毒茄子
レガお君



 教員と台風

台風一過。

朝から天気予報に釘付け。
警報が出たら学生が来ないから
レポートも出なくて
一日の予定は大きく変わる。
とりあえずのところは
今日が実習じゃなくてよかった。

実習も授業なので
警報が出たらいちおう休み。
でも、午前で警報解除になったら
午後から実習だったりするから
教員は学生がいなくても
ぼけっと病院で詰めなくちゃいけない。
そんなややこしい事。

今日は出勤時間はまだ小雨で
ピークの昼間はゆっくり働いて
台風一過の夕方まで働いたら
運転もそんなには危なくないはず。
レガおも野ざらしの実家の駐車場より
職場のガレージにいたほうが何かと安全。
という事でレガお通勤。

出勤途中は子どもがいない。
近所の小中学校は休みで
いつも電車に溢れてる高校生もいない。
警報は暴風と波浪なんだけど
今から台風が来るから
大事をとって休みなんだろうな。

という事は高校教師は喜んでる。
きっと生徒並みに喜んでる。
一度は出勤してるだろうけど
きっと早々に引き上げるんだろう。
って思ってたら案の定
10時頃にメールが来た。

「台風が来るので
校長に早く帰れと言われて
泣く泣く仕事を残して帰ってきました。
決して小説の続きが気になるからでは
ありません。自宅待機です」って。

ふん、泣く泣く帰るんだったら
仕事があるんだったら何も
大雨の中を引き上げなくてよろしい。
「安全な状況になるまで働きます」
ってみっちり定時まで働いたらいいのに。
自宅待機って言ったら聞こえはいいけど
待機しててまた呼ばれるなんて
聞いた事がない。

という事でそのまま返信したら
「気が小さいので校長には逆らえません。
大人しく上司のいう事を聞きます」
って勝手な時だけそんな事言って。
だいたい嬉しそうにメールしてきて
こっちはこつこつ仕事してるんだけど。

昼前から風雨がすごくて
ある外来講師は勝手に
台風で休講と勘違いして来ず。
たどりついた別の講師も
ピークの風雨でずぶ濡れ。

あまりの濡れっぷりに着替えを用意する。
小柄な女性の講師だったので
あれこれ悩んだ挙句
洗濯から帰ってきたばかりの
教員の白衣を着てもらって
その間に講師の服をハンガーで乾かす。

その先生はよその大学か短大の
教養系の講師だから医療とは無縁。
せっかく看護学校に講義に来てもらってるし
「白衣体験してもらおうか?」
という勝手な思いつきで白衣を提案。
どうするかなぁと思ってたら
背に腹は代えられなかったのか
白衣を着たかったのか
あっさりOKで白衣姿で教室へ。
悪ノリで準備したキャップは却下。

高校教師は調子に乗って
嬉しそうにメールを送ってくる。
「起きたら雨止んでた」って
自宅待機と書いて「ひるね」と読むのね。
放置しておく。

結局台風は直撃で
何年かぶりに台風の目も見た。
夕方には見事に空が晴れ渡って
夕焼けがきれいだった。
立場が変われば台風の受け止めも違って
気象庁サイトでの警報の見方もわかった。

日々少しづつ賢くなろう。


2004年06月21日(月)



 明日はあるか?

果たして台風は来るのかね。

高校教師は台風と聞いて浮かれてる。
何度もしつこく天気予報を見る。
もしかしたら奴の生徒並みに
台風休みを喜んでるかもしれない。
奴の目論見は「とりあえず出勤して
警報が出て子どもは休み。
だからそのまま残ってる仕事をして
昼ごろに台風が行ってしまって
自分の仕事も目処がついて
昼からは台風一過の街に遊びに出る」
都合良すぎ。

私はどっちみち出勤だけど
明日は実習中の学生の
初期アセスメントを貰わないと困る。
月曜に提出して一度見ておかないと
そのまま臨床に出せるほどの
完成度が備わってるとは思えない。
受け持ち7人中2人は特に怪しい。

昨日はかなり久しぶりに母親と出かける。
母親の服を見繕えと言われて喧嘩し
他にも何かにつけて色々と
小競り合いを繰り返しながらの道中。
本当に見事にそりが合わず
何をしても何を言われても気に食わない。
世の中にはこんな母娘もいる。
20万円以上する
鍋のセットを買ってもらいながら
口から出るのは悪態ばかり。
母親も負けていないし。

メインの用事は
叔母にあたる人が主催する
ダンススクールの発表会。
その叔母は大腸がんの術後で
遠隔転移もある。
抗がん剤を続けながらの生活で
それでもダンススクールを続けてる。
で、おそらく今回の発表会が
最後になりそうだという事で見に行く。

抗がん剤のダメージで
3日前まではほとんど
動けなかったらしい。
それでも代表として
気丈にステージを務め
古い仲間も駆けつけてという
記念の催しだった。

さすがに身体のキレは悪いらしく
動きが周りと合わない事もあった。
練習なんて多分出来てない中でも
ピンと伸びた背筋が印象的で
気迫は伝わってくる。
ダンスはよく解らないけど
叔母のすごさは良くわかった。

若い頃にダンス留学をして
その時に一緒に頑張った仲間も
遠くから駆けつけて
一緒にステージに立ってた。
叔母も然ることながら
仲間たちはどういう思いで
一緒にステージに立ってたんだろう。

普段は交流がない人なので
叔母を自分の身内と言う視点と
ひとりのがん患者という視点と
両方で見られる。
私たちは普段、入院中の患者しか知らない。
だから病院から離れて
自分らしく生きる事を必死で求める人と
その人を支える家族や友人を見て
色々と感じるところは多かった。

30歳代前半で胃がんを患い
亡くなる2週間前まで病棟に身を置き
現役ナースとして亡くなった先輩や
今まで看取った患者さんを思う。
先週亡くなった友達の子どもや
新婚1年で体調を崩してて
婦人科系がんの疑いが濃い先輩もいる。
誰の明日も確かじゃない。

それでも頑張らなきゃ。

2004年06月20日(日)
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