毒茄子
レガお君



 伝える仕事

おかしい。

契約プロバイダのドメインで
変な「RE:」メールがくる。
うっかりひとつ開けると
広告メールだった。
これってスパイウェアが入ってて
そこからアドレスがバレてる?
思い当たるのはシャットダウンに
時間がかかるようになった事。

という事で駆除ソフトを検索して入手。
早速試してみると・・・。
いやーん、8種類も入ってた。
norton入れてるんだけど
防ぎきってなかったみたいで
設定が悪いのかしらん?

そんなことより
中島らもが死んでしまって結構ショック。
ナンシー関の訃報もヘコんだけど
中島らもはなぁ・・・。
連載してた朝日新聞は結構大きく扱ってて
美人だけじゃなくて
面白い人も長生きはしないのかな?
松尾貴史とか、死んだら辛いなぁ。

今日は久々に電車で通勤したけど
やはりしんどい。
歩いてるとかなり暑いのに
電車に乗ると冷房がガンガンで
あっという間に寒くなる。
で、カーディガンを羽織るんだけど
電車から降りたらまたすごい汗。

体温の調節が滅茶苦茶になる感じで
本当に身体に悪そう。
職場はオバサン仕様の温度設定だから
これまた23℃設定とかだし。
何かがおかしい。

上司が紙切れを一枚下さって
そこに手書きの文字で色々書いてある。
高校生からの質問状らしく
高校名と名前の入ったFAXだった。
「質問にお答えください」
ふーん。
で、答えを書き始めて頭を抱える。

「看護師さんが患者さんに
してあげないといけない事と
してはいけない事は何ですか」
「がんの怖いところはどんなところですか」
「告知をする事のメリットと
デメリットは何ですか」
「看護師さんの病院での役割は何ですか」
これにスラスラ答えるのは難しい。

私の職業は教員で「人に伝える」のが仕事。
自分が体験して感じたり考えたことを
理論に照らし合わせて
自分のセンスのフィルターを通して
個別な出来事を普遍的なものと繋げて
そうやって人に看護を伝えていく仕事。

素人ならではの核心をズバリ突いた
端的な質問に答えあぐねる。
「看護師がしないといけない事と
してはいけない事」なんて
高校生相手に「急性期の患者さんの場合」
とか各論を述べてもしょうがない。

相手が求めてるのは根本の部分で
全ての健康レベルと発達段階にある人に
当てはまるように考えたら
倫理綱領にもどったりするぐらい
大きくて深い内容になる。
方法論なんて超えて
自分の看護観を問われてるようで
結構深く考えて質問に向かう。

しないといけない事は
「闘病意欲をもり立てることと
苦痛を最小限にすること」
してはいけない事は
「患者を孤独にすること」
それを私なりの答えとして出す。
あっさりとしてるようで
深い質問に向き合って一日頭を動かす。

やっぱ伝えるのって難しい。

2004年07月27日(火)



 子を亡くす事

仕事終わらせたら一目散。

今日は久々に友達の家に寄り道で
一緒に晩御飯を食べる。
食べるだけじゃなくてちゃんと作る。
仕事着のままで台所なので
友達のエプロンを借りたら案外いい感じ。
何だか奥さんって雰囲気で気に入る。

そういう和やかなムードになる前には
涙々の時間があって
今日の本題はそっちだったりする。
冬に双子を妊娠した彼女は
経過中にトラブルが発生して
双子のうちのひとりが亡くなった。

結婚して4年、諦めた頃に授かった子で
私の結婚決定と重なって
ダブルオメデタだと大喜びだった。
それが一転しての厳しい結果で
生き残ったもう一人も出生時600グラム。
今は900グラムまで体重が増えながらも
ギリギリで頑張ってる。

明日で49日の法要を迎えるのに
お花と線香を上げに来たのが今日。
友達はショックと悲しいのとで
情緒不安定な時期もあった。
だいぶ落ち着いたからという事で
会いに行ったんだけど
気丈な彼女を見て私が泣いてしまう。

リビングに祭壇があって
そこにベビーの写真が飾ってある。
見事なまでの父親似でちょっと笑う。
でも、顔を見てたら涙しか出てこない。
この子は何で生きられなかったんだろう。
2日間の人生に込められたものは
なんだったんだろう。
友達のお腹の中でむくむくしてた子と
こんな形で会うなんて思ってもみなかった。

NICUで2日間過ごしたベビーの
生きてる姿を見たのは両親と
そこに働いてる数人のスタッフだけで
それでもベビーが生きてたんだと言う
証を残すべく友達夫婦は命名書を作り
出生届を書いて戸籍に入れ
死亡届を書いて戸籍にバツが入って
ベビーがちゃんと生まれて生きたんだと
必死で形に残そうとしてた。

亡くなった子のアルバムを見せてもらう。
出生直後から体調が悪くなってという
経過が写真に残ってる。
結局彼女が生きてるわが子に触れたのは
保育器に入った手先だけ。
抱いたのは亡くなってからで
「初めてのだっこ」という写真は
人工呼吸器も点滴も外されて
穏やかな顔をしたベビーと
泣き腫らして目も鼻も真っ赤なママ。

アルバムは進んで、ベビーはNICUから出て
両親がいる病室で親子3人川の字で寝て
翌日、保育器の中で頑張ってる
弟に会いに行きお別れをする。
26週間、お腹の中で一緒にいた二人も
これでお別れで亡くなったベビーは家へ。

友達は亡くなった子を一晩抱いて過ごし
次の日にその子を連れてNICUへ行き
そのままダンナの運転する車で
普通に退院するようにつれて帰った。
玄関や庭先で友達が遺体を抱いて
写真に写ってるけど表情はうつろ。

遺体を抱き続ける彼女の写真を見て
必死で「親子」を感じておきたいという
彼女の思いが伝わってきて
やっぱり涙が出てくる。
母はわが子の死を認めてアルバムを作った。
私は泣きながらアルバムを見てたけど
彼女のダンナは辛くてまだ
アルバムは見られないと言う。

2日間で5ページ。
それがそのベビーの人生なんだけど
遺したものは大きい。
別に有名人にならなくても
こうやって周りの人間に強烈なインパクトを
遺していく命もあるわけで
人生の意味とか内容とか濃さとか
そんな事をぼんやり考える。

よく「自分が生きてる間に何ができるか」
って言ったりするけど
遺すものの大きさに人生の長さは関係ない。
生き残ったベビーは毎日がヤマ場で
管だらけになっても頑張ってる。
友達は子どもをひとり亡くしても
残った子どもを支えることで
かろうじて自分を保ってる所もある。
保育器の中でただ、生きてるだけに見えても
それが人を支えたり勇気付けることもある。

だから私も一生懸命、生きないと。

2004年07月26日(月)
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