが,どうにもこのサイトは著作権をばりばり侵害しているような気がしますので,ご自分でURL補完して見に行ってくださいませ。
以下極論ですので,気分を害される方もおるやもしれません。
僕は個人の死について,家族でも日頃ごく親しくしていたわけでもない他人さま達が,人前で「思い出を語り合って」「記録を残して」いくのを見るのがそんなに好きではありません。 個々人の作業としてあるいはどんな個人でも少なからずもつおおやけの側面の性質上,必要なことなんだろうなあとは思いますから,止めようとも思いませんけれども。他人さまに無邪気に取り扱われるのは,故人が少なからずおおやけのものなのだから,その痛みは黙って飲もうと思う。 でも一番何が嫌だって,それが「正しいこと」と主張されることです。 必要なことと,正しいこととは違う。 喪を行うに際して,どんな立場も必要だから行われるのであって,正しいから行われるのではないと,僕は思う。 もし千羽鶴を切実に焼かねばならない人がいるのだとしたら,そういうことも,あるんだろう。 911の追悼番組を見たくなくてテレビの電源を落とす人がいるのだとしたら,そういうことも,あるんだろう。 「自分の子供は愛されて死にました」という言葉に耳を塞いでわあわあ叫びながら自分の頭を壁に打ち付けたい人も,いるんだよ。 (ただし自分個人の作業として行うこと。人の領分に踏み込んじゃいけねえ。) 某所でのやりとりを見ていて,双方の主張として「正しいことなのになんで反論するのか」と言われているのが一番不愉快でした。いざこざが起こったことそのものじゃありません。それぞれの立場から「私に必要だから」と発言することしかできないように思いますのに。 正しいから,と主張できるものなんて,本当にあるのかね。 なんだか,ひどく,無邪気だ。
僕は黙祷をする。「僕は戦争を知らないんだ」と思いながら,する。 僕は募金をする。「僕は飢えを知らないんだ」と思いながら,する。
もう時効かなーとも思いつつ。言わずにおられない人なんだね。恥ずかしいね。
んんんー。こういう順番で並べると自己内矛盾。 僕は僕の必要に応じてこうした文章を書き,ここに置きました。 読んだ人に働き掛けてしまうだろうことは自覚していますが,読むことや返答することを強制するものではない,個人の主張として位置付けてくださると幸いです。 僕はひとんちの掲示板にこういうこと書いたりは,しません。
僕が僕の必要で僕の場所で,石垣りん氏を悼み。 僕が僕の必要で僕の場所で,追悼に関しての感想を述べました。 それだけのことです。
わー いいわけがましーいー。
ずいぶん久しぶりに日記を書きます。 生きてましたよー。そして免許も無事に更新することができました。 なんというか,こう,ねえ。 どうして僕は大陸の人に似てしまうんでしょうね。 今回は若い頃のアグネス・チャンにわりと似てましたよ。 あごを引きすぎてあごがしわしわになっているのはなんともご愛嬌。 見せないったら!!!!
ここしばらくのあらすじ。
エンピツの日記をあまり書かなくなってからは,ミクシで公開レベルをマイミクシ限定に少し書いていたりしました。 いちいち日記の内容に反応されたり,僕の日記を読みたくないと公言していた人が名乗りながら(リンク先やらなにやらを明らかにしながら)必ず見に来るという状況に辟易していたのが要因ではあります。 マイミクシだったら友人やら家族やらにしか読めないので,「僕」に慣れている人たちならふーんって感じにスルーしてくれるかなあと甘えていたふしがあり。 仕事の状況は人的災害が泥沼になるばかりで,具体的にも書けないしかといってどこかに目に見える形に吐き出さないとやっていけないし。 (誰かに言うなり手元のノートに書けばという話があるのですが,そこは自分の中での「誰か話を聞いてくれー」という甘えた願望がなせる業。そこまでを「絶対やっちゃだめ」と言い切れる強い根拠が見つけられなかった。現実に,僕は僕の恋人と口頭やメッセで話をするだけではなく,自分の書いた日記(まとまった文章)を見せないと自分のことを話すことができないという困った癖があります。) エンピツだと検索ロボットにかなりひっかかるので,そういうの書きにくいんです。 主語と述語とをあいまいにして,ただ僕の側に溜まる腹黒い感情だけを置いてしまったところ,結果,それは読んでもただただ不愉快な文章なんですな。 まあいつものこと僕ってこういう人でしょと開き直ってしまうのは簡単なんですが,それを「限定」の場で見せられた側はどう思うもんかしら。 僕だったら,すごく重たい。 というわけでこちら「公開」の場にすごすごと戻ってきました。 自分の腹黒さ,悪い率直さとは,抗わなくてもいいがうまく付き合っていけるようにしなくてはならない。
ちなみにマイミクシ限定にしたのは,簡単に言うと,よく知らない人によく知らないままにてきとーにてきとーなコメントをつけられたくなかったからです。 ミクシからこのエンピツを見に来る人が多いようなので,言い訳。
途中休憩。洗濯物を干してきます。
洗濯物を干したついでに,恋人にクリスマスにもらったHOLGA(正確にはバージョンアップ前なのでWOCA)の6×6のフレーム自作してみました。 貧乏性なものではじめは6×4.5の方が枚数撮れるならそれでいいじゃんと思ってたのですが,ファインダーが正方形なので,見えている範囲と撮れる範囲が全然違うのは困るなと思って。 なにしろこの豪快なつくりなので僕も豪快に,そこらにあった厚紙でこさえました。 今日は「フィルムのつけ方がわからず」「フィルムの巻き取りの具合がわからず」「レンズカバーを付けながら撮影」という初心者失敗を全てこなしたので,明日からは真っ当に撮影できることかと思います。 フィルムが1本500円するってのは,まあ,あれだ,高い勉強料だなあ…。 初めて持つフィルムカメラがHOLGAってのはまた僕らしくていいような気がします。 とりあえず,FUJIのPN400N120というフィルムを使ってみています。
あ,僕からは銀のペアリングを。
あらすじの続き。
ってうわー。11月12月と日記書いてないんですね。 仕事はこの2ヶ月,かなりいっぱいいっぱいな感じでした。 「人間関係」と一言で言ってしまうとまるで僕の対人関係スキルの低さを告白するみたいでアレですね。 とかくチームの中で人がうまく機能しない。 フォローにフォローに重ねて自分の関連する全部の仕事に主力として介入しているうちに,自分が本来どの立場で何をすれば十分だったのかが,よくわからなくなってきました。 それでも,年長だからという意味でも弱みを握られているという意味でもなく,面と向かって問題点や改善すべき点を指摘するわけにはいかない理由があって。 (「彼らは調子(この場合精神状態の良し悪しを指す)が悪いとのことだから,できるだけ気持ちよく仕事できるようにしてくれ」と,トップから言われちゃったらどうしたらいいんでしょう僕は。) しょうがないので,おだてて,フォローして,褒めて,謝って,にこにこして。 それなりにがんばってますよー。 3倍の仕事してても,向こうの方が余裕で給料高いのね。やんなっちゃうわ。 世知辛い。 直属の上司が問題点に気付いてくれたことだけでも収穫と思うことにします。 と,その間に文化祭と記念式典とクリスマス会と終業式がありました。 やれやれやっとこさ。
私生活ではー。 誕生日には結果的に,たくさんの人に祝っていただきました。 とても,とても,嬉しかったです。 とても嬉しかったです。 僕も誕生日をお祝いする人でありたいと,思って。 タイミング外しちゃってちょっと困っていて,あわわわわ。
あと,妹たちの誕生日とか,相方の誕生日とか,友人連中の誕生日とかがありました。 贈り物を考えるのはとても楽しいです。 自分の中に降り積もっているものの豊かさ,与えられたものの豊かさを思います。 大好きなんだなあ。
んでもってクリスマスですが僕んちは各人のスケジュールの都合上,サンタはまだ来ていません。 クリスマスは五連の引越しに両親と下の兄が行っていたので,上の兄と妹2人と僕とで過ごしました。 風邪がげほげほとひどかったので,仕事を休んで,午前中はクスリを飲んで寝ていて。 昼には容態が落ち着いてきたので予約していたケーキを受け取って実家を目指す130キロ。 実家に帰る途中に,相方を道中の駅で拾い。カテドラルの深夜ミサに巻き込んで行ってみたー。 相方はギュダくんの葬儀にも最初から最後まで立ち会ってくれたので,僕の原風景であるところのクリスマスミサも,見てみてほしかったのだ。 今回はあまり一般向けではなく信者向けの典礼だったようで,彼の知らない聖歌ばかりだったのだけど,楽譜を見ながら歌ってくれて嬉しかったです。 妹ーズと兄も疲れているところだったのだけれど,一緒にお祈りをしたり歌ったり,して。 穏やかな時間を過ごせたことはなんて,尊い。
あとは週末を,兄弟でカラオケしたり,エアホッケーしたり太鼓叩いたり,のんびりテレビ見たり。 僕はなんだか数ヶ月ぶりに料理をしましたよ! 体が覚えているもんですね。ちゃんとおいしい白菜のシチューができました。偉い。
んでもって仕事のために帰ってきたのはいいんですが,ちょっと病みあがりきらないうちに無茶をしたのがまずかったようで,体調がとても悪いでございます。 今日は休んでみました。 というか,目覚まし時計を5個もかけていたのに,起きられませんでした。 ここはあれだ,新しい目覚ましを買っててこ入れをする必要があります。 新しい歌を,僕の朝に。
あさいちばんにすることは,めざましどけいさんにあやまることです。 せっかくおこしてくれたのにおきられなくってごめんなさいってあやまることです。 そりゃもうまいにちどげざしています。
しょうがないので,ベランダで猫をめでつつ,HOLGAと格闘してました。 楽しいおもちゃだー。 昼になってまた眠くなってきたので寝ながら相方と話したり、して。 寝て。寝て。寝てなにかが足りるならずっと眠っていたい。寝て。寝て。 疲れ切って沈み込むどろどろとした重いだるい眠りは,僕はわりかし好きです。
あとは起きて,某所であそんでみてました。 ここしばらく某所に別名で出入りしていますが,あんま気にしないでください。 これは縞田みやぎか?と思っている人がいるかいないかわかりませんが,僕です。 そのうち飽きたら名前をみやぎに戻します。 あの名前はあの名前で気に入っているので,何かに使うかもしれませんが。
いろいろと思うところはあります。 でも,言う必要があるかどうかという話です。 うあ。こんな時間。
うにゃー 生きてます生きてます これから暴風雨の中,免許の更新にいってきます 来週の日曜が休みじゃなくなったのでしょうがないんだー 文化祭が終わって20周年記念事業が終わって,怒涛の期末業務です。 つーしんぼ書くのー。
詩とかね,めんどくさいよね。 書けば書くほど,なんだか自分はレトリックの論理と違うところにいってしまうような気がして,おおいそれでいいのかようってちょっと不安になったりする。 いつも,一個の詩作品としてうまく書けたかどうかにあまり気持ちが向かなくて, 「○○を表現したい」てことはあっても「○○を表現したということを伝えたい」なんて思うことができないあたりが敗因なのです。 自分の今現在の発するところにきちんと垂直に立ったかということにしか関心がなくて。 だからねえ,きっと,発表なんてしない方がいいのだろうと思います。 自慰! 排泄物! 自慰バンザーイ!バンザーイ! 排泄物バンザーイ!バンザーイ! なんだかそう言われることが多いのだけれども,いつになったら「批評を受け付けない詩」という評価を脱するんだろう。 いや,脱するものなのかそれは,どうなんだ。 私的な世界しか描かないからかしらね。伝わらなくても,僕は「ま,結局は私的なものですから」と逃げてしまうから悪いんだろうね。
それはつまり,中学校1年生の僕が祖母の葬式があけて帰った次の日が文化祭でひどく疲れていて寝坊してしまって一生懸命走って登校したら朝の集合場所が教室じゃなくてしょうがなく体育館まで走っていってしかも集合時間もいつもと違っていてたどり着いた時にはもう文化祭前の集会は終わってしまっていたので担任の女先生が「おまえーおくれたのかー」て言って僕は「すみません」て言おうとしたらああ走ってきた僕はこれからみんなの前で怒られるんだなと思ったらきゅうと痛くてぼろぼろと涙が出てきてしまって初めて人前で泣いて周囲は驚いて僕を取り囲んでそしたらなんだかもっと情けなくて「すみませんすみません」て言いながらぼろぼろぼろぼろ泣いてしまったら担任が「謝んなくていいからもういいから」と言ったらクラスメートの誰かが「こいつ遅れたのになんで先生怒んないの」と言って担任は「だって泣いてる奴怒るわけにいかないじゃんか」と言ってそれを聞いた僕はなんだか,泣き出した時よりももっと悲しくなって,そうしたらもう涙が出なくなった。 あとはにっこり笑って文化祭に出て,「泣いたらすっきりした?」と担任に聞かれたので,「すいませんでした」とにっこりして,あー涙って本当に出なくなるもんなんだなと印象が強かったというわけなのだ。 とまあ,そんな感じなんだろうか。
例が悪い。
要するに,私的にやっている人間に何かとやかく言うわけにいかんでしょ,と。 僕は思われているのだろうかなー。 きっと言ったら「わかってないくせに!」て言って泣くなあこいつ,みたいな。 ああ,うんざりだ。 ああ,うんざりだ。
ぐだぐだと言い訳をするのは下品だと思っていた。 今も思っている。 縞田みやぎは,自意識のかたまりです。下品だ!
とりあえず免許の更新をしてこよー。 僕は自分のお金で免許をとって車を買って(借金だけど)んでもって2年半無事故無違反で通してこられたので, そうでない人より,なんぼか偉いはずです。 偉いんです,僕は。 「ちゃんとできるってうらやましい」と言われると,張り倒してやりたくなる。
胸を張れ。 しっぽを立てろ。
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