事務局 日誌
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今日は久しぶりに庭の手入れ。自然はいいですねぇ。 尼崎の熊谷副支部長にこれも久しぶりにメールしました。例の脱線列車で塚口駅で乗車し毎日通勤。息子さんは一本後の列車に乗っていたそうです。私たちは死と隣り合わせですね、と。 寿美さんは昨年末体調を崩し、小康状態とは言いますが以前の様に出歩ける状態ではないようです。 理事会メールの一部ですが、1月にはこんな風に書いていらっしゃいました。 ーーーーー 寿美は、年末から体調悪く、いつもは100/99を示す酸素飽和度が95を切る事が続き、85を切る事も。心拍数も120台、130台が何時間か続き、最高148まで上がりました、熱も39,1度まで上がりましたから、苦しかったことと思います。31日の朝には「苦しい!」、「まだ、いきてないといけない(?)」を言われ、答えに悩みましたね。 3日には、「なんだか怖い!」、「近くに居てほしい」とも。子供たちには、携帯の電波の届く所に居るように伝え。 私は10日から予定していた米国出張は急きょ取り止めました。
ーーーーー 現在は小康状態のようですが以前の様に東京の理事会へご夫婦で年何回もおいでになるのはもう難しいことでしょう。ご自分の体験をどのように全国の方に活かして下さるか。ご夫妻は副会長の思いお仕事を自覚しておられるように感じます。
5月の全国総会で承認を得た今年の活動予定の中に、 「尊厳死・事前指示書等に関する調査研究委員会」、というものがあります。内容は尊厳死・事前指示書等に関する情報蒐集、学習会開催、厚生労働省QOL研究班WG参加とあります。 以前から関心があるので私もそのメンバーの一人になりました。メンバーでメーリングリストがあり、その名称問題でもめて?います。 尊厳死、などという前に、尊厳ある生を送られる療養環境の整備が先。考えるべきは死ではなく生である。よって「尊厳生委員会」にしよう、という声が強い中、若林は異議を唱えています。一度理事会で決まった(私は性だと思って賛成。他にもアレッと思った人は居る)ことを蒸し返すな、という声に、大事なことは何度検討し直しても良いのではないか、と抗戦中。 支部の事もちゃんとやれないのに、本部まで手を出してと思われるかもしれませんが、ヘルパー吸引問題同様、本部の動きが全国の患者さんの日々に直結する問題です。メールがあるので出かけなくとも参加できるのが何よりですが、精神的にかなり消耗する仕事です。でも患者さんはもっと大変。殆ど発語できない方達の思いをどうやって引き出すか、難しいところです。
暑い日。棚の整理についての話。アクリル板等熱加工工作材料組み立て:織田さん手塚さん平岩さんとJALSA新潟には器用で工夫好きで患者さんのためになることをしたいと思っている方々が沢山います。そんな方達に使ってもらえる小道具を織田さんに組み立てて貰いました。 総会のビデオようやくダビングしてます。石井保男さんの無駄のない 撮影上手にびっくりです。 筋電センサーを調べると約15万です。資金調達を考えます。街頭募金? 7月20日グローバルデーはどうしましょう? 6月は総会で幹事会無しでしたが7月は16日(土)になります。織田さんに広報をお願いしました。
2005年06月19日(日) |
NPO法人「アクセシブル新潟」設立 |
遁所さん林先生他のメンバーによる勉強会「にいがた自立生活研究会」の年次総会と第6回シンポジウム「障害者の自立生活を技術支援する!」が青陵大学食堂でありました。林・遁所・若林が15〜20分それぞれの立場で話し、私の演題は「支援技術が支えるALS患者さんの心と生活」でした。 参加約50名。 その後その実際的技術支援を目指すNPO「アクセシブル新潟」の設立総会がありました。堀田力さんの作ったある原型に乗っ取った欽定で10名の役員で0予算から始めるという実際的な物。遁所さんの組織組み立て力には驚きます。具体的活動としてはまずは第3金曜にホットスペースで様々なスイッチの展示デモをすること、毎週木曜日に同所で任意の集い勉強会?をすること。一年かけて形にして行くそうです。特にパソコンやスイッチ支援についてJALSA新潟とも巧く連携が取れると良いと思っています。
2005年06月18日(土) |
片づけ・チャリティゴルフ・Oさん |
珍しく事務局の引き出しの一部を片づけました。織田さんが作って下さったツートンカラーの整理箱。ようやくどこに何があるか少し分かるようになりました。織田さんの労作がなかなか活かせずすみません。 吉田六左右衛門後援会のチャリティゴルフから夜ミナミプラザホテルで11万余の目録を頂きました。横田めぐみさん救出会と半々だそうです。 ピエゾが巧く使えなくなってきたと娘さんから連絡を受けていたので夜久しぶりに大橋さんを訪問。文字盤で「瞼が重くなってきた。病気への不安が一杯」と涙の訴え。筋電センサーの必要性を感じます。支部として何とか支援できないものかと思います。
2005年06月17日(金) |
オペナビ講習会・工学部授業 |
午前、NECの鈴木さんがいらしたので急遽オペナビ講習会としました。諸行事の立て込む中、相談準備の余裕がなく若林の一存で講習会と銘打ちましたことお詫び致します。参加者:阿部一家・清水・佐々木・渡辺(悠久堂)・織田・川崎・平出(ケアマネ)・織田、遅れて平岩・井浦。 午後、工学部福祉人間工学科林教室の授業。学生約50名。横山さんのオペナビを駆使したプレゼンは見事。奥様のお話も悪いけど大学生にはもったいないくらいでした。お二人とももっと大きなところでALS体験、ALSとして生きることをお話して頂きたい、と思ったことでした。清水・井浦さんが応援聴講して下さいました。
2005年06月16日(木) |
さくら病院訪問・NEC鈴木さん |
午後NECの鈴木さんとJALSA号で小千谷へ。田端さんのオペナビ導入支援です。ついたら2病棟師長・小野塚事務局長・前田OT始め、NS・パソコン支援事務員・磯部(悠久堂)各氏他10名近くが待っていました。すべて鈴木さんにお任せして若林は小林富美子さん(伝の心を開始)小泉忠男さんを訪問。変わらずお元気でした。皆さん同じ病院でも顔を合わせたことがないとのこと。秋にはさくら病院で集いをさせて頂けると良い機会を作れるのではと思いました。25日(土)には横山支部長一行が行って院長にも会います。うまくいきますように。 田端さんには長岡から横山智樹さんという若いパソコンインストラクターをしているボランティアを紹介しました。永井先生のツテで縁が結べた方です。若くて感じが良く「月一回来て色々やって下さい」と頼まれていました。細かい支援は病院内の人に頼めるようにと鈴木さんがアドバイスしていました。 鈴木さんのお仕事の三分の二は専門職指導だそうです。支部で日立・ファンコムと一緒に呼んで有料で講習会をするといいですよ、とアドバイスを受けました。
2005年06月15日(水) |
種の会反省会・山田さん・西新潟へ資料撮影 |
種の会の総会慰労と反省会。「胡桃屋」。三瓶・礒野・三輪・小倉・星・有馬+事務局トリオ。学生がキビキビしていたこと、中央高校への賛辞。もっと交流会に期待してきた人が居るのにという大西先生のコメントを織田さんが紹介。 午後大学授業や「センサーと生活」という週末の講演等の資料作りのため患者さんを撮影訪問。山田雅則さん、佐藤敏明さん、守岡勇二さん。皆さんご協力ありがとうございます。佐藤さんが礒野・片山さんと「風が強かった」と院外散歩を楽しんだりデジカメ撮影を初体験したり実に嬉しそうな岡をしていらした。ひまわりさん本当にありがとうございます。
2005年06月14日(火) |
資料作り・六さん・阿賀野病院 |
金曜日の大学授業の資料作り。と言っても横山さんのお話の中にある数名の患者さんの画像を作ること。松本・鎌田・照川他のセンサーが分かるような画像を膨大なファイルから抽出加工。結構時間を食います。好むと好まざるとに関わらずパソコンには膨大な時間を捨てています。 吉田六左右衛門さんから突然の電話。週末にチャリティゴルフをやるのでご寄付下さるとか。「福祉事業をやって頂きたいのに」と申し上げたけれどご本人は「やり残したことがあるので、政治の場で皆さんのお役に立ちたい」とのこと。頂くばかりで悪いようだが「それは吉田さんの問題。遠慮なくいただきましょう」と織田さん。それは私個人への事でないから当然ですがチョット複雑な心境。一票の差で働けなくなるより地道に地域貢献はいかが?といいたいがそれぞれに持ち味、特性があるのでしょうね。 阿賀野病院石川先生とのやりとりで7月1日(金)夕方、文字盤教室の出前をやらせて頂くことになりました。5名も患者さんがおられると聞き申し出ました。巧くいって良い先例になるといいと思います。乞ご協力!
2005年06月13日(月) |
事務の日:秋山主任・広島藤永様 |
織田さんは名簿の打ち込み。会計さんはレッツチャット・吸う太等送金。本部へ看護協会の借りだしテープ宅配返却。 県の秋山主任書類を返却にいらしたついでに大橋宅訪問。実情を知って頂けて有り難い。 広島難病相談支援センターの藤永さんから初めてのお電話。災害支援について知りたいとのこと。HPなど紹介。ついでに去年4月発足の支援センターについて色々訊く。広島大学が研究費という名目で受け、教授が長。今は小児難病も受け其方の教授が事務局長。フルの保健師一人、非常勤がNSと保が各一人づつ、他に時給いくらの事務職が、皆不安定な身分にもかかわらずモチベーション(動機・意欲)が高いので頑張っているとのこと。羨ましいお話です。
事務局超日記

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