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海老日記
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2005年10月31日(月)
物部日記・今夜は二本立て


物部日記・『ヘルレイザーは静かに十字を切り・6』

「でその結局さあ、ヘルレイザー鎌足って何者だったわけ?」


 10月31日。無事に車を手に入れた私は、親友のゆうさんを送っていた。

 私の運転するワゴンRの助手席に座るゆうさんは、首をかしげながら言った。
「なんか意味ありげに登場したと思ったら突然夜中会って、愚痴聞いてもらって、他人にはさぱりわからない部屋の配置図の説明してさ。だから、何をされたの?」
 私はアクセルペダルを踏み込みながら笑う。
「特に何されたってわけじゃあないんですよ。ただ、怪しい人だったけれど実際に話してみるといい人だったって話です」
「じゃあさじゃあさ。その隣に住んでいると思ったら実は上に住んでるっていうのは?」
「うーん。多分生活パターンの違いですね。私が朝出発するときに帰ってきて、私が夜帰ってきたときにはもう出勤している」
 ゆうさんは顔をしかめ、
「その人、何やってんの?」
「私にもわかりません」
「なんだそれー」

 私の家の上の階に、誰かが住んでいるのは間違いない。けれど、どうしても出会えない。
 どんな時間帯に家にいても、出てくるところも帰ってくるところも見えない。
 
「なんだか最初から会えなかったものだったような気もしてきました」
「でも、会ってるじゃん」
「会った事自体がありえなかったのかもしれません」
「なんだそれー」
「でも、一つだけ訊いておきたいことがあったんですよ」
「ほうほう」
「あの日、あなたの横にいた子猫は、なんだったんですか?」
「……はあ?」
「……ゆうさん覚えてませんか?」
「覚えてねーよ」
「……もう、四ヶ月前ですからねえ」



 物部に移り住んでから、何かがおかしいように思う。
 何が、と訊かれたら、文章表現の仕様のない変化。
 疫病神でもついているのかもしれない。

 そしてそれの元凶は



「でさあ、も一つ疑問だけど」
「はい?」
「リルリルって誰さ」
「リルリルはリルリルですよ」
「わけわかめー」
「まあ、本当にわけわかめーな方です。お会いしてまだ半年しか経っていないのにずっと昔から知っているような……、なんだかオカルトですね」
「もしかして知り合いなんじゃない?」
「さあ?」
 ゆうさんの家についた。

「まあ、あれです。今回のお話の結論は、結局なんにでもわかりやすい解決がやってくるわけでないことと、私には順序だてたお話は無理だということです」
「送ってくれてありがとね」
 ゆうさんが降りた。
「それじゃあ、ゆうさん。お休みなさい」
「物部ー」
「はい?」










「なんで俺には愚痴を言えないわけ?」





 まあ、そういうこと。

                   ひとまずおわり















 物部日記・この世は情報でできている


 織田信長は桶狭間の戦いで勝利したあと、それぞれ活躍したものに恩賞を渡していった。
 その時、最も多くの恩賞を手に入れたのは今川義元の首を取った侍ではなく、桶狭間に陣取った今川軍の情報を最初に伝えた者だった。

 そう、機転を制するものにとって一番重要なことは、今自分に何が可能で、相手に何が可能なのかを誰よりも早く知ること。誰よりも先に時間を制した者が勝者になる。


「おはようございます。佐々木女史」
「物部くん。高知にメイドカフェができるらしいよ」
「なにーーーーーーーーーーーー」







2005年10月30日(日)
物部日記・『ヘルレイザーは静かに十字を切り・5』

 結局、ヘルレイザーさんは何者だったのだろう。


 突然引っ越してきて、突然いなくなった。


 あの晩一緒に帰った後。ヘルレイザーさんは「おやすみなさい」と言って部屋の中に入っていった。
 私は、それを見送った後、自転車に鍵をかけた。結局残り数キロメートルも一緒に歩いてくれた。最後の方は私の方が力尽きかけていた。



 その道程。私は日頃思っていることをぶつけ続けた。
 苦しいこと、楽しいこと。辛いこと。悲しいこと。嬉しいこと。泣きたいこと。笑うこと。
 考えることを整理もせずに、思いつくままに言い続けた。
 あんまり他人に愚痴をこぼしても仕方がないから、普段は笑い話にしたりおもしろおかしく日記に書くようなことも、ただこぼしつづけた。

 何もかも忘れて喋ったのは、久しぶりだった。


 ゆうさんや、佐々木女史。その他私を慕ってくれる人たちの気持ちがなんとなくわかった。彼らがなんであんなにも自分の心をさらけ出せるのか、少しわかる。
 みんな、こんな感じなのかなあ。そして、私は、みんなのヘルレイザー鎌足になっていたりするのだろうか。



 家が近付いて、私のつぶやきをひたすら聞いてくれていたヘルレイザーさんがやっと口を開いた。
「お疲れ様です」
 私は、
「聞いてくれてありがとうございます」
 それしか言わない。

 灯りの付いていない二階建てアパート。
 二階には同じクラスのZさんが住んでいて、もう一人住んでいるらしいがその顔は見たことがない。
 そして一階には蒸発した家族と私と……
「それでは、また時間の合う時に」
 階段を登るヘルレイザーさん。……? あれ?
「ヘルレイザーさん。二階に住んでるんですか?」
「ええ」
 でも、この前、隣に越してきたって。
「ああ、本当はお隣に住む予定だったのですが、もう先客がいらしていたからあきらめました」
「先客?」
「それで、仕方がないので物部さんの上の部屋に」
 上の部屋?


 はて?

 先客ってなんだ?


 ヘルレイザーさんは不動産屋を通して物件を借りているわけではないのか? 先客がいる?

 私の上の部屋には、誰も住んでいないはずだったのに。

 私の隣には、誰かが住んでいる?

 いや、しかし。
 誰もいないはずなのに……。


 隣から聞こえるのはヘルレイザーさんの物音ではない?

「じゃあ、私の部屋の隣に住んでるの……誰?」
「知らないはず、ないでしょう?」


 誰だ?


「物部さんのお部屋に最初に尋ねてきた人ですよ?」


 まさか。


「感謝してあげて下さいね。最初に物部さんの死相に気付いて、私に相談しにきてくれたんですよ?」


 私の知らないところで、御近所づきあいはあったらしい。

「今日も死なずにすみましたね」
「確かに、すっきり眠れそうです」
「いえいえ、さっき眠気全開で道踏み外して、自動車に轢かれそうになったでしょう」
「ああ、そっちですか。たしかに、死にかけました」

 ヘルレイザーさんは、静かに表情だけで笑った。


「あなた、何者なんですか?」
「それでは、おやすみなさい」

 ヘルレイザーさんが部屋に入ったのを見て、私は自転車に鍵をかけた。



 そして、隣人の名を口にする。


「そういや、どこに住んでるかまでは考えてなかったなあ」


 詳しくは過去の物部日記を探してみてください。


「リルリルさん」




 次の日、ヘルレイザー鎌足さんはもういなかった。
 死に掛けた夜から、もう四ヶ月経つ。
 上の部屋には誰かが住んでいる。
 けれど、誰が住んでいるのかは知らない。
 誰かが住んでいるのだけれど、いつ見ても窓がしまっていて、中が見えない。

 けど、誰かいる。

 もしかしたら、私がここに住み始めたころから、誰かが居たのかもしれないけれど、私には確かめる術はない。

 私の隣に住んでいる彼女も、本当はずっと昔からいたのかもしれない。


 今更ながら、どうもこのアパート変だ。




2005年10月28日(金)
物部日記・『ヘルレイザーは静かに十字を切り・4』


 「だって、死相が出てますもの」と言われても、ちょっと困る。瞬間『しそう』が漢字変換できなかった。

 しそう?
 思想? 歯槽 死相……。

 まずい。考え付くうちで××が出てくるという意味で使えるしそうは死相しか思い浮かばない。




 死相が出る。……なんだそれは?
 つまり、どういうことだ? それは何の暗喩だ? この隣の女の人は私に何を言いたいのだ?


 人間、混乱するととるべき行動は決して取れない。意表を突いた台詞に私は沈黙して、ヘルレイザー鎌足さんも何も言わなかった。


 ただ、次につなぐ言葉もないままに、二人はならんで国道沿いの歩道を歩いていた。

 


 時折後ろから前へと過ぎて行く自動車を眼で追って、たまに前からくる自転車をよけて。

 ばすんばすんとパンクしたタイヤの揺れる音と、二人の人間の足音だけが夜に響いている。


 三十分。


 馬鹿みたいに長い三十分。二キロメートルほど歩いただろうか。それでもまだ家路までは遠い。これはもう、しばらく帰れそうにない。無理矢理自転車に乗ろうかとも思ったが、一緒に歩いてくれている人がいるので、それはできない。


 右を見る。まっすぐと前を向いて、どこを見ているのだろう。ヘルレイザー鎌足さんは歩いている。


 ふと、いつもの物部が戻ってきた。
『別に、ヘルレイザーさんが私と一緒に歩く必要ないよな。夜中トラブッてる大学生なんか放っておいてもらって、その原付に乗って帰ってもらったほうがよくないか?』
 そう、思った。

「あの、ヘルレイザーさん」
 彼女は振り向いた。
「はい……?」
 少し首をかしげている。私も心の中で首を傾げた。つーか、なんでヘルレイザー? それが名前でいいのか? なんか普通にこの人も答えてるし。確かホラー映画だよね、確か意味は……

「もう、遅くなるから先に帰ってもらって構いません。わざわざ歩いてくれてありがとう御座いました」
 しかし先に言葉が出た。


 ヘルレイザーさんは、私の言葉に少し驚いて。けれど笑った。
「まあ、ここまで来たら最後までお付き合いさせてもらいます。どうせ、今から帰っても遅い時間には変わりありませんもの」
 確かに日付も変わろうとしている。

 私はそれ以上彼女に要求できなくなった。





 歩く。二人は歩く。

 いつしか自動車もこなくなった。
 さっきまでいたあのコンビニの光も、遠くに光る点となる。


 ……。


 ……。


 ……。


 沈黙。うーん。ヘルレイザーさんは沈黙とか嫌いなのかなあ。やっぱり何か喋ったほうがいいのだろうか。うーん。

「物部さん」
「……」
「物部さん?」
「……あ、すいません。なんでしょうか?」
 ヘルレイザーさんは奇妙な表情をしていた。
「訊かないのですね」
 私も、どうやら変な表情をしているらしい。
「……。いや、なんかヘビィそうな話題になりそうだったから無視しました」
 彼女は、笑わなかった。

「えーと、死相ってあれですよね。死人の顔って奴ですよね」
「はい」
「私に、その、死相が出ている?」
「はい」
「……まだ、私生きてますよね」
「はい」
「……私、これから死ぬんですか?」


 何を訊いているお前は





 ヘルレイザーさんは、少し口を閉じて
「まあ、人間誰でも死にます」
 とおっしゃった。

 うわーん


「あ、でもそういう意味じゃなくて」
 ん?
「物部さん、表情に活力がないんですよ。見てると」

「はあ……」

 彼女は笑った。
「物部さん。人に弱音を吐くのは恥だと思っているでしょう?」




 どきっとした。


「う〜ん」
 微笑でごまかした。でも、誤魔化しきれていない。
「自分が幸せになれないって思い込んでいる人のする表情ですよ。その死相は?」



 心の中を、見られた。


「う〜〜〜〜ん」
 それでも、笑って誤魔化そうとする。ここは、それしかない。
 混乱している人間に、まともな判断などできない。

「私も職業柄幸せになれない運命の人には、よく会います。けれど、あなたは全然そんな人たちとは違いますよ?」
 そんなお説教はいらないと思っていた。そんなことは誰よりも知っているつもりだったし、それでもどうしようもないことだってあると、私は思う。

「多分、あなたの周りにいる人達はあなたのそんな表情を見れば不幸せになります。それを、死相と言わずなんと言います?」

 そんなことを言われても、ちょっと困る。
 

 困るのだけれど……多分、その通りだ。


 けれどなあ。

「そんな顔に見えるんですか?」
「ええ、最初にお会いした時はただ、疲れているだけでしたけれど、今は何かを溜め込んでいて、そしてそれを他人のせいにしている陰が見えています」
「……そんな風に見えるんですね」

 この人何者だ?

「まあ、少しばかり多い人生経験による観察力です」

 心を読まないで。



 しかしまあ、なんだ。

 ここまですっぱり言い切られて、それほどまでに読み切られてしまうと。


 なんか癒される。


「ヘルレイザーさん」
「はい?」
「僕、辛いです」
「はい」
「やっぱ自転車は無理です。移動手段が欲しいです」
「はい」
「ちょっと周りでトラブル起こりすぎです。もっと普通に生活したいです」
「それは無理です」





 

 他人に弱みを見せるのは、好きじゃないんだけれどなあ。


                     つづく