Leonna's Anahori Journal
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2002年04月17日(水) 日本vsコスタリカ

毎日毎日、風が強い。今日は横浜の父のところへ。
帰りの電車、吹きさらしの長い鉄橋の手前で徐行運転に入った。
眼下の川面、三角波がざわざわしている。少しだけ、緊張。

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日本中のサッカーファンが一喜一憂したであろう今日のキリンチャレンジカップ、日本vsコスタリカ。

試合の終盤、ちょうどいまオンエア中の nakata.net.TV で宮内聡さんが話していたことを思い出した。どんな話か、内容をかいつまんで書くと、トルシエは自前の分厚い教科書のうち、ディフェンスの部分についてはかなりうまく教え込むことが出来たけれど、オフェンスの部分まで手が回るまえに時間切れになってしまった(W杯が目前に迫ってしまった)のではないか?、というもの。それから、彼はもともと自分がDF出身だからついそちらに力が入るのかもしれない、とも言っていた。

(念のために書いておくと、宮内氏の話には、いわゆる”トルシエ嫌いによるトルシエ批判”というようなニュアンスはまったくなし。平明で説得力のあるはなしだった。)

その流れにそってもうひとつ。これは私が思ったことだけれど、三都主の帰化申請がもう少し早く認められていたら、今日の試合内容は違ってきていたかもしれないな、と。つまり、三都主を中心とした攻撃パターンがもう少し練れていたら、あと一、二点は入っていたのではないかと思ったわけだ。この点、きっとこれから親善試合や合宿を通して練り込んでくるのだろうなと、そんなふうに思いながら観ていた。
      
いずれにしても、日本にはヴィエリもアンリもニステルローイもいない。それをカヴァーするのは並外れた技量をもつMF(中田ヒデ、小野、三都主等)。得点しようと思ったら、彼らの技術を最大限に生かして攻撃パターンを組み立てるしかないんだなと、改めて現状を認識した次第。

ところで、明神選手のあのシュート。誰があわせるのか?!と固唾をのんで見守っているうちに入ってしまった、あのシュート。普通ああいう試合でのゴールといったら場内総立ちで凄い歓声になるところ、一瞬、し〜んとしましたね(笑)。
ちなみにこの明神選手の我が家でのニックネームは、猿飛び佐助(略してサスケ)(笑)。シドニー五輪以来の呼び名です。ご贔屓選手の超ファインプレーに(一瞬の沈黙のあと)チマリス、大喝采でした。




2002年04月15日(月) ドサクサしてきたぞ!

きのう。塗装工事は日曜でお休み。なので、家の中へ避難させていた植物たちをベランダへ出して日に当ててやる。
気温は高いけれど光の乏しい環境に置かれていた植物たちは、新芽が徒長してしまって、薄い黄緑色のひょろひょろした茎をたくさん伸ばしている。バラの新芽や蕾も、まるでもやしっ子みたい。ちゃんと花が咲くかどうか心配だ。

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第30節(7日)のセリエAは、首位インテルが下位のアタランタによもやの敗北。ところがどうしたことかローマまでもが、つられるようにヴェネチア(来季降格決定)に引き分け。
まったく、なぁ…。ここで勝たなくていつ勝つんだよ、ローマ。しかも二点も先制されて、後半終了間際に立て続けにPKもらって追いつく始末。あそこまで追いつめられながらも負けない、とにかく勝ち点一は貰って帰るところがローマの底力、と、言えば言えないこともないのだろうけれど。
そのうえ、自力優勝の消えたユヴェントスは、しっかりペルージャをくだしてるしさ。な〜んだかドサクサしてきたぞ。このドサクサ、去年に引き続きローマ優勝の前奏曲なのだろうか、それとも…。

…などと思っていたら、今節(14日)はインテル、ローマ、ユヴェントスとも、そろって順当に勝ち点3。フ〜ン、あんまり順当なのも面白くなかったりして(笑)。ユーヴェに負けたミラン、ちょっと運がなかったというか。“帰ってきたピッポ”もさぞや口惜しかろう。
次節(21日)はローマがミランと因縁の対決。時期が時期ですからケガの無いようにオネガイシマス。カペッロさんも冷静にね(笑)。

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ケガといえば、骨折してしまったベッカム。どうやら日本へ来る可能性が濃厚だ。FIFAの特別措置で5月30日(開会前日)まで選手登録(他の選手との入替え)を認めて貰えることになったそうだ。またエリクソン英代表監督はこの措置の決定以前から「ベッカムが完全に復調しなくても代表に選ぶ」と語っていたらしい。

これは、来るね、ベッカム。見たいな!日本のピッチで必殺のアーリー・クロスあげるところを。

(チケットはとうとう全部ハズレちゃったんですけどね。ぐっすん)



2002年04月13日(土) なかなか当たらないtoto

あー、くたびれた。
かつて私がこんなにも一生懸命、コンサドーレ札幌を応援したことがあっただろうか(無いよ)。それというのもみんな、totoのせい。totoで札幌勝利に賭けたからだ。しかし必死の声援もむなしく90分終了時点で1−1のドロー。このあと延長戦でどちらかが点を入れて勝敗が決まったとしても、もう(toto的に)札幌の勝利は無い。完全にモチベーションを失った私は延長戦を観ることなく、TVの前を離れた。
そこに愛はあるのかい?(無いよ)

札幌vs京都のカードは、今回マークシートのしょっぱな。一目見るなり「わかんないわよ、こんなの!」と叫んだ問題のカードだ(笑)。それからもう一試合、東京ヴvs神戸には「まさに究極の選択」とつぶやいて絶句した。
ところがこの投票者泣かせの二試合、終わってみれば両方とも引き分け。だったら最初から”わからない”なりにドローにマークすればよかったのだけれど、そうは出来ないのが人間の性、totoのさだめなのだ。

先月初めてtotoを買って以来、こんなかんじで律義に毎週一通りずつ予想してみているのだが、回を重ねれば重ねるほど的中率は下がる一方だ。一番初めに七つ(13試合中)も当てたのは、まさにビギナーズラック。徐々に近づいてくるはずだったタイユヴァンもいまは遠く、この頃ではその影すら見えなくなってしまった。
今日は投票対象の13試合中10試合がおこなわれたが、そのうちの実に4試合が引き分けだった。最終的な勝敗以前の、90分終了時でのドロー試合。これを的中させて賞金をゲットするのは至難の業だ。毎週一通りずつ予想していたのでは、三百歳まで生きても当たるまい…

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当たらないのがtotoなら、当たっちゃったのが工事用のゴンドラ。
先週初め、マンションの塗装工事用ゴンドラが、我が家のCSアンテナに当たってしまったのだ。それで一時的にスカパーが入らなくなってしまったのだが、その後もうまく受信レベルが上がらず、結局新しいものに取り替えてもらうことになった。ゴンドラのワイヤーロープがアームにひっかかって曲がってしまったらしい。あーあーあ。

これじゃまったく逆だよね、当たるものと、当たっちゃいけないものが。…ガックシ。



2002年04月10日(水) 細々と再開

みずほ銀行に、まだ一度も行ったことがない。

富士銀行の普通預金通帳がいっぱいになってしまったので、駅前のみずほ銀行(元富士銀)へ行かなくちゃ、と、思ってはいるのだけれど。
もともと面倒くさがりでこういうことを後回しにする性格。そのうえ、このゴタゴタしている時期に行って、何かややこしいことになりはしないかと思うとドキドキしてしまう。

無精者で小心者。私がドキドキしてどうする。それより責任者にドキドキしてほしかったな、システム統合の最終チェックのとき。緊張感皆無の答弁をなさった代表者さん、私のドキドキを、for you、あなたに分けてあげたい。

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モデムも届き、新ADSLは昨日無事開通しました。
ジャーナルだけですが、やっとHPを再開いたします。

ジャーナルは見てのとおり、「エンピツ」です。近況は読んでいただければわかるのですが、供養に専心とか言いながら、サッカーばっかりみてました(笑)

ジャーナルの過去分は整理して、旅の日記、映画・音楽等に関する比較的長い文章は独立させ、「旅」「映画」「音楽」等の各コンテンツに収納しようと思ってます。(ただいま作業中)

それから、母の事でメールをくださったみなさん、どうもありがとうございました。
うれしかったです。感謝しています(きっと、母も)。

さて、まがりなりにもHPの表紙が帰ってきたので、あのチョットコワイ写真ともサヨナラですね。
なにより、それが一番ホッとするかも。(エッ!、貴方も!?)







2002年04月07日(日) 四十九日

四十九日。父、妹家族と待ち合わせて本郷台のお寺へ。
午後からは晴れてとてもよいお天気になりました。

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かえり、ランドマークプラザのフォションでお茶を飲んで帰る。
プランタン(春)というフレーバーティがとても美味しかったので、125グラム缶を買ってきました。
ほかにもエテ(夏)、オトン(秋)、イベール(冬)と四季の紅茶があるらしい。
エテってどんな味がするのかなぁ。順番に全部飲んでみようかしらと思っています。


2002年04月05日(金) 不便なこと

J子ちゃん、電話ありがとう。とてもうれしかったです。
今度会って、ゆっくり話そうね。

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塗装・防水工事が続いているため、せっかく良いお天気が続いても、布団も洗濯物も干せない。カーテンも閉めっぱなしなので、部屋の中は一日中暗い。それで外廊下に面した自分の部屋にこもってゴソゴソ何かやっている。今日は絨毯をかたくしぼった雑巾で拭いて遊び毛をとった。拭いても拭いても出るので、最初は面白かったけれど、そのうちにだんだん疲れてきた。

夜、スカパーが入らなくなってしまった。どうやらアンテナに工事用のゴンドラが当たってしまったらしい。わー、困るなあ。多少のことなら自分で直すけれど、ゴンドラはなぁ…。あんな大きくて重たいものがぶつかったらバキ!と壊れてしまうのでは?

困るといえば、もうひとつ。ADSLのモデム、はやく送ってこないかな。(現在いままでと違う会社のADSLに切り替中。)もう半月ほどADSLなしの生活が続いている。これがなにしろ、とーっても不便。私の我慢、あと一週間くらいが限界だわー


(というような事を書いていたら、ADSLは9日から使えるようになるらしいです。スカパーアンテナの件は工事の方へお手紙を書くことにしました。マンションの玄関に専用ポストがあるので、そこへ入れておきましょう。ふぅ〜)




2002年04月03日(水) 今年の桜

昨日は気温があがって、26℃にもなったそうだ。
塗装工事の人がベランダへ入るため、一日中カーテンを閉めっぱなしにしていたからよくわからなかった。
今日は横浜(父のところ)へ出かけた。今日も大変、あたたかかった。

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電車の中で吉田秀和『時の流れの中で』を読んでいたら、

“On revient toujours.(人はいつも帰ってくる)”

という言葉に、胸を衝かれる思いがした。シェーンベルクの言葉だそうだ。

吉田秀和はこの言葉をおりにつけて思い出すという。たとえば、ある雑誌から1945年8月15日のことを思い出して何か書いてほしいとの注文をうけたときも、最初に口をついて出てきたのはこの言い回しだったという。

“人はいつも帰ってくる”。この言葉は「ルービンシュタイン」という文章の冒頭に出てくる。書かれたのは1965年の夏。内容はタイトル通りピアニスト、ルービンシュタインの演奏スタイルの変化変遷と、それを聴く自分自身の内面の変化等について書かれている。

“人はいつも帰ってくる”。この言葉にハッとしたのは、このところの私が、亡くなった母の言葉や行動に日々新しい意味を発見しながら、回想し続けていたせいだろう。受け取る側の心の状態、理解の度合いによって、唯一と思われているものの姿は、あらゆる形に変化する。

生きているときには気にもとめなかったことに、ささいな意味を発見するたび、母は、それまでとは少し違った姿を見せながら、私の元へ帰ってくる。

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今年の桜はかつてない早さで咲いた。桜が咲いたのをみると悲しいので、お花見を急ぐひとたちの喧噪の陰で「早く散ればいい」などと思っていた。なるほど、千年も万年も、春が来るたびに爛漫と咲き競う桜という花ほど、見る人の心を如実に映す花もないかもしれない。

ところが。今日、横浜で風に吹かれて空中をななめに流されていく桜の花びらを見ていたら、「散ればいい」ではなく、素直に「きれいだなぁ」と思っている自分がいた。あるいは私が「散ればいい」などと思ったのは、どうせ来年も再来年も桜なら咲くじゃないかという、どこか投げやりで乱暴な気持ちがあったからかもしれない。

けれど、来年の桜と今年の桜は同じではないのだ。同じとき、同じ桜でさえも、見る人の心によって、花は違って見える。そう気づいたとたんに、宙を漂っていく花びらが(私にとっての)何か特別なもののように思われた。
姿かたちを変えながら“ひとも、桜も、いつも帰ってくる”のだろう、きっと。



2002年03月30日(土) 不思議なご縁

中学時代からの友人、K子から電話をもらったのが17日。
その中学時代に住んでいた場所にほど近い墓苑へ出かけたのが翌18日。
で、結局、母のお墓は18日の場所に建てることに決まったのだった。

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今日、K子に電話して「昨日、久しぶりにそっち方面へ行ったら、なつかしかったワ〜」と話す。不思議なご縁で母の永眠場所をまたそちらの方に定めたから、連絡をとりあって会いましょうと言うと、K子、「ねえ、そこ“○×の杜”という墓苑じゃなあい?うちの父もそこにお墓買ってあるのよ」と言う。

たしかに“○×の杜”なのだ。K子のご両親はまだご存命なのだが、お父さんはうちの父と同じ大正生まれ。K子は一人娘だし、生前墓を建てて、心を軽くしておきたいと思われたのだろう。
「“○×の杜”は平坦地で歩くのが楽だから良いと父は言うのよ」と私が言うと「そうなの。うちでもまったく同じこと言ってた。階段や坂道は登るの大変だから」、とのことだった。

こんなことってあるのだろうか。偶然にしても、あまりに不思議なご縁だ。単純にうれしくなってしまったのだが、あまり喜びすぎるのも不謹慎かな、とあとから思った。



2002年03月29日(金) なつかしい場所 その二

冷たい雨の降る中、父と妹と三人で横浜の墓苑へ。
五月の百か日法要に借りる部屋を予約する。

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妹は今日はじめて母のお墓の立つ場所を訪れた。「ここかぁ」と言ってうれしそうな顔をしたあとで、「私ここ、一度来たことがある」と言う。小学生の頃、キリスト教系の児童クラブの子供たちと一緒に遊びに来たのだそうだ。当時この場所は自然を活かした公園のようになっていたらしい。

「それで、あんまり楽しかったから私もそのクラブに入りたいってお父さんに言ったの。そうしたらお父さん、うちは仏教だからダメ、と言ったのよ」、だそうだ(笑)。これには父も苦笑いだった。

帰り、バスで以前25年間住んだ家の最寄り駅へ出て、そこから電車に乗った。私がそこを訪れるのは十五年ぶりくらい。なつかしい、などというなま易しいものではない。まるで夢をみているようだった。その場に母が一緒にいないことが、なんとも寂しく、残念に思われた。

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横浜で妹とお茶を飲んだ。そのときに妹から聞いた話。

昆虫はアルコールが好きで、お酒の臭いがするとすぐに寄ってくる。また、飼っている虫が弱ったときには餌の野菜にお酒を塗ってやると元気になるのだそうだ。

妹の家で以前クワガタを飼っていたとき、少し元気がなかったのでエサの胡瓜に焼酎を塗ってみた。しばらくして覗いてみると、クワちゃん(という名前だそうです)はプラスチック水槽の中で、仰向けにひっくり返っている。やはり夏を越して体力がなくなっていたのだ、仕方がない、明日埋めてあげよう。と、台所のゴミ箱のふたの上に置いておいた。

ところが、翌朝埋めてあげようとふたの上を見たところ、クワちゃんの姿がない。おかしいなーと思って周りを探してみたが見あたらない。???と思ったけれど忙しさに紛れて、ま、いいやと忘れてしまった。ところが夜になって天井近くの壁に大きなゴキブリを発見。(賢明なアナタは、もうおわかりですね…!)

急いでスプレー殺虫剤を持ってきて、よくよく見てみると、アレ?ゴキブリってこういう形してたっけ?
・・・あーーーっ、クワちゃん!クワちゃんだー。生きてたんだね、クワちゃん!

結局クワガタは酔って寝ていただけだったという…。
妹曰く「普通死んだ虫のアシって縮こまってるでしょ?クワちゃんは、アシ、ダラ〜ッと伸びた状態だったの。私も変だとは思ったんだよね」、ですと。…ほ〜んとかなぁ!(笑)

ま、また妹とこういう馬鹿馬鹿しい話が出来るようになってホントによかったなあ、と。そのひとことに尽きますわ。




2002年03月28日(木) ポーランドvs日本

良い試合でしたね、きのうのポーランドvs日本。
欧州のナショナルチーム相手に、アウェーでの完封勝利。

私の印象に残ったのは、ピッチ上で中田ヒデからアドバイスを受ける市川の姿。それから後半、ヒデが蹴ったコーナーキック。低めの弾道で小野が頭であわせた(惜しいヘディングになった)ボール。

あと、試合終了後インタビューを受けるトルシエ監督が、沸き上がるよろこびをこらえながら話していた様子(笑)。つとめて平静を装ってましたが、最後の最後に爆発。川平慈英にチューしちゃってました。

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しかし、本当に驚いたのは今日のスポーツニュースですよ。なんて言う番組だろう。フジTV深夜の番組で、カリオカ(ラモス)の喋るコーナーがある番組。
そこへ出てきたカリオカが日本代表を、ま〜あ、誉めること誉めること!
始終ニコニコして、今日は批判的なことは言わないんだ、ですって。
あんなの、初めてみたもん私。勝ったことよりむしろ、カリオカの上機嫌の方に驚いたかも。
いやいや、本当に今日はめずらしいものを見させていただきました!


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