毒茄子
レガお君



 言われっぱなし不可

また1週間が終わった。

今日は仕事が終わってから
家電製品の買い物に行く。
結婚祝いに妹が炊飯器を買ってくれて
ついでに新居の掃除に必要な掃除機や
偶然安かったミキサーもお買い上げ。
レガおのラゲッジに
ダンボール箱積んで帰ってくる。
金額が大きいのに優雅じゃなくて
何だか変な感じ。

昔は色んなものに
「my○○」が欲しかった。
myPC、myデッキ、myカメラ
myボード、myテレビ。
myレガシィなんて
もう最高に嬉しかった。
それがmy冷蔵庫とかmy掃除機に
my炊飯器my鍋セットmy洗濯機となると
何だか面倒くさい。

高校教師は本日ご宴会で
まだ帰ってないのかメールが来ない。
昨日のうちに
「明日は2次会まで場所が決まってるから
遅くなると思う」ってメールが来てた。
まだ一緒には住んでないけど
遅くなるときは連絡するものらしい。

私は私で昨日は先輩とごはんで
奴のメールを3時間以上放置してた。
メールが来てるだろうなとは思ったけど
先輩の話を中断してまで
チェックしなくちゃいけない内容も
ないだろうという事で放置。

一緒に住みだしたら
きっとこうは行かないだろうな。
奴が宴会で遅くなったら
私はちゃんと起きて待ってるだろうか?
休前日じゃなかったら
容赦なく寝てそうな気がする。

今までも今でも
遅くなろうが酔っ払おうが私の勝手で
それが通らなくなるのが同居。
煩わしいなぁと思いつつ
奴も今から「遅くなる」とか
言ってくれてるから私も勝手はしにくい。

実習は3分の2が終了で
ぼちぼち看護計画が煮詰まってきた。
学生もお疲れがたまってきて
初期アセスメントを直せと言えば
日々の記録の内容が途端に薄くなる。

で、「解剖生理を調べてたら
日々の記録を書く時間がない。
そんなに一度にできない」と言うけど
一度にしなくていいように
一番最初に解剖生理の講義があるわけで
そこで必要な知識が頭に入ってたら
今頃あたふたしなくて良いのだ。
自分が後へ課題を回しておいて
今頃泣き言を言うでない。

学生が何か計画を立てたら
バカのひとつ覚えのように
決まって出るアドバイスが
「この人らしさが見えてこない。
もっと個別の計画を具体的に」というもので
今回も例に漏れず。

で、指導者は「具体的に」と言いながら
自分が出してるアドバイスは端的に
「具体的に」という言葉でおしまいで
ある意味全然具体的でない内容。
「具体的に」って言うなら
「もうちょっと食事の事考えたら?」
とか「この人の歩き方のクセ考えたら?」
とかアドバイスの内容も
具体的にお願いしたい。

よくヒント与えすぎちゃダメとか
自分で考えなきゃって言うけど
指導者が思う「その人らしさ」を
根拠となる言動を示して
わかりやすく説明してもらった事って
あんまり記憶にない。
だから学生なりに考えた「その人らしさ」
と指導者が考える「その人らしさ」が
ずれてたりしたらもう
方向性がズレまくりで目もあてられない。

その昔、主任が実習指導をしてた頃。
指導者がとにかく「個別性を出して」
の一辺倒で困ったことがあったらしい。
教員から見て学生の困惑ぶりも解ったので
「学生なりに精一杯個別性を考えて
この計画にたどり着いています。
これ以上をとおっしゃるなら
一度計画の例として
この学生が作った計画に
指導者さんの思う個別性のあるプランを
書き加えて頂けませんか?」
って伝えたら指導者は
計画とにらめっこで黙り込み
「これでもいいかもしれません」
って言ったらしい。

不足を言うのは簡単。
でも指導は答えや方向性と共に
根拠を持ってすすめられるべきもの。
私もそこを忘れずにいようと思った。

主任、すごい。

2004年06月25日(金)



 臨床家のお通夜

ワームは飛んで来なくなった。

最近、お気に入りの日記が続けて消える。
毎日楽しみにしてたのに。
新聞読むみたいに日課になってたから
Myエンピツリストに出ないのが
変な感じというか喪失感。

今日は古巣の先輩とご飯。
私が教員になる時に
お互い畑は違っても頑張ろうと
励ましあった仲。
私にしたら彼女ほど
臨床を活き活きと語る人を見た事ない。
彼女にしたら私は臨床の外から
ちょっと違った視点でモノを見てて
臨床をとりまく世界を見せてくれる。

先輩は臨床に残った自分の
存在意義を示すかのように
毎日の出来事を語る。
私は私で負けじと
教育の面白さや深さを語る。
自分の臨床実践を意味づけて
相手に伝わるように語れる彼女は
私にしたら学生に見せたい茄子NO1。

彼女はしばらく関わってた患者さんが
今日亡くなったばかりで
今までを振り返りながら
色んな話をしてくれた。
その患者さんを看取る中で感じたり
学んだことを一つ一つ丁寧に話して
亡くなった患者さんの事を思い出して
自分の実践を振り返ってる。
実践の知って
こうやって深まるんだろうか。

家族や親類が集まって
お通夜で死者の思い出を振り返るように
ケアを提供した者も
亡くなった人を振り返って色々考える。
心をこめてケアした対象を失って
喪失感を味わうのは医療者も同じで
私が話を聞くことで
その悲しさや寂しさ、喪失感を
うまく乗り越えられたらいいなと思う。

悔しいけど彼女の話を聞いてたら
その時は臨床に帰りたくなってしまう私。
このままずっと私は
教員をやって行くんだろうか?
と先を色々考える。
彼女は彼女で私に触発されてる事はあって
学会やセミナーへ行く回数は増えた。

時々一緒にごはん食べて話すのは
患者さんの話や新人教育や
人事、管理的な内容まで
もう臨床まるごと全部。
しかもそこに仕事以外の話が
ほとんどはさまらない3時間。
ちょっと異常だけど
二人ともそれぐらい自分の仕事が好き。

こうやって話してると
「結婚してしばらく働いて
お金貯めて子ども産んで引退」という
ここ最近目論んでた将来が
全く違うものに塗り替えられる。
以前からあった
バリバリと仕事を続けて
あれもしたいこれもしたいという
欲張りな気分になる。

毎日毎日自分は何がしたくて
何が楽しくて働いてるのか
何を大切に生きていくのか
それを自分に問いながら
その積み重ねが将来を決めるんだろう。

洗濯機で悩んでる場合じゃない。


2004年06月24日(木)
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