Leonna's Anahori Journal
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2002年06月16日(日) |
女王陛下のロックンロール |
昼間、TVをつけたら野外ロックコンサートをやっていて、歌っている人を見たらビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンだったのでびっくりした。フルオーケストラをバックに『カリフォルニア・ガールズ』を歌っている。それから『グッド・ヴァイブレーション』を歌って、アメリカからイギリスへアリガトウ、と言って引っ込んだ。
しばらくみているうちに、それが『エリザベス女王戴冠50周年記念コンサート』であることがわかった。会場はバッキンガム宮殿の前庭。 ブライアン・ウィルソンのあとにはエリック・クラプトン、スティーヴ・ウィンウッド、ジョー・コッカー、ロッド・スチュワート、レイ・ディヴィスなどが出てきて歌った。 (ほかにクリフ・リチャードなんかの顔もみえたから、私が見る以前にも、もっとたくさんのアーティストが出てきて歌ったのかもしれない。)
ジョー・コッカーのときにはクィーンのブライアン・メイが横でギターを弾いた。昔、武道館でみたときと(遠目には)まるで変わっていない。ロッド・スチュワートは一時よりも随分若返ったように見える。喉のポリープを取ってから歌声までフレッシュになった。ポール・マッカートニーはこの日は白髪を染めていた。クラプトンと二人で、亡きジョージ・ハリソンの曲を二曲演った。
傑作だったのはレイ・ディヴィス。この人、よくまあこんな場所に出てきたなと思っていたら、歌い始めた曲が『ローラ』だった。『ローラ』はキンクス1970年のヒットで、内容はロック史上初めて、公然と性倒錯者について歌ったもの。“クラブで出会った素敵な女性に誘われて家へついていったら実は彼女は男だった”…そういう歌を、女王陛下のお祝いの席で平然と…。まさに「雀百まで踊り忘れず」(笑)。
しかし、なんだかんだ言っても一番面白かったのは、冒頭に書いたブライアン・ウィルソン。きちんとネクタイしめて、キーボードの前に座って、相変わらずニコリともしないで歌ってましたわ。でもって、それを見ているロイヤル・ファミリー(故ダイアナさんのダンナさんと息子達)もおっかない顔してジーッと見つめてるんですよ、ブライアン・ウィルソンを(笑)
それはともかく。『グッド・ヴァイブレーション』を生で聴いたら冗談抜きでブライアン・ウィルソンは偉大だと、改めて感心してしまった。もの凄く前衛的で、しかもきれいな曲!。発表当時はもちろん、いまでもあの曲を生でキチンと演るのはむずかしいはず。でも、この日の演奏はバッチリ決まっていました。
きのう、イ・ズーからきいたセネガルの話から。
イ・ズーは劇団の広告写真の仕事でセネガルへ行った。撮影地のひとつにバオバブの林というのがあって、バオバブの木というのは一本でもとても面白い形をしているが、それが見渡す限り何もない平原のなかに林となって生えているさまは日本では決して観ることの出来ない幻想的な眺めだそうだ。
プレーリー(平原)のなかの林だから、山深い日本の森などと違って明るい。明るいだだっ広い平原のなかに、忽然とバオバブの林が在る。しかし忽然と現れたのはバオバブだけではなかったらしい。現地に着いて撮影準備を始めてふと気がつくと、数人の子供がいつのまにかそばに立って、イ・ズーたちの仕事を見つめていたというのだ。
イ・ズーいわく「まわりには家も道もなんにもないのに。いつの間に、どこから来たのか、全然わからないのよ〜」(笑)
その珈琲色の肌をした小さな子供たちはその後も、撮影作業の途中で確認するたびに少しずつ増えていったそうだ。 「でも、本当にどこから来たのかわからないの。『歩いてきたの?』って訊いても黙ってるし。」 「まるで、プレーリーから生えてきたかのように…(笑)」 「そう!そうなのよー。ホントに不思議なの。」
その集まってきた子供たちのなかにひとり、眉間のあたりに何か貼り付けている子がいる。何かと思ってよく見たら、サッカー選手のシールだったそうだ。昔、お菓子のおまけに爪でこすって転写するシールが入っていましたよね?私も家の柱やタンスにこすりつけてよく両親から怒られた、あのシール(笑)。
子供の眉間に貼られたそのシールは、もしかしたらディウフ選手かアンリ・カマラ選手(いずれもセネガル代表、FW)のシールだったかもしれません…

これは昨日イ・ズーからもらったおみやげ。林檎のシナモン煮と梅ジャム。ラベルまで全部お手製です。

林檎のシナモン煮をアイスクリームといっしょに食べました。ベリウマ〜〜〜。イ・ズー有難う!
2002年06月02日(日) |
nakata.net.cafe |
友人のイ・ズーを誘って、筋肉痛のケアに使うマッサージオイルを買いに銀座へ。松屋裏のニールズヤード(英国の薬草療法の店)でオイルとサルヴ(軟膏)を買う。
テニスとマシントレーニング後の筋肉をこれでもって揉みほぐしてやろうというわけだ。物凄く薬草臭いけれど、私はこういうのは大丈夫。(というより大好き。)さて、効くかな?
買い物のあと、歩いて有楽町へ移動。以前から行きたいと思っていた東京国際フォーラムのnakata.net.cafeへ。テラス席でローストチキンのプレートとコロナビールを前にしばし歓談。
私たちが着いたのは午後一時くらいで、混んではいたけれど入場制限はなく、なんとかテーブルも確保することができた。ところが時間が経つにつれて店内は猛烈に混み始め、二時前には階段下に長蛇の列が。おそらくアルゼンチンvsナイジェリアをカフェのモニターで観戦しようという人たちが集まってきていたのだろう。
しかしnakata.net.cafeは期間限定の仮設カフェ。それで、二階テラス部分の強度の関係から一定の客数を超えると入場制限が行われ、出たお客と同じ人数だけ順番に入れてもらえるようになっている。 ビールを飲みながらイイ気分で小一時間も喋ったりインターネットをしたり、楽しく遊んだ私とイ・ズー。そろそろ並んでいる人たちに席を譲りましょうと二時過ぎに外へ出た。
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ところで、この日イ・ズーは派手な柄の巻きスカートをはいて現れたのだけれど「きれいな色ね」と言ったら「セネガルで買ってきたんだ」、という。…セネガル!初戦でフランスを撃破したセネガル。なんてタイムリーな!
でも、そう言われてみれば確かに昨年秋、彼女は仕事でセネガルのダカールへ行ったのだった。出かける前に電話がかかってきて、9・11のテロのこともあり「少しビビっているんだ」と言っていたのを旧ジャーナルに書いた覚えがある。(セネガルは回教国で、その時期はちょうどラマダンに当たっていた)
それで、カフェでの話題はもっぱらセネガルのみやげ話ということになったのだが、これがまた大変面白かったのだ。実に抱腹絶倒、そしてチョッピリ不思議な雰囲気も…。 このセネガルの話については、また日を改めて書きたいと思います。


ビールについてきた紙製のコースター。記念品として大事にとっておきます。
母の百箇日供養と納骨の日。黒服を着て、朝から出かける。 電車に乗ると、法事か葬式か、喪服を着たひとがけっこう多い。今朝はなぜか夫婦二人連れというのが多くて、見るとどの夫婦も似た顔つきをしているのが面白い。
五十代くらいのある夫婦は、ふたりとも小柄で真っ黒な髪をしていた。短くて濃い眉毛も真っ黒。黒目がちの小さな目に、尖り気味の唇までそっくりだ。並んで腰掛けて、つまらなそうにむっつりしているところをみると、まるで兄妹のようにも見える。 …こんな光景を導入部として気の利いた短編小説でも書けたら面白いのだが、残園ながら私は“読み”専門なのだ。
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行きの電車の中では、吉田健一『本当のような話』を読んでいた。吉田健一を読んでいて助かるのは、いま此処にいる人間が過去のこと、過去の記憶とともにあってもそれが所謂“過去に生きる”ことにはならなくて、むしろそれ自体がいまを生きているということであり、そもそも人間とはそういうものなのだと明確に書いてくれていることである。
こういう時間と場所と人間(人間と過去、もしくは現在)というものの関係についての混乱、感情的な“迷い”がなくなると、とても楽になる。唐突に、あのコレット女史に「大人になりたい」と訴えたカポーティも吉田健一を読んだらよかったのに、と思った。
それで、集まった十人ばかりの近親者とお経を聴く間も、新しいお墓にお骨を納めるときも、めずらしく静かに、自分自身でいることが出来た。お骨が、お墓の下の磨かれた石の上に安置されたときには自然に涙が出て、それが当たり前のことで、泣いている自分がどう見えるかなどということを考える自分はどこにもいなかった。寂しさよりも、安堵感と感謝の気持ちの方が大きかった。
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納骨の後、レストランで会食。真夏のような暑さのせいかビールがやたら美味しい。それからキャンティワインが出て、これも喉に沁み入る旨さだった。
叔母のひとりが、旦那に先立たれてからみるみるきれいになった初老の女性の話をすると、教師をしている叔父が「夫に先立たれて美しくなるなどもってのほか。女性の幸せは夫に先立たれたら途端に元気を失い、三日ほどで衰弱してコロリと死ぬことである。そのためにも男は、女房を教養ある女性に教育しなければならない!」とぶって、大いに受けていた。
帰りに父のところへ寄ってお供え物を分けていたら、スルメがあった。どうしようかなと迷ったが、ベランダに吊したら近所中の猫が寄ってくるかもと思い、一枚もらってきた。が、まさか本当に猫にくれてやるわけにもいかない。そのうちに焙って、芥子マヨネーズをつけて食べようと思っている。
「半袖って、きもちいいわね!」
そいう科白があった。たしか、大島弓子のマンガに。 この季節、今日のような天気の日には、いつもこの言葉を実感する。
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この間ジャーナルで、吉田健一の本が書店から消えてしまったと書いたばかりだというのに、今週は立て続けに二冊も、吉田本が手に入ってしまった。
一冊は『時間』(講談社学芸文庫)で、これは津田沼の丸善でみつけた。見つけた瞬間、奪い去るようにして小走りでレジへ行った。こういうことがあると、これからは本屋さんへ行くたびに松茸狩りのひとのような目つきになってしまいそうだ。
もう一冊は『本当のような話』で、これは海外に住む本好きの友人が「二冊持っているから」とわざわざ送ってくれたもの。この友人は吉田健一の熱烈なファンで、私が吉田本に興味を持ったのも彼女の影響によるところが大きい。
吉田健一の本を読むには、「いまなら読める」というきっかけとタイミングが必要であるように思う。このような友があることも、また、他人のすすめる本なんか読みたくないという意地も希薄になるほど歳をとることも、なかなか悪くないナと思うこの頃だ。
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あ、そうそう。書店といえば。 少し前に、新潮文庫の新刊として出た『百鬼園随筆』と『百鬼園随筆 続』。この二冊の表紙カバー画が面白い。百鬼園先生と菊の花。それから百鬼園先生、くるくる(目まい?)の図。 すごく味のあるヘタウマ系イラストで、内田百間の癇症ぽい感じが良く出ている。もしかしたら長岡毅(原田宗典の文庫カバーを描いていたひと)の絵じゃないかな。そう思ってカバー裏を確かめてみたら・・・何て書いてあったと思います?
カバー装画・芥川龍之介
・・・・・!
龍之介と百間は同じ漱石門下で仲がよかった。百間には『湖南の扇』『亀鳴くや』など龍之介のことを書いた短編がいくつもある。ただし、最期の方はいつも睡眠薬を手放さず、むしろくるくるしていたのは芥川の方だったようだが…。しかし、そういう友の姿を見つめる百間のまなざしは決して冷たいものではなく、才能ある友の苦悩を淡々と写していたように思う。平台に積まれた新刊文庫のカバーを眺めながらそんなことを思い出していると、なんだかこみ上げてくるものがあった。
いずれにせよ、芥川の絵は傑作です。笑えます。今度本屋さんへ行ったとき、もし覚えていたら見てみると面白いです。

今年も朝顔の種をまきました。青い方は「富士の青」、赤い方は「平安の暁」という種類(名前)です。
テニスで左腿のうしろの筋をのばしてしまった。体重をかけると痛い。 低いボールを拾おうと、腰をかがめて踏み込んだらズキーンときた。 走れないのでトコトコと早歩きでボールを追う。
痛みに耐えながらボールを打ち返しているとき、“選手生命の危機”“別メニューで練習”“登録抹消”等々の言葉が浮かんでくるのは、明らかにテレビの観すぎというものだろう。
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先週金曜日のオリジナルラヴのライヴ(アルバム『ムーンストーン』のツアー)、とても良かったです。
私は生で田島貴男を観るのは初めてだったのですが、粋でね、声も音もライヴアクトもまったく期待を裏切らないものでした。 そりゃ、エルヴィス・コステロもいいですけどね、日本にだって田島貴男がいるじゃあないか!って、そんなふうに思いました。
あと特筆すべきは田島の減量の成果でしょうね、やっぱり(笑)。一時期の30%減くらいにはなってましたよ。なんでもボクシングで絞ったのだとか。
以前からボクササイズには興味があったので、わー、私もやってみたい!とは思うけれど…いかんせん“別メニュー”の身では当分無理そうです。
きのう。 夜、11時ごろまでサッカー日本代表選手(23人枠)の発表を待っていた。
おかしいな、おかしいな、発表17日のはずなんだけどなあ・・・
で、ふとした瞬間に気が付いたのよ。おかしいのは私だって。 きのうは16日。発表は17日、つまり今日だって。 ほんと、どうかしてるわ!私。
いま午後三時になるところだけど、協会からの発表はまだ。 残念だけど、テレビを消して出かけます。 今日はこれからシブヤAXでオリジナルラヴのライヴがあるのです。
(街では代表決定の号外が配られるんじゃないかしら。記念にほしいナ)
では行ってきます。
九日ぶりの晴天。 当然、布団を干したいわけです。
ところが、エライことになりました。足ばかりか、腕も痛い。筋肉痛。 着替えのためにシャツの端を持って交差させた両腕をあげようとしたら、二の腕の内側に激痛が走った。昨日、久々にラケットを持ってフルスイングしたせいだろう。手のひら、親指の付け根のふくらんだところまでコリコリに凝っている。
きのうは腿の裏側だけだった足も、今日はもう、まんべんなく痛い。腿からふくらはぎ、お尻の上部までギチギチの筋肉痛。ジーパンから足を引き抜こうとしたら(かがんで片足立ち)、イッダ、イダダダァ〜と声が出た。階段は上りより、下りがつらい。
それでもね。今日も一件、履歴書出してきたんですよ。アタマはクルンクルン、筋肉ギシギシだったけどね。ムースでなんとか落ち着かせた髪の毛を、歩いているあいだに風がほぐそうとするので冷や冷やしちゃったわ(笑)
良い結果がでるといいなー。こういう場合はやっぱりアレかしら。バンテリン。 「きっと、ケッカでるよ!」、てか。

若布、油揚げ、ニンジンで炊き込みご飯を作りました。レトルトの具をつかうより安く美味しく出来ます。
2002年05月13日(月) |
テニスのレッスン再開 |
今日からまたテニスのレッスンが始まった。ラケットを握るのは実に一年半ぶり。
ぜんぜん打てなかったらどうしようと思っていたのだけど、コーチの球だしに対してはすぐに勘が戻った。それで、今度テニスをやるときには絶対試そうと思っていたこと〜オープンスタンスで前を向いたままフォアハンドストロークを打つ〜をやってみることにした。
少し前までフォアハンドの打ち方は、ラケットを引きながら身体をひねり、横向きから身体の回転を利用して振り抜きましょう、と教えるのが一般的だった。ところがプロテニス(特に男子)の世界では球速が速くなる一方で、いちいち横を向いてラケットを引いていたのでは間に合わなくなってしまい、オープンスタンスが一般的に。それでスクールでも、最初からオープンスタンスを教えるところが増えているらしい。
もちろん、私のレベルではラケットも引けないほどの剛速球を相手にすることなどほとんどないのだが、正面を向いたままラケットを振り抜いてボールが真っ直ぐ飛べば、ラケット面が正しくボールに当たり順回転がかかっていることの証拠になる。私はもっとも基本的なフォアのストロークに苦手意識があるので、どうしてもこのオープンスタンスを打てるようになりたかった。
それで、気分はアンドレ・アガシになってオープンスタンスで打ってみた。そしたら、…アリ? ちゃんと真っ直ぐ飛んでるじゃない?? どこいった、私の“横向いてひっぱたき打法”は。 なんか、休んでるあいだのイメージトレーニングで、打てるようになってたみたいです(笑)。休んでて打てるようになるのなら、次はもっと長く休んだろか…
逆にダメダメだったのは試合形式。同じクラスのオバサマが、負けじ魂で打ち込んでくる“掟破りの蠅叩きボレー”の前に、ことごとく失点を喫した。くやしいねー、すぐそこに落ちてくるボールが見えているのに、あと一歩が出ないのよ。実は、レッスンが始まったらすぐ足にくるのは目に見えていたので、ジムで軽くトレーニングはしていたのだけど。やっぱり、一朝一夕には、ね…
それで、いま、スンゴク腿のうしろとかふくらはぎとか痛いです。足、ヨレヨレになりました(涙)
きのうの夜、カウンターが20000を超えました。 それで、記念の言葉をサイト名下に入れてみました。
Flvctvat nec mergitvr.
フルクトゥアット・ネック・メルギトゥール、と読む。ラテン語だそうです。意味は“たゆたえども沈まず”。良い言葉でしょう?
実はこれ、十六世紀以来のパリ市の標語。雨や風でいかに水面が荒れても、揺さぶられるだけで決して船が沈むことはないという、セーヌの船乗りたちの心意気を表したものだそうです。そして、このサイトをあらわすのにピッタリの言葉でもありますよね?(笑)
ところで、今日も私はTRICERATOPSをかけているんですけれど、いみじくも和田唱が『2020』のなかでこう歌っています。
♪僕はまるで沈没しそうな船のよう でも君がいて ここまで来れた 進まなきゃ意味がないのさ これより先へ
そうなんです。和田クンの言うとおりなんです。和田唱エライ(笑) 開設以来この小さな個人ページを訪れてくださった全ての方に、お礼を申し上げます。どうもありがとう。
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さて。ここからは、昨日書かなかったサッカー、レアル・マドリード対日本代表のことを。
ジダンもラウルもイエロもいなかったけれど、やはり相手が強いと締まりますね、試合の内容が。悪天候でコンディションは最悪だったけれど、日本代表は頑張ってたと思います。敵地(ヨーロッパ)で雨でやられっぱなしといえば、昨年の対フランス代表戦の悪い思い出があるから、あの二の舞だけはイヤだったんでしょう。 こういうタフな試合で力をみせた稲本、本領発揮してきたなという感じです。ヨカッタ!
この頃では自分の中に日本代表に対する信頼のようなものが出来てきていて、点数上の勝ち負けだけで一喜一憂ということは無くなった。 次のノルウェー戦が楽しみです。
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