徒然なるままに…
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今日はひたすらやるべきことをやっていた(まだ終わってない)。 そういえば今日はハロウィンだったと、人の日記を読んで気付く。 でもわざわざカボチャを食べる気もなく。 (ん?カボチャは飾るんだっけか)
あー明日から11月。
「Mさん、ひま〜?」 「うーん、いいよ。どうした?」 「うん。○○さんに色々言われた」 「何言われたの?」 「今からじゃあ遅いとか。その他諸々」 …その後1時間半にわたる会話。
久しぶりに甘えてみた。 ちょっとすっきり。
今日もまた、40代前半の男の人と喋る機会があった。 しかも、その人の出身地が私の実家のめちゃくちゃ近く。 そのうえ、けっこう有名人。 ローカルな話で盛り上がってしまった。
いろいろな人と喋るのは楽しい。 でも、いつもなぜか満たされない。 足りないものが何か、薄々気付いているんだけど、あんまり認めたくない。 認めても余計に苦しくなるだけだし。 決して手に入らないものを望むのは、辛い。
もう大丈夫かと思ったけど、そうじゃなかった。 このままじゃあ、無理だなぁ。 何もかもが駄目になってしまう。
とりあえず何も考えずに眠りたいけど、それが許される状況でもなく。 あー、こんなときは実家に帰りたいな。
40代前半の男の人が、自分の娘の名前について語っているのを聞いた。 どういう名前をつけるか、相当悩んだとか。 その人は日本語の専門家と言ってもいいような人だけど、自分の娘の名前を決めるときは、 それまでにないくらい、色々調べたり、本を読んだりしたらしい。 結構こだわりもあったみたいで。
結局どういう名前に決まったかというと、「しき」ちゃん。 (本当は漢字だけど、ここで書くのもマズイかなぁ、と。ちなみに「四季」ではない) やっぱり和風なんだねぇ。 ちゃんと使った漢字にも意味があって、その意味を娘に説明するのをとても楽しみにしているらしい。
こんなに情熱を持って名前をつける人もいるんだ。
話を聞いた後、個人的に話をした。 主に方言の話。 その人は東京生まれ東京育ちだから、方言を使っている人が、 自分の方言と標準語(に近いもの)を使い分けるという感覚がよくわからないらしい。 それと、私は誰かが熊本弁を喋っているのを聞けば、その人が熊本弁のネイティブか、 単に真似しただけなのかすぐにわかるけど、その人にはわからないらしい。 そんなもんなのかぁ。
私が熊本で一人暮らしをしている、と言ったら、「寂しくならない?」と聞かれた。 まぁ、高校の時から親元離れてたし、特に寂しくはないかなぁ。 「じゃあ寂しくなったらみんなで飲みに行きましょう」と。 うーん、私はみんなとは所属が違うんだけど…。 「いやいや、仲良くなってしまったら関係ないよ」 あぁ、そうですか。 なんか本当に図々しく飲みに行ってしまいそうな気がする。
ま、いいか。
アマゾンで買った本が今日届いた。 (いつも本はbk1で買うけど、bk1は洋書を取り扱ってないから今回はアマゾン) 代金は2554円(そのうち、代引き手数料が198円)。 2560円出して、おつりをもらおうと思ったら、1円玉がなかったらしく、「じゃあ4円はいいですよ」と。 一応「本当にいいんですか?」と確認。 結局、2550円にしてもらった。
ふーん、割とアバウトなんだ。
眠い。眠い。 ゆっくり寝たい。
当事者でない人はこんな気持ちなのか。 いつも通り、日常が過ぎていく。 あのときも、当事者ではない人たちはこんな気分だったのかな。 そう考えると少し悲しい。
今日はディズニーオンアイスを見に行く。 どう考えても、日常。 あちらとこちらでは時間の流れ方が違うのだ、と気付かされる。 同じ時を生きているようで、実はそうではないのだ。
昨日さんざん落ち込んで、逆にすっきりした。 (今にして思えば、昨日がピークだったのかも)
と思ったら、今日は友達が落ち込んでいた。 色々言われて、でも言い返せなくて、悔しくて泣いていた。 相手の立場が上というのもあり、その上、とても口が達者な人だから、 言い返してもまた言い返されるだろうと思って、何も言えなかったらしい。 確かに、あの人ならば、絶対に言い返してくる。 その子が太刀打ちできる相手じゃないな、とも思う。
でも、もし私がその子の立場なら、絶対に言い返す。 言っても良い立場にいるのだし、それに、言わないとすっきりしないから。 言われっぱなしは嫌だもんね。
まぁ、人それぞれ。
人と違うことをするって、孤独だ。 ひしひしと感じる。 でも、好きでやってるんだから、孤独であろうがなかろうが関係ない(はず)。 我が儘に、我がままに。
わからない。 自分が何をやりたいのかが、わからなくなってしまった。 今まで自分がやりたいと思っていたことは、実は本当にやりたいことではなかったと気付いてしまった。
頭の中の整理がつかない。 溺れてしまいそうだ。
泣きそうになりながら「わからない」と言えても、「助けてほしい」と言うことはできなかった。
でもこのままでは、本当に溺れてしまうよ。
いつもポジティブでいられるわけじゃないし。 ネガティブな面も見せられるというのは、それだけ心を許しているということ。 信頼しているということ。
そのへん、わかってほしいんだけどなぁ。
少々風邪気味。 今年の風邪は長引くみたい。 なんかひどくなりそうな気がするなぁ。
昨日送ったメールの返事がきた。 意外にも、褒められた。 文章を褒められたのは、人生で2回目。 そのどちらも、書き出しがいい、と言われた。 (じゃあ書き出し以外はどうなんだ、と聞きたくなるけど、まぁそれは置いといて)
確かに、書き出しはいつも一番気を使う(日記は別)。 同じ量の文章を書くのにかける時間の倍以上はかけて書いている。 書き出しが担っている役割というのは、想像以上に大きいから。 逆に言えば、書き出しさえ上手くいけば後も順調に書ける。
久しぶりに褒められた。 素直に嬉しい。
もう一度、調べなおしと書き直しをしたい。 うまくまとまれば、雑誌に載せてもらえるかもしれないし。 風邪なんか引いてる場合じゃないや。 頑張ろ〜っと。
| 2004年10月17日(日) |
カタカナ考(続・FAX考)。 |
あー、送ってしまった。 とうとうメールを送ってしまった。
返事が怖い。
メールといえば。 エンピツのフォームメール受信専用のアドレスがあるんだけど、最近全然チェックしてなかった。 (返信はこのアドレスからはしてない。本当に受信専用のアドレス) で、久々にチェックしたら、メールが(気付くのが遅くてすみません…)。 この日の日記(FAX考)に関連したことと、あと髪型について(ありがとう。なんだか照れます)。
Canonについては私も気になっていたというか、違和感を覚えていた言葉。 (関係ないけど、「キヤノン」を見て、「ノンキヤ」と読み間違えたこともある。 たぶん「のんきや」という名前のスーパーが私の実家の近くにあるからだと思うけど)
音からすれば、「キャノン」の方がしっくりくる。 もしかしたら、違和感を抱かせるためにわざと「ャ」を「ヤ」にしたのかもしれない。 やっぱり「キャノン」と書いてあるよりも、「キヤノン」と書いてある方が注意を引かれるから。 「んっ?」って思うでしょ? より目に留まりやすいものにしたい、という意図があって「キヤノン」になったのかも。
あと、simulationのカタカナ表記。 昔は「シュミレーション」と書いていた(し、こう発音していたと思われる)のに、 いつのまにか「シミュレーション」になったというもの。 確かに、広辞苑(第五版)には「シミュレーション」しか載っていない。 (古い版があれば比べられるんだけど、残念ながら手元にない) これは英語の発音に近づけた、と考えるのが妥当ではないかと。 でも、「シ」と「シュ」って音が近いから「シミュレーション」って言っても、 「シュミレーション」に聞こえると思うんだけど。
最後にentertainment。 広辞苑の見出語には「エンターテインメント」とある。 下の括弧の中に「エンターテイメントとも」と付け足しが。 実際は「エンタテインメント」「エンタテイメント」も使われている。 「エンター」とするか、「エンタ」とするかはまぁ英語でも微妙なところだから置いといて、 私が気になるのは「ン」が入るかどうか。 綴りにはnが入っているし、発音も/n/が入ることになっているけど、後ろの/m/と一体化してほとんど聞こえない。
日本語に入ってきて、表記するときに、綴りを取るか、音を取るかの揺れが表記の揺れに繋がっているのだろうと思う。 つまり、英語の綴り重視なら、「ン」が入り、音重視なら「ン」が入らないということ。
個人的には「エンターテイメント」が一番言いやすいし、好き。 日本語で「エンタ(ー)テインメント」と書いてしまうと、「ン」がかなりはっきり発音される気がして、なんか変だし。
以上、(FAXも含めて)ひとことで言ってしまうと、「カタカナ表記のゆれ」。 でも、ひとことで片付けてしまうのはもったいない。 色々考えてみると、表記だけではなくて、その表記を考えた「人」の気持ちまで見えてくる。 コトバってほんと、奥が深い。
久しぶりにリソを使う。 (大量に刷るときはいつも事務の人に頼むけど、今日はたまたま事務の人がいなかかった)
印刷する前に、原稿をまとめていたクリップを外した。 そのとき目に入ったのが、操作するところの端の方にある、クリップを置くのにちょうどいいようなくぼみ。 しかもよく見ると、クリップの絵が(というか、浮き彫り?)。 こりゃちょうどいいやと思ってクリップを置いて、印刷。
印刷終了。 で、そのまま置き忘れてきてしまった。 いや、クリップは別にどうでもいい。 それよりも気になるのが、あのくぼみは本当にクリップを置くためのものなのか、ということ。 クリップの絵までついてるし。 そういえば普通のコピー機にも、クリップを置くのにちょうどいいようなくぼみがあったなぁ。
うん、やっぱりあれはクリップ置き場だ。
私の考え方は、工学系らしい。 どういう考え方なんだかよくわからないけど。 そう言われた。
よくわからないけど、あんまり嬉しくない。
なんかややこしい状況。
夕方、昨日の話し足りなさを解消するため、Mさんのところへ(私が一番に話したかった人というのはMさん)。 色々と話していると、Yさん登場。 (YさんはMさんと同じぐらいの年の男の人。Mさんと仲良し。私も結構お世話になってる人)
この前の先生方との飲み会で、とある人からYさんへの伝言を頼まれていたのを思い出し、それをYさんに伝える。 Yさんは私が福岡であったセミナーに参加したことを知らなかったから、当然「なんでその人知ってるの?」と聞かれた。 私が説明しようと思ったら、なぜかMさんが口を挟んできた。 この前の私の行動と、言わなくてもいいようなその他諸々のことをペラペラと喋る喋る。 あんた、そんなにお喋りだったのか??と思うほど、よく喋る。 「セミナーに参加して、僕(Mさん)をダシにして先生方に話しかけて、懇親会にまで行ったんですよ」と。 懇親会に「まで」って…「まで」は余計だ。 「懇親会に行った」と言えばいいじゃないか。 しかも正確には懇親会じゃなくて、飲み会だ。
あと、私のやりたいことまでYさんにばらし「ややこしいんですよ〜」とか言いやがった。 聞き捨てならないなぁ。
私の行動をYさんにばらされて、かなり恥ずかしかった。 すべて事実なんだけど、でもねぇ。
やった、一番乗り! やっぱり私、ツイてるかも。
なんか嬉しいことがあるとすぐ誰かに報告したくなるのって、もしかしたらすごく子供じみてるかもしれない。 でも、その嬉しさを分かって共有くれる人がいるから、やっぱり一番に伝えたかった。 他の誰かに話すことはできるけど、その人に話さなきゃ話したことにはならない。 その人じゃないと駄目だから。
一応すっきりしたけど、まだちょっと話し足りない。 少し欲張りすぎかな? 最近他のことも色々と欲張ってるもんなぁ。 いつものように、欲張って何が悪いんだ!もっと欲張れ、私!と思っているけど、 欲張りすぎて何もかもが中途半端にならないようにしないと。
MDが壊れ気味。 ネットMDなんだけど、パソコンに取り込んだCDをMDにチェックアウトしたら、最初の4、5曲しか聴けない。 後の曲は無音。 ちゃんと曲名は入ってるんだけど。 他のMDに変えてやってみたり、別のCDでやってみたりしたけど、同じ。 MD、CDの問題ではないとすると、ソフトか機械自体の問題か。 困る。 非常に困る。 再インストールしてみるかぁ。
駄目だ。 やる気が出ない。 こんな日は早く寝て、明日の朝、早起きしよう。
話したくて話したくて、いてもたってもいられない。 誰よりも先に話したい。 二番目じゃ駄目。 一番に話したい。
あり得ない。 本当にあり得ない。
今日、講演(セミナー?)があって友達と福岡まで行ってきた。 内容は非常に高度ですごく刺激を受けた。 セミナーは無事終了し、博多駅まで帰る途中、講師の先生とその他の先生方がちょうど私たちの後ろを歩いていた。 私自身はその先生方と直接面識はなかったけど、Mさんがその先生方と繋がりがあるというのを知っていたから、 勇気を出して話しかけてみた。(つまりはMさんをダシにしたわけだ) そしたら、とても気さくに話を聞いてくれて、その上、わざわざ熊本から来たんだったらということで、飲み会にまで誘ってもらった。
普通だったら断るのかもしれないけど、こんなチャンスは二度とない!と思い、誘われるまま飲み会へ。 なんかすごく貴重な話も聞けたし、色々知りたかったこともわかった。
あー、まさかこんな展開になるとは思わなかった。 あり得ないよなぁ。 Mさんに言ったら、絶対に「えぇっ?飲み会にまで行ったの?」って呆れられるんだろうなぁ。
久しぶりに京都のFさんの名前を見た。 また学会で発表するみたい。 頑張ってるなぁ。 前、私がFさんの論文を読ませてもらったときに、色々と突っ込んだ質問をした点が今回の学会発表のタイトルに入っていた。 別にFさんが私の意見に影響されたからだとは思わないけど、なんだか嬉しい。
でもFさんが研究していることは、私にとってはほとんど実現しそうにない理想としか思えない。 ユートピアだ。 実現すれば、素晴らしいんだろうね。実現すれば。 でも誰が実現するんだろう?
私は少し現実的すぎるのかもしれない。
今週の日曜日に、急遽福岡に行くことに(日帰り)。 台風が逸れてくれるといいんだけど。
今日は朝から会いたい人に二人に連続で会い、お昼過ぎにも一人会い、夕方にも一人会った。 会えるだけでもラッキーなのに、会った状況がまたよかった。 なんて良い一日。
だいぶ昔からぼんやりと不思議に思っていて、最近明確な形をなした疑問。 「FAX」は日本語の音としては「ファックス」なのに、なぜ文字にすると「ファクス」なのか。 昔は表記も「ファックス」だったような気がするんだけど、最近は「ファクス」が多いような気がする。 日本語を母語とする人のほとんどが「ファックス」という発音をしているはずなのに、なぜ表記では「ッ」が抜けるのか。 「ボックス」や「フォックス」は「ボクス」、「フォクス」にはならないのに。
考えられる可能性。 � ̄儻譴痢孱藤腺悄廚糧�音により近づけるために「ファクス」とした。 (しかし、実際の英語の発音は「フェークス」に近い) �△気蕕法◆孱藤腺悄廚枠羈單�最近入ってきたものであり、あまり人々に馴染んでいなかったため、 「ボックス」や「フォックス」などに比べて表記の変更が受け入れられやすかった。 ��「ファックス」であれば、「クス」の発音は/kus/になるが、「ファクス」ならば、「クス」の部分が/ks/になり、子音が連続する。 子音連続を避けるために、「ッ」を入れた。 (注:「ファクス」の「クス」は/kusu/という発音ではない。/kusu/と発音すると、やたら強くなっていしまう。 「学校」のひらがな表記が「がっこう」であっても、実際の発音は「がっこー」になるのと似たようなもの。ちょっと違うけど。) �ぁ屮侫.奪�ス」と音が似たような単語が他にあり、しかもその単語があまり良い意味ではないため。 (まぁ、考えてみればfucksに聞こえるもんね。)
少し考えただけでも、4つ可能性が浮かんだ。 他にも色々ありそうだ。
もともと「ファ(ッ)クス」が「ファクシミリ」から派生したものなら、表記としては「ファクス」が妥当だと思う。 けど、子音が連続してしまう「ファクス」は日本人には発音しづらい。 だから表記は「ファクス」、発音は「ファックス」という差ができたのかもしれない。 もともとの表記は「ファクス」の方で、表記が発音に影響されて、「ファックス」という表記が生まれたのかもしれない。
昔から「ファックス」と「ファクス」という表記が混在していたのかもね。 はっきりとした答えは出ないけど、仕方ないか。 何か一つのことが原因なのではなくて、様々な要素が絡み合ってこうなったんだろうから。
安定ではなく、不安定を求める傾向が強い。 自分のまわりにおこる出来事、自分の運命に関して、ほとんど自分でコントロールできると考える傾向がある。 慎重というより、楽観的。 秩序よりは変化を求める。 一様性よりも多様性指向。 好奇心が非常に強い。 自己主張が強い。 専門志向。
これは私の自己分析の結果。 確かに当たってる。
この結果を目の当たりにして、つくづく思う。 私って結婚できないんだろうなぁ…。
この前Mさんに言われたこと。 なんか納得できなくて、言い足りないこともたくさんあったから、今日Mさんのところに行ってすべて言ってきた。 言いたいことはすべて言って、すっきり。 ついでに愚痴。 いろいろと改善してほしいことを言っても、私の代には何も変わらず、早くて次の代ぐらい。 言った本人である私にはほとんど何のメリットもない。 そりゃあ後輩のためにはなるだろうけど、自分に見返りのないことばかりで満足できるほど、私は慈善家じゃない。 というようなことを愚痴る。 そしたら、『でも言わなきゃストレス溜まるんでしょ?』と。 図星…。
これほど私のことをわかってくれているのにね。
| 2004年10月01日(金) |
なんでそんなこと言うの? |
もう10月になってしまった。
たくさんの人に会うと、それと同じ数の心に接することになり、結果的にとても疲れてしまう。 見たくなかった光景も見てしまった。 今日だけで2回も。
Mさんからは、なんでそんなこと言うの?って言いたくなるような内容のことを言われてしまった。 まぁ簡単に言えば、周りから、私だけが特別扱いされているように見えるかもしれないから、その辺考えてね、ってこと。
(私の立場から言わせてもらうと、私は特別扱いされているのではない。 私は自分で交渉して、説得して、積極的に権利を得ている。 周りの人がそれをしないだけ。与えられるものだけで満足している人ばかりだから。 そんな人たちに、私だけが特別扱いされている、なんて言う資格はない。 自らは行動せず、与えられるのを待つだけの人に、そんなことを言われる筋合いはない。 ねたむのなら、私と同じことをして、自力で権利を獲得すればいいのだから。)
Mさんの立場を考えれば、当然のことを言ったまでだと思う。 皆に対して平等であることを求められる立場だから。 でもMさんは私のやりたいことを一番理解してくれているから、そんなことは言わないと思っていた。
悶々としていたら、私が傷ついたと思ったのか、Mさんからメールがきて、 「あれは自分の立場上の建て前として受け取ってほしい」と。 うーん、アフターフォローが上手いね。
でも、自分の言ったことで私がどんな気持ちになるのかをきちんと考えてくれたのは嬉しい。 私に対して他の人と公平な立場を取らなければならない、と思うこと自体が、 私をそういう公平な立場から見ていないということの証明ではないのかと思う。 他でもないMさん自身が、私のことを「特別扱い」しているのではないのか?
「出る杭は打たれる」と言うけども、出る杭の何が悪いんだ。 人と同じことをやるばかりでは、単なる大勢の中の一人で終わってしまう。
「自分のやりたいことをとことん極めるなら、わがままになりなさい」と言われた。 本当に、そう思う。
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