事務局 日誌
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今年最後の事務の日 総務・会計:寄付者名簿の記入。織田さんが実務担当分以外の賀状は既に出したそうです。 実務:患者家族遺族への年賀ハガキ作成。 手塚さんがちょこっと顔を見せ出来損ないと言うけれどとても美味しいハリハリ漬けのお裾分けを下さいました。 参考福祉カレッジの清水さんがご挨拶に。 エイテン小熊さんは7日(金)10時にドメインのことで来局予定。 山田雅則さんが自伝を完成されたとか。伝の心の威力!
今年一年お世話になりました。先の読めない時代、JALSAもJALSA新潟も同様です。何人かの方々と永久の別れをしながら、日々を重ねていくだけ。それでいいか疑問のまま暮れようとしています。
織田さんと震災被災の方々へ皆さんからのカンパをお届けする。 十日町の仕事場へ小泉夫人を訪ね手渡す。越後製菓の餅一箱を皆さんにと頂く。住居へ行ってみる。見たところはそのまま住めそうだが崖っぷちにあり地盤が傾いているので確かに危ないかも。 小千谷さくら病院へ小泉忠男さんと小林富美子さんを慰問。忠男さんはお元気そう。富美子さんは「生きるか死ぬかの瀬戸際だけど、不思議とよみがえる」とご自分で言われて看護婦さんは微笑んでおられた。回復途上らしい。 「歳月があっという間だけど若林さんの顔を見たらぴっとした」と言われた。古い同志の感覚か。 遅くなったが津田事務局長や若林院長ともご挨拶。 長岡は夕方になり、高橋さん、小野塚さん、最後に西脇さん宅へ着いたら5時過ぎ。お見舞い金とカンパ者名簿(コメント着き)をお渡ししたら涙ぐんでおられた。看護学校での授業風景を後で送って下さるとのこと。 時間切れで見附はパス。ごめんね清水さん。事務所へ着いたのは7時過ぎ。織田さんに更に用事を頼んでしまいました。済みません。お疲れサンタ様ですね。
午前Oさん宅、快調で3行も入力。1時間半。グッタリと消耗されていた。鶴が羽根で織物を織るように身を削って書いておられる。
2004年12月21日(火) |
相模原事件公判傍聴メモ(金沢事務局長) |
午前O宅訪問。気分は下でお休み。ブザーの依頼受ける。 相模原事件の金沢事務局長による第3回公判(17日)傍聴記[maee]に入る。 関心のある方はmaeeに参加されたい。御連絡下さい。 ************************
皆様へ報告とお知らせ
8月26日に相模原市でおきたALS患者(40歳息子)を母が呼吸器を 止めた事件に対する第3回公判が 12月17日1時半〜2時半頃まで横浜地方裁判所101号法廷で開か れました。 検察官より約40分、弁護士より約20分最終弁護、被告(母)より 最終陳述がありました。 検察官より殺人罪、懲役5年の求刑がされ、次回2月14日(月) 1時半〜3時に横浜地方裁判所101号法廷で判決言い渡しがされます。
**当日の金沢傍聴メモ。正確には裁判記録を参照ください**
検察官の論告要旨 ・ALSで呼吸器を付けていた患者。介護できないと悲観し殺害した。 しかるに被告は調書をひるがえし、承諾殺人と主張している。 被害者の気持ちは理解できるが殺人罪に該当する。 ・平成13年1月入院。3月診断。その際、母が「呼吸器をつけると外せ ない」説明をし「40歳まで生きたいとの希望」で呼吸器をつけた。 ・平成13年8月、転院先で2度の呼吸器トラブルを自分で難を逃れた。 ・平成14年に「呼吸器をつけたことを人生最大の失敗」と言い出した。 ・平成15年に「死にたい」。平成16年7月に「他の疾患になっても延命 処置はいらない」と訪問看護師と母に伝えている。 ・呼吸器外しに対して、母はふびんに思いながら「そんなことはできな い」と叱咤激励をしていた。 ・3ヶ月に1回、ショートステイを利用していた。病院では手厚い看護が できないこととコミュニケーションのことで行く事が嫌になっていった。 同年9月1日よりショートステイを予定していたが、自分(母)がコミュ ニケーションができないのに病院では出来ないと判断した。 「これまで息子を励ましていたのは自分のわがままではと思い」殺害 に到った。 ・7月より意思疎通は悪くなったが出来ていた。 ・取調べは温厚な検事であり、捜査段階の供述は信用でき、法廷での 供述は信用できない。 看護師は8月26日にコミュニケーションができたと言っているが、 「はい、いいえ」に20分かかったといっており、コミュニケーションが 困難であったということは調書と整合性がある。 ・転院先のK病院で呼吸器取り扱いミスに対して自分で引っ張り回復 した。(2回あった)。病院は「このような患者は病院におけない」と言 ったが本人は誤解からの発言であることを了解していた。 ・動機で被告は「本人の死にたい希望があった」というが調書では「わ からない」と言っている。 7月以降、コミュニケーションが困難と言っているが法廷では「当日 は不思議なことに意思疎通ができた」と言い、信用できない。「早くつ れていってくれ」は一緒ということで本人の願望。家族の介護が想像 を絶するものであり、本人が誤解されたくないと思い、供述をひるが えした。 (まとめ) ・患者の意思は確認できていない。 ・人の気持ちは変わるものであり、直前に変わるもの。思いとどまるこ ともある。 ・推測すべきではない。 ・7月8日の聞き取りメモは延命処置に消極的であるが呼吸器を外し て欲しいとのことではなかった。「ほっておいて欲しい」と理解するの が自然である。 ・看護師も供述をひるがえしている。7月8日は十分話せていた。自ら 安楽死を希望することは表明できたはず。 ・直前に呼吸器を外すこと」の確認がない。「おふくろ、ごめん」は「シ ョートステイを止めることに対してか「呼吸器を外す」ことに対してか、 分からない。 ・被害者は仮に死にたい気持ちがあっても母を犯罪人にしたくはなか った。母には死にたいと言っているが看護師には言っていない。どう しょうもない状況で起きた。母が「一緒に逝くから」と言い、患者は 「黙認」、母は「息子の温もりを感じていたい自分のわがまま」と思い 到った。 (意見) ・2倍の睡眠剤を段階的に与え、自らも包丁を別に準備していたことから 前途を悲観しての計画的犯行である。 ・一人の命が奪われた。意思疎通が低下しても殺害は許されない。 犯行の動機には同情の余地はあるが、被害者(息子)にあきらめるこ となく生きる希望をもたせるようもたせるよう頑張るべきであった。 軽々に命を奪ってはならない。 ・意思疎通が厳しくなっても懸命に頑張っている多くの患者や社会的 影響は大きい。
弁護士の弁護要旨 ・全国のALS患者・家族にとって重い事件。人間の尊厳を考えるきっか けになって欲しい。 ・ALS患者は7000名弱。ALS協会に約1700名が入会している。関 係者の善意に支えられたものが国に理解されているとは言えない。 ・呼吸器装着時、生死の選択を迫られる。後で呼吸器を外せないことを 包み隠さず医師は話すべき。装着後のケア、アドバイスをすべき。 直前までされていなかった。 ・平成13年3月13日、本人に運動ニューロン、家族へALS告知。3月末 気管切開、呼吸器装着。心構え不十分。S病院での告知が無機質であ った。転院から在宅。問題を端的に物語っている。 S病院では十分な指導を受けられず、K病院に転院。転院先での看護 師への不満。 ・在宅になって母は息子の弱気を知り、生きる希望や励ましをした。 ・平成16年8月、文字盤のみとなる。母のみに気持を許した。生きること に絶望。「人生で呼吸器をつけたことが最初で最大の失敗であった」 との発言。 母に呼吸器停止のボタンを教えた。 ・つかの間の充足感を感じていただろうが苦悩があった。看護師、かかり つけ医に死にたいことを述べていた。 ・「生き地獄」どこの世界でも息子を殺す人はいない。子供のことを思うの も母。 ・H病院の専門医より「延命を拒否しているのならメモを」と頼まれた。 ・嫌がるショートステイに送り出すことを止め電源を切る。 ・8月26日は何時になく明確に文字盤を拾った。本人が求めることに対 して、渾身の力で「おふくろ、ごめん。ありがとう」と言ったのである。 ・3年半の壮絶な闘いの中で判断すべき。生きる意味を積極的に求めな がら、できなかった患者。「おふくろ、ごめん。ありがとう」をかみしめる べき。 (まとめ) 不幸な事件であり、一応にあてはまるものではない。多くの嘆願書をい ただいた。 発症から死までの足跡をたどり、得心のいく判決を望む。被告に生きる 希望を。 (裁判長より弁護士に) ・承諾は嘱託を含むと解釈してよいか。(弁護士)よい。 (裁判長より被告へ) ・最後に言っておきたいことはないか。(母)特にありません。息子の供養 をしていきたい。
****** (このメールを読まれている関係者の皆様へ・・ALS協会事務局長 金沢)
・どこまでこの事件の詳細や背景を明らかにすべきか、それがなくては議 論は難しいことと思いますが、ご家族のプライベートなことや関係者への 配慮もあり、裁判で明らかにされたことに報告をとどめています。 (裁判では実名、機関名まで述べられています) 患者さん、ご家族にとっては重々、状況は推察、理解でき敢えてもう知りた くもなく触れたくないことかもしれません。しかしこの機会にALS患者・家族 のおかれている実態を関係者に理解してもらい、再びこのようなことが起 きないようにしなければなりません。現実を直視し、共に考え解決の道を 探らなければ第二、第三の事件がおきるこことも否定できません。 JALSAには18年余の歴史があり、告知をされ絶望の中で生きるか死 ぬか悩み抜き、また呼吸器選択に悩みながら共にその道を切り開いてき た歴史もあります。 呼吸器を付けない患者も付ける患者もどのように残された時を生きるか考 え、また支援者はALS患者の生命をどのように支え、尊厳をどのようにし たら全うできるか共に闘い歩んできた歴史があります。 今回の事件は呼吸器装着患者が増え、療養期間が伸びるなか、ALS 診断から3年半、コミュニケーションが困難になる中で在宅療養中に起き た事件であり多くの大切な問題を含んでいます。約2400名の嘆願書で多 くの方々より意見も寄せられていますが、引続き率直な感想、意見を協会 まで寄せていただけると幸です。 ・お母さんが協会の会員でありながら、地域の花見会や交流にとどまり、支 援の手を差し伸べることができなかったこと。まだ協会の活動は患者・家族 が言ってくるまで支えることができない力量であること。ALS協会の療養 支援について本部、支部として反省すべきことがあると思います。
・国で難病施策、ALS支援策が行われていますが、どこまで本当に支援になっ ているのでしょうか。 全然役にたっていないとは言いませんし多くの方々から支援を頂いています が今回の事件は一つの検証事例でもあります。 今回の事件はALSの息子と母の「殺人」か「承諾殺人」の問題ですまされる ことなのか。そうではではなく、社会性をもった事件であり他のALS患者・家 族等が抱えている問題です。 お母さんだけが裁かれて済む問題なのか。そうではないと思います。 病院からはたらいまわしにされ、在宅療養では患者の息子と母が孤立した 世界に入り、お母さんが「息子を生きろと励ますのが、自分のわがまま」と思 うようになったのは個人の問題なのでしょうか。「患者・家族が言う」ことをそ のまま受け取り、止むを得なかったこととして扱うことが医療・福祉の社会的 支援なのでしょうか。 何故、医療、福祉の関係者、機関はそのようになるまで手を差し伸べず、 機能できなかったのでしょうか。 そこまで医療、福祉関係者、機関に求めることはALS患者・家族の行き過 ぎた要望なのでしょうか。 現場のかかりつけ医や看護師は証人尋問のなかで反省の発言をされてい ます。 しかし、国や行政、病院からこの事件に関しての反省の声はまだ聞かれま せん。 聞こえてくるのは厚生労働省科学研究 難治性疾患研究事業で「よりよい 生き方と逝き方を考えるー重症疾患の診療倫理確立に向けて」というシンポ ジウムを開催し、「抽象的に呼吸器を外すことを望むALS患者を設定し、本 人が望めば外すことは許容される」等の研究発表です。 研究や議論は自由ですがALS患者・家族だけでなく同様の問題を抱える ものにとって今後に極めて大きな影響を与える事柄です。当事者である多く の患者・家族の意見も聞かず、同時にこのようなことが行われていることに 危惧を抱かざるをえません。
少し、批判めいたことを述べましたがこれは事件後に関わってきた事務局長 としての率直な感想であり、問題提起です。 皆様からのご意見を期待します。 12月20日 日本ALS協会事務局長 金沢 公明 〒146ー0095 大田区多摩川2−24−6−618 TEL&FAX 03−3758−8955 携帯 090−7188−2760 E−Mail zad97059@pine.zero.ad.jp
日本ALS協会事務局 電子メール アドレス : jalsa@jade.dti.ne.jp 電話番号 : 03−3267−6942
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2004年12月20日(月) |
事務の日・ADSLに・倉富さん |
午前BふれっつをADSLに変換する工事を待つ。来ない。午後一番とのこと。エェ?1時間半かけて完了。小熊さんにドメイン申し込む。 倉富さんご挨拶に。16日には埼玉の人。リハビリCDを作りかけたけど未完成。お送りすることに。 織田さん、賀状宛先リスト作成。寄付者名簿作成。 さとうさん経理。ご寄付カンパ多様面より。感謝。会津ALSの会からも3万円。賀状で御礼しようとのことになりました。27日の作業です。 織田さんCD金曜に沢山作ってきてくれました。それを三浦・内山各氏に発送。 井浦さん夕刻来局。久し振りなので織田・有馬・若林でさんとお好み焼き屋さんへ。チョット気晴らしになりました。雨。
しばらくオサボリしていた日誌。織田氏訂正があったら教えて下さい。
今日は支部の賀状の原案を作りました。織田・横山各氏からクレイムあり。
昨日のPCC忘年会を欠席の方にもお見せするべくホームページにアップロード。BSN愛の募金風景も。写真を加工するのに大変時間がかかるので以降はチョット考え物ですね。
2004年12月17日(金) |
PCC・クリスマス+誕生会+忘年会 山梨へCD発送 |
守岡母子・清水氏を迎え年忘れ。ノリ先生は加齢祝い。4ヶ月遅れだけど・・。佐々木・平岩・坂爪・手塚・えみこ・織田・有馬・ワタコーさんも特別参加。手塚シェフ達の心のこもった特製天ぷら、えみこ特製バラ寿司・北海道のいとこ煮他豪華メニュー。食べられなくても楽しんでくれる勇二君は神様です。 夕刻、巻保健所から依頼のKさんへ貸出の吸引器。点検したら部品が不足。急遽新鋭工業・源川医療機器の○○さんへTEL。何とか入手。感謝。 別途山梨へ本日中に送るCDのラベルを貼って40枚完成。近藤家にチョット寄った後クロネコヤマトの〆切8時半に滑り込みセーフ。 Oさんの顔もチョットだけ見に行って一日が終わりました。
2004年12月16日(木) |
大学訪問・西新潟クリスマス会・震災CD作り |
久し振りに大学訪問。YAMAGISIさん胃瘻術語順調でいいお顔色。懐かし涙。一安心。師長さん・S先生とも立ち話。西澤先生の発表画像など見て頂く。
2時から西新潟病院でクリスマス会。ロビーで看護師さん達がベル演奏・お話し語り・安来節等々大奮闘。種の会の堀川さんも付き添いごくろうさま。
山梨北島さんの講演会が金土にあるのでCDを販売したいとのこと。いつものように直前製作。CDは出来るけど、表面印刷のプリンタが発色悪し。結局金曜用はあきらめる。
2004年12月15日(水) |
ひまわり忘年会・BSN愛の募金 |
Oさん宅。初めてのメールに挑戦。嬉しそう。 ひまわりの種の会、福祉会館で食事作り着き会食忘年会。三輪・小林・田村・磯野・星・堀川・石井さんに大越夫妻も元気なお顔で参加。ごちそうさまでした。織田さんへのお土産付きでBSN会場へ。 1時半から愛の募金授与式。今年は25万円、織田さんと共に横山支部長が妹さんとヘルパーさんを介助に参加。社長、大倉さんとも面通しできて大成功、と織田レポート。若林は孫の日で失礼しました。
事務局超日記

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