毒茄子
レガお君



 悲しい知らせ

滅茶苦茶爽やかな一日。

ものすごーく空が青くて
カラッとした風が吹いてて
気持ちいいことこの上ない日に
半日をぷよぷよ対決で潰す。
贅沢にもほどがあるなぁと。

あんまりなので
50戦で切り上げて家電を見に行く。
何がなんだかわからないので
とりあえず片っ端からカタログ収集。
してたら学生から電話がかかる。
実習記録のまとめの方法が
いまいちわかんないらしいけど
大型電器店の店内ほど
携帯で話すのに不便なところはない。

先生、どこにいるんですか?
と聞かれて「電器屋」と答えるも
そこで誰と何をしてるかは内緒。
申し訳ないけど
あまり詳しくは相談に乗れず。
「まぁ、実践は良かったよ〜」
とかよくわかんないフォローをしておく。

もらったカタログとネットで探した資料。
ボールペン片手に色々比較する。
性能、値段、消費電力、サイズと
比べるものが多すぎて嫌になる。
高校教師は「好きなんにしたら?」
って言うんだけど
ダントツに気に入るものがないから困る。

高校教師宅からの帰り道
友達からメールが入る。
双子を妊娠しながら途中のトラブルで
26週に満たないまま帝王切開して
子どもの命は何とも保証できない状況。
そんな彼女から来るメールだから
ものすごくいい話であるわけが無い。

送信者の名前を見て
運転中に開けるかどうか
かなり迷ったんだけど開けてみる。
そこには先週帝王切開で生まれた
子どもの名前が挙がってて
二人ともものすごく可愛いと書いてあった。
おお、良かった。

読み進めたら
「次男は昨夜一晩家で過ごせた」
って書いてある。
彼女も外泊許可をもらって帰ったらしい。
私が状況がおちついてるものと勘違いして
「よかったぁ」と高速道路の上で
なみだ目になる。

それに続いて
「一晩家で過ごして、
今日見送ることができました。
花に囲まれて本当に天使みたいやった」
運転中にさらっと読んでるから
私はまだその文章の意味に気がつかない。

「長男は厳しい状態が続いてるけど
頑張ってるから私も頑張るわ。
また応援してね」ってメールは終わった。
「そうか〜」と安堵した次の瞬間
「ん?」そうじゃない。

26週にも満たない状態で生まれた子が
一晩家に帰るったって
保育器の外で生きられるわけがない。
帝王切開して1週間もたってない彼女は
よっぽどの事情が無い限り
外泊するわけがない。
見送るって、花に囲まれてって
天使みたいだったって、
次男は生きられなかったんだ。

結婚して長い間
子どもができなかった夫婦だった。
二人で色々悩みながらも外には出さず
仲良く暮らしてた夫婦で
昔彼女が「私、子ども嫌いやねん」って
言ってたけど妊娠がわかった時の喜びようで
それが強がりだったんだと解った。
そんな事を思いながら
悲しくてまた涙で前の車が滲む。

彼女はとりあえず報告をくれたけど
事実をそのまま「亡くなった」とは
書ける状態じゃなくて
こういう表現になったんだと思ったら
辛くて辛くて涙が止まらない。

普段明るくて気丈で
生命力に溢れてる感じの彼女が
双子を助けるために入院して
ベッドの上で点滴につながれて
色白の腕に点滴の痕が増えていくのが
見てて痛々しかった。
そうやって大事に守ってた命なんだけど
守りきれなかった。

長男は生き続けるべく頑張ってる。
彼女も頑張ってるし
彼女と一緒に頑張ってきた
彼女のダンナの事を思うと
また違った苦しさがあるんだろうと思う。
今は精一杯気を張ってるんだろうけど
彼女も彼女のダンナも
気持ちと身体が消耗してるのは確かで
グリーフケアって
私にできるんだろうか?

ああ。

2004年06月13日(日)



 信じてみる

久々に自分のペースで過ごす。

一昨日の実習中、術後の患者さんに
「家に帰ったら食べられるだろうから
病院では無理して食べなくてもいい」
と的外しまくり発言をした学生。

「人間には自然治癒力があるんだから
いつかは治って行く。
そこをもっと早く治るように
できるだけ楽に治るように
治るまでの不自由がないように
常に出来ることはないかな?って
探すのが看護じゃないのか?」
と私が言ったところ
何とか伝わったらしく
計画を挙げてきた。

「ニオイが気にならないよう
ラップのかけ方を工夫する」
「個室じゃなく食堂で食事を摂って
気分が変わるようにする」
おお。
変化の兆しが見えるとこちらも嬉しい。

実習トラブルの時の発言で
彼女に対してかなり問題意識を持ってる。
でも根気よく関われば彼女も
変わりえる存在なんだと言う事を
忘れかけていたのかもしれない。

実際に根深い問題はある。
彼女は患者さんに援助を提供するのに
「指示されてやってみた事」では
患者さんが良い方に変化をしても
イマイチ嬉しくないと言う。
「自分で考えて何かをして
それを喜んでもらえたら嬉しい」
のだと言う。
が、自分で何かを考えたい割には
恐ろしいほど知識が足りない。
俗に言う「自分勝手」。

誰が考え付いた援助でも
自分がそれを実行する事で
患者さんが喜べばそれでいいと思うけど
彼女はそうではないらしい。
何か新しい事を教えてもらって
その技を盗んで患者さんに提供したところで
患者さんは「それって他人のアイデアやろ?」
って喜ばないという事はないと思う。

だいたい臨床で仕事を覚えるには
「こうしてみたら?」と先輩に言われて
やってみる所から仕事を覚えるんだし
実習でもまずは教科書を見て
そのとおりにやってみる所から始まる。

基本的な事が出来て初めて
応用やアイデアの加味があるのに。
だいたい「食欲を強化する」みたいな
基本的な食事への援助も忘れてるくせに
自分のアイデアも何もあったもんじゃない。

看護の喜びが「患者の変化」主体ではなく
自分の「やりたいこと」になってしまうと
本当にひとりよがりで危険な状態だと思う。
自分のアイデアを実行したいあまりに
基本から外れたり患者の意向を無視したら
それこそ倫理なんてどこかへ行ってしまう。

彼女に課題は多いけど
だから切るんじゃなくて
何とか関わり続けて小さな変化を重ねて
そういうのが私たちの仕事。
臨床を離れて1年とちょっとで
まだ教育が何なのかよくわかんないけど
相手の力を見極めて
信じてみるところから始まるのは
後輩も学生も患者も同僚も多分一緒。

根気よく。

2004年06月12日(土)
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