2003年10月23日(木)
わたしはけっこう乱読します。 でも、今回は、始めからちゃんとまっとうに、読みました。 なにがそうさせたのかはわかりません。きっと、御手洗しかいなかったので、ミーハー的には読めなかったのと、もし、わたしが初めて御大の話を読んだらどういう感想を持つのだろうと思って、なるべく先入観なしに読んでみたいと思ったからです。が。 ま、結果的にはそんなことはできるはずもなく(笑) やっぱりいろいろ考えながら読み終えてしまいました。 もともとわたしは根が浅く科学も数学も素養がなく、ごくごくミーハーなミステリー愛読者ですが、考えることが好きでミステリーが好きなのではなく、ミステリーには一応の解決がある、というところが好きなのです。解決のないものは日常にいくらでもあるから、他の世界ではある程度の落ち着くものが欲しいのです。 BBSでそのたびごとにぼちぼち書きましたから重複しますが、最初「タンジール蜜柑共和国」の話を読んだときには、これはなんてわかりやすいファンタジーなんだろうと思いました。続きはどうなるんだろうと探してしまいましたよ。まさか、こんな中途半端で本が出版できるとはどういうことなんだと不思議でしたよ。エゴンはなんでここまでで出版できたんだ。わからん。編集からクレームは付かなかったのか。ついても、次の日にはわからないわけだから編集が諦めたのか(笑) ま、つまり、そういうつっこみも思いはしたけど、こんなファンタジーをよくわかりやすく書けるなあ、とけっこう御大を見直しました。(見直すってどういうことや;) で、まあ、それが科学的にも重なっているところがすごい(?)んですけどね。 今回のこのお話は4人の視点がありますよね。で、枚数的にどんな制限はあったかはわかりませんが、ある意味とってもまとまっていると思うんです。とにかく事件と、事件の解決を、言葉だけで解らせていく、まあ言ってしまえば安楽椅子探偵なんですが、それがとてもさらさらとわかりやすい。状況説明はものすごくよくできてる、その分ハインリッヒがめちゃめちゃ低脳になってますが。こんなん、石岡君相手だったら御手洗こてんぱんですよ。でも、それをごく普通に受け答えしている。全般的にあまりに普通人な御手洗です。たしかにせっかちであったりいらいらしたりの風情はありますが、なにせ一人称では自分の判断でしかない。ハインリッヒはそんなこと書かないし、だいたい、この人の御手洗の見方がよくわからない。御大はハインリッヒにいったいキャラクター付けをしているのでしょうか。いたって淡泊な性格に思えます。だから。 つまりだから、彼の書く話ははっきりいって、「つまんない!!!!」んだな。 これはわたしがファンサイトを持ってるからじゃないですよ。ま、端から見たらそうとしか思えないでしょうが、キャラクター的にはどうしても石岡君くらいの性格のほうがいろんなことに気が付いて気を回して読み手としては感情移入がしやすいんです。最近わたしはよく「ぶれる」という言葉を使いますが、石岡君は書くときに感情があります。今回の御手洗とハインリッヒにはそれがない。こういう科学的というか脳科学などの分野を書くにいたってそういうブレる感情というのは不必要と御大は思ったのかもしれない。でも、赤川次郎や内田康夫がいつまでも作品を量産できるのはひとえにキャラクターが生きているからではないでしょうか。御手洗シリーズにはせっかくホームズキャラの御手洗とワトソンキャラの石岡君がちゃんとキャラを作っているではないですか。それでちゃんと人気になっているじゃないですか。なのになんでキャラとしては弱いハインリッヒを持ってくるんでしょうか。 別のサイトさんで感想を書いたときに、これはオリジナルだから自分でいくらでも作れる、「御手洗が教授である設定ハインリッヒがワトソン役である設定はなぜ必要なのか」と書きましたが(若干違う;)、それは今も思っていて、なにせオリジナルです。自分でなんとでもキャラを変えられます。エゴンがスウェーデン人でなくても、東洋人でもよかったのではないか。英語圏であればなんとかなるのではないか。石岡君のまわりの関係者でも充分つくれたのではないか。御手洗を電話ではなくなにかのついでに会わせてもよかったのではないか。なぜこうも石岡君を出すかといえば、もうこれはぜったい、石岡君に書かせれば今の倍、前後編くらいの本になり、もっともっと感情的にぶれていて、被害者にも共感するところがあったのではないかと思えたから。なんとなく小説の前の段階のプロットを読んだだけのような気がしたからです。よくできている。と、思う。けれども、わたしには小説的にものたりない。たしかにミステリーではあるけれども、小説ではない、そんな感じなのです。こういう感想って感想じゃないのかな。 ちなみに、今回御手洗は医者としては免職ものの性急さと言っていますが、基本的にエゴンは患者ではなく依頼人だから、ま、探偵としての御手洗に会いに来ているのですよね。帰るところを探しているのだから、それがわかればいいわけですね。だからリクリエーションなんですね、御手洗にとって。おい。そんなんいいのか(笑) それにしても思いの外御手洗は整理整頓された生活を送っているらしい。BDにプレゼントも貰うし。誰からだい。いろいろな小物も整理されて置いてあるらしい。くれるひとはいろいろいるらしい。うーん。そこんところがなんか、なんとなく嫉妬するんだけど、なんででしょう(笑) 御手洗がきっかり一分時間を計ったときには、彼もついに時計をするようになったのかなと思いましたが、腕時計という表現はよく見るとありませんでしたね(笑) それにしても、最近彼が一番言ってないか? 「時間がない」。この人いっつも時間がないんだ、とかなんとか言ってないか? 今はしっかりいろいろの制約のなかにいて、あの時間を贅沢に使っていた御手洗はどこにいったのだろうね。権威でもなくそれでもひょうひょうといろいろなものに向かっていた御手洗のキャラをこうまで変えていいんでしょうか御大。それでもわたしはたしかに御手洗が好きですが…。そうだなあ。彼のなにがこんなに好きなんでしょうね。わかりません。 ああ、そう、話はぐちゃまぜですが、うん、今回はどこからかごっそりコピーしたという印象はなくて、少しずつまぜこぜでうまくできあがっている、そういう感想でした。たぶん、今回みんなの感想がけっこうあちこちであがっているのは、それだけちゃんと読めたってことですよね。だから出来はいいんですよね。そういう意味では。だけど、わたしは注文をつければ、石岡君の文体で書いて欲しかった。いみじくも御大が「石岡和己攻略本」で彼に言わせているとおり、わたしはそういう本を読みたかった。さらさらとながれる構成ではなく。ちなみに石岡君があの本で言っている本を書く姿勢についてはp94からです。 まあ、こんなに勢いで書いてもなんにもうまく言えてないんですが、最後にひとつ。これを言っちゃあおしまいだよ、なんですが、そもそもエゴンは酔っぱらいでした。通常、酔っぱらいは酔っぱらい的な相手のしかたってのがあるんじゃないでしょうか。一応、一緒にずっと居たという証言は必要として…地震で人形のクビが転がってネジが見えた…として、そこにはふたりしかいませんよね。死体のクビにネジを付けるより、死体はたしかに一緒に見たがそのクビが転がったのはぼくは見ていないと最後まで嘘を突き通すことだってできたんじゃないでしょうか、某彼は。だからエゴンがもし普通に地震でけがもせず戻ってきても、ネジまでする必要はあったのかなあと。そうするとえん罪も起こらずネット検索にもひっかからずで事件の設定そのものが狂うのか。つーか…やる? ネジ(笑) そもそもエゴンて証言能力あるのかなあ。どのくらいのアル中なんだ? ああ、まあそれはともかく。ネジ埋めるのに肉を掻き出すんですよ;うげ。まだ御大の切り裂きジャックのほうが真実みがあるわ。あれはほんとに必要だったという設定ですもんね。そうだと思える設定ですもんね。 ながなが書いてみました。でも、内容はなんにもないですね。 おつかれさまでした。えー…もし、ここまで読んでいたらね(笑) 長いので読み返ししません・笑 ここまで読んで呆れないように☆
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