2005年12月07日(水) |
1988(昭和63)年 俳人 楠本憲吉 没、65歳 |
1988(昭和63)年12月7日 俳人 楠本憲吉 没、65歳。 1922(大正11)年12月19日誕生
この人の名は たびたび目にしてきましたが よく知りませんでした。 いろんなところで 活躍した人のようでしゅ。
汝が胸の谷間の汗や巴里祭
なるほどね しゃれていましゅ。
2005年12月05日(月) |
梶尾真治著 クロノス・ジョウンターの伝説 |
2005年12月5日 梶尾真治著 クロノス・ジョウンターの伝説 ソノラマ文庫 朝日ソノラマ 2003年刊 読了
これもまた クライアントのお勧め。 以前読んだ梶尾真治の 「黄泉がえり」よりはるかに 感動的。
クロノスは時の神 クロノス・ジョウンターとは 不完全なタイムマシン。
いわゆる時間SFでしゅ。 この種の小説を読むのは 久しぶりでしゅが これはよくできた小説で 充分堪能できました。
クロノス・ジョウカウンターを めぐる4話からなる物語で いずれも男女のピュアな 恋愛を絡めていましゅ。
特に第2話と第4話は 涙を催すほど 感動的でしゅ。
タイムマシンは 現代人究極の 夢のひとつでしゅね。
2005年12月04日(日) |
2005年 ソンコ・マージュ演奏会 |
2005年12月4日 ソンコ・マージュ 大地は泣いている 栃木県総合文化センター サブホール を聴く。
日本人フォルクローレギターの 第一人者。
今までラジオでくらいしか 聴いたことがありませんでしたが 宇都宮まで来るというので 次女を施設に預けて 久々に カミさんと聴きにいきました。
行ってよかったでしゅ。
70歳を過ぎてなお 壮絶なギターテクニックと 偲び泣くような 渋い歌声。
師父アタウアルパ・ユパンキの 曲を中心に アンデスとパンパの 荒涼たる大地の風を 再現。
アンコールの 「コンドルは飛んでいく」では 思わず涙してしまい カミサンに笑われました。 ラ・マラゲーニャと スペイン民謡「鳥の歌」も 絶品。
深い悲しみの情念から発する音楽は 聴いて元気の出るものでは ありませんが、 魂を揺さぶり 大いなるカタルシスを もたらしました。
2005年12月03日(土) |
2005年 国分寺養護学校クリスマスコンサート |
2005年12月3日 栃木県立国分寺養護学校 親子クラブ2005クリスマスコンサート にちょっぴり出演。
L.A.S.Ponderが参加したのは 林光作詩 ドイツ民謡 無伴奏混声4部合唱 「もみの木」
林光作詩 J.S.バッハ作曲 ピアノ伴奏付き混声4部合唱 「私は幸せ あなたがいるから」 カンタータ147番の例の 「主よ人の望みの喜びよ」 の2曲だけ。
ソプラノ2人 アルト2人 テナー1人 バス1人と 理想の布陣。 直前30分のリハーサルのみの 即席のアンサンブルでしたが 充分楽しめました。
今日演奏したのは 国分寺養護学校の先生方 +岡本養護学校の先生 +L.A.S.Ponder
しかし養護学校の先生方の 多才振りには恐れ入りましゅ。 それにド派手な衣装も。
チェロ、ホルン、フルート、ピアノ トランペット、歌と 多士済々。
L.A.S.Ponderの 重症心身障害児の次女も お世話になっていましゅが 養護学校の先生方には 頭が下がりましゅ。
養護学校の業務は 相当厳しいのは 当然でしゅが 業務を離れての ゆとりも必要でしゅね。
趣味にかける 時間が保証されることも 絶対必要でしゅ。
L.A.S.Ponderも 楽器を演奏する ゆとりが欲しいでしゅ。
2005年11月30日(水) |
1993(平成5)年 夜行列車「八甲田」廃止 |
1993(平成5)年11月30日 寝台特急の「出羽」「ゆうづる」と 夜行列車の「八甲田」「津軽」が この日の運転で廃止となる。
L.A.S.Ponder 夜行寝台急行「八甲田」には 格別の思い出が ありましゅ。
某年3月後半 一浪後 第1志望の大学に不合格になった L.A.S.Ponderは 暗い気持ちで 第3志望の弘前大学に 向かったのでした。
雪の残る 弘前で 試験会場の下見をし 宿で夕食を済ませ 受験生の皆さんと 歓談していると 父から突然の電話。
第2志望のJ大学の 繰り上げ合格の話があり 至急帰って来いと。
そこで L.A.S.Ponder 弘前から その夜の夜行寝台急行「八甲田」で 半信半疑のまま 東京へ戻ったのでした。
一夜明けて 東北本線を上野へ向かう 「八甲田」の窓から見たものは J大学の姿でした。
2005年11月28日(月) |
1815年 プロデューサー ザロモン没 |
1815年11月28日 ドイツのヴァイオリニスト、指揮者 ヨハン・ペーター・ザロモン没 1745年2月2日誕生
この人は晩年ロンドンに定住し オーケストラの定期演奏会 「ザロモン・コンサート」を 組織しました。
そして ヨーゼフ・ハイドンを呼び寄せ ハイドン最後の交響曲 ザロモンセット 交響曲93番〜104番の12曲を 書かせました。
L.A.S.Ponder 最近ハイドンの 交響曲「ロンドン」のCDを 聴きましたが 円熟したハイドンの 作風を堪能しました。
ザロモン・ハイドンの 名コンビで 古典派の交響曲は 一段と 彩を添えることになったのでした。 めでたし、めでたし。
2005年11月27日(日) |
1931年 ラヴェル作曲 左手のための協奏曲 初演 |
1931年11月27日 ラヴェル作曲 左手のための協奏曲 初演
L.A.S.Ponderこの曲は 1998年5月27日(水) 19:00 東京オペラシティ・コンサートホール ピアノ:ミシェル・ベロフ 指揮:エサ・ペッカ・サロネン フィルハーモニア管弦楽団 で聴くことができました。
ベロフ自身 右手の故障に悩んでいたこともある とのことで 非常な熱演だった ことを覚えていましゅ。
この曲は戦争で 右手を失ったピアニストのために 作られた曲だったと思いましゅが 右手を奪った戦争への怒りを 叩きつけるような演奏でした。
この日のアンコールは ラヴェルの「マ・メール・ロア」から 終曲「妖精の園」でしたが この世のものとは思われぬ 稀有な体験をしました。
演奏に吸い寄せられるように 魂が奪われ 視界が涙で流れ 座席からふわっと 浮遊したかと思うと スーッとどこまでも 沈んでいくような 錯覚にとらわれました。
終演後もなんだか ボーっとしてしまって どのように初台から 栃木まで 帰ったのか まったく覚えていませんでした。
その後数日間は 生きているのか死んでいるのか わからないような 状態でした。
2005年11月24日(木) |
1722年 ドイツのオルガニスト ラインケン没、99歳 |
1722年11月24日 ドイツのオルガニスト ヨハン・アダム・ラインケン没、99歳。 1623年4月26日
この人はJ.S.バッハゆかりの オルガニストでしゅ。
バッハ16歳の時 リューネブルクの寄宿学校で 学んでいたバッハは 45km離れたハンブルクまで ラインケンの演奏を聴くために 徒歩旅行をしたのでした。
それほどラインケンの オルガン演奏は 評判だったのでした。
今となっては ラインケンが どのように演奏したのかは 知る由もありませんが 少年バッハに 大きな影響を 与えたことは 間違いありません。
ああ、パイプオルガンの 生演奏が聴きたいでしゅ。
しかしかつて 文化不毛の地と 自嘲した栃木県には パイプオルガンのある コンサートホールがありません。
悲しいでしゅ。
2005年11月23日(水) |
小嶋潤著 新約聖書名言集 |
小嶋潤著 新約聖書名言集 講談社学術文庫 講談社 昭和53年 再読。
初めて読むつもりになっていましたが 最後の方に ちょっとした書き込みがあり 再読であることが判明。 すっかり忘れていましゅ。
旧約名言集に続き 新約名言の数々。
この本では 格調高い文語訳聖書からの 引用。
まことに厳しい内容。 パリサイ人、律法学者、異教徒に 対する激しい態度。
これでは ユダヤ教徒、イスラム教徒とは 相容れないでしょう。
これほどにまで 排他的にならなくても 思われましゅ。
宗教的寛容がなくては 現代の民族対立、宗教対立は 和解のしようがないのでは ないでしょうか?
去る11月19日 歌ったマニフィカートの歌詞も 当然 取り上げられており 改めて 認識を深めました。
著者は 「新約聖書」27篇は、 人類2000年の歴史を指導してきた 最高原理の一つである。 と言っていましゅが それはあまりにも 西洋キリスト教世界に 偏った考え方のような 気もしましゅ。
2005年11月21日(月) |
1852年 スペインの作曲家、ギタリスト タルレガ誕生 |
1852年11月21日 スペインの作曲家、ギタリスト フランシスコ・タルレガ Eixea Francisco Tarrega 誕生 1909年没
この人はなんといっても ギターの名曲 「アルハンブラ(宮殿)の思い出」でしゅ。
トレモロ奏法を駆使し ギター曲の限界を拡げました。
ギターを習った人なら誰でも この名曲を弾きたいと思うものでしゅ。
L.A.S.Ponderも 当然そう思いましたが トレモロどころか アルペジオさえ あやふやな初心者レベルで 挫折していましゅ。
まだギターを 捨てたわけではないので ひょっとしたら またいつか 手にすることも あるでしょう。
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