Leonna's Anahori Journal
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2002年07月14日(日) 吉田本、鷲掴み。

買い物に出かけた先で、大きめの書店に入った。なんとなく心がザワザワするので、もしやと思って文庫の棚をさがしたところ・・・

あった。ビンゴ!吉田(健一)本、ひとかたまりを発見!思わず鷲掴みにする。
『金沢/酒宴』『絵空ごと/百鬼の会』『東西文学論/日本の現代文学』『文学人生案内』。それとすでに入手済みの『時間』と『本当のような話』も見境無く一緒にひっ掴んでしまったので、この二冊は元へ戻した。(すべて講談社文芸文庫)

これらの本は絶版扱いで、書店に残っている分しか新本では買入手不可能。まさに一期一会の本たちなのだ。ついていた。
「きょう〜は良い〜日だ〜」と歌い出したいような気分で、もう二冊、別の本も買う。池澤夏樹の『むくどり通信 雄飛篇』とマルセル・デュシャンへのインタヴューをまとめた『デュシャンは語る』。

私は、徹頭徹尾、自分のスタイルを貫き通した芸術家が手前勝手なことばかりゴチャゴチャ言うのを聞く(読む)のが好きだ。そういう意味で、このデュシャンの本は面白そう。帰りに喫茶店でパラパラとめくっている間にもこんな発言を発見してうれしくなってしまった。

“家庭というのは、自分の本当の考えを放棄させて、それを家庭によって受け入れられるものと交換してしまうのです。社会やほかのがらくた一切とです”

ここでは何故私が結婚したかとか、なぜ今も結婚の状態にあるのかなどということはさておくとして。なんかこう、ええどぉ、ええどぉー、デュシャン!というかんじ(笑)
たとえ都合の悪い真実でも、この言葉には真実だけがもたらすことの出来る或る種の爽快感がある。



2002年07月12日(金) エゴ・ラッピン『Night Food』ほか

ジャーナルを読んだ友人から「仕事、楽しそうだね」というメールを何通かもらった。

えーと、それはですね。楽しそうに見えるところだけを取り出して、拡大して、少ーし対外向けにお化粧して(フェイスブラシ二はけ分位)書いてるからなのね。
一応は、ストレスなんかもあるよー。
特に一昨日とか今日とか、まいったよー。

でも、やっと一週間が終わってうれしい。こういう曜日の感覚とか、他人とのチョットした軋轢とか、遊ぶぞーって開放感も、三年半ぶり。だから「ま、いっか」と思えるんだろうね。
フンッ、こうなったら小金貯めてやるぞ〜(へへ。)

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先週の日曜日にCDを三枚買った。そのこと、書こうと思って忘れていたので書きます。

 “Night Food” EGO-WRAPPIN'
 “HAPPY END PARADE 〜tribute to はっぴいえんど” 
 “Life goes on” Dragon Ash

エゴ・ラッピンのは濱マイクの主題歌『くちばしにチェリー』を買いに行ったらちょうどアルバムが出たところだったので。これはカッコエエよ!そして暑い季節にぴったりの音楽。ただしインドア系だヨ(笑)。夏で夜でお酒がある感じ。去年はk.d.ラングだったけれど、今年の夏はこの一枚だ。

HAPPY END PARADE はトリビュート物の二枚組。参加ミュージシャンは小西康陽、スピッツ、田島貴男、つじあやの、キリンジ、片寄明人、WORLD STANDARD 等々。
一曲目から小西の『はいからはくち』が超絶激クール。奥歯ガタガタもの。それでスピッツの『12月の雨の日』でウンウン唸って(歪むギターとマサムネの声!)、『抱きしめたい』の田島貴男の息づかいを聴いたらばもう、これ以上ガマンでき〜ん!(笑)試聴用のヘッドホンをかなぐり捨ててレジへ走ってましたよ。聞き応えのある一枚。

ドラゴンアッシュは、ドコモCFタイアップ曲のマキシS。
♪メニマイズ、ソ、メニライブ、オルダタイムメイクミ、ソ、クレイジ〜(いっしょに歌っております)
若々しくて元気で大好きな曲。ドラゴンアッシュはこの頃になってようやくミュージシャンとしての素顔(正体)がわかってきましたネ。
  
…とまあ、三枚買って三枚とも当たりというめずらしい結果に。ラッキー&ハッピー。
  
  


2002年07月11日(木) 酷暑の中、墓参

朝起きてみたら台風6号は通り過ぎたあとだった。晴れて、暑い。
酷暑の中、父と待合わせて亡母の墓へ詣る。

十五日、新盆に帰ってくる母のためにお墓の掃除。
お盆が終わって戻ったときのためにきれいにしておいてあげるのだそうだ。
父は黙々とお花を替えて、お線香に火を付けると般若心経を唱える。

以前私は、父親のこういう律儀さを形式的なものだと思っていた。昔の人間が大切にしている習慣的なことで、これをしなければなんとなく落ち着かないのだろう、と。

しかしこの頃では、形式半分、あとの半分はココロからの要請なのだなと気が付いた。そしてその要請は強くて混じりけのないものであることも段々わかってきた。昔の人間、大正生まれの日本男児はそう簡単に感情を表にあらわさない。それが愛情ともなればなおのことだ。いきおい、形式にココロを盛ることになる。

お経をあげたあと、雑木林のそばの東屋に入ってサンドイッチを食べた。日陰に入ると自然の風が心地よい。台風一過の空が真っ青だった。

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それにしても今日の暑さ、八十になる父にはかなり堪えたようだ。ゆっくりゆっくり摺り足で歩く。横浜駅で別れるとき、心配になって家までついて行こうかと思ったが「大丈夫だから、早く帰れ」と言ってきかない。

帰宅してからも気がかりで電話をかけたのだが、なかなか出ないので鼓動が早くなる。やっとつながったときには「いま家に着きました。今日は早く寝てください」と言うのが精一杯だった。

夜。茗荷をきざんで冷や奴を食べた。のどに沁み入る美味さ。











今朝、洗濯物を干していたら野良猫のマリーちゃんがベランダの下に来ていた。
すぐにカルカンブレッキーズを投げてやったが、吊り下げ式猫用給水器(5/3の日記参照)を下ろしたら驚いて逃げてしまった。
  
       


2002年07月07日(日) 新しいメガネ

「承っておりました、新しいお眼鏡が出来ました」との電話。
さっそく取りに行く。
   
   
     
・・・・見事に“ザマス”だったよ。
    
    
     
今度忘れた頃に、写真なんかアップするかもしれない。(本人は、けっこう気に入っているのだ)

  
  


2002年07月04日(木) 新盆

父の家へ行く。

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15日にお坊さんを呼んで、母の新盆のお経をあげに来てもらうことになった。このあたりではお盆は8月ではなかったかと思うのだが。父ははなから7月にするつもりであれこれと準備をすすめており、私と妹は「ママが帰ってくるのが待ちきれないのかな」などと話し合ったりした。

少し前に訪ねたときには、仏具店の折り込み広告を見ながら「これも買っておくかな」とバーゲン価格の仏壇グッズにマジックで丸印をつけていた。これには少し驚いたが「電池で点くろうそくは、点けっぱなしにできるから便利だよ」と教えてあげるとうれしそうに印をつけて、翌週にはさっそくもう買ってきた。

また「新盆用の白い提灯を買う」と言うので、「そういうのは省略してもいいんじゃないかな」と不用意に発言したら機嫌が悪くなった。あとで妹にきくと、福島のお義母さんの新盆には親戚からいくつも白い提灯が送られてきた、とのこと。私が知らなかっただけで、白い提灯には新盆をむかえる家族(親族)の気持ちが込められていたのだなと反省した。

ところで父は今度お経をあげに来るお坊さん(四十九日のお経もあげてもらった)に、自分の葬儀も頼みたいのだそうだ。縁起でもない話だなどとは思わない。きっとひとつでも先の用事を済ませておきたいのだろう。「そうだね、そうしたら安心できるもんね」というと「引導を渡して下さいって頼んでおくんだ」と言う…

   
ところで私はというと。ついこのあいだ初めて母親を亡くして、目の前で話している父親も遠からず居なくなってしまうのだと思うと、悲しくて頭がどうにかなりそうである。これまで、不覚にも私は親を亡くすのがこれほどまでに悲しいことだとは思っていなかったのだ。

なぜならば、世の中のおとな(主に中年以降の人たち)にはすでに親を見送った人が大勢おり、その人たちはみなけっこう普通に生活を続けていて、それを見て私も「そりゃ悲しいけれど何とかなるものらしい」と、漠然とそう思ってきたからだ。

しかるに、今の私の気持ちは「騙されたゼイ!」とでも言いたいくらいのもので、世のオトナが心にこんな深い悲しみを抱えながら生きていたなんて、あたしゃ知らなかったよ!と驚いているのだ(バカみたいですが)。世の中、その身になってみなければわからないことだらけだ、と、つくづくそう思う。

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ところで、いまポール・オースターの『孤独の発明』を読んでいるのだが、その中に、作者に向かってこんな面白いことを言うお爺さんが出てくる。

“小さな子供が、ずいぶん妙な目にあったものだ”

小さな子供とはかつての自分のこと。妙な目というのは、成長して大人になり、予想だにしなかった色々な経験を経てやがて皺だらけの老人になってしまったということだ。

私は今日、この言葉を父に教えてあげた。そうして「きっとお父さんも、すごい冒険をしてきたことになるんでしょうね。なにしろ私のような娘を持つことになったんですからね」と言うとかすかに笑ったようだった。

それから「私はまだこれから何十年か冒険を続けることになると思うけれど、一体どんな目にあうのかと思うと楽しみなような、そうでもないような」と言ったら、今度はニッコリしたので、私もハハハと笑った。

空気がやわらいで、ほんの少し気が楽になった(オースターさん、ありがとう)。

  


2002年07月03日(水) Latte Latte

ああ蒸し暑い。はやく明けてくれないかなぁ、梅雨。

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今日は仕事でとなりの駅までおつかいに行きました。
かえりに、暑いなー、何か冷たいもの飲みたいなーと自販機を見たら、あっ、コマーシャルで犬みたいに歩いてたヤツがある!

そうです、サントリーのコーヒー飲料 Latte Latte(ラテラテ)です。まだ飲んだことがなかったので、さっそく買ってみました。そうしたら…

あの小さなペットボトルを実際に手にすると、手足がはえてきてCFみたいに歩き出すんじゃあないかという気になりまして。しばらくの間、縦にしたり横にしたりしながら、しげしげと眺めてしまいましたよ(笑)

そんなLatte Latte(ラテラテ)でしたが、飲んだらとても美味しかった。パッケージ(フレンチブルーのカップの絵)も可愛いし。ファンになりました。

ところで、あの“子犬の散歩”風のCF。あれは“ペット”ボトルという洒落なのかしら?今頃こんなことに気が付くの、私だけ?(わかるの遅い)










Latte Latte飲んで今日も元気なクマのアレキサンドル。「アレキと呼んでください。ドウゾヨロシク」

  


2002年07月02日(火) 歓迎、友情出演『濱マイク』

今朝、仕事に行ったらイトーチャンがやってきて
「レオナさんはドラマなんか観ますか?」と訊くのだ。

「あんまり観ない方だけど、観るのもあるよ。なんで?」
「昨夜『濱マイク」ってドラマ…」
「あーみたみた!全部じゃないけど観た」
「ワーイ、やっぱり観てたー!」

ここでひとしきりワーイワーイと盛り上がった(笑)。続いてイトーチャンが、

「ドラマ面白いし、永瀬ってば本当にイイ男!」。

これは問題発言だ。なぜなら若妻イトーチャンにはすんごくカッコイイ旦那様がいるから。(ちなみにこのダンナ様に私がつけたコードネームは“ドラゴンアッシュ”)しかし勿論、私は理解あるオトナなので無粋な意見などしない。そのかわりに「永瀬もいいけど私は浅野忠信のファン〜」とオトナ(?)の主張。
そうしたらイトーチャン、間髪を入れず「あっ、アタシも浅野とかすっごい好きです〜」。すわ、ライバル出現か(笑)

なーに言ってんのよー、あなたには“ドラゴンアッシュ”がいるじゃないのー。それにあなた、いま永瀬ってイイ男〜とか言ったばっかりじゃないのよう。だから、ここはアタシに譲りなさいよー、タダノブ・アサノー

…と思ったけれど、もちろん口には出さない。あくまで理解のあるオトナのふりだ。そうしたら、その瞬間にパッとひらめいた。
そのうちタダノブ・アサノ、出るんでないかい?あのドラマに。友情出演。

イトーチャンにそう言ってみると、
「それ、絶対ありそうですね。すでに小泉今日子出てるし。来週はUAも出るし。可能性高いですよ。」
「そしたらムラジュン(村上淳=UAのダンナ)も出るかもわからんナー」

そして、ここでまた二人してワーイワーイと… (少しは落ち着いたらどうやねな、オバチャン!)

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『濱マイク』というドラマは、おそらく新版『探偵物語』なのだろう。二十世紀版は松田優作、新世紀版では永瀬正敏がハマのチンピラ探偵役なのだ。面白いのは、新しい『濱マイク』の方がレトロに走っていることか…

エゴ・ラッピンによる主題歌『くちばしにチェリー』もサイケな七十年代臭紛々でイイカンジ。休みになったらCD買ってこようっと。

    
     


2002年07月01日(月) コーチがレッスンを休んだ理由

みなさん、『濱マイク』はご覧になりましたか?
永瀬正敏主演のドラマ。新番組。なかなか面白くなりそうな予感が致しマス。

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先週お墓参りでテニスを休んだので、その振り替え分とあわせて、朝から2レッスン受ける。新しく張り替えたガットの調子も上々で、バシバシと打ち込む。
ところで、6月に入ってから私たちのクラスのコーチは二週連続してレッスンを休んだ。どうしたのかしらね?と噂していたのだが、どうやらこれがW杯観戦のためだったらしいことが判明。なんでも韓国〜日本〜韓国と移動して試合を観てきたらしい。
さて。そうと聞いては黙っておれぬ。さっそくどの試合をみたのか、韓国の印象は?と突撃取材を敢行。その結果わかったことは…

  
・コーチはスペイン贔屓である。バルセロナまで試合を観に行ったこともあるらしい(ということはバルサのファンか?)。で、韓国ではスペイン×パラグアイを観てきた。

・またコーチは、ポルトガルも応援していた。で、韓国でポルトガル×ポーランドを観戦。4−0の完全完封勝利、ルイ・コスタの働きぶりに感激した、と。

・誤審問題に水を向けると…、イタリアは読みを誤った。デルピをさげて守りに入ったのがそもそもの間違い。スペイン、ホアキンのボールはどう見てもラインを割っていない。あのゴールを取り消すのはチョット…(と口ごもった)

・なお「韓国はすごく盛り上がってた。熱かったですよ〜」と、大会の興奮を思い出すかのような口ぶりで。その口調に批判的な要素は微塵も感じられなかったデス。

   
イタリア贔屓の私は、もう少しイタリアの肩をもってほしい気もしたが、どうもコーチはあまり同情的ではない様子。こういうときは、どうするか?私はこうしてみました。(レ→レオナ、コ→コーチ)

レ:「イタリアは、普段からシミュレーションくさいプレーが多いですよね。」
コ:「あー、うんうん、そうだねー」
レ:「それで、セリエでさんざんそういうのを見せられている私からすると、トッティのあれは芝居では無いと思うんです。彼が本気で芝居したら、あんなもんじゃあナイ!」
コ:「ハハハハハ、そうかー。もっとやるんだ普段は」
レ:「そうです。だからあの程度でカードなんか出すんじゃあナイ!、と」
コ:「ワハハハハハハ〜…」

これなら伊ファンであるなしに関わらず笑えますもんね。
しかしこういうときサッカーファンてのは良いですね。わかりが早くてね。
これでほんの少ーしだけ、臭いジャッジに対する怒りがやわらいだような気がします。

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夕方。ららぽーとの眼鏡屋さんへ新しい眼鏡を作りに行きました。
心配していた通り、どうやら本当にちょっと個性的なメガネになりそう。
(“素敵なマダム”になるか、“ザマス”になるか、運命の分かれ道)

   
    


2002年06月28日(金) キテレツ君のめがね

梅雨の晴れ間。
洗濯したり、布団も干したいところだが我慢して仕事に行く。

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先日、いつもかけていた縁なし眼鏡をこわしてしまった。それでこの数日、家では予備の眼鏡をかけている。八年くらい前に白山眼鏡店で作ったもので、横長四角、ハチミツ色透明のセルフレームの眼鏡。うちではこれをキテレツ君のめがねと呼んでいる。

たしか『キテレツ大百科』というテレビマンガがあって(コロスケという忍者の格好をした小さなロボットが出てくる)、その主人公の男の子がこういう長四角の大きな黒縁眼鏡をかけていた。それで、“キテレツ君のめがね”だ。

かなり個性的で、存在感のある眼鏡なので仕事にしていくのはためらわれ、コンタクトにしていたのだが、今日はこの“キテレツ君”をかけて仕事にいった。するとさっそく同じパートタイマーのイトーチャン(二十歳そこそこ・女子・人妻)が、「あっ、レオナさん、新しい眼鏡ですか?!」。

「ううん、これは昔作ったやつ。いつもの眼鏡、壊しちゃったんだ。…これはねキテレツ君のめがねなんだよ。だからあんまりかけて来たくなかったんだけどさ…」と説明すると、イトーチャン不思議そうな顔で「キテレツ、ですか…?」。

「あのね、マンガであるでしょ?コロスケが出てきて、キテレツ君て眼鏡かけた男の子が出てくるの」。すると、ぱっと電気がついたように「あーはいはい、わかりました!」。そしてさも可笑しそうにニッコリしたあとで「でもいい眼鏡ですよ、お洒落じゃないですか」と。えらい、若妻。お世辞も忘れていない(笑)。

これで気にせずにキテレツ君をかけて行かれるのはよいけれど。さらに、新しく作る予定の眼鏡も個性重視で突っ走ってしまいそうで…自分で自分が心配です(笑)

  
    


2002年06月24日(月) 墓参り

横浜駅で妹と待ち合わせて、母の墓参りに行く。

母のお墓のある場所へは横浜から某私鉄に乗って、昔、長く住んでいた町を通って行く。そこには小学生の時分から二十年以上住んでいた。窓から外を眺めるていると、このまえ来たときには息苦しくなるほどの時間の堆積(指で押せば押し返してくるような気がするほどの)を感じたのに、きょうはもうだいぶん慣れて、あまり特別な感じはしなくなっていた。

懐かしい、という感情の大波をはさんで過去と現在に分断されていた私の生活(もしくは私という人間)が、やっとひとつにつながったような感じ。そしてそうなってみると、これは今だからこそこうなったのであって、少しでも以前ならばこんなふうにはなれなかっただろうという思い。つまり、言い換えれば、なんとなくこうなることに以前から決まっていたのかなという、運命のようなものもうっすらと感じる。

運命、などと書くと大げさだけれど、その“うっすら感”はとても自然で納得のいくものだ。実際、母の墓参へ行く途中で抱く感情として、これほど相応しいものはないのではないか。窓の外をぼんやりと眺めながら、いつのまにかなごんでいた。

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あいにくの曇天だったけれど、墓所のまわりの緑は美しかった。お墓を掃除してお線香をあげたあと、妹とふたりでしばらく散歩する。歩きながらいろんな話をしたけれど、最後はいつものように栗ごはんの話になった。なぜ栗ごはんなのか。初めてこの墓地を訪れたとき、案内してくれた人が「ここの雑木林には栗の木がたくさんあるので、秋には栗拾いが出来ますよ」と教えてくれた、そのことを思い出すからだ。

妹が会社で同僚にその話をしたところ「じゃあ、秋になったら大きな袋を持っていってたくさん拾ってきてね!」と、たのまれてしまったのだそうだ(笑)。そういえば私は栗ごはんの炊き方を知らない。秋までに調べておかないとな、と真剣にそう思った。




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