事務局 日誌
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2006年02月08日(水) アンケート・講習会準備

看護協会で訪問看護師講習会用に患者会員にアンケートを発送。全員ではありません。先回の療養状況調査結果を同封。織田さんも自宅でなにやら講習会の準備を。先週新屋さんから沢山ジャガイモが送られてきたとのこと。西村さんから丁寧な資料他も織田さん宛に送付。市報に載ったので電話申し込みが数件。断れないし、何とかマイナスをカバーしなくては。
県庁にシネウィンドと面会申し入れ。14日2時に久住さんと会うことに。


2006年02月04日(土) 近藤夫人

近藤夫人から皆様有り難うございました、とお礼の電話を頂きました。
東京の小学二年の孫さんが家族全員を書いてその背後におじいさまが両手を広げて抱き寄せている絵を描いてくれてとか。素晴らしいご家族です!
大好きな衣装を全部一緒に持っていって貰ってきっとあの世で大もてですねと。とても明るいお声で支部とパソコン教室の皆様によろしくと感謝しておられました。

























2006年02月03日(金) pcc・本部・二人日和・

PCCは節分で手塚さんが太巻きを持ってきた。山岸夫人も入り相馬さんの絵手紙で猪さんの誕生カードを。坂爪・平岩・伊藤・織田各氏と保険屋さんの顔も。
3:20東京着。本部事務所へscansnapを持参寄贈。猪口さんもいて荒川・村上・磯部さん達とお茶。立派なトイレ。静かに懸命に仕事。絶え間ない電話。9時半出社、毎日三人で残業。ご苦労様、ご苦労様、ご苦労様。
 「二人日和」はALSという病名は一言も出てこない。発端がALSに罹患した映画職人仲間を慰めたいという気持ちだったとのこと。病気の扱いとしては些か疑問だが、病を得るということがどんなことかしみじみ伝わってくる名作。3月10日試写会。4,22〜5.12シネウィンドで。



2006年02月02日(木) NPOアクセシブル新潟・豊潤舎・ラポール新潟

 午後、遁所さん・林先生と作っているアクセシブル新潟が楽市デイサービスで話し合うというので織田さんと参加。林先生の産学地域連携の情報サービスセンター構想に繋がる遠大な計画を背景に、ITをALSのような重度障害を含め必要とする人が必要なサポートを受け資金的にも困らない恒常的なシステムを作りたい、ついては社会福祉法人豊潤舎事務局長和賀匡彦・新潟県障害者リハビリテーションセンター準備室の保田伴一氏にも話を聞いて貰いたい、という内容でした。コミュニケーション支援員の資格確保など面白い話題もありました。ALSだけで閉じこもってしまわない方途の一つとして参加しています。
 ユニゾンで部屋の下見、弁当検討。午前、悠久堂から足スタンド・ピエゾの借り入れ申し込み。講習会後検討と返答。西村さん体調不良らしいです。


2006年02月01日(水) 難病センター・川崎参事

難病センター設置お礼のため石上課長にTEL。色々あってね、私は悪役、お礼なら上村先生に言って下さいとのこと。礼状をFAX。本当にいつも突破口を作って下さるのは上村県議だ。感謝深謝。
市の障害福祉課川崎参事にTEL。Oさんの入院について付き添いをヘルパーで出来ないかと再打診。今は無理だがお話は心に留めておく。支援費の裁量が市町村に降りてくる部分があるから自分も話したいとの事。ついでに支援費説明会はないか、と聞いたら数十人集まれば説明者を派遣できるとのこと。
支部で考えてみようか。


2006年01月31日(火) 県難病センター予算OK・事務の日

日報にようやく朗報が載った。一本化だが場所をどうするのか。これからようやく三週遅れのスタート。でも良かった。
西村氏と資料打ち合わせなど。事務局で織田さんが講習会の小道具セット。午前には猪爪さんの慰問とのこと。ひな祭り外出を目指すとのこと。嬉しい。マンションエレベーターが耐震用にお色直し改修。もっと誰か引っ越してこないかな。


2006年01月27日(金) 近藤さん告別式・水原郷病院の危機

午後1時からの告別式。PCCは城田さんに留守番を頼み総出。織田・川崎・平岩・相馬・坂爪・井浦と若林。父のPCに「ご苦労様。天で待っていて」とメールがあったという喪主の挨拶に昭和2年生まれでPCCで始めてパソコンに取り組まれた若々しい精神が思い出されます。
夕方大学師長と久しぶりにお喋り。夜横山夫人にTELしたところ、水原郷病院が医師の半数近くが退職で大騒ぎとか。新聞にも出ていました。小池先生が西新潟に?正直なところ長期療養病棟では看護体制を考えて頂かなくては医師だけ強化してもいかがなものか。


2006年01月25日(水) 近藤昭二さんご逝去

朝川崎さんからの連絡で前夜ご逝去とのこと。午後お別れに。いつものように夕方きれいにしてご家族が帰って直ぐ連絡があり駆けつけたとのこと。数日前まで孫さんの声にも反応しておられたとのこと。タキシードを着せると奥様。ダンディな愛妻家のご冥福を祈ります。
夜織田さんも一緒に大橋宅でQOL班会議のビデオを数名で見る。遠藤先生も一緒。短期入所になれたヘルパーさんの必要性・切実性を訴えたい。


2006年01月24日(火) 日報桑原大輔記者

学芸部の桑原さんという方が取材でなく来局。日報家庭文化欄に半年間断続掲載している「家族」という欄への協力依頼でした。織田さんも交え話ながら「難病センター」へと話は進み、もっと報道して県にプレシャーをかけてくれ、と。そしたらなんと14日の紙面に既に出ていました。織田さんがPDF化して下さった物を幹事団MLに流します。


2006年01月23日(月) Aさんの退院

ABEさんの退院日。2時に織田さんと病院へ。6時まで自宅。PCセットナースコールセット。親戚の方に「いい金貰ってる」業者と勘違いされる。西村さんに電話相談しながら出来たので色々安心でした。


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