毒茄子
レガお君



 言いたい放題

育児休暇中の友達とランチ。

迎えに行ったらまだお支度中。
部屋の隅っこで着替えてるんだけど
授乳中の巨乳に視線釘付け。
本当に、本当に、すごすぎる。
人間も動物なんだとシミジミ思う。
私が何を思ってつっ立ってるかは
友達は知る由も無く。

電車通勤になってからというもの
ほったらかしだった愛車をディーラーへ
点検&オイル交換でご機嫌を伺う。
ディーラーにはちょうど春採用の
新人営業マンが研修中。

さすがはスバル、でお金が無いのか
「研修中」と書いた厚紙を
ヒモで首からぶら下げてるだけ。
雨の中ずぶぬれでオドオドしてて
捨てイヌ並みに貧相極まりない。
同情買って車を売ろうと言う魂胆か?
眼科でスタッフが間違えないように
患者さんの首から「右」「左」と書いた
札を下げるのを思い出して笑った。

大真面目な新人営業マンは
駐車場に入るなり雨の中を走ってきて
車から降りるなりご丁寧に挨拶頂いて
「ご案内します」とか声をかけてくれる。
「点検をお願いしてるので」と
さっさとサービスフロントへ向かう私を
案内するどころか後ろから付いてくるだけ。
で、去年の今頃同じ様に駐車場に立ってた
某営業マンは今年はもう店内で
日曜の昼間からデスクワークをしてる。
偉くなったな・・・。

この週末、タケが私と会おうと必死で
何度も電話をしてきてたけど
私は全然気分が乗らなくて
車の点検にも行きたいし
友達とランチもしたいしで
仕事だと言って取り合わなかった。
昔は彼女を迎えに行くのがイヤで
タクシーで帰らせたとか豪語してたタケは
仕事の行き帰りの送迎をしようかとか
あの手この手を提案するんだけど
私ものらりくらりと逃げている。

タケと会ったところで話したいことも
したい事も無く「一緒にいるだけでいい」
というような気持ちにもならない。
そんな私は明日有給を取って
出かけようとあれこれ考える振りをして
答えは決まってる。魚に会いに行きたい。
で、魚に連絡したら「月曜は予定があるけど
火曜ならひまだぞ」というお返事。

火曜となると私は仕事は休めず。
定時で終わっても魚宅に着くのは19時。
ご飯食べて帰り道を考えると
あんまりゆっくりもしてられない。
でも、わざわざ「火曜はヒマ」と
魚から言い出すあたり
向こうも待ってるのかなと思うから
逃す手はない。

こうやって、会いたい人には
何としても会いに行く。
次にタケに会う時はそれが最後。
さっさと会ってケリをつければいいのに
何だか気が重いという自分勝手な私。

夜はサンマリノGP。
予選は見ず。ついにミハエルがポール。
が、母親が亡くなったとかで心情的には複雑。
彼の事だからレースに出れば
きちんと集中して自分の仕事はやりとげる。
でも、今期初優勝とイモラと・・・
というプレッシャーを考えたら
それなりに楽そうだった展開のレースを
最後まで息を殺して見守るしかなかった。

ゴールしてからも
さすがに喜んでる雰囲気でもない。
母親の死という出来事もそうだけど
この1勝だけで大喜びしてる場合じゃない。
ここからが本当の始まりで
長いシーズンを乗り越えて
最後に笑わないといけないんだから。

ポディウムに登場してたから
インタビューはどうかなと思ってたら
映像が変わって・・・
ライコネンとバリチェロに挟まれた監督。
小さくちょこんと座ってて笑うしかなかった。
本当はすごい人なのにこれまた貧相に見えて
1人でクスクス笑って過ごした。
それにしてもライコネンはすごい。

なにはともあれ、まず一勝。

2003年04月20日(日)



 キャリアと偶然の力

見事に昼まで寝る。

昼に起きて、何からしようか迷った挙句
ベッドから出ずにブラジルGP観戦となる。
大荒れという言葉では片付けられない
本当に荒れ荒れな内容で
タイヤもサスペンションも外れて
モノコックだけになって
ずるずるコースを滑っていく車を
久々にしかも次々と見る羽目になり
折りしも5月手前の次はイモラという
時期も時期なのでイヤな気分。

ミハエルも全然流れに乗れてなくて
車がひと時速くても最後に残ってなけりゃ
何の意味もないのがこの世界。
本当に何年かぶりで
コース脇にいるミハエルを見たけど
アゴのラインが丸くなって「歳くったなぁ」
というのが正直な感想。

夕方、懐かしい後輩から電話。
彼女は古巣を辞めて実家のある千葉へ帰り
ある病院へ就職したものの
やっぱりガン看護がしたいということで
某国立ガン専門病院へ就職した。
で、そこで働き出して2週間経過、
システムの古さや業務の無駄の多さに
幻滅してしてしまったらしい。

未だ古式ゆかしく申し送りは存続してて
ケモのハイドレーションはすべて
輸液ポンプで落としてる。
ろくろく患者と話もせず
カンファレンスの内容も業務調整のみ。
後輩がガン専門病院で何を学ぶか
私もかなり期待してたのに
聞けば聞くほどげんなりしてくる。
医療の水準と看護のシステムは別?

で、そこの看護スタッフは
プライドだけはしっかりしてるらしく
「どうしてここのやり方はこうなのか」
と尋ねてみても
「それでずっとやってきてるから」
というどうしようもない返事がくるらしい。

2人でブツブツ言い合って
この先の自分の身の振り方について
色々考えてみる。
奇しくも広島に帰った愛弟子も
今の病院に幻滅してると
ブツブツ言ってる最中。
こないだも電話してきて
夜空の月をを見上げて話しながら
「広島と明石と、同じ月見てるねんなぁ」
と遠距離恋愛のようなやり取りをしてた。

不満ばかり言っててもしょうがないけど
自分にプラスにならないとわかったなら
そこに長居するのは時間のムダ。
やりたい事が決まってるなら
自分からそれを求めて動いていくしかない。
最初はちょっと腐り気味だった後輩も
最後には「今出来る事を頑張ってみます。」
という頼もしいお言葉。

私たちの古巣は公立だから
給料は決して高くないけど
本当に卒後教育が充実してる。
実習生も受け入れてるから
結果的に各学校の教員とも繋がりができて
私のステップアップに大きな影響があった。

一緒に働いてるメンバーは
専門学校卒も短大卒も大学卒も
専門・認定看護婦もいるという状態で
それぞれ仕事を通じてつながっていて
そういう人脈はこれまで私を助け、
これからも活きていく。
私がこの先大学院を受ける気になったら
それこそ古巣の先輩や後輩の繋がりで
どんどん世界は広がっていく。
他の病院で同じ様な経験や
出会いあるとは限らない。
やっぱり就職先は大事。特に最初の職場は。

そこがどんな病院かも知らず
公立だからという理由だけで選んだ職場。
偶然肺癌ケモ病棟の配属になった私は
偶然そこにいた先輩の影響を受け
偶然ケモとターミナルにハマり
偶然学生指導が回ってきて
偶然色んな先生と出会い
偶然色んな後輩が入ってきて
偶然出会った婦長のお薦めで
偶然空いてたキャリアアップ研修に出て
偶然教員枠に空きがあって今に至る。
偶然もここまで繋がれば必然。

繋がるべくして繋がった道、堂々と歩こう。

2003年04月19日(土)
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