9・11 |
北海道から帰ってきました! なかなか良い天気で、ドライブを堪能しました。 レポを書こうと思うけど、今日はやっぱり9・11から1年ということで、追悼したいと思います。相当まじめです。 北海道レポは明日以降。
現実は小説より奇なりと言うけど、現実がこんなに恐ろしいものだと背筋が寒くなった1年前。 瓦礫だと思っていた物体が人の形をしていたことが忘れられない。 テレビはまるで映画の世界を映し出していて、眠れなかった。 一晩中友達にメールをして、怒りながら原因はああだこうだといいあっていたなあ。 さらに私の中で底抜けに明るくて、強い国だったアメリカのイメージ(画一的かしら)も一変しました。強いものでももろくも崩れ去ってしまうんだと、実感させられました。 家の近くの米軍基地でも多くの戦闘機が轟音を響かせながら飛んでゆき、迷彩服の軍人さんが見回りをして回っていた。 キャンプ開放日の検問も厳しくなっていた。
その時イスラム文化の授業をとっていて、アルカイダやイスラム原理主義のテロ行為についても知っていたけど、ここまでするとは。 宗教と言うもの、人の思想がここまでやってしまうなんてとショックも受けました。自分を正当化するために他の人を傷つけてしまう人間の弱さが怖い。なにをするかわからない。 今まで宗教紛争で何人の人が死んでいったんだろう。 死亡者の数は発表されたけど、心を殺された人たちもいるでしょう。 イスラームだって解釈によればつつましくて良い宗教なのに、一部の人のおかげで迫害を受けるなんて理不尽だ。 そう言う意味でも命はもちろん思想・心が殺されている人の数ははかりしれないと思う。
あれから1年、映像はまだまだ生々しく、背筋の寒さは今も変らない。 忘れてはいけない日だとやっぱり思います。 周りにいる人を日々大切にすることを思い出すためにも。 平和を願うという意味でも。 ああ、でも平和ってなんなんだよ。 人にとっての平和ってそれぞれ違うんだよなあ、皆が皆自分の幸せを求めたらそれこそ戦争になってしまうのかも・・。 テロリストの幸せはあの結果だったのかもしれないし。 平和の実現は不可能なのかもしれない。 ただ、自分勝手な行動がなくなれば平和に近づくようながします。 誰かを思いやる、てことが大事なのかな。
あと最近のアメリカはアフガンを攻撃したり(誤爆もあったし)、イラクを攻撃するとかいっていたり、穏やかじゃない。 話し合いでもダメだから、目には目をと単純に軍事行為に出るってどうよ。 貧しくて、一日生きるのも大変な人達がいる国を攻撃して意味があるの? 悲しみや憎しみが増えるだけじゃん。 さらにこれから戦争がはじまるとしたら、核も持ち出される危険がある。 悪循環もいいとこだ。 なんで過去に何度も同じ事を繰り返しているのに、分からないんだろう。 何のために私たちは歴史を勉強するの。 アメリカが軍事行為に出ようとしている時に被爆国であり、戦争放棄国である日本が非戦を訴えないでどうするんだ。 そんなことも思った一日でした。 私の言うことは奇麗事なんだろうけど、奇麗事でも何か思うことが大事なんだと思う。
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2002年09月11日(水)
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