昨日は、長男と二人で千葉の小学校へ サッカー大会。 本日は家族4人で船橋アンデルセン公園へ。
今日の人出は、かなりのもので 広大な公園でもフリスビーが満足に出来ない状況。 駐車場から出口までも30分。
明日は、この近辺(船橋・習志野・八千代) あたりは、7年に一度の大祭だそうで ほとんど道路封鎖状態。
幕張では、モーターショーで大混雑だし 津田沼駅周辺は、例のヨーカドー対ジャスコ プラスダイエー優勝セールでごった返す。
ここへ越してきた時は、大した田舎へ 来たもんだと思ったが、周辺の畑が みるみるマンションや宅地に造成されていく。
結構、暮らしやすくなってきてもいる。 バスは12:00くらいまであるし、 JRの駅から歩けない事も無い。というか 最近はほとんど歩いている。 スーパーは激戦区のため通常23:00まで 開いているし、食品は24時間営業。
教育やスポーツなども盛んで、 市立船橋が全国制覇したのも記憶に新しい。
が、や、やはり鎌倉の方がいいのである。 同じ海でも、全く雰囲気が違う。 千葉の海はどこか殺伐としている。 鎌倉の海は、緑の山から直接望める 鬱蒼とした暖かさがある。
それに禅寺や大仏などの古跡や グルメの面でも、海沿いのレストラン は、東京に出る必要のないほど 美味で風光明媚である。
復職へ 最後の休みは 家族連れ ・・・結構疲れてます。
ビデオの「24」ていうアメリカのTVドラマ めちゃくちゃ面白くて、夫婦で深夜まで 観まくってます。
「人間は泣きながら生まれてくる」 ・・・・シェークスピア
昨日も書いたが、理由もなく哀しいのである。
長男6歳・長女3歳・同い年の妻。 皆、健康・経済的不安なし・・・ 幸せなのである。 でも、あどけない健康な子供たちや、自分の体力、 子供たちの祖父母である両親が健在、 この状態は永遠に続くものではないのだ。
だからこそ、大切にしたい。 こんなに感傷的になるのは、鬱とは違う。 きっと、少しだけ年をとったからかな。
今日は、職場の後輩であるしば子さんと会った。 というか、もうすぐ合併して同じ会社となるのだが・・
私のほうは、年の差も感じないで(幾つだったけな?) 自然に会話できるのが、嬉しい。 ちょっとだけお洒落なレストランもたまにはいい。
昼間は、ついに「座頭市」を観た。 序盤から、次第にテンポがあがり、 比較的上出来なエンターテイメントに仕上がっていた。
テンポが上がるのがちょっと遅い気もするが・・ 北野武も生死を彷徨った経験から明らかに 芸風が変わり、著書なんかでは常人では理解できないような 難解な死生観を著したりしていた。
なんだか、それが判るようになってきちまったんだよ、 それが・・・
善人にも悪人にも何の区別もなく、時期もなく 「死」ってやつがやってくる。 その時の心構えってやつができているかどうか。
前にも書いたが「人生は悪しき冗談である」(ゲーテ) みたいに、懸命に生きるが執着しない生き方。
だが、結婚し、子供を持ち守るものが増えると 愛情すなわち執着は強まるばかりで、とても 坊さんみたいにはなれない。
きっと、楽しいけど哀しい そんな人生を「刹那的」に生きていくんだろうな・・・
っていうか、この3ヶ月間休養してたんだけど。 つまり、運動もせず・ダイエットもせず。
柄でもないんだが、秋って寂しいんだよな、 理由もなく。哀愁って哀れな秋の心って書くじゃん。
天気予報によると、明日は年に10日くらいしかない 絶好の晴天だそうだ。そんな日に屋内のジムに行くのも もったいないし。
新宿御苑あたりか、はたまたまだ行ったことの無い 六本木ヒルズにでも行くかな。
なんだかまったりしてきたぞ。 鬱じゃねぇだろうな! 出て来やがんなよ、ここへきて。
11月4日に産業医の面接だ。 復帰はその後人事部の許可が でてからだ。
今日は、映画を観た。 ブルースウィルス主演の戦争ものだ。 たしか、「ティアーズ・オブ・ザ・サン」とかいったな。
ヤフーの情報で、評判がよろしかったので イクスピアリまで行って観た。
まあ、特に心に響くものが無い。 世界の警察アメリカ在り!って臭いがきになるかな。 最近のハリウッド映画の傾向だな。
戦争そのものに対する疑問は全くなく、 戦って勝ったものが正義、みたいな考えが いまのアメリカだな。
ダイエーの優勝は喜ばしい。 最後は実力の差が出た妥当な結果。
映画の帰りに、本屋に行った。 新しい趣味として、写真をやってみたいので カメラ関係の本を買う。
あとは、「夏目漱石を読む」という評論本を買う。 最近売れている本も、探してみたが、 特に興味惹く本もなく、逆に「粗筋で読む名作」 みたいな、滑稽な本も出て、世も末かと思った。
あとは、ビジネスのノウハウものとか、 判りきったことをもっともらしく書いた 本ばかりで、最近の活字離れも仕方なしとの感想。
特に「銀座のママが見た出来る男の・・・」 とか、「祇園が観た、・・・・」 なんてのは、最低だな。
大体そんなものは、公表するべきものではないし 客を馬鹿にした見下した印象だ。 何様かね、奴らは。
高い金、いや法外な金を頂戴して それだけのサービスができる店や、ママは いないよ。
そんな本を見て、出来る男を演出しろとでも いうのか。 大体、できる男ってなんだ。仕事か? まあ、高い金払って飲んでいる客に ろくな奴はいない。(自分もそうだ)
題名見るだけで、嫌悪を覚えた。
あとは、自分の成功体験を自慢げに著したものや 判りきったことを得意げに書いたものばかりだな。
ほとんどが、上滑りで魂がはいってない。
偉そうに、批評している自分もたいした人間でも 無いのだが。今は、綺麗な写真とか、画とか 風景とかが自分の心に響く。
だって、読書って、自分の共感できるとこだけ 気に入って、あとは切り捨てていることが多いから
読書は道楽の一種だな。見識を広めるなんて事は 幻想だ。受け売りが上手になりどんな話題でも 一通りついていけるようになる薄っぺらな 営業マンには最適だ。(自分がそうだった。)
自分も文章の下手さに嫌気がさしている。 その点、写真なら心が動いた一瞬を残せるし 視覚で訴えるだけ、出来の悪い脳みそを 仲介しないので、心に響く。
「自分で支配していると思っているとき程 そのものに支配されているものだ」
一時、「7つの習慣」という本を読み、 えらく感化され、実践を試みた。 ・・無理だった。
ある人の成功体験は、ほかの誰かの成功体験 にはならないのだ。 特に、西洋的思想と東洋的思想の相違がある。
日本が誇れる文化といえば、(アニメーションなどもあるが) 思想で言えば、仏教であろう。インドから中国を経て 日本で独自に庶民に根付いた。
現代日本人の無意識のなかで、その思想はまだ生きている。 (そのことは、日常用語でいかに多く仏教語が使用されているかを みればわかる)
「人は知らない時にのみ、知っていると言える。 知れば知るほど自分が知らないことに気づく」
つまりだな、人間の生も宇宙の1現象で、花が咲いて 散るのと同レベルでみるのだ。
無常感に苛まれ、努力を放棄することを良しとはせず 無常を知りながら、刹那に充実を求めることが大切。
ちなみに、仏教(真言宗)には現世の善悪を全く 無視する。逆に、悪人こそ救われるべきという思想が 根底にある。
いろいろ勉強すると、奥が深い。 ちょっと仏教にはまってきたようだ。
さて、本日は七五三の儀式。 両家から祖父母が来て、にぎやかな 平和な一日でした。 平凡そうな一日だけど、同じ人間が同じ状況 で会うことは二度とないそうだから、 こういう日もとても大切だと思った。
父も母も年取ったし、こういうのが何年も 続ける事はできないかと思うと「良い日」だったと しみじみ思います。
話変わって減量。76kgが定着。 実に8月の薬の副作用で苦しんでいた時が90kg だから14kg減った。 おかげで、テニスの方も大分感が戻ってきた。 来月は、市民大会(100名以上がエントリー) に出場。優勝するぞ!
話変わって、日本シリーズ。 尊敬する王監督のダイエーが勝ってうれしい。 だって、王さんと星野さんじゃ、器が百倍くらい 違う。戦うのは選手だけど・・・・ 3勝3敗だが、まぁ楽しみましょう。 でも内容的には、ダイエーの野球のほうが 筋が通っているというか、味がある。 阪神は、勢いのみ!・・これでは連覇は 無理だろう。ダイエーは少なくともしばらくは 毎年優勝争いをするだろう。
一人で暮らしていると楽である。 家族でくらしていると楽しい。
妻は風邪気味で昼寝。 長男が頭痛を起こし、病院へ。 念のためCTスキャンもとった。
家族を持つと、心配事が増える。
11月から仕事に戻れてほっと している。この休職中で決めた事。
・「余心」・・つまり、心に余裕を持つ事。 1つの事柄に捉われて没頭しないこと。 起こったことを素直に受け入れること。
・「自分で出来る事」だけ気にする事。 自分で変えられない事象は無視すること。
・「今」 に集中する事。 後悔はなんの役にも立たない。 後々自分が心を乱すような事柄から逃避する事。
・欲望には限りが無い。欲望の奴隷になるか、自制して欲望を 支配するか。金はいくらあっても足りない。欲望を自制すれば 金が少なくても満足は大きい。
・情報過多にならないこと。 日経3誌を毎日読んでいたが、その悪習を断つ。 身近な出来事・風景だけ気にしていれば良い。
・経済的窮状ではないので、かといって大金持ちでもないが、 あくせくしないこと。仕事は入れ込み過ぎないようにやること。
これまで出来なかったことばかりだ。
大体、人間が自分の力で自由になるものなんてあるんだろうか? 躁鬱病なんて経験すると肉体ばかりか、心の持ち方も自分の意志 ではままならない。 自分の意志に関係なく生まれ、死にたくないのに死んでいく。 時が経てば老い、健康に気を遣っても病気になる。 いわゆる生老病死は仏教の四苦。
いろんなものに執着し、愛する人が増え、そんな人とも 必ず別れが来る。いったい生とはやはり「苦」そのものだ。
「刹那主義」とは悪い意味(後先考えず、今さえ充実していれば良い) で耳にするが、今の充実なくして何があるのだろう。 頭の中には、いろんな予定や計画や義務が混在しているが、自分ができる のは、この刹那に1つのことである。
幸い両親も存命であるが、必ず死がくる。愛する子供はいとおしくて しょうがないが、やはり順番から行けば自分の死によって別れるとき がくる。
愛や執着が大きいほど、悲しみも大きいのだ。 だから、刹那を大切に幸せを感じて生きて行きたい。
「黄泉がえり」って映画をレンタルで観た。 映画として造りは、大雑把だったが、何故か涙が出た。 自分にとって黄泉がえって欲しい人って誰だろうとか考えた。
小学生の時に祖父が自宅で老衰で亡くなった。 苦しみもせず、最後に微笑んで息を引き取った。 「泣いた僕ら兄弟に、「悲しんだらおじいちゃんが 辛くて天国にいけなくなるよ!」って父親が言った。
婚約者が自殺した時、葬式の焼香も遺族に拒否され 辛かった。死に顔を見れなかった。 それから・・自分は「人生は短い。悲しんでいる時間は無い。 と考え、何をするにも極端に走るようになった。 瞬間・瞬間に燃焼し、輝く事に美を見出すようになった。
それが、今。少しずつ何でも在るがままに静かに受け入れようと 思うようになった。 「こんなに苦しい人生、自分の意志でなく、他力によって 生かされているとしか思えない。」 ただ、両親の子供として、妻の夫として、子供の父親として 出来が悪くても、生きているだけでものすごいことだって 思えてきた。
とても、煩悩からは開放されないだろうが、人生は出会った 瞬間から常に別れの時が近づいているものだって思うと、 ちょっと違った生き方ができると思うんだ。 良い意味での「刹那主義」瞬間・瞬間の連続が人生であり、 過去には戻れないし、未来も予想できない。
だから、平凡なことを非凡にやっていけばよい。 金も名誉も要らない。何かを得ようとして「今」を 生きるより、「今あるもの」をしっかり感じて生きるほうが 幸せだな・・・・・・・・
ついに、主治医から復職OKがでた。
ついでに、本日は合併後新会社2004年1月1日付 異動の内示。・・・・異動なし。
復帰早々に地域総合職へ申請の予定。
体重が90KGから76KGになって、 会社のみんなに「痩せた」と言われた。 こういうのって、影では「ガンなんじゃない?・・」 とかいわれるんですよね。
今日もウォーキング1時間。 なんと船橋駅前で飲んだあと、 徒歩で津田沼の社宅まで帰ったのです。
今週末は、長女の七五三で両家の 祖父母大集合!
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