2003年12月03日(水) (シリーズ)父からのメール��
基本的に「長女」はウソつきですね? って、いきなりケンカ売る気かよっ!(笑)
けっこう自分の弱みも含めて、すっぴんノーメークふうにノーガードで話すけど、実はファンデーションばっちりで素顔なんか見せることはない。
長女はお母さんが好き。でも兄弟とかが母親のことを悪く言ったりすると、同調してしまったりする(「妹ちゃん」は、母親のことをほめたりはしないし)。 だから誰かがそんな自分を見抜いて「ねえ、君ってホントはお母さんが好きなんじゃないの?」なんて言われると、とても嬉しい。「実はそうなの」
だけど長女には、母親の欠点はよく見えていて、そのうえでやっぱり母親が、そして同じように父親が好き。その気持ちにウソはない。だけど長女は、もうひとつの人格を隠し持っている。
「実はそうなの」っていう部分は、本音というより、もう一つの人格が言わせていること長女には親に対して「好き」と「嫌い」が、互いに独立しながら混在している。 だけど、「親が嫌い」と思ってしまう自分が大嫌いだから、話し相手に合わせていても、ほんとは二番目の人格で「本音」を言いたい。でもそんな「素直」な自分を見せることはめったにない。
普段は常識をわきまえた言動で「イイヒト」に見られてるけど、親しい友人には「そう思われてる自分が重荷」なんて打ち明けたり。
そして、たとえば深夜の、ほかの車なんかこないことが解り切ってる見晴のいい交差点でじっと赤信号が替わるのを待ち続けるような男を、マヌケ、と思ったりもする。それが三番目の人格。
「妹ちゃん」は単純明快。言動すべてがそのまんま。だけど長女は、少なくとも四重人格。
ほんとはシャイなのに、時々みんながあっと驚くような大胆な行動をする。だけど、最後はちゃんと賢明なところに収まっている。 「妹ちゃん」は我慢しない。欲しいものをまっしぐらに手に入れようとする。でも長女は責任感が強くて、我慢して待つことを知っている。 自分のせいで誰かがつらい思いをするくらいなら身をひいてしまう。だから選ぶことより選ばれること、求めるより求められることを望んでいる。
三番目の人格を見せるとこまで気を許して、この人と一緒に死ねるなら世界が今滅んでもかまわない・・・ってとこまでいっても、最後はしっかり自分と相手を救うために画策している。
長女はまるで海のようです。瞬間瞬間姿をかえて見せるけれど、本質は揺るがない。自由に流れている人をうらやましく感じながら、着実に将来を設計している人に安らぎをみる。
何か反論がありますか?(^_^)"
そんな長女気質が、私は好きです。私の手には負えないけどね。私がこれまで本機で惚れて、振り回されて、それでも楽しかった相手は、 みな長女でした。
どうも、私は、やはり人間としてどこかがコワレているのかもしれない。 自己分析によると、甘やかされの三男坊と母子家庭の一人っ子の両方の要素を持ってるかららしいけど。 あと、この世の真実と人類の将来を知ってしまったからってこともある。らしい。
私はこれからも風のように生きていきます。 嬉しいことも辛いことも、悲しみも感動も痛みも暑さも寒さも空腹も出っ腹も禿頭も素麺パスタの生活も、映画館のVIPシートでくつろぎながら他人事のように楽しめる、そんな自分が好きです。
これからどんな日々を迎えようと、どんな突然の終わりが来ようと、「これもアリかな」って笑える、そんな自分でいられるでしょう。
週末に、またタイに行って来ます。おみやげは何がいい?
|
|
|
|
|
|
2003年12月02日(火) (シリーズ)父からのメール��
「偉ぶったからといって偉くなるわけじゃない。バカにされたからといってバカになるわけじゃない」・・・精神安定剤のような言葉です。
仕事でもスポーツでも趣味でも、ひとつの道を突き詰めてる人って、 なんか「トガってる」なって思うことがある。
他の人のことを考慮する、「客体」ってのが欠落してるって感じ、しない? 良く言えばマイペース、普通に言えば自分勝手。 本人は普通にしゃべってるつもりなんだろうけど、なんか自慢話になってるし。 そして、びっくりするくらい常識的な知識がなかったりする。
あの、あのね、一応言い訳しとくけど、って、もう気付いてくれてると思うけど、(なははっ、なにあわててんだ?) 私は常識を無視してるのであって無視するってことは見えているものをあえて見ないようにしてるってことであって(あはははははは、ば〜か)
地位や立場や肩書をあてにして上からものを言うやつも、ちょっとね。 親だから、先輩だから、年上だから、何かの役職についてるからっていうだけで見下されたり持ち上げられたり、そんな人間関係がうっとうしい。
「何をカン違いしてんだこいつ」
1対1なら、ただの人間どうしのことじゃない?
上から言うやつは私も嫌いだけど、下から見上げてくる人も「困ったちゃん」です。 自分のことは私自身がよく知ってるから、こんな男を頼ったり一目置いたりしてくるなんて、哀れになる。 「あんたのまわりにゃもっとまともな人間がいなかったのかよ」 ワタシは普通以下の、ただのオジさんです。
なじみのスナックでわけわからん冗談で笑わせて、「なにバカ言ってんだこのオヤジ」って頭をピシャっと叩かれるのは、楽しい瞬間。
君に「キモい」とか「ヘン」とか言われるのは、だから結構嬉しい。 アイ ゲッチュー! って感じ。(ゲッ! やっぱキモいな。反省・・・しない)
「一期一会」という言葉が好きです。 家族でも友達でも近所の人でも、どんな相手でも、別れる時には「これきりもう二度と合えないかもしれない」という気持ちで別れます。 日本を出る時もバンコクへ行く時も、もう二度と帰れないかも、って気持ちで。 (「一期一会」のホントの意味は、ちょっと違うはずなんだけどね)
だから二年前、わりと近しかった中学からの友人が突然自殺した時も、涙も悔いもなかった。
君へのこのメールも、いつも「これが最後かな」って思いながら。(そのわりにはしつこく続いてるって? あはは、それは言いっこなしだよお嬢さん)
携帯の画面は小さくてかったるいので、君のメールはだいたいワープロに打ち込み直して、大画面で読み返してます。
自分の文章も好きです。たぶん君より私自身のほうが楽しんでるんじゃないかなってくらい。
ワープロでおこしてから携帯にトレースするんだけどね。長い文面だとさすがに苦痛になって、ワープロには入ってるけど送ってないやつもあったりする。
このメールの真の送り先は、私自身なのかもしれない。 君は、私が上演する一人芝居の招待客、ってわけだ。
なーるほど、そーだったのか。 ナットク。
かっこよくオチがついたところで閉幕にしとこ。 長くなりすぎないうちに。
|
|
|
|
|
|
2003年12月01日(月) (シリーズ)父からのメール��
「群盲象を撫でる」・・・ってのは確か中国の諺だったよね?
いちおう説明するけど、盲ばかり暮らしてる村から、ある日何人かが象を身に行って、だけど見えないから触ってみるわけね。 でも象って大きいから、だれも全身を触ることは出来なくて、それぞれ自分が触ることの出来た部分から、象のイメージを村に持ち帰って報告したのよ。
で、人によって内容が全然違ってて、ある人は「象とは、太い柱のような生き物である」。別な人は反論する。「いや、細長いヘビの如きものなり」「いやいや、巨大な団扇のよう」「堅きこと岩のよう」・・・
「自分」ってさ、なんかそんな感じ。 いろんな場面でそれぞれに反応する自分がいて、猛々しかったりしおらしかったり、キレたり押さえたり、可愛いコぶったりわめいたり、理屈こねたりおちゃらけたり。
自分を演出する時があって、素直な瞬間があって。 もういいよ、ってサバサバしてみせる自分がいて、いつまでも根に持ってる自分がいて。 結構優しい自分、意地悪な自分。
私は相手を映す「鏡」なのかも、って思うことがある。 親切に扱われれば優しくなれる。 無神経な人には、ドライに接する。 挑発されたら睨み返す。 金持ちには遠慮なくこちそうになるし、薄幸そうな人にはつい手を伸ばしてしまう。
あるいは、引き出しのいっぱい付いた整理棚。 接する相手が開けてくれた箱から、分類された自分の部分部分が顔を出す。 だけど、自分一人じゃ開けられない。 ・・・みたいな。
どんなに言葉を重ねてみても、ちゃんと自分を伝えられたかどうかいつも不安で、伝えたい「自分」って何なのかもわかんない自分にイラだったりあきれたり。 でもね、たとえば自分は「太い柱」なんだとかって思い込んだりこだわっちりしたら、瞬間瞬間変化している自分自身しマイってしまうかも。
さて、ここでレベルEの講義に入ります。 四次元の・・・ あ、この話はメモリーがパンクしてしまうな。 ってゆーか指が胃痙攣・・・ えーっとっ。(なんかこれ口癖?) あの、脳を輪切りみたいに撮影する、なんとかスキャンってあるじゃない? あんな感じ。 あと、投影図? 映画の予告篇、とかカレンダーのパンフとか。
そおそお、組立式紙細工の展開図? 切ってつないて張り合わせないと意味ないバラバラの部品の集合。だけど完成すれば立体模型。 だからぁ、表も裏も外も中身も、って、全体像をいっぺんにとらえることは、ふっ、ふっ、不可能ぉ〜!ってこと。
たとえばさ、君は、ニッポンってどんな国か、とかって、一息で言い切れる?
みんな、誰かのイメージに形作られて生きている。 誰かがバカにしてくるから、自分は価値のない人間だと思ってしまう。 誰がが持ち上げてくるから、自分は何か大層な人物なのかと思い込んでしまう。
だけど、愚かな部分も価値ある部分も、そのどちらでもない自分だけが楽しめる感性も、泣きたくなるよな卑しさも、持ってるはずなんだよね、みんな。 なのにいつのまにか「開かずの箱」を作ってしまう。
「どれが本当の自分?」なんて、なんかそれって変。 そんなのが全部集まっての「自分」なんじゃないのかな、って。
独りぼっちを楽しめる部分も、ふんっ、つらくなんかないやいって、強がる部分も、「ほんとは寂しかったんだ」って押し入れの中でこっそり泣いてる部分も、どれもこれもホントもウソもない、全部「自分」なはずなんだ。
何十年も生きてきてね、やっとそんなとこに行き着くのだよ。 今日はこのオジサンが、酔った勢いで特別にキミに教えてしまった。 今回君が開いた箱の中身は、結構ややこしいものが詰まってましたね。 箱や引き出しの封印は、いちおう全部解いてあるけど、内容確認はしてないものもあるからね。
結局また長くなっちまったいっ。 受講料はサービスしてあげ、てもいい、けど、いや、まてよ、少しくらい何か要求してもいい、くらいのコトは、あるぞ、今日は、むふふ、あれや、これや、むふっ、むふふふふっ、・・・あっ、オジサンじゃなくて、あたしゃジイちゃんなのかあっ! ・・・じゃダメだあっ。 って、何がだよっ! (チャンチャン)
(うーん、このパターンも、ぼちぽち飽きてきたな)
|
|
|
|
|
|
2003年11月30日(日) (シリーズ)父からのメール��
「歌は私の玩具。けれどそれは悲しき玩具」(石川啄木)
私の玩具は文章かな。 悲しくはないけど。
生身の会話も変化続きで悪くないけど疲れる。 だいいち相手の話も聞かなきゃないし。 TVドラマだってビデオに撮って観てるくらいだし。 相手のペースで動かされるのは仕事のときだけでカンベンしてよって感じ。 何のために一人になったのかわかんねーじゃねーか。ってね。 ま、しかたないから自分のアイコンを呼び出してチャットモードに変換するんだけどね。
メール通信というシステムは、私の性分に合ってます。 一方的に遊びまくってても一応読んでくれるし。 文章完成したらボタンひとつで届いちゃうし。 こっちも気が乗らない時には斜めに読んどいてあとで腰をためてから読み返せるし。 ツボにはまるとリアルタイムで返事が来るのも、んーん、私服の瞬間! 「手紙世代」には気抜けするほどのお手軽さです。
日記以外の文章は、やっぱり誰かに読まれることを想定してるのはしかたがない。 日記だって、万一読まれたらマズイことは暗号とかにしたりね。
結婚相手って、けっこう配偶者の日記を盗み読みするんだよね。隠してても。だから、しばらくしてから書かなくなってしまった。 読まれることを見越して脚色したり、デタラメ書いといたり。
なんのための日記なんだか(笑)
すべてを知ることは、幸福への道ではなく、むしろ障害になることが多いような気がします。
だから優しい嘘は、好きです。
無垢のまま出会うより、いびつな者同士のほうが、互いに融合するための努力を惜しまないだろうし。(無垢な人は、自分の痛みしかわからない人が多かったし)
自分を美化するためではなく、自分が不利にならないためのものでもなく、傷つけたくない、苦しませたくないと気遣ってついてくれる嘘は、その人を美しく包む。 だから、だまされてもいいと思う。
もっと早くこの状況に、この相手に出会っていれば避けられたはずの数々は、自分の中で処理していくしかないよね。
許しや理解を求めて、相手に負担を押し付けるのは、「正直者」の身勝手。 その前に、気持ちやしがらみやらの整理、記憶に対峙する苦痛を伴う努力は、自分ひとりで完結させておかなければならないと思う。 その過程のひとつひとつが、相手に対する愛着、大切にしてあげたいという気持ちを充実させていくはず。
裏切る気やだますつもりは、ない、だけど変更できない予定、消せない過去、否定のしようがない目の前の現実、振り払えないほかの誰かに対する未練や、与えてしまった傷の切なさは、いつまでも生傷のままで、触れれば痛みも感じてしまう。
話したいなら聞いてあげるし受け止めてもあげられるけど、それは、きっと新たな重荷となって、お互いの負担のまま、二度と消えることはないだろう。 それでも話した方がいいと言う人は少なくないけれど。
カードの多くは隠されていても、開かれたカードを見れば、残りの分は推察できる。 何枚隠し持っているのかも、その絵柄さえも。 でも、それは、たとえ見透かされてても、開かず隠したままにしておいてほしい。
相手は、「手持ちのカードは、もうない」などとは言わないだろうけれど、(そんな見え透いた嘘を受け入れるほど私はお人よしではないし)「実はまだ持ってる」とも言って欲しくない。
平坦ではなかった毎日を何年も一生懸命生きていて、なにもないはずはない。 求め、受け入れ、傷つき合いながら、失ってしまった貴重な日々も。 それは、ほかの誰でもない、自分だけの大切な証しとして、その人を魅力的にしてくれるだろう。
そうして、私も、優しい嘘をつく。 重い記憶を微笑みでくるんで、壁を塗り替え、床を磨き、それをいつまでも維持していくために。
−
最近、こんな風に思うようになりました。
まあね、こうやって並べた言葉も、やがて「嘘」になってしまうんだけどね。 その時がくれば、やっぱりまた知りたくなるかもしれないし。 でも、相手の陰の部分をいろいろ知ったあとでも、屈託なく愛するなんて、私にはできそうにない。
このへんが私の限界なのかもしれない。 人の日記を盗み見ることだけは、多分もう二度としないだろうけれど。
「役者」である自分を、つい自嘲気味に見てしまうのは、意識的によそおうことを「悪いこと」と位置づけているからだろうか。 「ブリっこ」という言葉は、いつも否定的に使われる。 まあそれは、「地」が見えてしまうヘボ役者に対する無念の思いも込められているんだろうけどね。 有名人の私生活の暴露話も、結構商売になってるみたいだけど、 いつまでも騙しておいて欲しい気持ちって、ほかの人にはないのかな。 君はどう?
私の文面には、あちこちにウソがちりばめられています。 と言うより、ウソのところどころに本音をまぶしてある、ってほうが近い。 いや、あの、事実関係についてはね、めったなことでは嘘はつかないよ。 しもしないことを自慢げに経験者ぶったりはしないけど、まぁ、たまに口がすべったりはするけど、脚色もしないではないけど、わざとウソっぽく話して冗談にしてしまったりもしたりしなかったり。
「ウソつき」の私は、好きです。(笑) たまにホンネがこぼれても、誰も本気にしないし。 どうせ私のことを私以上に知ってる人なんていないんだから、「ペルシャのオリーブ油のようにつかみどころのない奴」って思われたい。 自分というものを知ってほしくてじたばたしても結局伝わるのは「じたばたしている自分」だけってことに、もっと早く気づけよおっさん。
へへっ、でも気づいちゃったもんね〜 だ〜から〜、 「ワルぶってバカ装ってるけど、ホントは優しい人」 「強がってても、ホントは慰めてほしいのかな」 なんて、あはははははは、カイカーン!
ぼそぼそっと意味シンなことをもらして、あっやべってな顔して笑ってごまかすふりをする私を、ありもしないウラのワタシのヒメゴトを、ふふっ解ってるぞと、勝手に想像して楽しんでください好きなだけ。
(それにしてもみんな、なんであんなに簡単にダマされちゃうの?) (それとも、そう思ってるのは私だけ?) (ま、楽しいからどっちでもいいんだけどね)
(って、バラしてこれからどうする気だよ) (それはそれで、別の楽しみ方もできる、ってか)
返事がほしい時と、別にいらないって時の、君の反応はいつも期待どおりで、楽しいです。 (さて、今回はどちらでしょう?)
こうして私は、「役者」であり続け、文章は私の玩具であり続けるのです。
(うん、ひさしぶりにオチが主題につながったな)
|
|
|
|
|
|
2003年11月29日(土) (シリーズ)父からのメール��
私の魂は、熱帯モンスーンの赤土と共にいる時が一番安らかです。
いつか、この、汗さえも流れる前に乾いてしまうような、脳髄が沸騰しそうな暑さを味わいに、訪ねてみてください。
雑踏が絶え間ない喧騒にゆれるバンコクの道端の屋台で、熱くて辛くて酸っぱくて甘いクイッティオ・センヤイ・ナムを食べて、噴出す汗の非現実感を楽しんでください。
チャオプラヤー・リバーを朱に染める夕陽を浴びて、周囲の騒音が消える瞬間に息をのんでください。
時間が停まっているかのような田舎で、大人のようなしっかりした少年と、子供のときの笑顔と好奇心を失っていない老人に出会ってみてください。
山間の、見る物も何もないような鄙びた観光地で、上気してはしゃぐ親子に出会ってください。
電気も窓もない、バナナの樹木と葉だけで組み立てられたような家で、家族とほんの十数人の親族しか住んでいない田舎から出てきて、そんな家族への仕送りのために、自分の持っている唯一の、かけがえのない財産を収入に換え続けている女性たちの、底抜けに明るい声と、時折よぎる怯えた眼差しに触れてみてください。
そんな「客」と歩く時も、寺院や祭壇の見えるところでは神妙な表情で合掌する彼女たちの、健気な信仰心を愛してください。
映画館のVIPシートでいちゃついてるすねかじりの生意気そうなカップルが、本編に先立ってスクリーンに放映されるプミポン国王の姿に、直立して敬意をあらわしている姿を、その目で確かめてください。
路上にテントを組み立てては商品を丹念にならべ、そしてまた時がくればすべてを回収して持ち帰り、毎日毎日、毎日毎日、それを繰り返し続ける商人たちの、勤勉さと投げやりなしぐさが同居する姿に、戸惑いを感じてください。
観光客のために作られた山中の村落で、大人たちのまねをして「ハロー、サンキュー」と叫んで走り寄ってくる、埃だらけの擦り切れたシャツを着た子供たちに、笑顔で応じてください。
「貧しさ」の意味を気付かされ、それでもそこから抜け出せるための術はかくされたままで生きている人々の背後に拡がる、青く輝く水田とサップグリーンの樹林と、コバルトの空の美しさを、眩むような日差しと熱気のただ中で吸い込んでみてください。
薄汚い屋台に並べられ、もっとくすんだ売り子の手から、淀みの住人のような人々の首にかけられる、宝石細工にも劣らず丹念に編み込まれた鮮やかなジャスミンの首飾りの、とろけるような薫りを、体感してください。
その首飾りにこめられた思いはいったい何なのか、彼らを眺めながら想像してみてください。
まだほの暗い早朝に、わずかな収入の中から、托鉢の僧侶のために供物を買い求め、「土下座」してそれらを差し出す人々の、安らいだ笑顔を見いだしてください。
日本人が、どれほど卑しい民族かを、味わえるかも。
(亜熱帯なのに)朝夕はちょっと涼しく、時には寒く感じられます。そんな時の、少しだけタイ人体質になれたような錯覚が、嬉しいです。
|
|
|
|
|
|
2003年11月09日(日) 選挙
行きました。つうか行くつもりはなかったんだけど(駄目な大人) 昼まで寝ていたところに携帯着信音。母様でした(爆
「選挙行った?行ってない?今から迎えに行くから葉書持って待ってて」 「………………………………ぁ?ああ…はい…」←超寝起き悪い
誰に入れるかなんて……ねぇ?(何 ごめんなさい母に言われるがまま入れました(お前何歳だ)
帰り、姫連れてそのまま大型ショッピングモールへ出かけようと、裏道を走っておりました。 そこで出会ったもの。いや…出遭ったもの
人身事故☆(怖
母様が子供を撥ねました。
いやいやいやいや
実際には、普通に走ってて(30k/m)、自転車に乗った女の子が道路を渡ろうとして(後方確認もせずに)急に車の左ドアに向かってぶつかってきた…ってのが真相。 歩道もないし、あと100mもすれば横断歩道だってあるのに…。 しかも後ろ確認しろよガキ!
母さん慌てて車寄せて降りて、子供の安否を確認。 骨も折れてないし見た目かすり傷だけど、一応警察に報告しなければいけないわけで。
でもそのお子様、「いいです、いいです。言わないで(半べそ」を繰り返し、 あまつさえ逃げ出した!
母さん動揺するし(当たり前)とりあえず保険屋に相談。 そのうちに子供戻ってきました。車内で電話してるの遠くから見て、怖くなったらしい。 よくよく聞いてみれば、「捕まるの?」とか「弁償するの?」(ドアが少し凹んでました)と涙ながらに聞いてきて、凄く怖かったんだろうね。
頑なに拒んでいるので、何故か俺が子供を説得。
大丈夫、捕まるとかないし、ただこれは報告しないといけないことだから。 それよりも痛いところはないか、等。聞きながらついでに家の電話番号吐かせ(もっといい表現しろ)
程なく警察呼んで、来ました。 でもあれね、警察車両止まってるわけですよ。
それを通る車(に乗ってる人)全員必ずチラって見ていくんですよ(笑) 何かムカついたから窓開けて威嚇しました(やめろ
子供なんか窓あけて見えなくなるまで見ていくもんだから、
「何見てんだコラ!」
と小声で(爆。姫の手を取って、某ぬいぐるみ芸人さながらに(大人気ないです)
同じくらい好奇心旺盛なのはお年寄り。でも窓開けてると目が合うから、 気まずそうに目を逸らすのが面白かったです(何の感想だ)
しかしね、思いました。 母さんつくづく運がない☆(酷
ここんとこいいことないのにね。
|
|
|
|
|
|
2003年11月08日(土) 勝利
とりあえず、これだけ。
単純王、5に決定☆(お返しとばかりに
ああ、勝者は常に俺なのだ(こんなときだけ某ホクロ/ぉぃ
|
|
|
|
|
|
kako 日記index mirai
BOARD?
*******************************************
GHM contents
*******************************************
Design by shie*DeliEro
thanks for HTML→HP WAZA !