事務局 日誌
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2003年03月10日(月) 第4回吸引検討委員会・生の声の会

昨夜事務所へ佐々木さんから「あぽろんずチャリティコンサート」の資料FAXで入る。早速それを参考に修正。朝北ロータリー例会場の万代シルバーホテルへお届けし、その足で上京。金沢東京事務局長・堀内静岡事務局長と共にヘルパー吸引検討委員会メンバーでもありかねてからのメルトモでもある福永南九州病院院長と面談。何とか形にはなるであろうという程度の情報交換しかできないが金沢さん達への良き橋渡し役はできたとおもう。
委員会は5時から。呼吸器の方が4名も傍聴においでになり熱意が示されてきたようだ。患者会側の資料もようやく提供され、内容のある議論になってきた。終了後のミーティングでも「もっと現実を知って欲しい」という声があった。
それを受けて次回26日以前に「委員会メンバーに生の声を聞いてもらう集い」を金沢氏と計画。帰宅後、企画案内文を作成。深夜橋本委員長に送る。メールは時間を問わないから便利な道具です。


2003年03月07日(金) 不調の平岩さんIさん

いつも賑やかPCC。出席は小杉・織田・佐藤(文子)坂詰・川崎・シェフ・宮坂各氏にイベント屋の田村さん。後で塵肺署名を集めに来られた舟山さん。イノさんは用事があり、Iさんは睡眠不足による体調不良でお休み。ショートカットの平岩勇二さんがほんのちょっとだけ顔を見せて下さいました。
私は昼間本間歯科へ資料を届け佐々木さんにも一寸ご挨拶。
3時過ぎに守岡君へ宮坂さんを紹介。お母さんを交え話していたら6時半。
帰りにSさんTさんに挨拶して、平岩さんにご飯をお届けがてらご挨拶。新発田トリオも立ち寄られたとか。痛みがなくなるように緩和ケアが上手く行くといいですね。
千葉15周年パーティは150人予定の所210名になり、更に追加要望で一テーブル増やさなければと調整中とのこと。嬉しい悲鳴でもあり、9月の我らの姿を見るようでもあり怖ろしいものがあります。


2003年03月06日(木) 全国大会準備表づくり

日曜日の視覚障害者の集い用ALS協会資料を新発田保健所へ送付。
本間歯科用資料コピー。山田先生へ手紙。
実行委員会名簿(案)、全国大会準備表作成。
15日千葉支部15周年記念へ佐々木氏参加希望。席の保障はないけれど、交代で一人分をいただきましょう。電車か車か。
長岡五十嵐保健師より電話「看護資格のあるヘルパーは本当に吸引していいのか」と、「疑わしければ厚労省に聞いてください。ただ聞き方によっては屋やぶへびになります。せっかくいい材料を得たのだから現場の判断を大事にすることもあっていいのでは」と一言。
大会会場業者新参者から電話。
終日事務所。


2003年03月05日(水) 全国大会実行委員会名簿案

HP用、PCC教室クラブの活動紹介画面を作成。
11:30西新潟HPへ、MさんAさんと「五轍」へランチ800円。美味。
牧野先生・新発田伊藤保健師・村越MSWから実行委員OKの快諾。感謝。
メールの多い日20通ばかりもやり取り。結構時間を食います。
大西先生が[maee」というメーリングリストに「看護協会へヘルパー吸引への理解を求めるメールを出そう」と呼びかけています。当日記の読者は[maee]メンバーになることをお勧めします。
<http://www2.snowman.ne.jp/~masasi/ml.html>を開くとすぐ分ります。
遠回りでも分りやすいのは次の方法です。
JALSA越後のHPを開きます。目次で「リンク」をクリック。その中の「北海道支部」をクリック。「前へ」=吉田個人のHPをクリック。タイトル左下の方に「ALSメーリングリスト」とあります。それをクリックすればMLの入り方が丁寧に書いてあります。


2003年03月04日(火) 看護学生ボランティア

山ちゃんご主人転勤ではなかったとの事。本人がっかり。私にっこり。
お掃除、事務所雑物買物、少々の郵便物投函でおしまい。私のような不器用人間にはこんなことを手伝ってもらえる人が欠かせません。
長岡Oさんで事業所からヘルパー吸引が差し止められたとの事、看護師資格のあるヘルパーさんは吸引OKと報告。本日DRが来てヘルパーさんに直接抗議をしてくださる予定との事。うまくいくといいが。
太平町Yさん宅に看護学生ボランティアが先着。春休みはボランティアするとの事。若くてかわいいので患者さんは喜色満面。青陵の看護学生さん達とご縁ができると支部としてもありがたい。
帰りに猪股支部長宅へ。夜異常発汗で体が冷たくなり、奥様もお世話で寝不足気味。


2003年03月03日(月) 新自薦ヘルパー・本部役員

昨日、山田さん宅へ入る自薦ヘルパー(候補)に対して大西先生から特別講習が自宅で行われた。看護資格のないボランティア・ヘルパー等が吸引をするときにどれくらい医療的配慮がなされているかを問われるのが現実。それはヘルパー吸引検討委員会を傍聴して実感したので今回の大西先生の協力は有り難い。
本部次期役員について「正会員で適当な人がいたら略歴を書いて(本部経由)役員選考委員会あてに推薦してください」という文書が来ています。が、現役員の留任を前提としているような書き方なので問い合わせおよび抗議文を提出しました。これに関して他支部の方々からもクレームがついています。
2年毎の役員改選時に新鮮な人材を入れないと本部はいつまでも平均年齢の高いままの運営が続いていくようで、このヘルパー吸引問題など多事多難な折不安です。(支部に関しても運営批判は多々あると思いますがいつでも表明してくださるようお願いいたします。)本部役員に適当と思われる方がいたらご一報ください。


2003年03月01日(土) 呼吸リハビリ講習会特別参加

「勤労者医療協会訪問看護ステーション」の呼吸リハビリ講習会がユニゾン和室で行われた。小杉夫妻と霜鳥和子さんが参加してくださった。講師の信楽園樋口PTは優しく詳しい解説をして、呼吸器と言うより上半身全体のリハビリの様相だった。30人ほどの受講者からは「もっと引き続いて知りたい」という要望があった。小杉さんはこれを機会に病院でもリハビリを始められるといいと樋口先生と相談しておられた。小杉夫人は「来て良かった」と連発。長岡にはご主人だけの参加だったので始めて学ばれることが多かったのだろうか。
こうした小さな講習会がもっとあると良いとおもう。


2003年02月28日(金) まいど賑やかなPCC・障害児の進学

 オオバラコクタイの事務所へ行ってみると新発田トリオ(川崎・佐々木・坂詰)が既にお掃除を済ませ、パッチワークが始まっていた。猪爪さんも借り出されている。そこへ柏崎から高橋さんがスイッチの研修に来られた。光スイッチなどご案内する。小杉さんも織田さんがお休みにもかかわらず「新しい患者さんが来るというので」とおいでになった。宮坂氏、ついで私の姪等という飛び入りもあったが、1時半頃井川直子さんがおいでになった。筆記で大西医院受診の経緯を解説。これから受診とのこと。小杉さんが諄々と経験を語られ、佐々木夫人も自己紹介をかねて病気のことを話してくださった。美恵子シェフはいつものように淡々と面白いことを言っていた。
 夜、7時から喫茶「けやき」で知的障害児が定員割れにもかかわらず明鏡高校への進学を阻まれた事への抗議の理解を求めるミニ集会があり、守岡トミ子さんと参加。勇二君は身体障害にもかかわらず卒業できた。知的障害となると世間の壁は厚い「普通に暮らしたいのに訴えても訴えても私たちには厳しい世界」と言う声はヘルパー吸引の厳しさと重なっていた。24時間365日障害を持ち続け、その持ち続ける家族と離れられない家族の重さを感じさせるものだった。小学生の障害児を持つ若い家族は、何故自分たちが、まだまだこれからさらに厚い壁に向かわねばならないのかという問いかけをしていた。


2003年02月27日(木) 五泉へ

大越さんがお手製のレモンパイを持ってきてくださった。山ちゃんと一緒に観桜会の案内先ラベルの作成。一時間足らずでお帰りになった。
午後遠来の友人と五泉へ。山崎力さんを訪問予定だったが、先に新津保健所伊藤保健師から急な連絡で参加することになったケースカンファレンスのため3時から南部郷厚生病院へ。佐藤医師・青山MSW・PT・NS他十数名。終了後Iさん宅へ。バイパップで患者会は拒否だが県内に140名の同病者がいるとお話しすると涙を流していらっしゃった。
夕方ようやく山崎さんを訪問。広大な檜づくりの御殿のようなバリアフリーの新築邸宅。居間も仕事場も広々としている。週3日ほど気管切開をした今でも仕事をなさるとのこと。横山さんに励まされていること、清水さんのHPを毎日何回も開いて音楽を聞きながら力を得ていること、自分もそのうち動きますよなど頼もしいお話しをしてくださった。
真っ暗な高速をぶっ飛ばして7時近くに一足先に電車で帰った友人の待つ駅へ到着。無事一日終了。


2003年02月26日(水) 老人介護のミーティング

 松下電器松尾様から電子文字盤モニター依頼の連絡あり。3月13日木曜午前に来局することになりました。関心のある方ご連絡下さい。
 私事ですが、この日午後、実家で老人介護のミーティングがありました。93の母と74のパーキンソンの姉を10人近くの他人が看ています。保健師とケアマネさんから「老人介護の心得」「パーキンソン病について」の簡単な講義をしていただき、お互いの情報交換をしました。大変有意義でした。時々集まること、外部の人から話を聞く事は刺激になります。


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