Leonna's Anahori Journal
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2002年05月08日(水) |
ゴダール『愛の世紀』 |
ひきこもりたがる我が身を家から引き剥がすようにして、公開中のゴダールの新作『愛の世紀』を観に行った。
いやー、よかった!ゴダール。頑張って出かけた甲斐があったなー。 ゴダールというと難解というイメージがあって、だからチョット、というひともいるけれど。私の場合は逆だから。 私はワカラナイから、謎があるから、何遍も繰り返しゴダール作品を観る。『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』なんてもう二十回くらい観てる。で、観るたびに発見があって飽きるということがない。
だから、ワカラナイ=嫌いということにはならない。ことゴダールに関しては。恋愛と一緒で、謎があるからこそその吸引力も増すというものなのです(笑)。
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『愛の世紀』はゴダールのなかの“大人の時代”への渇望が生んだ映画だ。 私はこの映画をみて、トルーマン・カポーティが生前コレットと交わした会話を思い出した。(その様子はカポーティの絶筆『叶えられた祈り』のなかに描かれている)
パリのアパルトマンにコレットを訪ねたカポーティは、ベッドに横になったままの憧れの“女王”にこう訴える。
「私は自分が何を望んでいるのかわからないんです。私は自分がどうなりたいかはわかっています。つまり大人になりたいんです」
あの、或る意味、非常に悪名高いカポーティがこのような言葉を吐くこと自体に震えるような感動を抱く私なのだが、答えるコレットの言葉もさすがに含蓄モノだ。
「そんなこと誰にも出来ないことよ。大人になるなんて。あなたが考えている大人になるっていうことは、知性だけのひからびた服を着た人間になるってことなの? 羨望とか悪意とか貪欲さとか罪とか、そうした欠点をみんななくしてしまうということ? そんなこと不可能よ…(後略)…」
このコレットの返答は長く、後半部分がまたスンバラシイので興味のある人はぜひ読んでみてほしいのだが、それはともかく、彼女の結論はこうだ。 私たちは勿論、時々は大人になることもあるし、数少ない高貴な瞬間も人生のあちこちに散らばっているだろう。しかし、そうした瞬間の中で一番重要なことは死である。死が私たちを最後にはただのモノ、純粋なモノにしてくれる…
コレットのこの深い洞察とウィットに富んだ言葉(このウィットの部分は全部読まないとわからないかもしれない)はカポーティを力づけただろう。(私だって救われる思いがした)けれど、カポーティは何とかして“大人”になろうという努力を続けた、と私は思う。だって、誰だって心の平和が欲しい。ましてやカポーティのような特異な才能に恵まれた人間がそれを欲しないはずがない。だからコレットの言葉を慰めとし、励みにしながら、カポーティは書くことを通して自分なりに“もっと大人に”なろうとしていたと思うのだ。
『愛の世紀』のゴダールは私の中で、このカポーティの姿とダブる。輝かしいものであるはずの新世紀(二十一世紀)に滅びの予感をしっかりと抱きながら、そして自らもいずれは死んでいく人間とわかっていながら、歴史と現実を真正面から見据え、“大人”であろうとするゴダールは泣きたくなるくらい若々しい。 これは、この世紀に大人であろうと真摯に望む者は、まるで子供のようなかたくなさと真っ直ぐな視線をこそ持たねばならないということ、なんだろうな、きっと…
あ、そうそう。この映画のパンフレットには映画の採録シナリオがついている。それからゴダールのインタヴューと矢作俊彦(トシちゃん!)のテキストまで載っているんだよ! チマリス、狂喜乱舞 in 日比谷、でした。
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帰り道、散歩がてら銀座まで歩いて、山野楽器で TRICERATOPSの『2020』を買う。
きのうの夕方ラジオをつけたらこの新曲がかかって、絶対買おうと決めていたのだ。まったく和田唱ってのはあの若さで、どうしてこんなに上等の sentimentを持っているんだろう。
家に帰ってエンドレスでかけて、サビの“2020年の夜明けに写る 僕らどんなだろう”というところで、今日みた映画を思い出して泣いた。いーじゃないか、ゴダールとトライセラが一緒くただって!(笑)
日本時間あす朝のレアル対日本の試合。 ジダンもラウールも出ないんですってサ。体調が不安なんですって…
んむむぅ・・・
な〜んだよな〜んだよぅと思っていたら、フィーゴは出るという情報が。 なんか、フィーゴじゃんけんで負けちゃったのかななんて思ったりもする。 さらに、西澤が腹痛を訴えているとの報道あり。 よ〜っぽど相性が悪いんだね、スペインと…。
さらに。そればかりか、さらに。 中村俊輔、ヒザの腫れがひかないため試合には出ないそうです。 午後のテレビニュースでそう言ってました。プスン!・・・
でも起きちゃうんだろうな、観ちゃうんだろうな、明日早朝の中継。 気分は、ぱふぱふ〜ッって感じなんですけどね。 というわけで、今日はめずらしく早寝です。 ボン・ニュイ、オヤスミナサイ…
『手練れのオヤジをなめてはいけない。 いわんや、シメオネをや。 by レオナ』
というわけで、セリエA最終節、優勝に王手をかけたインテルを、ラツィオが阻〜〜〜止! インテルはここぞというところでエリート集団の脆弱さを露呈し、終わってみればよもやの3位転落。優勝はユヴェントス、2位ローマということで今季セリエAは決着した。かわいそうなのはレコバにセードルフ、カロンといったところか。連覇を狙いながらすんでのところで逃したローマのカペッロ監督は、少しばっかり人相が悪くなっていたような…(笑)
それにしても、さすがユヴェントス。昨年のローマとは違い、優勝慣れしている。ファンの乱入、ユニフォーム強奪にも余裕の表情。スター選手も剥がされ脱がされながら笑顔を絶やさない。みんなパンツ一丁で嬉しそうに飛び跳ねていた。…アタシも嬉しいわ!
2002年05月03日(金) |
吊り下げ式猫用給水器 |
きのうのジャーナルに『貧乏サヴァラン』のことを書いていて、面白いはなしを思い出した。 高橋睦郎『友達の作り方』の森茉莉の項によれば、その昔、高橋氏に気に入りの食パンを一山分けてあげたモリマリさん、翌日になって高橋氏に電話をかけてきて「昨日あげた食パン、帰って食べてみたらとびきり美味しかったので、貴方にあげたのが惜しくなっちゃった」というようなことを言ったらしい。そうして高橋氏がどう対応すべきか困っている間に電話は切れてしまったそうだ。
こういうのを読むと、さすが本家モリマリにはかなわん!と嘆息する。 贅沢貧乏を気取るのは簡単だけれど、この根性の入り方はさすがだ…
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ところで。今日は午後になって、小さなお客様があった。
わが家はマンションの一階なのだが、床面は地面(コンクリートの前庭)から1メートル50センチくらい高くなっている。昼過ぎ、ベランダに出て干した絨毯を叩いていたら、前庭の端をゆっくりと猫が横切っていくのが目に入った。あまり見たことのない白っぽい成猫で、ゆっくりというよりはヨタヨタと、腹をコンクリにすりつけるようにして進んでいく。急いで台所からカルカン(ドライフード)の箱をとってきて舌をチャッチャッチャッと鳴らし、「ニャーコ、ニャーコ」と呼んでみる。このカルカンの青箱は去年、近所を徘徊中のミーちゃんや横浜の父の家のそばにたむろしていた兄弟猫たちにやるつもりで買ったものだが、実際にはまだほんの一掴みほどしか使っていない。
私は手につかんだカルカンをパラパラッと落として白猫の気をひき、うちのベランダの真下まで引き寄せたところで、さらに撒いてやった(朝のチーズのときとは打って変わって気前良くやった)。そうしておいて、猫が食べている間に吊り下げ式の給水器を作る。これは、1.5メートル下にいる猫に飲み水をやるためのもので、お味噌の入っていたプラスチックのカップと針金とヒモで作った。カップに水を入れてスルスルと下へ下ろすと、しばらく遠巻きにしていたがやがてそばへやってきた。そうして、しばらく水のにおいを嗅いだりしていたのだが、とうとう一口も飲まずにお帰りあそばした。
白地にところどころ薄茶色のはいった猫は明らかに洋猫の血が混じっていて、眼はとてもきれいな水色をしていた。薄汚れて、野良猫ぶりもかなり板についていたけれど、こちらを見るときの眼を見ると、以前人間に飼われていたことは間違いなさそうだ。 マリーちゃんと勝手に命名して、吊り下げ式給水器はまたこの次のときのためにとっておくことにした。

これが吊り下げ式猫用給水器だ。これを下へおろして、ヒモをベランダの手摺に結んでおく。
やっぱり、アレなんだろうか今年は。厄年。
年初からあれこれ、あまり良くないことが続いてはいたけれど、ここ数日でやっと気が付いた。具体的なことは書かないけどね、いやぁ、ホ〜ントにろくなことがないねぇ、今年は…!
それで、ほとほと嫌になって布団を被ってふて寝してみたりもしたのだけれど(どうせ、連休)。今日はきちんと起きて、朝ご飯を食べて、スーツを着てよそ行きの顔をして出かけた。
面接だったのだ、実は。週に何日かだけでも外で働こうかな、と思って。でもこんなご時世で職を求める人は多いし、雇う側にしてみれば、若くて優秀なひとを採りたいでしょうしね。あまり期待は持たずにおこうと思っている。(どっちみち厄年)
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面接の帰り、日本橋のデパートの地下で紅茶とチーズを買って帰る。紅茶は普通のダージリンを買うつもりが、あれこれ見ているうちに、フォションの黒缶(プレステッジ)を買ってしまう。これは値段が普段の紅茶の倍以上した。私にとっては少し贅沢だけれど、ささやかな気晴らしということにする。
それから、サンタンドレという白カビのチーズ。このチーズは昔、一、二度母親に買って帰ったことがあった。ハイカラな食べ物には疎い母だったけれど、これはよほど気に入ったのか「そこらのケーキなんかよりよっぽど美味しい」と言って喜んでくれた。それで「その白いフワフワしたのは全部カビだよ」と教えるつもりが、言えなくなってしまったのだ。なにしろ、レアのステーキというものが信じられない(生焼けの肉なんて!)というような素朴かつ保守的なひとだったので…
家へ帰ってテレビのまえの卓袱台に向かい、紅茶を淹れて、小さく切ったチーズと苺を食べていたら『貧乏サヴァラン』を思い出した。森茉莉の『貧乏サヴァラン』。
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夜、日本代表対ホンジュラス。3−3の引き分けだった。 うまくいかないこともあったし、決定力不足は相変わらず否めないけれども、先行されながらしつこく追いついてドローに持ち込んだのはエライ。前半の不具合を後半修正して、最終的に負けなかったというのは“実力”と言えるのではないだろうか。
ここ三日ほどは、めずらしく忙しかったのです。 長い電話がかかってきたり、急ぎの手紙を書いて出したり。また別の電話がかかってきて外でひとと会ったり、居酒屋で宴会(打ち上げ)に同席したり。私にしては、めずらしいことばかりでした。
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そんなこんなでしたが、今日は朝からお洗濯と、スカパーでサッカーという通常モード。昨夜ライヴで観られなかったローマvsキエーボを観てから、インターネットで他チームの試合結果をチェックしました。
キエーボには強いローマ(インテルとは対照的)は5−0と豪快な勝ちっぷり。ただしトッちゃんは負傷欠場(バティはスタメン)、カペッロ監督は出場停止処分という状態でしたが。五得点の内容は以下の通り。
モンテッラ 25分 モンテッラ 34分 モンテッラ 51分(PK) エメルソン 74分 カッサーノ 81分 この期に及んでハットトリックですよ、モンテッラ。それで、当然さって顔してるところがニクイです。そして、まさに鉄人・衣笠エメルソン。シブイ、上手い、強い。最後はチャッカリこぼれ球を押し込んだ“舎弟”。得意げな顔が可笑しかったです。でも私が一番感激したのはまだ回復途中であろう大スター、バティの献身的なプレーぶりでした。
なお他チームはというと、インテル、ユヴェントスとも勝ち。よって上位3チームは揃って勝ち点3。今年も最後の最後までデッドヒートのセリエA。
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ところで今日はキリンチャレンジカップ、日本vsスロバキアの日でもありました。がこの試合、私はあまりよくわからなかった。 稲本の一本で効果的に攻撃へ繋げるパスのアイデアとか、柳沢が初めてのポジションに慣れて段々ヒートアップしていくさまとか、一生懸命応援していたのですが…。
ひとつだけはっきり言えることは、実況と解説の人、ずーっと喋りっ放しでウルサイ。夏用のメッシュのユニフォームは冬用の厚い生地より破けやすいとか、『おお牧場は緑』はスロバキアの歌だけど元の歌詞はもう少し深刻な内容だとか、そんなことはどうでもいいです。イライラ。前半もう2点は取れたよなと思うと、余計、イライラ。

ゆうべはめずらしく、居酒屋で打ち上げパーティに出席。 でもアルコール駄目、生もの駄目の私は静かに座っているのみでした(笑)
2002年04月25日(木) |
続・ドサクサしてきたゾ! |
今日未明にアップした読書ページのテキストなのですが。 リンドバーグ夫人『海からの贈物』に関する文章、どうしても気に入らないので書き直します(だって駄目駄目なんだもん)。打ち直して、明日再度アップしますので、悪しからず。
ところで今日横浜へ行った帰り、このまえと別の本屋を探したのですが、無いですねえ吉田健一の本。少し前まではチラチラと見かけたのに、完全に消えてしまいました。どうするかなあ。こうなったら買うかなあ、吉田健一集成を。それとも森茉莉や百鬼園先生のように、この先、細々と復活ということもあるのだろうか…
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さて、ここからはセリエAです。スクデット争い大詰めの第32節(21日)もなにやらドサクサ… まず、首位のインテルがキエーボに2-2の引き分け。2位のローマもミランに0-0の引き分け。でもって3位、自力優勝のなくなったユヴェントスがピアチェンツァをくだし、ローマを抜いて2位に浮上。 だーかーらー、ここで勝たなくていつ勝つんだよ、ローマ!(←15日のをコピペ)
ミランもミランだ、こんなときばっかり力出して。どうしてもっと早くから、こういう堅い試合をやらないの。インテルはとうとうホームでもアウェーでもキエーボに勝てなかったし。ローマは次、ホームでキエーボに負けるようなことになるとオシマイ、連続スクデットの夢が消えてしまうのではないか…? どうするの、え?、どうするのよ、トッチャン!
ところで、前節パルマ戦でパルマDFカンナバーロの足が顔面を強打、担架で運ばれてしまったバティストゥータ。完全に失神した状態で、一時はかなり心配されたようですが。口の端を七針も縫う大ケガながら、幸いまもなく意識も戻り現在は順調に回復に向かっているそうです。これはまさに不幸中のさいわい。よかったですね、バティもカンナバーロも。
てなわけで、バティはおそらく次の試合も出られない。こうなったらあなたと舎弟で力をあわせて、モンちゃんに球を集めるしか無いわ。ここが正念場。頑張るのよ、トッちゃん!

月曜から今日までベランダの防水工事で、再び植物たちは家の中。
2002年04月22日(月) |
ジャン-ルー・ダバディ氏をめぐる冒険(2) |
…ところが今月18日になって突然、私がJ-L・ダバディ氏の作詞した曲を(そうとは知らずに)ずっと聴きつづけていたということが判明した。
この日私は二枚のCDを交互にかけながら“恋するラジオ”というタイトルでジャーナルを打っていた。CDは両方ともジュリアン・クレールという歌手のアルバムで "Julien"(97年発表)と、"Ce n'est rien 1968-1990"というベスト盤。
ジャーナルを打ち終えて何の気なしにベスト盤のライナーを開いてみていると、ラストナンバー"FAIS-MOI UNE PLACE"の作詞者が、フランソワーズ・アルディとなっている。おやアルディだ、他にも有名なアーティストに書いて貰ってるのかなと思って当たってみると、75年の作品"PARTIER"を含めて4曲の作詞者に Jean-Loup Dabadie のクレジットが…。
Jean-Loup Dabadie ???・・・Jean-Loup Dabadie !!!
じゃっ、じゃっ、じゃん・るー・だばでぃって、これダバディ(父)じゃん! …と、こういうことになった訳なのです。
ちなみにジュリアン・クレールというのは60年代後半から70年代にかけて活躍したフランスの男性歌手。自ら作詞作曲も手がけるが、甘いマスクと漆黒の巻き毛でアイドル的人気も高かった。(当時、日本でも大変な人気だったというけれど私はあまりよく覚えていない)。
私がジュリアンを知ることになったきっかけは、'90年頃、友人がダビングしてくれた"FAIS-MOI UNE PLACE"という彼のアルバムのテープ。「パリで買ってきたんだけどアナタが気に入りそうな感じ。聴く?」と。で、聴いてみたらこれが、アダモ風の歌い上げるシャンソン。でも、ククク…と泣けてくるくらい私好みの音楽だった(笑)。喉の奥でガラガラいうような、タバコの吸いすぎみたいな、でも独特の甘い響きのある、ラテン系の男性に特有の声。日本人男性にこういう声を出すひとはいない。おそらく、骨格だの声帯だのの段階で違っているのだろう。
このジュリアン・クレールとの邂逅に関しても書けばいろいろあるのだけれど、長くなってしまうのでここでは端折ることにする。するけれど、ひとつだけ書いておくと、ジュリアンと日本のレコード会社の契約はとっくの昔に切れていて、日本盤はもちろん、外盤でも入手はまず不可能な状態。前掲の二枚のCDは私が97年暮れにパリへ出かけたときに向こうで買ってきたものだ。ジュリアンは確かにいまは、60〜70年代ほどの人気はないだろう。しかし最近の彼が到達した円熟の境地には、あの時代にはなかった魅力が横溢している、と私は思う。
えー、何が言いたいのかというとつまり、私は彼のディスクが欲しい!(笑)。アソコへ行けば外盤が置いてあるよとか、中古のレコードをみた、あるいはウチの店にあるよという情報があったら、教えて戴きたいのです。ヨロシクオネガイシマス。
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話をJ-L・ダバディ氏へ戻そう。 ジュリアンのベスト盤に収録されているJ-L・ダバディ氏作詞の曲は以下の4曲。
"PARTIR" "LE COEUR TROP GRAND POUR MOI" "MA PREFERENCE" "FEMMES...JE VOUS AIME"
ま、読めないし、意味もほとんど解らないんですけどね(笑)。 それでも"LE COEUR TROP GRAND POUR MOI"は特に好きで、わからないなりに♪♪ ジャァヴゼム!ジャァヴゼム!ジャァヴゼム!…とサビの部分はいつも一緒に声を出して唄ったりしていた曲。それだけにこの歌詞を書いたのがBF氏のお父さんだと思うと、あまりの奇遇に改めて驚いてしまう。 また、アルバム"Julien"にもダバディ氏作詞の曲が入っている。
"elle danse ailleurs" "on peut rever"
この2曲は昔のナンバーにくらべると、一段と深みを増した大人の歌という印象が強い。"elle danse ailleurs"なんか、目を閉じて聴いていると、明るい憂愁と一緒に幸福感がヒタヒタと押し寄せてきて、何ともいえない気持ちになる。
そういうとき、このあいだまではこの曲の作詞者が誰かなんて気にもとめなかったけれど、いまは「ああ、これ如何にも『夕なぎ』を書いた人に相応しい、素晴らしい曲だなぁ!」と、そんなふうに思うのだ。

私はあなたの書いた映画や歌の世界が大好きです。ダバディさん、どうもありがとう、メルシ・ボクゥ。
2002年04月19日(金) |
ジャン-ルー・ダバディ氏をめぐる冒険(1) |
お天気になった。風もやんだし。ここぞとばかりに布団を干す。
夕方、眼科へかかりに外出。 デイジーのアーティストによるコンピレーションアルバム“Strange Flowers Vol.1”を買って帰る。ジャンルの特定しづらいCDなので、あちこち探してもなかなか見つからず、医者にかかっているあいだにお店の人に探しておいてもらった。
そのあと書店で吉田健一の本を買おうと思ったら、一冊も置いていない。これは事前に調べておいて、中公、ちくま、講談社文芸と文庫本の棚を順番にみてまわったのだが、見つからなかった。残念。しかたなく別の本を買って帰る。
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サッカー日本代表監督の通訳兼パーソナルアシスタントといば、フローラン・ダバディ氏である。彼は映画雑誌『プレミア』日本語版の編集者でもあるが、去年初の著書『「タンポポの国」の中の私』を出した。昨年暮れだったか、私はこの本を立ち読みしていて驚きのあまり思わずエッと声をあげそうになってしまった。なぜか。
彼のお父さんはジャン-ルー・ダバディといってフランスではとても有名な脚本家だという。さらに、父上は最近ではクロード・ソーテ監督と共に『ギャルソン!』という映画を手がけたが、これは日本では好意的に迎えられたものの、本国フランスでは興行的に失敗。以降、あまり表立った活動はしなくなってしまった、というようなことが書かれていたからだ。
イヴ・モンタン主演の『ギャルソン!』は、私の大好きな映画である。この十数年間に観た映画の中でもベスト3に入る作品。モンタンの口八丁のプレイボーイぶりが、面白うてやがて悲しき物語。人生で手に入れたいものはたくさんあるけれど、実際に手に入れられるものの数は限られている。若い頃は時間(未来)は無限にあると思っていたけれど、どうやらまったくそうではないと気付いたときに、ひとは何を得ようとし何を失う覚悟をきめるのか…というような事を描いた“大人”の映画。しかし、この脚本を書いたのがBF氏ことF・ダバディのお父さんだったとは!
さらに本には、お父上は作詞も多く手がけていて有名なところではミッシェル・ポルナレフにも詞を提供したことがある、とも書かれていた。う〜ん、これまたど真ん中を突かれちゃったなあ、ポルナレフだってさ…
あとから調べてみると、ジャン-ルー・ダバディ氏はクロード・ソーテやトリュフォー作品のホンを多く手がけており、前者では『夕なぎ』を、後者では『私のように美しい娘』を監督と共同で書いている。 …はぁ〜、これはスゴイや。お父さん、有名なはずだわ! でも気の毒だなあ、『ギャルソン!』が評価されなかったっていうのは。私はあの作品からたくさんの事を学んだ。私にとっては、あれは一生忘れられない、そして私の人生に直接影響を与える一本でしたよ、ダバディさん。そんなことを思っていると、なんだか胸の奥がカ〜ッと熱くなってくるのだった。
ところで。ミッシェル・ポルナレフについては、去年買った初期のヒット集“LOVE ME,PLEASE LOVE ME”で調べてみたのだが、残念ながらクレジットにジャン-ルー・ダバディ氏の名前は見あたらなかった。ポルナレフは国民的な歌手で楽曲数も多いし、70年代以降にコンビを組んだのかもしれない。そう思いながら歌詞カードをしまい、ケースをCDの棚へ戻したのだった。
以下、後半につづく
ほんの数回しか聴くことはできなかったけれど、細野晴臣さんのラジオ番組 DAISY WORLD が終わってしまって、とても残念だ。
DAISY WORLDは日曜の深夜、J-WAVEでオンエアされていた。私は二月に部屋の模様替えをしていて偶然この番組をみつけた。新しい自分の部屋で卓上ラジオの入り具合を調べていたら細野さんの声が聞こえてきて、それが DAISY WORLDという番組だった。
忘れもしないこの日のゲストは Gutevolkの西山豊乃さんと、高木正勝さんという、まだ二十代前半の若くて寡黙な音楽家ふたり。そして、このふたり(二組)の創る音楽の、なんと刺激的だったことか。無国籍で個性的で繊細で…、私は秘密の宝物をみつけたようなうれしさで一杯になった。こういう感覚はそれこそ二十代の初めの頃に味わって以来久しぶりのことだ。
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DAISY WORLDは終わってしまったけれど、前出の二人の曲も入ったオムニバスアルバムが DAISYレーベルから出ると番組で言っていたっけ。たしか4月下旬の発売だったはず、とオフィシャルサイトへ行ってみた。 すると、アラ?もう3日に発売になっているみたいよ?(笑)。 それでは明日、眼科へかかりがてら山野楽器へ行ってみることにいたしませう。ちょうどカードのポイントがたまっているのでそれを遣って入手しませう、そうしませう。
さらに、うれしいことに。5月から新たに細野さんの番組が、inter-FM(76.1MH)で始まるらしい。DASIY HOLIDAYという番組で、今度は土曜深夜の放送。日曜深夜より土曜の方が聴きやすいのもうれしいことです。ぜひ毎週チェックしませう、そうしませう。

『恋するラジオ』はジョニ・ミッチェル“You Turn Me On,I'm a Radio”の邦題。ロマンチックなタイトルだけれど、 内容は別れた恋人ジェイムス・テイラーへの苦しい思いを歌ったものだった。 写真はわが家の恋する?ラジオ。でもパソの電源入れるとノイズで聞こえなくなってしまうのです…
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