事務局 日誌
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2005年09月10日(土) 第2回本部理事会

理事会。午後1〜5時、続いてロビーで。広島県支部承認。長崎県支部は駆け込みで書類不備につき次回持ち越しへ。本部新事務員磯部さん紹介。国際会議担当吉岡・林氏による準備進捗状況報告、700名参加を目指すとか。今年のダブリンへは金沢・川上・梅田・川口等出席。患者はまだ無し。理事担当役職委員会メンバーの確認・機関誌JALSAへのもう少し見やすくという批判紹介・長崎における湯浅班研究会での井形尊厳死協会会長への海野氏による手紙についての検討をロビーで続ける。等々。JALSAいのちの倫理研究会や啓発広報委員会も一部のやりとりがあったが半ば私的な話になっていて些か妙な感じであった。代表者会議としての理事会や委員会はもう少し記録性のある内容であるべき筈なのに。革新第2期に入ったら変わってきたかも。他山の石なり。


2005年09月09日(金) PCC:スライド・お見舞い

久しぶりの面々が懐かしかった。ノリ先生はじめ佐々木・相馬・坂爪・手塚・織田各氏。鮭の甘煮や北海道のカボチャサラダ他、山岸夫人にお見舞いにもなった。食後ケニヤの動物スライドを紹介。手塚さんは山古志村の温泉に行った話でやはり(病気も天災も)災難にあった同志が助け合うことが大事だよね、という話。同感。ノリ先生に三幸福祉カレッジのコミュニケーション器機説明30分をやっと引き受けて貰い安堵。まだ他に1時間を埋めなければならない。
ノリさんと信楽園訪問。近藤さんはすやすやとお休みでいらした。○○氏へのアイマスク送付織田さんに確認。私のミスでメール再送付。


2005年09月08日(木) 長電話

前日高橋さんから本日永井先生からも推薦状についてご意見頂く。率直に言って頂いて有り難い。
午前川上さんと長電話。現行本部が呼吸器利用者支援団体と見られがちなことへの懸念を共有している。尊厳死問題についても、命はその人のものという大事な視点を見失わないようにと思う。コミュニケーション支援委員会について辞すべきか悩む。夜、実家のヘルパーさんトラブル調整。コレも大事な勉強。同時にもっと家族の介入をと要請される。


2005年09月07日(水) 推薦状撤回

昼メールを開くと大西先生から幹事団MLへ「特定個人への推薦をする所へは身をおけない、幹事を辞任し、協会とは距離を置く」とメールあり。
一撃を喰わされ目が覚めた感じで楊先生の所へ飛んで行きご相談。「そりゃ当然です。守らなければならない原則がある。色々あるでしょうけど、それはそれ、コレはコレ。でも患者さん達がみんなで絶対応援したいというなら別ですよ」と優しく的を得たお話。横山さんにTELで事情を話しご意見を求める。孫の日であれこれしながらも返事を待ち。横山さんが「そのようにして下さい」とのご意見と聞き急遽選対本部へ。大橋秘書に事情をお話しする。「越権行為だとでもいわれましたか。ケニア呆けですか。でも皆さん応援はして下さるんですよね。どうぞ投票所へ足を運んで下さい」と物わかり良く推薦状をお返し下さる。
本当に皆さんにご迷惑をおかけしました。帰国後の諸雑用でタイミングが掴めなく慌ててしまったのか判断が甘かったのか見切り発車で脱線してしまった。18年の中でここまでの逸脱は始めてのこと。自戒と防止策を考えなければ。


2005年09月06日(火) 推薦状

実家でのトラブル、旅行の片づけなどばたばたしている内に夜になった。MLに投稿して返事を貰ってからでは遅くなると思い横山さんの承認を採って大あわてで吉田さんの選対へ行き大橋秘書に「推薦状」を手渡す。団体としてお礼の気持ちだった。
Oさん宅で高井さんから教えて頂いた広域協会に登録ヘルパーになる件について検討する話し合いをする。帰宅後、推薦状のことで幹事会承認を得ないことで気が咎めているので夜MLへ報告を書く。


2005年09月05日(月) 事務の日:ただいま

昼過ぎに帰宅。メールをひとまず読んで2時半頃事務所へ行くと織田さんが事務所で一人。淋しいことになった。
お礼状・さくら病院への秋の集い打診相談など。織田さんの引っ越しはなかばすぎになるとのこと。会計任務を佐藤さんに代わり担当して頂きたい。正規には幹事会承認を得てからだが月例のもの頂く。
佐々木さんが松潟の園へ入所される日。平岩さんが手伝っておられるはず。心境や如何にです。元気でおられたい。
帰り際「吉田さんへの推薦状出しますか」と織田さん。そういえばそんな封書が来ていたのかと改めて拝見。要検討。夕刻実家へ顔を出す。懐かしい。


2005年09月02日(金) PCC・(織田・川崎記)

 PC教室:川崎・坂爪・相馬・手塚・堀川光子・織田の6名
10時過ぎに 渡辺甲子男さんの奥様と上の娘さんが来局。奥様はいまだにショックか元気なく鬱状態とか。気晴らしに事務所にお連れしたとのこと。30分位で帰られた。
 堀川光子さん、JALSA65号の朗読テープを持って来局。昼食を食べて歓談してから帰られた。6日に逓信病院に入院して、子宮のうしゅの手術をするとのこと。10日間入院・10日間静養で9月はボラをお休み。
 近藤さん・山岸さんをノリさんが訪問してくれて状況を報告してくれました。(織田記)

近藤氏は19日に行ったときより容態が安定していたようでした。
血圧・心拍数などの数値も落ち着いているようです。
朝晩入れている安定剤のせいかご本人は気持ちよさそうに寝ていました。
栄子夫人の顔が穏やかで安心しました。(心が決まったのでしょうね)
息子さん、娘さんとのこと、お孫さんとのことなど・・・いろいろ話されます。途中で平岩さんもやって来ました。今日は看護大学の学生さんの卒論のお手伝いとのこと。一時頃までALS患者の家族の気持ちを話してきたとのことでした。
山岸さんの入院は近藤夫人と山岸夫人が病院でバッタリ会った事でわかったとのことでした。寝ていて何もわからないようだと言うことでしたが、今日は調子がよいのか話しかけるとうなずいてくれる近藤氏でした。
山岸氏・・・中央病棟の個室に入っていました。処置中ということで、廊下で平岩さんと奥さまとお話しを。ずいぶん進んでいるようです。
事務所へ見えたときから、ご本人はもうここまで生きてきたから何もしないと口にされていました。でも、眼球の動きも鈍くなってきて、意志の確認ができなくなってきつつあるようです。
近藤さんと違って、奥さま一人ですので、こちらの方も心配になります。
何か差し入れなど考えてあげたいなぁと思った事でした。帰るときに山岸さんのお顔を見てきました。声をかけると右目が動いて、涙がひとつ・・・
こんな時、定期的に訪問することができると良いのにと思ってしまいます。
ノリ(川崎記)


2005年08月31日(水) 伊藤宅弔問・大橋さんへ

川崎ノリさんと一緒に伊藤さん宅を訪問し、お参りをさせてもらいました。8月12日呼吸がおかしくなり、救急車で市民病院へ行き入院。その後、良くなったり悪くなったりし繰り返していたが、27日午後3時半頃息を引き取られたとのこと。あまりの急なことで驚かされた次第。ご冥福を祈るばかりです。
その後、大橋さん宅へノリさんと一緒に訪問。体調は良かったようでした。
ゆうさん・志保ちゃんに新潟に転居を話したら喜んでいました。(織田記)


2005年08月29日(月) 伊藤隆さんご逝去

午後事務所に出勤。留守電に東新潟訪問看護ST中村さんより、27日19時過ぎにTELあり、伊藤隆さんが亡くなられた旨の伝言が入っていました。(織田記)


2005年08月26日(金) 中之口支所へレッツチャット貸出

中之口支所武田保健師とハルパー一人(氏名聞かず)が10時前に事務所に
来ました。筋ジスの患者さん(50代女性)のためにレッツチャットの使い方を練習して、1台貸出をしました。(織田記) 


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