事務局 日誌
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2004年10月30日(土) ホームページ更新

O宅訪問。
遅ればせながらホームページ更新。
先の水害の時もそうでしたが、今回も清水さんのHPとリンクして大変助かっています。

山崎力さんお誕生日。文字板注文受けました。高井さんに値段交渉しなくては。


2004年10月29日(金) pcc

秋晴れの一日。のり先生織田師範お休みの中のPCC。近藤夫妻・山岸夫妻を平岩さんが送迎。猪爪さん相馬さん手塚さんがお手伝いに。ヘルパー学校同期生の丸山・井上さんが参加。肉団子白菜鍋+ポテトサラダ+青菜の昼食作りは手塚さんあってのこと。昼食準備のため近藤さんはパソコンなにもおできにならず残念。
服部MSWが午後来局。何でも知ってると評判の平岩さんに会えて感激、とのこと。
注文ブザーファンコムより到着。


2004年10月28日(木) 遁所さん無年金裁判勝訴

10時から遁所さんの無年金裁判の判決あり。傍聴したかったが断念。
Oさん今日は体調悪くパソコンお休み。帰途裁判所に寄ると裁判は事務官が「一部勝訴です。後は言えないので報道でどうぞ」とのこと。
丁度結屋の内山さん(JALSA号をソロプチミストに申請すると良いよと紹介してくれた人)がいて「であい」を10冊渡してくれた。5月に開かれた「当事者主権を考える」集会の記録集。私も寄稿しています。黒岩先生や遁所さんの主張もあり面白いですよ。事務所にあります。

学生や主婦が任意加入だった頃、年金を払う人など少なかった。その人達が障害を負った時、一生何の収入も無く暮らさなければならない。それは放置しておいた国の方がおかしいという今回の判決、拍手です。払わなかった自分が悪いとあきらめず国のあるべき姿を問うていった原告+弁護団はよくやった。上記「であい」に遁所さんは書いています。「当事者は理想を訴え続けよう!」裁判の中で彼自身も大きくなっていったのでした。新潟CILの副代表の彼はJALSA新潟の幹事でもあります。幹事会には出てこ(れ)ないけどいつも結構気にしてくれています。障害当事者の仲間としてALSも教えられる点が多いように思います。

午前中電話取材がありNHKETVに震災と障害者特集があり西脇さん清水さんのコメントが出るかもと期待していましたがカットでした。ごめんなさい。


2004年10月27日(水) 毎日新聞

織田・佐藤コンビが清水さん宅へ激励に。清水さんの震災報告ホームページに期待します。
毎日新聞(野倉)から電話取材「ALSの患者さんが一番大変でしょうから」とのこと。西脇さんを紹介。彼女によると長岡中央に5人入院とのこと。小野塚さんも日赤とのこと。一安心。
午前10時半頃強い余震。避難10万は当分解除されないかも。4日ぶりの母子救出劇は明暗こもごも。全国が涙しながら応援している様子を町で見かけた。


2004年10月26日(火) フレキシブルスイッチ

O宅フレキシブルスイッチが上手く作動。光センサー先端をかなり上手く目的地へ持っていける。1350円くらいで出来ることにラッキー感。
気温冷却、被災地が思いやられる。


2004年10月25日(月) 事務の日・来談k氏

朝Oさん伝の心はピエゾが不良で打てませんでした。帰途ムサシホームセンターで良いもの見つけました。フフ。
午後、事務の日トリオ久し振りの顔合わせ。佐渡の会計処理他は織田さんから別途幹事団MLに報告して頂きましょう。集いレポートは小杉さんにお願いしました。お泊まりも含めた幹事団動向については清水さんにゆっくりとホームページで報告して頂きたいと思います。
2時に先日おいでになったK氏が来談。先回買って行かれたケアブックを読破なさったのかすっかりしょげきり「二日間泣きました」とのこと。・・・。
ケアブックの福祉制度について色々質問頂き、該当役所に電話で確認するなどさせて頂きました。また、お国元患者会の方にも連絡しました。積極的な方なのでお手伝いさせて頂ける事が少しでもあるとこちらも張り合いを感ずることです。
地震関連色々です。近畿ブロックの支援経験者からもfaxが入っていました。
清水さんは夕方ろうそくで食事を作っている、といっていましたがその後6時からでしょうか電気が回復した模様。良かったですねぇ!佐藤・織田さんが水曜に行って下さるそうです。

柏崎高橋さんから中村君も大丈夫と通信が入り安心しました。


2004年10月24日(日) 余震

朝清水さんから電話。一晩空き地で近所の人と過ごしたとのこと。さぞ余震が怖かったことでしょう。停電のため情報が無いとのこと。ラジオはライフラインですねェ。配給品に加えて頂きたいものです。

地震関連で安否確認を試みますが柏崎・小千谷通信不能が続いています。長岡西脇さん・高橋さんとは連絡取れました。西脇さんは車で過ごし高橋さんは入院中で奥様は避難所で過ごされたとのこと。見舞メール多数。


2004年10月23日(土) 地震・清水・西脇・高橋諸氏

午前O宅訪問。美恵子シェフのアルバム作りに苦労して午後2時半出発時ようやく渡す。「充実してた?」と聞くと「白馬はもっと凄いかも。わはは」と高笑いを残して去って行きました。最後まで元気です。

夕刻6時寸前震度5の地震。震源地は中越地方で6強。余震も続く。
皆さんはいかに?とりあえず老母病姉のいる実家へ行きました。新潟は大丈夫ですが、見附・長岡電話しても通じません。


2004年10月22日(金) PCC・さよなら美恵子シェフ

9時半近藤さんがタクシーでいち早く到着。たまたま早かった私もビックリ。
のり先生から切り取り貼り付けなど教わっていらしたとのこと。
シェフの送別会なので久し振りに佐藤文子さんも美味しいデザートと共に登場。お米は恵美子さんの魚沼コシヒカリで手塚さんのいくら丼・ノリさんのかきあえなます・和子さんのゼンマイ・坂爪さんのミョウガ他色々。猪爪さん・織田さん・平岩さん・有馬さんと賑やかに。小杉さんから自作「・・こころずくしのぜんひとつ」(だっけ?)の歌と写真と皆さんからの感謝カードを。「人生のピークだったと思う。皆さんと一緒で楽しかった」とシェフ。

夜9時Oさん宅訪問。遠藤先生に小山先生にバイバップ情報を伝えて頂いたか確認。明日から午前「伝の心」作業(教授に心境を伝えると約束した)に来ることを宣言。


2004年10月21日(木) プリンター不調

美恵子シェフへの記念に今まで写真に載っている姿を収集。PCCと畑。プリンとしようとするがプリンターが不調で時間ばかり食って何も出来ない。約束の川口さんもパーにして市内某所夕食会へ。


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