このところ、どういうわけか、そういう時期なのかわからないけれども、昔解散したグループや昔TVに出なかった人たちや一時期大ヒットした曲を持つひとたちが記念コンサートなどをやる。
アリスもそのひとつ。
見たいなと思って仕事で忘れてしまっていたSONGSをなぜか今日突然思い出してダンナにあるかどうか訊いたらちゃんと録っていた。
そこはかとなく趣味が合うというのはこんな時にありがたい。
音源を貰うとアリスはこの番組でも「帰らざる日々」を歌っていた。
この曲に思い入れがあるのは私だけではないらしい。
私はこの曲でひとつ御手洗と石岡の話を書いたし、実はその前に8Pのコミックを描いている。わたしはこのころ短いページ数で話をまとめるということに力を入れていた気がする。
これはもともとの曲が自死だからオマージュ的に描く話もそういうことになってしまうのだけれど、ただ、きれいに描こうと思っていたのを覚えている。血の繋がっていない兄弟の弟が兄を愛して死んでいく。そういう8Pだった。これはもともとは明るい兄弟を描いていて、もしこのふたりがちがうシチュや性格だったらどうしただろうかと思って描いたお話で、私はちょっと、かなり、気に入っていた。
その原稿はもうないのだけど、いったいどこにいったのかなあ。
そしてそのころは私もまだプロの漫画家になりたいとかなり真剣に思っていた。
でも問題は私の性格にあった。わたしは社交的でもなかったし、飛び抜けてお話が上手かったわけでもなかったし、とにかく、一般的なお付き合いに疎かった。
まあ、結局なんの職業になるにしても、一番大事なのは人付き合いであると思う。わたしはとことん上手くなかった。成人してもしょうもない子供だった。こんな歳になってようやく解るっていうのは問題だけれど、ジェイムズ・ティプトリー・Jrのこともある。まだいろいろなんとかなるだろう。
けれども、もういろいろ人生の片付けも考え始める歳でもある。
広げっぱなしは良くない。
話はいったりきたりするけれども、音楽というのは時代をスリップさせる。
今日、アリスの「帰らざる日々」を聴きながら私はいろいろと思い出したことがある。結局は忙しい毎日にまたその感情が埋もれていくにしても、思い出すことはできる。
そうしてわたしの原風景はたぶんそこにある。
風に吹かれた草原にひとり。その時の心境はあいにくと文字にできないけれど。そこに立っている限り、わたしはどんな世界も創ることができる。
御手洗を知った石岡君はどうだろう。
馬車道にひとりで、ふと、昔彼と一緒に居たときに聴いたアイドルの曲などで思わず蹲ったりはしないだろうか。
どこかの店で思わず流れるジャズに涙したりはしないだろうか。
彼にとって御手洗はなにものにも替えられない、歌にあるような青春そのものではないだろうか。
この年代の思いは強い。御手洗にはベトナム戦争があり、石岡には過激な学生運動真っ盛りに突入していたのではなかったか。
彼らの思いはいまどこで静かに眠っているのだろうか。
若かった子供だったとただ割り切って終わってしまったのだろうか。
吉田拓郎がまた入院したと聞く。阿久悠も逝き清志郎も逝き1970年代を過激に駆け抜けた人たちは次第に鬼籍に入っていく。
発展しすぎた都市も次第に衰退に向かっていく。
希望は歌のなかにあるだろうか。