事務局 日誌
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山ちゃんが来ると思ったら、今日までお休み。まだ子供さんが冬休み。
| 2003年01月06日(月) |
佐藤美恵子さん織田さんと仕事始め |
今年もよろしくお願いします。と仕事始めなのだが彼女が先に到着。散らかしっぱなしで去年の整理もしてない事務所でごめんなさい。 佐藤美恵子さんも現れ、お菓子のない新年会。そこへ以前総会にいらした滝本さんから冬のご挨拶のオカキが到来。高知から福岡県遠賀町の浅木医院へ転院とのこと。 織田さんがエクセル指導に。恵美子さん、去年の会計まとめ、奮起して来週までにしてくると資料持ち帰って自己宿題。
前日会田きよみさんから連絡があり黒岩議員が去年お世話になった方達にご挨拶したいとのこと。ALSの方を最優先にといって下さるのでお言葉に甘えご案内。市民病院で待ち合わせ山田新さん山田雅則さんとと思ったが大雪のため大幅に時間がズレ、猪俣支部長宅へ直行。ショートステイ制度を利用して下さいといわれても病院で看護婦さんが文字版を読めない呼んでも来てもらえない等の実情を聞いて頂く。市長に伝えますとのこと。 遁所さんのところで無年金問題を話し合い。 西新潟病院、守岡君の所へ。自分とほぼ同年配の勇二君に心動かされたらしく話し込み、記念写真をご自分のHPに掲載。同室のALS患者さんにもご挨拶をしていらしたが患者さんの誰よりも疲れているように見えたご本人。世界を日本を飛び回っている33才。これからの人に現場を沢山見て頂きたい。 同行した会田きよみさん、内山孝子さんも頼もしい助っ人。ヘルパー署名も沢山集めてもらったし、親身になって心配してくれるお仲間。新年早々ありがとうございます。
湊町セレモニーホールで告別式。堀川光子さん参列下さる。 長い闘病にもかかわらず多数の参列。民主商工会の後輩による弔辞、不破元書記長・船江病院長からの弔電など、活発な精神活動で多くの方々に影響を与えてきたことが伺われる葬儀だった。葬儀場までお別れをさせて頂いた。 ご子息、孫を連れたお嬢様のお姿もあり、また優しげなお身内がいらしても奥様の今後を思う。長期闘病仲間の鈴木甚栄さんご夫妻はどんな思いであろうか。
新年早々だが、岡田さんのお通夜。夜、来客でいけないので昼ご自宅へ。 あの鋭利な眼差しが閉じられた瞼の後ろになり、膨張舌が収まり、懐かしい昔の口元になっておられる。在宅療養を控え整えた家に18年ぶりで帰られたのがこのような姿であろうとは、入院時には予想もつかないことだったろう。ご子息に始めてのご挨拶。夜の準備のため奥様はご不在だった。無念の思いがおありのことと思う。心からご冥福を祈ります。長い間ご苦労様でした。
今年もよろしくお願いします。 2003年。雪の幕開け。 とさかのぼって書いている今日は22日! 冬至から一月経ってようやくエンジンがかかり始めてきた様子。 一陽来復 遅い雪国の春を迎えるがごとく、これから大きな今年に向かってみんなで前進と行きましょう! (あぁ年を取ると言い訳だけが上手くなる。)
朝、郵便番号順に並べて西局へ。会報510通ようやく投函。 岡田さんから留守電あり。不安な予感でお電話してみると13時過ぎに亡くなられたとのこと。無念・慚愧。ご冥福を祈ります。
昨日発送予定の所、間に合わず一人発送作業。枚数不足なり。
昼過ぎに印刷仕上がる。有り難い印刷屋さん海津商店。ひたすら畳んで発送体勢。さりげなく手伝って下さる佐藤美恵子さんに感謝感謝。
会報印刷所へ。その後はラベル印刷。封筒貼り。とこれはお料理ボランティアの佐藤美恵子さんがお喋りしながら天女のようにふわぁと手伝って下さる。感謝感謝。 夕刻松浜の清水美恵子さんのご主人からお電話。10月30日にご逝去とのこと。佐藤さんがALSボランティアをしようとしたきっかけの方でもあり、電話口でお悔やみと御来局へのお誘いを。またしても呼吸器なしのご最期だった。
事務局超日記

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