あれこれ雑記帳
SMAPの番組の感想と日々のあれこれ。

2003年01月28日(火) ヒゲ・・・

最近、木村さんの露出が多いため、
自然に(もしかしたら意識的に?)中居くんに目がいく比重が少なめになってました。

月曜のスマスマのETと歌のコーナーでは、
「う〜ん・・・・」と唸りながら、
頭の中でCG処理をして数ヶ月前のビジュアルに加工してみていたリーダーですが、
いいともを見たら
「これもありかな」になってしまってました。

やはり、不思議だ。
ナカイマサヒロ。



2003年01月27日(月) 「黄泉がえり」・・・映画以外の話が長いです。

朝のニュースで今日の最高気温が6℃と聞いて、
「行くなら今日」と決心。
映画の終了時間と子どもの下校時間を考えると、雪道では無理だから。

月曜日の11時からの回。
私と同じ身分らしき、ミセスの友だち同士というグループが目立ちましたが、カップルや一人で来ているおじさんもいました。
さすがに子どもの姿はなく、上映中はお喋りをする人がいるわけでもなく、
誰にもじゃまされることなく、映画の世界に浸ってきました。

今日の私は、感情の並が低い位置で安定気味だったみたいで、
爆笑することも、号泣することもなかったけど、じわっと心に染みる映画でした。

パーツパーツでいうと、
平太の立ち姿や身のこなしはさすが綺麗だなぁとか、
何故か葵には共感したり感情移入する部分が少なかったとか、
一番涙腺に来たのは伊東美咲さんと黄泉がえったお母さんのシーンだったりとか、
RUIの歌は、映画の方が「うたばん」で聞いたときより何十倍もよかったとか、
ちゃんと安住アナも見つけたとか・・・

そんな感じかな。


クサナギさんの映画やドラマの話題とシンクロしてずっと考えていたことがあって、今日の帰り道もずっとそのことを考えてきました。

私は12年前に父を亡くしていますが、
その父に関しては、(病気がわかってからですが)娘としてはやれるだけのことはやったかなという気持ちがあるので、思い残したことってあまりないい様な気がします。
病気がわかってから、よくあるパターンで
「年は越せないと思う」
と言われ、それから何とかして、孫を見るっていう希望を持たせたいと思っていたところに、運良く授かったのが今度中学生になる長男。
年を越せないといわれたものの、結局5月生まれの長男の顔を見て、
お腹の中に長く居すぎて弱く生まれたために、私が退院したあとも父と同じ病院に入院していた長男が、退院した次の日に安心したように旅立って行きました。
身重だったけど、病院に寝泊まりするくらい私は元気だったし、自己満足かもしれないけど、初孫を見てもらえたし、
母にしても、父が亡くなったあとの寂しさを和らげてくれたのが長男の存在だったと思います。


そんな父とは別の意味で、もう一つの大きな別れが1年半前の大学の同級生の死でした。
偶然にも彼女は中村先生と同じ仕事で同じ病気。
早い段階で告知を受けていて、3度の手術と入退院を繰り返しながらも、一時は職場復帰も果たし、大好きな旅行にも出かけていたのですが、最初に入院してから3年後に日本人の平均の半分の長さも生きることなく早足で天国にいってしまいました。
友だちの中でも、病気のことを知っていたのはごく限られた人たちだったし、その中でも一番先に私に話してくれたので、私自身も誰に相談することも出来ず、彼女のためにどうするのが一番いいのか、堂々巡りで考えていた日々がありました。
ちょうど私も仕事を辞めて専業主婦になっていたので、彼女の体調のいい時は、ランチを食べたり、好きな手作りをしたり、仕事をしていた時なら出来なかったことが一緒に出来たのですが、
それでも、私はもっと一緒にいろんなことがしたかったです。
「絶対に治る」
って私は信じてたから、もっと体調がよくなってからって後回しにしちゃったことも多かったし。

コンサートを見るために県内はもちろん仙台にも何度も足を運んでいた彼女は、私の話を聞いてSMAPのコンサートにも行きたいと話してたんだけど、結局連れて行ってあげられませんでした。

そんな彼女が何度も言っていたことが
「○○ちゃん(←私のこと)には子どももいるんだから、自分のような病気になったらもっと大変。検診だけはちゃんと受けるように。」
ってこと。
彼女の教えを守って、毎年検診だけはきちんと受けるようになりました。


もし、誰かを黄泉がえらせることが出来るのであれば、彼女と仲間とで昔みたいに旅行に行って、たくさんたくさんお喋りしたいです。
一口辛口の彼女のコメントが懐かしいなぁ・・・。









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