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■ 言えない暴言をここに埋めます
抗生剤やめたらまたのどが痛い。
午前中は昨日のアンケートの集計をして過ごす。 が、PCの画面で目の疲れがひどくなり イヤになってしばし読書にスイッチ。 本も普通に読むと目が近すぎてしんどいから 小学生のように腕を伸ばして本を持つ。 国語の時間みたいやなと思いながら 確かにそうやると目には優しくて あの頃は「何でうで伸ばして本なんか持つの?」 と不思議に思ってたけど その意味と効果を今になって知ることになる。
しばらくして若い男の人がやってきた。 グレー系のスーツを着て薄いグリーンのシャツ。 髪は長くてけっこう明るめな茶髪。 どっかの営業にしたら身なりが派手だなと 御用を聞いたら何と外部からの講師だった。 某大学の院生らしいけど、ホストみたいでいまいち。 「講師と言えば中年以上の人」 という先入観が見事に出来上がってる。 そういう私は実習中も足の爪が真っ青で 髪の色もさらに明るくする予定。 ナースサンダルは厚底が久々に登場。
午後になって打ち合わせへ出発。今回も古巣。 おまけに対象の病棟は古巣の隣の病棟。 そこの指導者も知ってるけど そんなにキレるタイプではなさそうだし。 婦長さんもスタッフに文句言われ放題で しかもそれが勤務表作成がヘタクソとか 言われてる文句のレベルが低かったりする。 で、上の教員と一緒に詰所へ出向く。
実習の日程を説明したら案の定 殆ど指導者が関われない勤務割りになってて カンファレンスにも出られない。 指導者も婦長への不満を第三者の私たちがいる前で 堂々と言い出すから驚く。婦長は黙ってる。 学生の背景や性格と実習目的を伝えたら 今度は指導者の反応が悪い。
今回の実習の目的は対象の理解が主で 成人患者の心理・社会面について 考えるのが第一の目的。 患者のあらゆる面から観察して トータルで優先順位をつけて関わるという 統合された看護過程は目標に上がってない。
ヘタに身体的ケアが多かったりすると そちらにばかり目が行ってしまって 実習の目的にはたどり着けなくなるから 「できるだけ身体症状とケアが少ない患者を」 といってもいまいち理解がもらえない。 きょとんとして「それって難しいと思います」と言う。 「ケアがない患者は入って行きにくくないですか?」 婦長が挙げた受け持ち候補を見て 「こんな、何もない人たち持ってもねぇ」
そういうこといってると自分のレベルがバレるぞ。 「何もない人」とというのは 治療を淡々とこなして自分の事は自分で出来る 看護者が表立って介入する必要のない人達 を指すんだろうけど、 その人が「何もないひと」だと判断する根拠は? 本当に介入がいらないとしても いらないと判断するまでにはそれに必要な 観察やアセスメントがされてるんだから その過程を見るのもひとつの学習。 「難しいと思います」ってもしかして 「学生が学ぶのが難しい」んじゃなくて 「自分が指導するのが難しい」んじゃないの?
「何も(介入する事が)ない人」と 「何も(問題が)ない人」は違うし 何も(問題の)ない人なんていない。 病状は落ち着いてても家庭や社会から離れて 治療を受けてる人達にはそれぞれ 悩みや苦しみは常にある。 忙しい看護婦に言えない人もいる。 患者が言わなければ何も無いのかと言えば違う。 そこの理解のための実習。 べつに理解の難しいおかしな目標だとは思わない。
指導者は病棟スタッフとの掛け橋として とても重要な役割で、 指導者が実習中に直接関わらないとすれば尚更。 指導者が実習の目的を理解していないと それが病棟のスタッフには伝わらない。 指導者のかわりに学生に直接関わるスタッフが 実習の目的を理解していないとなると 学生は目的にみあった学習はできない。
実習の目的なんてたいそうなものじゃないと思う。 ひとつの「連絡事項」にはかわりなく 病棟目標とか新人の教育内容とか 「スタッフ全員に周知して関わりを統一をする」 と言うことにおいては何も特別な事はない。 それをきちんとやれる病棟はチームワークはいいし 新人や異動者の教育や患者のケアも 統一してきちんとやれるんだと思う。 実習でいろんな病棟を渡り歩くのが楽しみ。
私も偉そうに言っただけの事はしないと。
2003年05月16日(金)
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