この間、創○学会の事を書いたと思う。 最後の方にキリスト教の教会に 駆け込んだ人の事を書いたと思う。 今日はその話を書こうと思う。
ぱんなパパがまだ転移する前、 同じ病院で治療中の方から ある人の手記を頂いた。 出版社にお勤めの50代前半の男性で、 奥様はまだ25歳という若さのご夫婦だった。 細かいことは書かないが、 年の差を感じないほどのアツアツ夫婦である。 年の離れた夫婦が子どもを望む時、 色々な障害がある。 その1つに、既に50代前半になっている夫の 年齢が関ってくる。 子どもが小学校に上がる頃、 会社を定年になるからである。 20歳になるまでにこの世に居ないかもしれません。
だから年の離れたご夫婦、 特に夫がかなり年上であるとなると 子どもが欲しいからだけで作れないという 現実が実はある。
それでも、このご夫婦は子どもを強く望み、 子どもを授かった。 奥さんの妊娠が判って数ヶ月もしないうちに 夫は末期の癌と診断された。 男性特有の前立腺肥大という病気がある。 トイレに行ってもお小水の量がいやに多かったり、 残尿管が残ったりしていたので、 旦那さんは「それかなぁ。」と思って 会社の傍の病院に行った。 出版会社という仕事柄、この病院の院長を 知っていたようだ。
エコーを取った時、医師の顔色が変わったという。 即、院長が呼ばれ、更に数分後、院長から 「一度、大きな病院に行かれたほうがいい」 と言われた。 こう言われると誰でもが「癌」という病気が 脳裏を掠めると思う。 近くにパパがお世話になっている病院、 国立がんセンターがあるので、 そこで検査しようと彼は思った。
がんセンターは紹介状があれば 「癌」で有る無しに関らず検査を受ける事が出来る。 ドックをやっていないので、何らかの形で 癌の疑いが無いとかかることが出来ない病院です。
後日、がんセンターに行って検査を受け、 一週間後、外来に行って主治医から言われた言葉は ショッキングな話だった。
癌であること。 既にステージ�検ΑΑλ�期であること。
旦那さんは身重の奥さんに内緒で 検査を受けに来ているので、告知は一人で受けた。
癌 = 死
今や癌は治らない病気ではないと言われているが、 それは全くの初期である事が条件である。 転移していなくとも、末期では、未だ助かる確立が 少ない病気なのである。
「先生、私はあとどのくらい生きられるのですか? 秋に初めての子どもが生まれるのです。」
がんセンターの先生は暫く下を向き、 沈黙の後、悲しそうな顔をして言った。
「6ヶ月。 そのうち、お元気いられるのは4ヶ月です。」
旦那さんのショックは相当だったと思う。 初めての我が子が生まれる前に、 自分は絶命すると宣告されたのである。
彼はどこをどう歩いて帰ったのか覚えていないという。 ただ、銀座の数寄屋橋の傍にキリスト教の教会がある。 フラフラと教会のドアを開け、 見たこと無い人が来たのが不思議と思ったのか 事務のお姉さんが声を掛けて来た。
彼は「今、病院で癌だと言われて・・・」と切々と 述べたという。 お姉さんは直ぐに牧師を読んだ。 牧師は彼を教会に招きいれ、祈った。
天に召します我等の父よ。 いかなる困難に遭おうとも、 どうか乗り越える勇気をお与え下さい。
確かこんな事が書かれてあったと思う。
彼は ムカッ=3 としたという。 「彼を助けてくれ」ではなく、 どうして「困難を乗り越える勇気を与えろ」なのかと。 このあと、彼は恐ろしいボッタクリ医師に出会う。 あるワクチンが癌に良いと聞いて、 退院後、こっそり行った。 大学病院では1本9000円のワクチンを、 その医師は打った後に10万も請求した。 打ってしまったものは払わないわけには行かない。 領収書を要求しても 「善意で10万にしたのだ」と言ってくれない。 この医者にとって
まさに末期の癌患者は鴨なのである。
身重の奥様と涙して帰ってきたという。 がんセンターにもついつい心無い事を言ってしまう 看護婦がいる。 正直、ぱんなは驚いてしまった。
ぱんなは彼を直接は知らない。 けれども、彼は余命6ヶ月を乗り越え、 我が子を腕に抱き、 末期の癌に抗がん剤を入れ、放射線を受けた。 受けられないと言われた放射線治療を受けた。 その後、彼がどうなったのかは知らないが、
牧師の言葉は素晴らしいと思った。
多くを望まない。 どんな苦境に立たされても 乗り越える勇気こそが一番大切であること。
素晴らしいよね。
もしもこの男性の手記が読みたいという 方がいたらメールを下さい。 コピー致します。
また、この手記には上記に書いた 癌患者を鴨とする医者の病院名と医師の名前が 実名で載っています。 ヘッポコ医師から、患者を守らないとならないと 手記を読んでぱんなは思った。
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