本人に悪気はないのだが、松田陣平は傍から見ればどうしても、口が悪くて態度の横柄な男だった。 本来の気性は決して粗忽ではないのに、立ち居振る舞いが人を食うように独特で、物言いもまた余計な敵を自ら作るようなところがあった。 故に、多少の悪態や荒い態度はいつもの事なのだが、今日は珍しくも酒に酔ったのか、松田は途中から度々些かたちの悪いような言葉の言い方をするようになった。 いつものように仕事の後、二人で馴染みの店で飲んでいた萩原研二は、知れず浮かんでしまう苦笑をそれでもどうにか隠し込んで酒を飲み、自分と同じ量の酒を松田にも注いでやっている。 これくらいの量で酔う筈もないんだがと萩原がひっそり思案するうちにも 松田はますます酔いを深めていくようだった。 カウンターで隣り合わせに座っている萩原に、サングラス越しであってもしたたるようにあからさまな視線を向けて深い溜息を吐いてくる。 「………萩原ぁ」 「なんだ?」 絡む口調をゆったりと受けて返せば、松田は更に攻撃的になる。 「お前なんでそんな服着てるんだ」 「似合わないか? 店員には褒めちぎられたんだがな」 「脱がすのに面倒だろうが」 低く張り詰めた松田の声は普段のトーンより大きい。 「…………………」 萩原は隠せなかった苦笑いを唇に浮かべてグラスを手の中で弄んだ。 視線でちらりと流し見てみれば、松田も萩原を同じように見ていて、その眼差しは憮然として不機嫌だった。 「介抱してもらうまで酔いつぶれちゃいないよ」 「…………………」 萩原が笑いを含ませてやんわりと言えば、親しい者だけが判るような微量な変化で松田が眉を寄せた。 スイッチが入ったように。 警視庁の爆弾処理班にいる彼らは、ひとたび通報が入ると、即座に感覚が鋭くなる。 危険に自ら寄り添っていくような日常が、身体を自然にそう変えた。 松田の視線を受け止めた萩原は、この瞬間を、まるで処理すべき爆弾の存在に気づいた時のように、感じていた。
死ぬか死なないか、無事でいられるか無事でいられないか、そんなことを考えていたら仕事にならない。 恐怖を感じて導線を切れなくなったらこの仕事を辞めろと、萩原はアメリカの警察で今と同じように爆発物処理班に所属していた頃上司から言われた事があった。 「………、……ん……」 考え事をしている間も荒いキスはひっきりなしで、萩原は松田の唇に押されるようにしてベッドに倒れこんだ。 卑猥に舌を使ってくる松田と上背にはそう大差がなかったが、身体の厚みは大分違っている。 萩原の肢体は松田に覆われるようにして、彼の自宅のベッドに組み敷かれた。 店を出てからも松田はあまり口をきかずに。 ただ萩原を連れ帰った。 家の中に入るなり寝室へと引っ張られて行き、萩原は飢えたような松田の唇に濃密な口付けを繰り返された。 「……っ…、……ぅ……」 「……………………」 片手で顎を正面から掴まれて唇を塞がれ、痛いくらい舌を奪われる。 やはり何かあったのかと考えながらキスしていられたのは初めの数分で、萩原は次第にまあいいかと身体の力を抜いた。 口付けがまたいっそう激しくなる。 唇だけで身体を埋められているベッドから、松田の愛飲しているタバコの匂いがした。 寝煙草は止せって何度言っても聞かない奴だと萩原は息を乱しながら思う。 「なに考えてんだお前」 「…え……?……ああ、……」 舌がもつれる。 萩原自身気恥ずかしくなるような舌足らずの返答に、余裕みせてんじゃねえと松田が唸るように言う。 いったいこの状態のどこが余裕なんだと萩原は思って笑い、その唇に笑みを刻んだ萩原の表情を前に松田は舌打ちをした。 「……………、っ……ん」 「萩原」 「………、…ぁ……」 長い指が、大きな手のひらが、萩原の下腹部を握りこんでくる。 同業者である萩原も舌をまくほど松田は手先の器用な男で、爆発物の処理に関しても右に出る者がいない。 そんな男の手は萩原の身体に触れるとますます精密さを増すようなところがあって、そんな卑猥な触り方があるのかと唖然とするくらい執拗に萩原に触れてくる。 「……く…………ん……っ」 「…………………」 「ぅ………、…」 塞がれた唇のせいでくぐもった声は萩原の喉を絶えず振動させる。 欲望を熱く溶かしながらもきつく固める松田の手が、温みながら潤んで、更に細かく、強くすべりだした。 「…………っ…ぁ…、ぁ…っ」 いきなり唇がはずされるから、萩原は塞き止められていた声を悲鳴のように迸らされる。 近すぎて見えなかった松田の双瞳に向けて焦点を絞りながら、萩原は自らの口から漏れていってしまう声をそのまま放つ。 松田の眉間が歪んだ。 「……くそ」 持て余しているような悪態の、荒い呻きが萩原を煽った。 松田は自身の指二本を、萩原の見ている前で口に銜え、引き抜いてすぐ、それを萩原の身体の中に食い込ませてくる。 「ん……、……っ……」 かなりの力で押し込まれた。 いっそ含んでしまったほうが楽なので、最初を傷つけられなければ却って強引にされる方が身体は柔軟に続きを受け入れられた。 「…………っ………ひ……」 「……………………」 「……ぅ………、…」 松田の身体が一気に下降して萩原の体内に含ませた指の後を唇で追ってくる。 今二人がお互いを噛み合わせている身体の境界線に、餓えたような唇を与えられ萩原の肢体に痙攣が走る。 熱い、強い息。 ぞくっと身体を突き上げてくる生々しさが止まらなかった。 懇願が逆効果であることを知っている萩原は、唇をきつく噛み締め、息を詰め、この後の僅かな時間の為の気力を溜める。 「…………松田、……も……いい……」 「……………………」 「いいって……もう……」 上半身を起こして掠れ声を振り絞れば、松田がちらりと視線だけ向けてきた。 癖のある髪を片手にやわらかく握りこみ、萩原は告げた。 「俺さ、お前が俺でよくなってるのが…好きなんだよね………」 「……………………」 ほのかに笑んで、萩原は松田の唇を親指の腹で辿った。 「……そーゆーの…見たり、気づいたり、した時に。俺のメーターも振り切れちまうのよ」 「…………萩原」 「なあ………」 だからと、苦しがるのを隠さないで吐息でねだってみれば、荒っぽく長い指が引き抜かれた。 「萩原」 「……、……え…?……、っ…な、…意地…悪…ぃ……な!……お前、っ」 慣らす為の指は退かれて、でもその後に。 すでに濡らされていたものを松田の唇に含まれた。 「俺は、い、ぃ……って………!」 「……………………………」 「…あ……っ……、…ぅ……、…」 まだ飲まれるようなものはないのに。 強く飲み込まれるように口腔の粘膜で複雑に締め付けられる。 手先どころか舌先まで常人離れしてやがると他所事に意識を向けていられたのも一瞬で、腰が浮き上がるようなはぐらかしが織り込まれ始めた愛撫に、萩原は長い髪を汗で首筋にべったりと張り付かせながら身体をもがかせた。 「…………、…じ、…ん…、…」 「てめえは………!…」 萩原が松田へ名前で縋る。 松田は更に凶暴さを増して、萩原の両足を押さえ込んだ。 唇から音をたてて萩原を引き出して、松田が這い上がってくる。 そういえばずいぶんとキスがないままだと萩原が思ったのは、松田が身体を動かしてきながら萩原の肢体のあちこちに噛み付くような愛撫を繰り返してきたからだった。 声を上げさせられる度、ひっきりなしに触れられている事が常の唇の物寂しさに気づかされる。 口腔を熱い舌で潤される事なく声だけを出させられて、言葉がつむげなくなってきた。 指先まで熱くなって、松田が完全に這い上がってくるまでの時間に耐えられない。 痺れる指を震えながら持ち上げて、まだ脇腹にいる松田の頬にひたりとあてれば、急激に元いた位置へ戻ってきた松田の、獰猛な眼差しと、舌打ちが聞こえて。 足の付け根を内側から押さえつけられ、左右に強く開かれる。 そこから男の身体を通された。 「ひ……ぁ……、……」 ぐらりと視界が揺れた。 指の時同じように、力で押し込められた。 ぐっと内部に強く松田の身体が食い込んで、その瞬間萩原は、汗と血液とがどっと全身に走り渡る生々しい刺激を受ける。 不規則な間をおきながらびくっと瘧のように身体が震える反応がとめられない。 ざっくり拓かれたところから嗅ぎなれた火薬のような気配が立ち込めていくようだった。 似て非なる行為。 でも類をみない緊張と高揚は等しいに近い。 「萩原」 「………………」 熱っぽく囁きながらも決して強引に突き上げてはこない松田を、体内奥深くに食んで萩原は忙しなく息をこらす。 実際にはどこも傷められてはいない。 それは松田が指で触れ、視線を落とし、確かめていた。 その様子を下から見ていた萩原は、寧ろ松田の表情に痛ましさを感じる。 せかしたのは萩原の方で、なにも松田が性急さを我が事だけにしてそんな顔をする必要はない。 「案外気にしぃなんだな…ぁ……」 「馬鹿野郎」 やっと松田の口癖を聞き取って、萩原の強張った身体が僅かながらゆるむ。 それでも、きつくくいしめあっている箇所は早々変わらず、すでに濡れきった松田の手がまた萩原の足の狭間を包み込んできた。 「あ、……ちょ………それ勘弁……」 「…………………」 「だーいじょぶ………すぐよくしてやる………だから、…ちょっとこのままで。………な?」 「…………お前が言うな」 「だってなあ………お前のが痛いようなツラしてるぜ……」 実際にそれが事実で。 痛ましそうに視線をきつく引き絞っている松田に萩原は両手を差し伸べた。 「仕方ない。奥の手だ…」 「…な……」 「キス。いいか、本気でな」 手抜いたら何の効き目もないんだからなと睨んで言ってやる。 引き寄せれば従ってくる松田の唇が落ちてくる。 触れ合うまで目とてもが離せなかった。 「……………、……ふ………っ……」 「……………」 あたたかな舌を含まされ、少し前にこの場でされた口付けと同じくらい深くて、でも今度のそれは格段に柔らかく甘かった。 「……ぅ…………ぅ……、……っ……ん…」 「……………」 「ん………、………ん…」 口腔をとろけさせるようなキスに連鎖して、萩原の体内も淡くうねりだす。 きっかけが掴めれば変化は早くて、萩原の身体は松田に複雑に纏わり出した。 「………っ……ん……、……簡単……だ……ろ……? 俺」 「馬鹿野郎。俺が、だ」 途切れたキスをまた繋いで。 松田が身体を揺すり上げると、萩原の全身に滲むような熱がどうしようもなく走り、上ずった声が止められなくなった。 「あ……ぅ…………っ……、…っ……」 「……………」 「…ん………、ん…ん…っ…、ゃ……」 次第に律動が、強く、早くなって。 甘い抵抗感や手ごたえに身体が引きずられていく。 「……、……萩原……」 「ぁ…あ…っ……あ…」 「お前…………」 松田の口にする言葉が判らなくなって、萩原は視界がハレーションを起こしてチカチカと光るのを朦朧となって感じいる。 視覚も聴覚も奪われていくような激しい抱かれ方に手探りで松田の背を抱きこんだ。 すぐに松田の腕が、奪い、守り、愛おしさを持て余す所作で萩原の背を抱き返してくる。 「…………、……なよ…」 「………、ヤ…………な…に…、…?……っぁ、っ」 「……ねえ…よ………馬鹿野郎…!」 「…………わ………か……んね……って……、……ん、…」 縋りつけば同じ力で抱きすくめられた。 どちらがどれだけ欲しているかなんて、そんな境目はどうでもいいことのように、お互いの身体も気持ちも密着して、見境なく聞き分けなく貪婪にむさぼりあう。 「中でだ……いいな」 「ひ……、……ぁ…」 がくがくと全身が壊れかけ、先に到達した萩原の、混乱を極めている体内へ。 松田が吐き出してくる。 「……ぃ……っ……」 「…………………」 「…く……」 泣きじゃくるような震えが止まらない萩原は、松田に縋りつきながら闇に落ちた。
乱れに乱れた呼吸をどうにかこうにか懸命に宥めて。 萩原が濡れて重くなった睫を力なく引き上げた時、萩原を抱き込んだまま随分と心配そうな目をしていた松田が、すぐにまた憮然とした顔になって煙草を吸い始めた。 萩原も気分では一本欲しいところだったが、身体の方が追いつかない。 一服すら億劫な程だった。 「………………で?」 「…………………」 ベッドに腹ばいになったまま萩原は呼びかける。 「いい加減教えてくれよ松田」 「…………………」 俺は何したと囁くようにしか出ない声で問う。 松田は黙っている。 手荒に煙草を吸っている。 「機嫌悪いだろ?」 「………お前が悪い」 「みたいだな」 そうとは判っても理由までには及ばない。 最初は何か仕事で厄介なことでもあったかと思ったのだが、どう考えてみても松田はいつもの店でいつものように、萩原と飲んでいる最中から不機嫌になった。 「松田」 「…………………」 ベッドヘッドに寄りかかって煙草を口にする松田を、隣に寝たまま視線で見上げる萩原を、松田が初めて見やってきて、不機嫌に言った。 「お前が店で言ったろうが」 「…………………」 「俺がいなくなってからお前どうするんだとか。真顔でほざいただろうが」 「………は?」 萩原は腕をついて僅かに上体を持ち上げる。 癖のある黒髪が目元にかかっている松田の視線は、萩原の頭上からきつく睨みをきかせて萩原だけに注がれる。 「…………………」 確かに萩原は松田にそう言った。 あの店で、酒を飲みながら。 しかしそれは。 「松田」」 「もし、でも。仮に、でも。たらればでする話か」 「いや……あのな……あれは例えばの話じゃなくて……」 「別れるってのかっ?」 「……………おい?………おいおいおい……っ」 しまいには、おーいと苦笑いして萩原はだるそうに身体を起こし、すんなりと長く伸びた腕を松田の首に絡めた。 肌と肌とが密着する。 「週明けから海外出張だぞ。俺」 「……………………」 「古巣にな。低コストの爆発物処理ロボットの開発セミナーと、改造ロケット弾の解体研究。俺が言ってるのはその間の事だけど?」 「……………………」 無言で固まった松田に、萩原はそのままの体制で、とうとう声にして笑い出した。 「かっわいいなー、もー」 「よせ馬鹿っ」 「そんなに好きか。俺のこと」 首に絡めた腕を殊更に甘くして、萩原は松田を抱きこむように身体を倒す。 おとなしく引き込まれてくる松田は、しかし硬直したまま混乱し、未だ激しくうろたえていた。 熱くなることはあっても錯乱はしない松田のこんな様子が酷く物珍しく、萩原は屈託なく尚も笑った。 「そんなに好きか。俺のこと。………こんなに好きだって。俺は」 「……………………」 「いなくならねえよ。怒るなって。な?」 「………笑って言うな!」 「だってお前…………だめだ、かわいい……」 肩を震わせて笑ってしまう萩原と身体を重ねながら、松田は怒声を張り上げる。 「気味悪いこと言うなっ」 「悪くない悪くない」 いよいよ笑いの止まらなくなった萩原を少しの時間を要して静めたのは、何度も何度も繰り返された松田からのキスだった。 「…………俺がいなくなるわけないだろ? ん?」 そっと重ねるキスの淡さと甘さとに囁くような小声をのせて、萩原は松田の後ろ首に指をかけて微笑する。 松田はほんの少し、どこか痛むような顔をしていた。 自分自身のことには無頓着で、そのくせ萩原に関する事だと過敏になる。 そんな松田の性質を知っている萩原は、松田に惜しみなくキスを与え続けて、時期に、自分を再度欲しがる松田の荒っぽい言葉を、手にいれたのだった。
その瞬間の、萩原の頑是無い手放しの微笑を、松田は永遠に胸の裡に飼う。
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