骨になるということ。
もう既に私の知っている物体ではなくなる。
外を覆っていた部分がなくなるから。
覆っていた部分が私の知っているもののすべてなのか。
骨は一体なんなんだろう。本質というべきなのだろうか。
ある小説家のエッセイで骨について書かれていて、ふと思った。
友人は骨になったが、そこで彼女の死を見た気がした。
物質的に。
気がしただけで実際は生きている気がしてならない。
覆っていた部分が私の心の中に沈殿し、残っているからだろうか。
けれど、同じ姿をした彼女には決して触れることは出来ず、話をする事もない。
夢の中ででも会えるけれど。触れられない。感覚がない。
触れられないということは死を意味するのだろうか。
ならば私たちの思い出は死の中にあるのか。
思い出は鮮やかで、いつ思いをはせても美しい。
もしそれが死ならば死は美しいものなのか。
よくわからないなあ、と思っていた。

それで、バインのビデオクリップを見てて、
「風待ち」のところで泣いた。
関連性などないんだけど、
「あの頃みてたもの あれもこれも遠すぎて」と
「皆知らぬ間に時を過ごしてるのかなあ」
というくだりで骨を思い出したからだ。
自分が震えながら骨を箸で挟むところを。
みんなの顔を。
私は五年後十年後、どうしているんだろう。
今見ているものは、皆と一緒に笑った時期は遠すぎると思ってしまうのだろうか。
今でも彼女は遠いのに、どんどん遠くなってしまうのかなあ。
そしてどんどん美化されて行く。死にゆくのだ。

なんか物悲しくなった。
2002年11月06日(水)

鳥肌

学校が休みなので、こんな時間に書いております。
朝っぱらからバイトでした。
なのに、いつもの人が居なかったのー(気になる彼ですよ)。
なんで(狼狽)!?と思っていたら、昨日私が休んだから彼が私の代わりに入ってくれたみたいでした。
墓穴を掘る私。アホ!
しかもさ、いま他の人の日記見てて気づいたんですけど、アロハフェスやってたじゃん。気づけよなちくしょー。

昨日バイト休んだのはですね。
そう、鳥肌実をみにいったんですよ。日芸の文化祭でやってたやつ。
あの人最高ですよ。もう。思想偏りまくりだし。万年42歳厄年だし。
でも笑っちゃうのは自分もどっかでそう思ってるところがあるからなのかしら。
途中にいきなり入る踊りは一体何(笑)。
あの時笑いすぎて呼吸困難かつ腹痛に襲われた。
今まで見に行ったお笑いの人のライブより面白かった。
その証拠に、今日の私の声はガラガラです。
笑いすぎで、ですよ。
隣の知らない人と「最高だね!」と言い合ったくらい面白かった。しかも隣の人、かっこよかった(笑)。
「けものがれ、俺らの猿と」の実氏をさらにパワーアップさせた感じ。彼の話す内容を映像化したらどんなにおかしいだろうか。ていうかマンガとかでも面白そうだ。
と言うわけではっていいのかわからないけど、
公式ページへリンク。コピーぺーストでいってください。
http://www.torihada.com/
恐らくまた演説会に参加するでしょう。ウフフ。

これからちょっと寝て、買い物に行ってまいります。
2002年11月04日(月)

日々ノオト / kica

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