遠距離M女ですが、何か?
井原りり



 雪の日


3年前の1月第3土曜も、こんな雪だった。


たまたまデジカメ持って外出し、たくさん画像を撮ったのでよく覚えている。


今日は一日中、病院の中にいた。

奥歯のまわりが腫れ、うずいてつらい。


寝不足が続くとてきめんに、雑菌が暴れだす。


週末があけるのは、いやだが、月曜日この病院の歯科にかかろうか。





↑エンピツ投票ボタン


2004年01月17日(土)



 ゆっくりと



ゆっくりと


ゆっくり、ゆっくり


うっすらと


うっすら、うっすら


ほこりがつもる


誰もいない家に



↑エンピツ投票ボタン




2004年01月16日(金)



 着信ナシ

病院から出勤している。


勤務中は携帯の音は鳴らない。


帰宅する時、クルマの中で携帯を見る。

親の病院からはもとより、どこからも着信はない。


「まだ、生きてんのか」


と思う。


↑エンピツ投票ボタン


2004年01月15日(木)



 屋上



病院の屋上に洗濯室があって、コインランドリーになっている。


洗濯物は屋上に干してもよい。


今まで何度も、同じ病院に入院しながら、洗濯は全部、自宅に持ち帰ってすませていたから、一度も屋上には上がったことがなかった。


行ってみるものだ。


高い場所から自分の町をみると、気持ちがかわる。



↑エンピツ投票ボタン


2004年01月14日(水)



 喪服は妄想服

肺炎で入院中の親の容態が悪い。

一時は意識不明だったが、今は輸血と点滴でなんとかぜいぜいと、息はしている。

依然として、虫の息ではある。

危険域は脱したものの、おそらく治癒して退院することはない、と思われ……。


7年前に父が死んだ時、母はずっと枕元に付き添い、葬儀屋の用意した宿泊施設からは出棺まで一歩も出なかった。


妊娠中だったわたしは、呆然としたままの母にかわって葬儀の一切を仕切り、気楽な洋装で弔いをすませた。


今度という今度はきちんと喪服を着なければ、な。

自分で帯もしめねば、な。


母親はその後何度も入退院を繰り返したが、一度、神妙な顔付きで、もしもの時は、父の弔いの時のようにばたばたと準備に駆けずり回ったりせず、片時も亡骸のそばを離れないでくれ、と言われた。

薄情で親不孝な自分であるから、最低限、この願いに背くわけにはいかない。


さて、喪服をどうやって準備したらよかろうか。

看護婦(あえて、看護婦、な)からすぐに来いという電話が来たとき、最初に思ったのはそのこと。


でもまあ、その後、容態はもちなおしたから、自宅に洗濯しに戻ったついでに準備。


実家の鍵さえあれば夫でもわかる場所に、たとう紙に包んだ喪服と小物、草履。

その近くにそれらを全部入れるデパートの大きな袋。



嫁入り支度をこしらえてくれた親のために着るのが、初めて着る時になる。


しかし、年寄りって寒い時期によく死ぬ。

絽の喪服は一生、着ないかも……。


↑エンピツ投票ボタン


2004年01月13日(火)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加