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2002年05月08日(水) ■ |
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「childhood」 |
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「モノクロ写真のなか 元気で泣いている この子はまだ名前も知らない こんなにちいさな 命だったんだね 未来が私だなんてごめんね
優しい子になるよう 幸せになるよう 誰もが祈りの中で 遊んだ
時が過ぎて街の中へ 放り出されて行くとき ひとつずつトゲを増やした 生きていく証みたいに いつもいつも手を引かれて 大事に守られたあの頃 なぜに人は思い出せず 自分だけで来たと思うの 」
ELLIS「Childhood」アルバム「ハートには逆らえない」収録から
タイプC:なんたら分離型 自意識過剰で落ち着きがなく 両親を語るときその内容が一致しない。
おいおいおい。 児童心理学の授業で配られたプリントの一文を見て 自分じゃないか、と思った。 その部分を何度も読み返した。愕然。
理由なしにみんな同じだと思ってた。 それが表で分けられているとわ。 親が子どもである自分に対して、あるときはとても愛情をもって接し あるときは冷たく、「むら」があるとそうなってしまう傾向があるらしい。 タイプC。
人への接し方を自分で振り返って いつも、無条件なるものを求めているように思う。 そのひとがどんな状況に変わっても 変わらない接し方が理想だと。 最初から優しくひとに接するひとは たやすくその態度を変えるのは罪悪であると。 甘ったれた理念だろうか。。
けれど、とどのつまり 私はおびえているんだろう。
親から子への想いなんて、もともとが無条件なもので それで当然であって欲しいと思ってる。 (それは夫婦間では叶わなくても) テストの成績が悪くても、怠け者だったとしても 嘘ばかりついても、不潔でも、友達ができなくても 受験に失敗して、就職にこけても 子どもは親に無条件に愛される存在であると、かたく信じているくせに 「おまえみたいな奴はウチ(?)のコじゃあない」 いつだったか叱られたときの言葉が馬鹿馬鹿しく耳にはりついてたりする。
一年ほど前に関西の小学校に男が乱入し 児童数人に次々と襲いかかり、殺傷したという事件があった。 子どもに斬りつけて殺した男。 数日後、新聞にはその容疑者の父親のコメントが載った。 「あいつならやりかねない。あんなやつは ー 」 私にはむしろ、その事件よりもそのコメントのほうが 冷たかった。
弁護のしようがない。それにある意味では 父親としての責任の取り方だったのかもしれない。 でも。 誰からも許されることのなくなった男を その親ぐらいは味方してやってもいいのではないか、 抱きしめてやってもいいじゃないか、と思えたのだ。
大学の別の授業で、この事件のことが取り上げられ 決して許してはいけないことだと、生徒は意見を述べる。 私も意見を求められた。 父親のコメントのことを話し 「こんな人間を父親をもった息子なら、或いは」と答えた。
誰が悪いのかを言いたいのではないし 被害者のことを考えないわけでもない。 ただ「悪い奴」を考えるときに 生まれたときから悪い奴なんていないのに、という考えが 混ざり合ってしまうだけなんだ。
教室は静かだった。
ELLIS・・・前身「LUKA」を経て 1990年に「ELLIS」としてデビューしたVoエリと B.Kの近藤洋史とのユニット。 ELLIS、という名前は聞いた事がなくても 「千の夜とひとつの朝」という曲には、聞き覚えがあるのでは。 音はいわゆるジャパニーズ歌謡だったが どこか透明で繊細な感性を痛感させるような楽曲を放っていた。 解散スタジオライブアルバム「ハートには逆らえない」を境に ザズーポップ(ジャズポップ)へと転身し そうそうたる手錬ミュージシャンと共に1998年 「ellis&PetGelato」を結成する。
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