明日、診断書にて復職可否の判定が下る。
自身としては、気分の波はあるものの、 通常の人間の範囲内と思われるし、 復職可能と感じている。
昨日・今日とイクスピアリへ行った。 平日なのにそこそこの人出。
様々な小奇麗なショップがあり、 ひやかしで覗いても気分が良い。
最近、キャノンのEOS KISS DEGITAL を購入したので、素敵なフォトフレーム を、購入。卓上の雰囲気も変わって 気に入った。
今日も無事に過ごせたことを 感謝して、眠りに就きます。
2003年10月21日(火) |
下手な考え休むに似たり |
やたら気が利いちゃったり、 知識がついちゃったり、 するから疲れるんだな。
それから、過ぎた事を後悔したり 未来を憂いたりするから落ち着かない。
「 「過ぎてしまったこと」や、これから「やってくること」 に、心がとどまってはいけない。人は、常に「たった今」に 生きるべきである。そして、その「たった今」を理解し、そこに 存在する素晴らしい世界に気づくことが大切なのだ」・・・仏陀
同じようなニュアンスで、
「処世のおきて」 気持ちよい生活を作ろうと思ったら、 済んだことをくよくよせぬこと、 滅多なことに腹を立てぬこと、 いつも現在を楽しむこと、 とりわけ、人を憎まぬこと、 未来を神にまかせること。・・・・・・・・・・・・・・・ゲーテ
11月から復職できそうな気配だが、 高等遊民のように、自然に遊び、芸術に触れ 食べたい時に食べたいものを食べ 寝たいときに寝たいだけ寝る。 ・・・もう1ヶ月くらい休みたくなってきた。
あとは・・・無為にボーッとする時間が もう少し欲しいかな。 それにしても、恵まれている。 休んでも口座にはちゃんと月給が振り込まれている。
慣らすために、用も無いのに会社へ行ったら、 まだ机がちゃんとある。
2週間に1回は、親から「金が必要ならいつでも言って来い」 と電話がある。
先日、幼馴染の弁護士と話をした。 丸の内に事務所を構え、三菱大企業を顧問とする 安泰な事務所に所属している。
彼は、中学で父親が急死し、苦学のうえ大学卒業後 6年目で司法試験に受かった。 いまでは、高収入だが、鎌倉の実家は借家だったので そこを買って母を住まわした上、毎年百万単位の経済的 援助をしている。そのうえ、妹にもいわくがあり、 援助している。さらに自分で世田谷に高級マンションを 購入したため、ローンもある。
余りに僕と立場が違う。 彼が言うには、「君は君の持っているものを 享受すればよい。あくせくせずに、無理せずに 余裕をもって暮らせばよいのではないか。」
特命係長ではないが、思いっきり窓際課長に なって、音楽聴いたり・画を観たり、 旅行をしたりしようかと思う。
「知識が深まれば深まるほど疑問も深まる」 老子曰く「学を絶てば憂いなし」 「無為自然」・・良い言葉だね。
きっと大きなバイオリズムがあって、 この1・2年は何もしないほうが よいのかなって直感的に思います。
復職するのも、どうしても 妻や家族・親戚を安心させたいって気持ち が働いて、あせってしまう。 悪事を働いているのではない。 確かに、心配や手間をかけているが 悪意のある心で傷つけたわけではないのだ。
2003年10月20日(月) |
歩く(ウォーキング) |
昨晩、子供達が寝静まった時刻に 妻とウォーキングをした。
私は、自分の病気に有効なことが判明したためであり、 ほぼ毎日続けている。
妻は、減量のためにはじめた。 早速本日筋肉痛に悩まされていた。
そういえば、自分も歩き始めのころは 膝や足首が痛かったり、筋肉痛になったりした。
いまでは、単なる痩身目的だけでなく、心肺機能強化 のため、ジョッギングをしたり、数種類のステップトレーニング を混ぜながら続けている。
とにかく、ウォーキングには、様々な効能があるようだ。 脳の活性化。(酸素供給増大による) あるいは、運動機能に脳が集中するので、脳内のバランスが とれたり、「何も考えない状態」を得られたり、 思わぬ着想が湧いたり、爽快感が得られたりする。
・・・・・ なんだか、仏教の本を読んだり、 五木寛之の著書を読んだり、 ゲーテの格言集を読んだりしていると、 随分気が楽になった。と同時に 躁とか鬱とかと戦うのではなく、 共存していくしかないのかな、と思った。
「人生は悪しき冗談なり」・・ゲーテ
で過ごした1週間。 基本的には、ジムとサウナを毎日。
あとは、表参道あたりをブラブラ。
新宿はすごい雑踏だ。 混んだ電車も久しぶりに乗ったが やはり疲れる。
「閑」(かん)のある生活 という本を 読んだ。なんでも一昔前に「清貧の思想」とか いうベストセラーを著した作家だ。
生活を単純化し、する事を少なくし、 社交もできるだけ控え、心乱すものから 遠ざかれ・・のような内容。
筋が通っているようだが、どうもしっくり こない。もともと定年後の過ごし方を書いた ようなので仕方ないのかもしれない。
「心の平安」がお金や名誉や見栄えでは 得られないのは良くわかる。 だが、自分が生きていくのは俗世間であり 資本主義の中の労働者という搾取される立場 であり、家族を養わなくてはならず、 嫌な事でもやらねばならない。
子供が病気になれば右往左往するし、 嫌な仕事があれば、暗い気持ちになるし お金は株で儲けたいし、痩せてかっこよく なりたいし、・・つまり心休まらない立場 なのだ。
出家でもするか、大富豪になるかしなければ この忌まわしい俗世間で労働し、心向かない 事もやり、常に不安や心配や嫉妬や欺瞞に 晒されていなければならない。
ただひとつ考えたのは、「心の平安」は無理でも 「心の余裕」なら、可能かなと思う。
考えても無駄な事は考えない。 明日の事は運命に任せる。 欲望には限りがないので、何事もやり過ぎない。 好きな事を中心に生活を考える。 できるだけ自然に触れる。 できるだけ、自分の本心に逆らう事柄や 心を乱しそうな事柄から逃げる。
「囚われない心」とでもいうか、 今までの自分のように、「全力投球」 「全身全霊を込めて・・」というのは やめにして、淡々と生きていこう!
人の役に立とうとか、世の中のためにとか 大義名分は必要ない。おそらくそんな事が 出来ると考える方が慢心なのだ。 単に、俗世間上役に立っているだけで 本当に魂を救えるのは、なんでもない自然だったり 無意識に発せられた言葉だったりするんだろう。
と言いつつ、また悩むんだろうな・・・
結局、運動会の席獲りのために 5時過ぎに起床。 コンビニ寄って、正門前に行くと 既に10人以上並んでいた。
新しく買ったデジカメで バシバシ写真を獲りました。
カメラはオートフォーカス一眼レフ だが、スポーツモードの連写とか、 絞りやシャッタースピードの調整など マニュアル機能で、かなり奥が深い。 カメラも趣味のひとつになりそう。
今日は眠いので早く寝ます。
息子の運動会の席獲りの ため、明日は5:30起きだ。
昨日買ったEOS KISSは すこぶる調子が良い。
走る姿を連写機能で撮ると 動きのあるシャープな写真となる。
今日は、幕張ガーデンウォークと 海浜公園で家族で過ごした。
「心の平安」のため ・自分の力の及ばない事象に腹を立てない。 (例えば渋滞・マナーの悪い人々・他人の行動) ・不動の心を持つため、動揺を誘いそうな物事から 逃避する。それでも世間ではそういう事柄に溢れている ので、そういった事象に囚われない・切り捨てる。 つまり、心に余裕が必要。 ・自分だけ「心の平安」を得ても一緒に過ごす人も そうならなければならない。そう努める。 ・ゲーテ曰く、全ての人間には神様が大切な能力を 与えてくれた。それは「浅はかさ」である。仕事・ 嗜好・趣味・道楽、あらゆるものを試みて「いっさい が空である」と感嘆をたらす。その強靭さ・活動力。
つまりだな、俺はサラリーマンが嫌いで、今の仕事も 嫌いで、会社は良い会社だと思うがつまらない。 子供が、大学にでも入ったらおいしいパン屋さんでも 開き、客が喜んでくれるような生活をしたいのだ。 生活のために、無理やり働いて、しかも心の向かない 事を、速さと正確さで評価され搾取される労働者なので ある。
結局、投薬で対症療法はできても、生活・習慣・物事の 捉え方を変えないかぎり、再発するのだ。
なんだかな・・・心がふわふわして落ち着かない。 鎌倉や箱根では、自然に抱きかかえられて、 ふつふつとエネルギーを感じられたが、街に出ると 雑踏や煩悩・猥雑・騒音、これらは活気でもあるが やはり磨り減るのだ。「俗物図鑑」という筒井康隆 の本があったが、(おそらく彼も躁鬱病だ)世俗を 極めると超俗に達す、みたいな逆説もあったな。
吉凶禍福競いておのおの、これをなす。一人も 怪しむものない。
・・・・・思考を止めたほうが楽だな。
そういえば、ビートルズのLET IT BE(なすがままに) は、浄土真宗の「他力」に通ずるものがあるな。
目標をもって、こつこつ日々を積み重ねて も、結果は神のみぞ知る・・・ たぶん、自分の心の奥底で感じていることと 日々の行動が一致していないと病気になるのだろう。
今週からは、街に出て雑踏に慣れてください、との 医師の指示。 医者は「サラリーマン」として復活する事を前提に そう言う。高等遊民みたいな生活ができるなら 世俗を離れ、資本主義・拝金主義を離れ 優雅な生活ができるなら「治療の必要なし」と 言われた。
ああ眠い、薬が効いてきたので寝ます。
2003年10月11日(土) |
ヨーカドー対イーオンとテイク6 |
わが街津田沼に、今般ジャスコが開店した。 しかも、ヨーカドーに隣接して。
スーパーの2強対決は、消費者にとって メリットをもたらすので、歓迎だ。
いまのところ、開店2週目なので この勝負、どうなるかわからないが、 東京への便利なベットタウンとして 市場としては魅力的な街である。
モータライジングを考えれば 車で20分弱で行ける幕張の カルフール・メルクス・ガーデンウォーク なども買い物範囲だが、普段の日常品は やはりこの2店で買うことになろう。
ちなみに、駅の反対側にはダイエー津田沼店 があり、ここも数年前までは同店のNO1売り上げ だったところだ。
さて、一見、後発のイーオンに軍配が あがりそうに思われるが。 なにしろ、ヨーカドーは開店25年も経っており、 テナント・床面積・駐車場規模などで劣る。
だがだが、ストックの強いヨーカドーのほうが 企業文化が好感が持てる。 何気ない接客態度があきらかにジャスコを凌駕 している。
個人的にはジャスコはどこか、接客に物足りなさ を感じる。長期的にみてヨーカドーの勝ちと予想。
まったく話が変わるが、テイク6というヴォーカル グループが来日する。12月のライブの電話予約 開始日だった。11:00から必死にかけ続け 500回目くらいにようやくつながった。 20:20分。既に土曜日は満席だった。 仕方が無いので2コマほど平日に予約しておいた。
私が聞いたライブで抜群の感動を与えてくれる アカペラだ。未聴の方は一見の価値あり。 日本のアカペラグループなど足元にも及ばない 声量と旋律。いまから楽しみです。
脈絡もなくだらだらと・・・、キャノンのEOS kiss を買った。レンズ・三脚など一式23万なり。 明日の息子の運動会で活躍しそうだ。
さらに脈絡なく・・・ 仏教の本を読んでます。 入門書とあるが、難解だ。 が、繰り返し読むと、フィーリングが なんとなくわかった気がする。
他力・念仏・浄土・美など 実は生活に密着した大衆の宗教 であり、心の病の私にはぴったりくる部分もある。
動じない心。 平凡を非凡に継続。 反復が他力を生む。
さらにますます脈絡なく・・・ 木曜日に箱根ガラスの森美術館にいった。 ベネチアンガラスが展示してある。
14世紀〜20世紀の作品がどれも華麗で 緻密で、とても人間業とは思えない美しさだ。 ベネチアンガラスの職人は、ある島に隔離され 王より、無理難題の要望を実現すべく腕を磨いた。 技術が他国に漏れるのを防ぐため、脱走者には 刺客が送られた。
名も無い職人の作品が究極の美を生む。 仏教では、これを凡人が反復により 他力を呼び、反復が才能を凌駕し、 自分が自分で造るのではなく、あたかも 仕事が勝手に仕事をする境地だという。
名の売れた画家の画を寵愛し、 名も無い職人の絵を顧みないのは美を理解していない。
世の中は、単純だけど重要な一見凡庸な仕事の 集合体である。 職業に貴賎なし。働き方に貴賎有。 「何のために座禅するのですか?」 「何のために念仏するのですか?」 「何のために仕事するのですか?」 「何のために生きるのですか?」
こういった問答は意味を成さないそうな・・ 「仕事が仕事を仕事する」 なんだか判りそうで判らない。
このあいだ、山登りをした。 一人で必死に登って大汗かいた。
おばさんたちが、集団で同じ道を だらだらとあるいていた。 私の3倍は遅いだろう。 果たして結果は・・・同じである。 頂上に着くのである。
人生も善悪・美醜・職業など 千差万別だが、行き着く先は「死」 である。
「心の平安」「動じない心」「偏らない心」 今、自分が求めているものです。
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