2005年03月30日(水) |
1962(昭和37)年 小説家 小川洋子 岡山県で誕生 |
1962(昭和37)年3月30日 小説家 小川洋子 岡山県で誕生
味わいのある小説家でしゅ。
L.A.S.Ponderが 最初に接したのは 恭子さまのお勧めで読んだ 「やさしい訴え」1996年文芸春秋 でした。
東北地方の別荘地で 繰り広げられる ヒロインと チェンバロ製作者と その女性助手の 微妙な三角関係。
ヒロインと チェンバロ製作者の ひと時の愛の交歓が 夢のような 余韻として 残っていましゅ。
題名「やさしい訴え」は ラモーのクラヴサン曲集第3組曲に 由来しましゅ。
この曲も この小説を読んでのち じっくり聴いていましゅ。
この小説は ラモーのクラヴサン曲集を 聴きながら 読むことで 一段と楽しめるようでしゅ。
2005年03月28日(月) |
1930(昭和5)年 内村鑑三 没、70歳 |
1930(昭和5)年3月28日 内村鑑三 没、70歳。 1861(万延2)年2月13日誕生
日本教キリスト派とでも 言うべき人でしょうか?
天皇の神化に抵抗し 日露戦争に際しては 職を賭して非戦論を唱えたのは 立派でしゅ。
しかしこんな許し難いことも 言っていましゅ。
「源氏物語が 日本の士気を鼓舞することのために 何をしたか。 何もしないばかりでなく われわれを 女らしき意気地なしになした。 あのような文学は われわれのなかから 根コソギに絶やしたい。 (内村鑑三著「後世への最大遺物」)
とんでもない話でしゅ。 こんな人が 日本の精神的指導者だとしたら 日本文化は おそろしくうすらさむいものに なってしまうのではないでしょうか。 プンプン!
2005年03月26日(土) |
1953年 数学者、大道芸人 ピーター・フランクル ハンガリーで誕生 |
1953年3月26日 数学者、大道芸人 ピーター・フランクル Peter Frankl ハンガリーのカボシュパールで誕生
ハンガリーでは苦労し フランスに亡命 日本で活躍してましゅ。
今でも時々 教育番組などに出ているようでしゅ。
L.A.S.Ponderが 一時かかわっていた 救急救命東京研修所の 移転開所式に呼ばれ 大道芸を披露し 花を添えました。
日本語のジョークで 笑いを取ったりするのでしゅが どこか悲しげなところがありましゅ。 亡命者の悲哀でしょうか。
2005年03月23日(水) |
1933(昭和8)年 小説家、シャンソン歌手 戸川昌子 東京で誕生 |
1933(昭和8)年3月23日 小説家、シャンソン歌手 戸川昌子 東京で誕生
L.A.S.Ponder 若い頃 彼女の大ヒット小説 「猟人日記」1963年発表 を読んでドキドキしたことがありました。 大胆な性描写が 話題を呼んだそうでしゅ。 たしかにそういう場面もありましたけど・・・
1960年代は 推理小説家として 活躍したようでしたが L.A.S.Ponderが 読んだ頃は むしろシャンソン歌手として 話題になっていたようでしゅ。
2005年03月21日(月) |
大バッハ生誕 420周年 |
1685年3月21日 ヨハン・セバスティアン・バッハ Johann Sebastian Bach アイゼナハで誕生 1750年7月28日没
昨日 2005年3月20日 2004年日本で 礒山雅教授によって オリジナルパート譜が 発見され 約280年ぶりに復元された バッハの結婚カンタータ 「満ち足りたプライセの町」 がサントリー小ホールで アメリカの音楽学者、指揮者 ジョシュア・リフキン指揮で 世界初演されました。
果たしてどんな曲なのでしょうか? 聴衆の一人は 「まぎれもなくバッハでした」 と語っていましゅ。 いずれCD化されるでしょう。 楽しみでしゅ。
現存する バッハの世俗カンタータは 結婚、農民、コーヒーなど 20数曲。 これに この新しい結婚カンタータが 加わり バッハファンはいうに及ばず 世界のクラシックファンにとっても ご同慶のいたりでしゅ。
暗いニュースの多い昨今 珍しく おめでたいニュースでした。
ところで この新発見の世俗カンタータ シュミーダー番号(BWV)では 何番になるのでしょうか?
2005年03月20日(日) |
東京国立博物館開館記念日 1882(明治15)年 |
東京国立博物館開館記念日 1882(明治15)年3月20日 上野公園内の上野寛永寺跡に 東京国立博物館開館。
L.A.S.Ponder 子どもの頃よく行きました。 当時は何の変哲もない ただの展示品が並ぶだけでしたが 充分魅力的でした。 お腹のすくのも忘れて 一日中見て回ったものでした。
最近の博物館は 展示にさまざまな工夫をして 魅力的なものにしていましゅが 見に行く余裕がありません。 残念っ!!
2005年03月17日(木) |
1921(大正10)年 別子銅山大量解雇 |
1921(大正10)年3月17日 住友別子銅山で1000人の解雇が発表される。
L.A.S.Ponder 学生時代 白亜混声合唱団で 池澤夏樹作詩、池辺晋一郎作曲 混声合唱組曲「銅山」で この事件を含む 別子銅山の歴史を歌ったことがありましゅ。
銅山の太古の歴史から 開発 鉱山としての隆盛 閉山まで 営々たる歴史を 歌った 素晴らしい合唱曲でした。
池辺さんの傑作のひとつと思われましゅが いまはもう この曲を歌う合唱団はないのでしょうか。
2005年03月16日(水) |
1886年 マーラーの歌曲「さすらう若人の歌」初演 |
1886年3月16日 Gustav Mahler作詩作曲の歌曲「さすらう若人の歌」 ”Lieder eines fahrenden Gesellen” 作曲者自身の指揮のもと ベルリンで初演。
翌年ピアノ伴奏版、オーケストラ伴奏版 楽譜出版
L.A.S.Ponder 若い頃 福永陽一郎編曲の 男声合唱版を 一流大学のグリークラブの 演奏会で何度か聴いていましゅ。
失恋と放浪をテーマとしたこの曲 わかることはわかるのでしゅが どうしても 共感できる部分と 好きになれない部分が 相半ばしていましゅ。
中年となった今 この曲を聴くと どう感じるのでしょうか?
2005年03月14日(月) |
1861年 フランスの音楽教育家 ニデルメイエール没 |
1861年3月14日 フランスの音楽教育家 ルイ・ド・ニデルメイエール没 1802年4月27日 スイスで誕生
この人は パリに ニデルメイエール古典音楽学校を 創設し パリ音楽院では等閑視されていた 16〜18世紀の偉大な宗教音楽を 精力的に教えました。
ガブリエル・フォーレは 9歳から20歳までを このニデルメイエール古典音楽学校で 寄宿生活を送り その基礎を作りました。
ニデルメイエールなくして フォーレの宗教音楽は なかったのでしゅ。
L.A.S.Ponder 昨年フォーレのレクィエムを 歌うにあたり フォーレの伝記類を あさりましたが ニデルメイエール古典音楽学校での 青春期のさまざまなエピソード 興味深く読みました。
2005年03月13日(日) |
1883(明治16)年 詩人 高村光太郎 東京下谷で誕生 |
1883(明治16)年3月13日 詩人 高村光太郎 東京下谷で誕生 1956年4月2日 没
つい先日 高村光太郎作詩 平吉毅州(ひらよしたけくに)作曲の 混声合唱組曲「レモン哀歌」を 平松剛一指揮平松混声合唱団演奏のCDで 聴きました。
平吉氏の曲としては 難しそうで たしかに美しいことは美しいのですが 感動的といえるほどではありませんでした。 歌ってみたいとは思えないです。
こういう超有名詩に 曲をつけるというのは 難しいですね。
詩のイメージが先行し 曲によって それが妨げられる気がして 楽しめないのです。
レモン哀歌は そのまま鑑賞する方が L.A.S.Ponderには 合っているようです。 残念っ!!
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