カタルシス
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2006年03月18日(土)  スーパークマさん 

映画館の前で友人を待つ間 隣のゲーセンで客引き?をしているらしきリラックマの着ぐるみが気になって 20分くらいずっと彼の動きを観察

通行人に手を振ってみたり もちろん2ショット撮影には快く応じ ジャレつく子供の相手はお手のもの 外国人観光客にも愛想を振りまき 老若男女を問わぬ人気をモノにしていました
誰も見ていないときにも 1匹で首をかしげたり腰を折ったり くねくね踊ってみたり 屈伸運動してみたり 飛び跳ねてみたり トボトボしてみたり ウロウロしてみたり・・・



あのクマ・・・ 只 者 じ ゃ ね ぇ !!



完璧なまでに“可愛いリラックマ”を演じきっている様子に 感動すら覚えました!

開演時間ギリギリになっても現れない友人のことを 一瞬忘れかけましたよ このままクマ見てれば次の回まで待てるかも とかまで思いましたよ!(本気で)

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とりあえず友人が間に合ったので 『SPIRIT』 鑑賞

李連杰(ジェット・リー)主演のアクション映画
中村獅童の共演で日本でも割かし話題になっている作品だと思われます

舞台はアヘン戦争後 他国の支配に喘ぐ中華人民に 文化のみならず武力でも歴然とした力の差があることを思い知らせるため「東亜病夫(東洋の臆病者)」と揶揄し 士気を完全に挫こうとする西洋各国や日本 その卑劣なまでのやり方に正々堂々 敢然と立ち向かった1人の武術家がいた

実在の人物として中国武術史にその名を馳せ 英雄として多くの武人の尊敬を集める霍元甲(フォ・ユァンジェ)の 武侠生涯を描いている作品です 実在とはいえ内容はかなり脚色されてドラマチックな仕上がりでした

この作品 李氏最後の本格武侠作品とも謳われ 彼のファンとしては微妙な心境で臨んだ作品鑑賞でしたが 何だかこう 彼の目指したものの集大成がここにできてしまったんだなぁというのが感想でした これを最後にしたい李氏の気持ちは解らないでもない

「復讐は復讐しか生みません 2000年の時を経ても人は復讐を克服できないでいます でも どこかで断ち切らなくては永遠に終わらないんです」
とインタビューに答えていた李氏の言葉が刺さります 元甲は力で同胞や他国をねじ伏せるのではなく 己自身と戦い打ち勝つことが真の強さであると唱えた初めての武人と言われています 彼が創始した『精武体操會』とは「徳育・体育・智育」の三育(徳を育み体を鍛え知性を磨くこと)を旨とした人材育成の会でした

一人物の生涯を描いたとするには端折り過ぎな話ですが 武人としての転機転機をクローズアップしているので 元甲の遺志を語りたいという意図は充分クリアできていると思います アクションも長過ぎず短すぎず ファンにとってもそうでない人にとっても見飽きずに見応えを感じる編集だったと思うし あのクオリティは本場とはいえ香港映画界だけの力では不可能な技術があってのことだと思いました もっとも“殺陣”の域を越えないアクションではあるんですけどもね
リアルさよりもドラマ性を追求する方がウケるんでしょう

えと 獅童くんは非常に美味しい役柄でした
役名の「田中安野(タナカアンノ)」という苗字苗字のような響きが気になるっちゃ気になりましたが アクション演技ともども申し分なかったと思います(北京語はもうちょっとガンバロウ)

「東亜病夫」を劇中では「東洋の病人」と訳してありましたが 個人的には精武門で慣れている「臆病者」や「腰抜け」の方が適切なんじゃないかと思いました 病人だと なんかねぇ?(苦笑)

登場人物の中では元甲の幼馴染 農勁?(ノン・ジンスン)が非常にツボなキャラクターでした 元甲の唯一無二の親友で 最も彼を理解し本当に慮っていたただ1人の人物 友を思うが故に諫言も口にし 一事は絶縁関係になりながらも ひたすら彼を助け支え続けた人
子役も成人後の役者さんも とても上手に演じてました すごい好きでしたこの人 今作私のイチ押しです!

李連杰氏の作品に『フィスト・オブ・レジェンド/怒りの鉄拳(精武英雄)』という映画がありますが 俗に「精武門シリーズ」と位置づけられ 霍元甲亡き後 弟子の陳真(チャンチャン)という青年が 日本人に毒殺された師匠の敵討ちに燃えるという物語で 李連杰氏の他にも李小龍(ブルース・リー)や甄子丹(ドニー・イェン)なども演じている本土では大変人気のある題材です が 結局はまた「復讐」に根が戻ってしまっている辺り 何とも皮肉な顛末だと思いませんか?

霍元甲の死因は実際にはハッキリしておらず 公式試合の直後に急死したことから「毒殺された」との風説が飛び交いましたが 気孔のやり過ぎで肺を患い結核病で死んだという説もあります また 享年も42歳・53歳と諸説あり近代史に実在した人物にしては伝説化が甚だしい気がします
いずれにせよ 当時の中華人民にとっては何にも代え難い英雄的存在であったことだけは確かだったのでしょう
 
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終演後外に出たらまだクマがウロウロしてました 近くにいた店のお姉さんにこっそり「あのクマ中に入っているのは男の人ですか?」と訊いてみた あまりにも動きが可愛らしいので 女の子が頑張ってるのかな?とか思ってみたり するとお姉さん

「中に人なんかいませんよぉ〜〜」

とニッコリ

夢売って生きてるねッお姉さん!笑 私はそのまま
「いや〜さっきからずっと見てたんですけど常に動きを止めないしキャラクターの可愛らしさをこれ以上なく醸し出しているもんで 感心してたんですよ お仕事終わったら褒めてたって伝えてください クマさんに
と言ったら

「ありがとうございます〜 ちゃんと伝えます!」
と言ってくれたので信じることにしました

友人にもさんざんクマの動きについて熱弁をふるっていたので興味を持ってくれたらしく しばらく近くで様子を眺めたあと 我慢し切れず2ショット写真を撮らせてしまいました・・・ くうぅ 特別好きなキャラクターな訳でもないのに 何か敗北感 orz

※クマの写真は「写真日記」でドゾ☆

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旅行後やっと本家を訪ねる
お土産は『乾燥舞茸』と『パイナップルケーキ』
お茶買い禁止令が出ていたので「お茶うけ」にしておきました
ちなみに自宅用のお土産は『乾燥舞茸』と『乾燥無花果』美味イノヨ♪
 

『スーパークマさん』2003年/日本

 


2006年03月17日(金)  緑の誘惑 

本日 聖パトリックスデー(St. Patrick's Day)でございましたが今年は別段何もするということがなく ただの一日として過ぎ去ってしまいました

聖パトリックスデーとは何ぞや?

和:聖パトリックの祝日(せいパトリックのしゅくじつ)
英:St Patrick's Day (セントパトリックスデイ)
  アイルランドにキリスト教を広めた聖人聖パトリックの命日
  3月17日
  アイルランド最大の祝祭日

シャムロック(三つ葉のクローバー)を服につけたり 緑色の物を身につけて祝う日で「緑の日」とも呼ばれる

⇒●聖パトリック(ウィキペディア)

去年は原宿のパレード見に行ったりしたんですよ 元がアイルランドの行事なので イリアン・パイプやハイランド・パイプ(どっちもバグパイプの仲間)を加えた鼓笛隊がいたり アイリッシュダンスを披露しながら行進するチームがいたり とにかく緑の団体がズラーっと並んでお祝いの列がつづくんです 見るだけでしたが面白かったです
特に鼓笛隊の中にはキルト(スコットランドの民族衣装でタータンチェックの撒きスカートの上にブレザーの組み合わせ)のアイルランド版?みたいな格好のおじさんとかがいて やたらめったら写真を撮った来た覚えがございます(笑)

今年は何もできそうがありませんが 記念日をお祝いする気持ちだけ持って一日を過ごしました 別に私アイリッシュでもカソリックでもないんですけどね まぁ世間一般でいうクリスマスと気分は同じと思ってくださいよ

ええ ええ どうせ気にし出したきっかけは『処刑人』※ですよ アイ


※主人公がアイリッシュ移民

『緑の誘惑』1922年/アメリカ

 


2006年03月16日(木)  帰って来た木枯し紋次郎 

昨晩台湾から戻り今日は普通に出勤です

昨晩社長から着信があったらしいことに深夜になってから気づいたので 折り返さぬまま放置しておいたのですが 朝っぱら7時台に再び電話があり 仕方なく出たら

「僕これから台湾なんですが天気はどうでしたか?」

と訊かれました
・・・そんなもんネットでいくらでも調べられるでしょうよ(黙)しかも今聞いて荷造り変更できるんですか?一体何時の便に乗るのさセンセイ

内心そんなことを思いつつも 一応愛想良く答えておきましたが 朝っぱらこれから出勤しようって準備している真っ只中に 阿呆な電話かけてくるなよ〜と中指を立て b(-_-;)

実は寝起きからちょっと寒気がしてたんですが まさか3日間もお休みをもらっておいて「風邪ひきました」でフケる訳にもいかなかったので 薬を飲んで気合で乗り切ることに 幸い今日明日をやり過ごせば休日です 頑張れ社会人

お土産は免税店で買った『烏龍茶クッキー』と頂好(ウェルカム)スーパーで買った天仁茗茶の『高山烏龍茶ティーバッグ』です
パイナップルケーキは定番過ぎるかなぁ?と思ってやめときました もしかしたら社長が買って来るかも知れないしね(笑)

『帰って来た木枯し紋次郎』1993年/日本

 


2006年03月15日(水)   

ちょっと待ってね台湾紀行

3/15(水) 台湾最終日
3/14(火) 台湾3日目
3/13(月) 台湾2日目
3/12(日) 台湾へ出発
 


2006年03月11日(土)  若い!先生 

朝からいい天気だったので そんなにたまっていませんでしたが洗濯物を片付けました 明日から台湾出発だから身の回りを少しスッキリさせておこうかと

昨夜は2時過ぎに帰宅 当然のことながら妹は先に寝ていて 今日はお友達と富士急ハイランドに遊びに行くことになっていたので 早朝私の寝ている間に出かけて行きました そんな訳で顔見てません(苦笑)

午後13時半渋谷集合で 高校の時の同級生5人と講師だった先生1人でお茶会があったのでプラッと出かけてきました
元生徒は5人中3人が着物ブームなのでお着物参戦 そのうち2名は最近のお仕事をスクラップしたファイル持参でした 私と残り1名は普段着&手ぶらで 本当に“久しぶりにお会いする先生を囲んだお茶”が目的なだけの凡人です お着物のもう1名は現役イラストレーターさんなので 他の2名のデザイン気質とはまた違った人種でしたしね

改めて考えても本当 向上心というか野心のようなものが欠落している気がするね自分・・・

13時半に友人同士で落ち合って 先生とは14時に合流だったんですが 当時からご年配でいらした先生 外見から何から全くお変わりのないご様子でビックリしました 全然年とってない!!(驚愕)

しかも 我々の名前を残らず間違えずに言い当てて 当時の印象を一言添えるなんて粋なことまでしてくださいました 正直自分目立たない生徒だったし 十中八九覚えられてないと思ってましたもんね 在学中は眼鏡かけてたし見た目にも微妙だったと思うんですけどね・・・

大学にいっていない私にとって 母校といえばこのメンバーで和気藹々とやっていた高校が思い当たる対象でして 一応その後に専門学校行っているんですが 人間関係がイマイチ希薄だったので 未だにつながりのある友人は断然高校時代の人が多いのです

高校といっても普通科校ではなく 工業高校のデザイン科に通っていたので 3年間クラス替えがなかったし 実技科目が多かったので実習チームごとにディープな付き合いが展開されていました それこそ『ビバリーヒルズ高校白書』じみた話もあったりなかったり(笑)
良きにつけ悪しきにつけ クラスメイト全員にある程度以上の思い入れがあるわけですよ

中でも仲の良かった面子は今でもときどき一緒に遊んでいて 今回のメンバーはその中の有志といったところです ぶっちゃけると全員mixiでお互いがマイミク同士なので 面と向かって会っていなくても 他より存在を身近に感じていられる面々でした

本日お越しくださった先生は 担任の先生ではなく 週に何時間かの授業に講師として来てくださっていた御大です 講師になられる以前はデザイン科の先生でいらして 当時既にベテランの域に達しておられ 我々の時代には柔和でお優しい先生でしたが 現役当時は「鬼」とあだ名されたほどの激昂教師だったとのお噂 全く信じられませんが 本当だったようです
我々の担任はこの御大の教え子であったので 御大にとって我々は直接の生徒であると同時に孫生徒ということになります

デザイン一筋の御大とデザイン一直線の友人2名は デザイン業界の先端な話題に盛り上がっていましたが 私と他2名は詳しい話についていけず少々ポヤっとすることが多々ありました 参加できるのが昔話だけっていうのも何やら物悲しい話です でも仕方ない 畑違いなのは初めから解っていたことだし それを覚悟で参加した茶会ですからして

いいの 懐かしい話をしに行ったんだもの

出てくるGデザイナーの名前は解らない その人が手がけている作品も見たことない(雑誌広告やTVCM等) 考えてみたら自分 ほとんどTV見てないし雑誌も読まないから そもそもの情報源からして彼女たちとはズレているらしいヨ(苦笑)
私が気にするのは車内広告や駅貼りのポスター・街頭看板等だから 映像作家には殊更疎い WEBに関しても実はFLASHバリバリなサイトが好きじゃないので(単純に手段としてだけFLASHを使うのは問題ない)どんなに有名でもほとんど知りません 「お仕事は?」と問われて「会社員です」と答える心理をこの辺で汲み取ってもらいたい まかり間違っても「デザイン関係です」「クリエイター系です」とは言えないでしょ こんなんじゃ(^^;)

18時頃に解散 後ろ髪を引かれるように先生とお別れし 私と友人1名は明日からの台湾行きに備えて最後の買出しに向かおうと渋谷の街へ繰り出します 他の友人達はどうするのかと思っていたら お着物3人組もお買い物に行くというので 結局生徒側は全員揃って移動することに

毎度のことながら土曜日の渋谷なんてものは歩きやすい土地ではありません 出入りに慣れている方の私ですらウンザリするのに 滅多に出歩かない&着物着用の友人にはちょっとキツかったんではないかと思われます でも楽しそうにしてくれてたから良かったけど

私が旅行用に欲しかったのは薄手の長袖パーカー 汚してもいいような普段着ランクの着やすいものがあればイイナーと 友人の方はラフに履けるパンツと斜め掛けできるカバンが欲しかったようです
とりあえずスペイン坂を上って左右の店を軽くチェックしながらPARCOまで まずPARCO1で服系統を見て 友人が御用達のショップを見に行っている間 着物組と私はお洋服を見て回り 次にPARCO3で友人のカバン探しに付き合いつつ 自分も目に止まったパーカーを試着したりしてみましたが いかんせん価格帯が8000円からだったので 「気楽に着れて汚してもいいランク」とはちょっと違うな〜(苦笑)と考え直し購入を断念 可愛かったんですが今いるモンじゃないもん・・・

店舗改変があったらしく チープなカバンを扱っていたショップがなくなっていて 斜め掛けを探していた友人は目当てがはずれてしまったご様子 その反動なのか それとも全く関係なかったのか 「らんどりー」でTシャツとトレーナーを散々吟味してお買い上げなすっておられました 前回来た時も同じ店で同じように品検分に時間をかけて やっぱり2着だか3着だか買っていたヨこの人・・・ カバンはこの際関係ない方に1000円

この辺から着物組とは動きがバラけています そもそもお互い目的が違うので 楽しそうに店を見て回っている彼女らを急かすのも悪いし かといってそれに付き合っていたら自分の目的が達成できないかも知れなかったので ペース上げさせてもらいました ああん 時間があったらゴハンも一緒に食べたかったのにな〜・・・

その後ユニクロで私はパイル地のパーカー他 友人はカーゴパンツを購入 パンツの裾上げを待つ間に着物組がゴハン離脱して行きました 彼女らを見送って我々はユニクロに残留

斜め掛けカバンをGETできなかった友人に 私が愛用しているカバンの購入先を訊かれたので「新宿」と答えると だったらこの足で新宿まで行くと言い出したので案内することに わざわざ新宿まで連れ出して手頃なカバンがなかったら悪いなぁ〜(^^;)と若干心配になりながらも 行き着けのカバン屋を訪ねると うまい具合に目ぼしい感じのカバンが数種類あってホッとしました またも吟味を重ね 中から1つを選んだ友人は これで肩の荷が降りたと言いたげに一息をつき お互い忘れてしまっていたお夕飯を食べてから帰ろうという気持ちの余裕が出てきました

新宿の地下街サブナードで京風スパゲティの店『先斗入る(ポントイル)』にてパスタディナー 明日が早いので長居はせずに解散しました でもその時点で22時(苦笑)

さあさあ 明日は6時の電車に乗らないと遅刻ですヨー 本格的な旅支度がこれからだなんてことは ここだけの話ですヨー(マジ!)
 

『若い!先生』1974年/日本




うーん 仕事のこともアレなんですが どうも個人的に色々失敗がつづいている気がして ここ1週間毎日微妙な気分です 明日には台湾出発なのに〜〜 やだなこのテンション 自分で上げられないもんなのかな

人づきあいって難しい 何をしくじったか自分じゃ解ってないところが実にイタイ でも多分何かよくなかったんだろうと思う 自信なんてあるわけないもんね …フゥ-з

久々にダウナー気質全開(苦笑) いや私 常に後ろ向きですからして

 


2006年03月10日(金)  真夜中のギター 

近年稀にみるモーレツな仕事ぶりを発揮した1日でした 午前中はG4の調整でつぶれてしまったので 実質仕事にかかれたのは午後からだったんですが

【クライアントA】
・紙出力を4種類両面50部プリントして梱包 現場宛てに発送
・同見本を1部ずつ本社の2名に宛てて発送
・同データをCDに焼き付けて現場宛てに発送

【クライアントB】
・A3・1色/両面編集のニュースレターαの校正原稿を「ふぁいる便」経由で送信
・同仕様ニュースレターβのスケジュールについてメールで確認

【クライアントC】
・B4・1色/両面編集のニュースレターの校正原稿をFAXとメールで送信

【クライアントD】
・B4・1色/両面 セールチラシの修正稿をFAX送信(部分差替で3店舗分)

【クライアントE】
・B4・1色/両面 セールチラシ第一稿をFAX送信


【社内】
・メールマガジン発信リスト更新(WEB申込4件・名刺交換13件)
・社長発メールマガジンの配信(週1)
・リスト入力済みの名刺整理 各申込情報をファイリング

これの他に電話とったりお茶入れたり コピー機の不調を訴える社員さんたちのためにサービスマンを呼んだりしていたら




退社が24時を過ぎました




ちくしょう電車ないよ でも翌日プチ同窓会だから朝まではいたくないよ
そもそも日曜の午前便で出発なのに なんの用意もできてない旅準備の方が問題だよ…

結局 電車で帰れるところまで電車使って 残りはタクツーでした フゥ…-3
 

『真夜中のギター』千賀かほる

 


2006年03月09日(木)  ありがとう 

昨夜一晩かけても全体の2割弱しか移植できていないG4さんを前に 途方に暮れた朝
仕方なくサービスマンに連絡をして現状を伝えると 完全移植を諦めるなら システムを使える状態にセッティングします と言ってくれたので お願いすることにしました
よりにもよって来週あたま3日間休み取っちゃってるもんでねアタシ 金曜までしか勝負できないのよ・。

そんなわけで 必須のデータだけはMOや別機のHDを駆使して何とか保存し その他の雑多なデータや 保留情報に関してはきれいサッパリ切り捨てました ええもう知ったこっちゃありません 過去でも未来でもなく今を生きる私です

午後4時くらいになって ようやくご多忙なサービスマンさんがやって来て 新しいシステムを構築してくれました 最後に主要なアプリケーションとフォントを入れて プリンタや共有の設定も整備 うん ありがたい

これで一応G4は使える状態になったハズですが フォントとプリント出力に微調整が必要そうだったので サービスマンが帰ったあとに 1人でジコジコ操作をつづけていました 仕事じゃありません “明日使えるようにするための準備”です

サービスマンが隣でG4を繰ってる間 私はコピーした書類を8500で読み込んで修正作業等をしておりました
8500的には調子良く働いてくれたのでこの状況下においては非常に頼りになる愛機だったのですが いかんせんスペックの低さはどうにもならず 動作ごとにかかる時間が相当なものでして ハイ G4だったらものの数秒でこなせることが 何分も待たなければクリアできないのです かといって焦れて変な動かし方をすれば アッサリへそを曲げてくださいます 気難しい博士を相手にした実働助手のような状態でした

へそ曲がりでも気まぐれでも いなきゃ困るんです・・・

そんな訳で 本来なら今日発送するハズだったものが 頑張ってはみたもののギリギリ宅配の集荷に間に合わず 先方にお詫びのメールを入れる羽目になりました チクショウ ほんの数分だったのに!!orz ←かなり頑張ってた

明日はもっと大変です 金曜中のものが4件あるので 手当たり次第進めていかなくては土曜出勤の危機です つか まだ旅の準備全然できてないよ どうしよう・。

日曜は10時台の飛行機に乗るので 8時には成田にいなければなりません 家からだと2時間はかかるので 始発とまではいかずとも 朝早〜いイメージ 遅刻しないように気合入れなくちゃ(汗)

『ありがとう』1996年/日本

そんな今日は「サンキュー」の日


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