だいありー

2003年03月12日(水) 先日、大師のSさんが遊びに来られました 其の一

9日の日曜日、パパのお世話になった病院でお友達になった
川崎大師の傍にお住まいのSさんが遊びに来られた。
久しぶりに 凄く念入りに 家を掃除をしました(をい 笑)
大師のSさんもブジーのSさん同様、同じ食道癌。
(2人とも同じ苗字なので、枕詞が付くのだ 笑)
大師のSさんは、パパが転移してからは病院で会う度に
励ましあって来た奥様だった。
去年の6月に川崎大師の傍(自宅から歩いて2分)にある
M病院という病院に転院され、ご主人は8月14日に亡くなられた。
ご主人は最後まで本当に元気で話が出来たという。
最後を引き受けてくれたその病院も、

「これからそういう患者さんが
 沢山来られるだろうから勉強させて欲しい。」

と言い、献身的に看護してくれたという。
今日は、その大師のSさんの事を書こうと思う。

Sさんと出会ったのはパパの転移が判った5月の時だった。
昨年の5月2日、点滴のためだけに入院することになった
パパの2人部屋の窓側に入院されていたのがSさんだった。
いつも小声でコソコソと話をなさる方だった。
当時、「堂々と話してもいいのに・・・」と思った事を
記憶している。
実はこれには理由があったんだけど・・・。

昨年、ママから聞いたSさんの話とかなり違っているので、
今日はちゃんと書こうと思う。

Sさんは再発が判ったのが昨年の3月だった。
ご主人(患者本人)は、お勤めが製薬会社だった方で、
当時68歳。
健康診断をいつも受けている小さなクリニック
(会社と提携していたらしい)で受け、引っかかった。
そこで引っかかるとその病院から某大学病院へ再検査として
行く事になるのだそうだ。

結果は食道癌だった。

その某大学にて手術をする手はずになっていたのだが、
国立がんセンターに行った方が良いと知り合いに薦められ、
火曜日だと名医であるK先生のという事で、
丁度、翌日が火曜日だった事もあり、がんセンターに来られた。
資料を見てK先生から「間違いなく食道癌だよ」と言われ、
手術をがんセンターで受ける事になった。

Sさんは癌が声帯ギリギリの所に出来ていたため、
場合によっては「声を失うかもしれない」と術前の説明を受けた。
そして、「縫う時も1�亟岾屬乃ヽ�で縫って行く」とも言われた。
ご主人も自分の兄弟が当日に来れば、奥様が気を遣って
逆に疲れるだろうからと、ご自分の姉に
「手術が終わる頃に来てくれ」と言っていたという。

食道癌の手術は最低8時間かかる。
手術の方法に寄っては5時間という方もいるけれど、
言い方を変えれば最低5時間はかかる手術だという事である。
Sさんは予定時間を大幅に越え、12時間かかった。
パパの時は9時執刀。だから手術室へは8時20分に入った。
でもSさんは8時執刀だったそうだ。
つまり、声帯を取るか取らないかのギリギリのところで、
縫合に時間がかかるからということらしい。
朝8時執刀であれば、12時間後となると午後8時終了となる。

周りの手術待ちの方がドンドン先生に呼ばれて
説明を受けに行く中で、自分が一番最後になってしまい
待合室には誰も居なくなってしまった。
I先生が呼びに来る事になっているからと言われていたのに、
そのI先生が中々来ない。
やっと来たI先生から言われたのは、

「声帯ギリギリのところで縫いましたが、
 本人が苦しがって、喉を切開しています。
 数週間後はちゃんと塞がりますから安心して下さい。」

との事だった。
そして「疲れた〜」と言っていたという。
ところが、2日後にリハビリと称してICUにて
「ベッドから起きて下さい」と言われ、
更にその翌日には「歩こう」と言われたらしい。
これは本当に苦しかったとご主人が言っていたそうだ。
・・・そりゃそうだ(^^;)
今は早期離床を計るので、仕方が無いんだけどね。
パパは手術の翌日に追加手術を受け、
5日間薬で眠らされていたし、高齢だったから
I先生もパパが一般病棟に戻る数日前に

「お年を召しているから急がずにゆっくり治しましょうね」

と言った。
でも、Sさんだって決して若くは無い。
手術を受けた時は67歳だもんね。

Sさん、本当にお酒が好きで、
手術の前日にもお酒を飲んだらしい(笑)
手術前に看護婦さんから食前酒を貰ったらしいが、
甘口でお気に召さず。
K先生が「Sさんは築地に飲みに行ったかと思った」
と言われた事があって、それ故に「飲んでもいいんだ」って
言い出していたらしい(^^;)

食道癌の手術を受けると、
まず先生が一番懸念する事が合併症である。
縫合不全もそうだし、何よりも肺炎が怖いという。
Sさんは食べた後は直ぐに横になってはいけないと
言われて退院したのに、ついうっかり忘れて横になってしまい、
食べ物が肺に入った。
苦しくて息が出来ず、それでも病院に行く事を嫌い、
ぱんなパパが去年の10月の抗がん剤の副作用で
歩けなくなった時のように、奥様の肩に手をかけ、
顔を真っ赤にしながらトイレに行っていたという。
どうにもこうにも苦しくて、我慢出来なくて救急車で病院へ。
K先生から

「なんでこんなになるまで我慢してたの!肺が真っ白じゃないか」

と叱られてしまった。
ところがこの肺が綺麗になるまでには1ヶ月以上も病院に
いないとならず、ご主人はウンザリだったらしい。

それでもそれからは、外来に行くのも電車で
えっちらおっちら通ったという。

そして去年の3月。

外来に行った時は、ご主人はいつもと変わらず普通だった。
そして検査の結果をK先生から告げられた。

「Sさん、再発だよー。」と言われ、
「今日、早急にこのまま入院して下さい」と言われた。

この時点で主治医は外科のK先生から内科のM先生になった。
ぱんなパパと同じ内科の先生。
ご主人は来る時は普通だったのに、
この時点で気分が悪くなったという。
ショックだったろうと思う。
部屋が空いてなくて、18Fの1泊10万円の部屋しか
空いてないのでとりあえずそこに入るようになった。
先生だって1晩10万の部屋に入れる人なんて
そういないのは判っているので
「空き次第すぐに部屋を変わるから」と言われたそう。
でも、M先生が走り回って14Fにポッと空いた部屋を
直ぐに抑えてくれたので、結局18Fの1晩10万円という
特別室に入る事は無かったという。
本当に良かったです。(^^)

ただ、その時点で喉のリンパに癌が入り込んでいて
大きくなっていた。
だからこのままでは癌が気道を押し潰して窒息するため、
金属の管(ようするに筒)を入れた。
進行性の癌で大変足の速い癌だったそうで、M先生からも

「やるだけやりましょう!(治療)」

と前向きの言葉を貰ったという。
それでもM先生は決して患者に過剰な期待を持たせない
先生なので、患者側もまた冷静に考える事が出来る。

放射線治療を30回受け、抗がん剤も受けた。
放射線治療を受けると副作用としては患者によって
出てくる個所が違う。
腎臓の機能に障害が出る人、足に出る人と様々で、
その人の身体の弱い所に出るようだ。
Sさんは元々癌が転移ではなく再発なので、
放射線を当てる個所は首の辺り。
副作用で舌が真っ赤にタダレて、
舌の粘膜がダラダラと出て来た。
ぱんなパパが入院した時、Sさんは
抗がん剤の治療も受けた後で、タダレているのに
更に口内炎が出来て、出血していた。
唾も飲めないし、薄い麻酔液が入ったうがい薬で
よくうがいをしていたけれど「効かない」と看護婦さんに
奥さんが話されているのを私は何度か耳にした。

Sさんの免疫力が低下したため、程なくSさんは個室へ移動した。
国立がんセンターでは自分から希望するとお部屋代を取られるが
病院側から個室に入るように言われると、お部屋代がかからない。
18Fの1晩10万円の部屋は自分から言おうが
病院から言おうが取られるケド。

Sさんが居たベッドには神経質そうな男が入ってきた。
闘病日記にも書いたが、叔母(ママの妹)が
お見舞いに来た時に話をしていた声が煩いと
舌打ちしたあの男である。

Sさんの話では、何度か入退院していてSさんも
隣同士になったことがあるのだという。
とても自分本位の患者だそうで、
人の事は煩いと言っておきながら、
自分は平気で煩い音を立てるという。
奥さんも看護婦さんと先生に「健康食品」から
アメリカの抗がん剤についての質問を詳しくし、
それこそ看護婦さんと先生に試験をしているようだったと
Sさんが言う。
だから看護婦さんも先生も殆ど寄り付かず、
たまに奥さんが検温に来た看護婦さんに
「先生と約束しているのに」と文句言ってたりするんだそう。
旦那であるその男が身体の調子が悪いと
イラ付く事もあって奥さんに文句を言ったり当たると、
奥さんも黙ってる女じゃないから言い返すらしく
喧嘩になるのだそう。
まさに「喧嘩なら外に行ってやってくれ」状態だそう。
だから奥さんが来るとSさんはご主人と
14Fの食堂に行ってしまうのだという。
Sさんがご主人とヒソヒソ声で話をするようになったのは、
この自分本位夫婦によってそうなったのだという。

っつーかさ、国立病院なんだから
厚生省が認可しない薬を使えないっつーの!
認可の下りない抗がん剤の事をあれやこれや
情報を収集するのは勝手だが、
それが使える病院かそうじゃない病院か、
まずそれを認識する事の方が先なんじゃないの?
先生に聞いたって先生が答えられる訳ないぢゃんね、
認可されてない薬なんだから。
認可されてないってことは、
その抗がん剤が既に臨床段階に入っているかどうかも
怪しいものだし。
それこそ、スピード認可したはいいけど
今問題になっているイレッサ(肺癌の抗がん剤で、
認可が半年だったかな、異例の早さで降りた抗がん剤です)
のような抗がん剤だったらどうすんだよ・・・。
でもって、そういう患者に限って
文句ばかりは一人前に言うしさ。

ぱんなパパが亡くなるまでに、外来と病棟で何度か
この自分本位患者と会ったけれど、
じっと人の顔を視線を逸らす事無く見るヤツだった。
人の顔を目が合ってもそらさずにじっと見るって
とても失礼な事だし、挨拶をするでもなく、
にこやかに見るでもないわけだから、かなり気分悪い。
私は性格的には売られた喧嘩は律儀に買うタイプなので、
外来でコイツにガン(死語)飛ばされたんで、
私もガン飛ばして顔をじーっと見返した。
この時の私は、パパを失う事以上に怖いものなんて
何も無かったからへっちゃらだった。
それこそ、もしも喧嘩になっても怯む事も
負ける事もなかったろうと思う。
ま、喧嘩にはならなかったけど(笑)
だってねぇ、私には理性ってもんがあるし。(笑)
私としては向こうがそうしているから、
やり返しただけでなんだけどね。(笑)

さて。
6月にパパが13Fに初めて入院した。
その時、私が14FのYさん(闘病日記参照)の所に
お見舞いに行った。
Yさんの所から帰って来る時に
バッタリSさんの奥様に会った。
その時に奥様が病院を変わると言った。
ちょうど、K病院の事でぱんなが14Fの看護婦さんに相談し
「がんセンターでは最後は看取らない」と
聞いた後だったので、看護婦さんが言った事は本当だったんだと
(自分が)泣きそうになった事を今でも良く覚えている。

「先生から”お近くの病院に行かれたほうが”と言われて
 ・・・つらいのよ。」

と言って奥様が帰られた。

☆ つづく ☆


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