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2002年08月06日(火) ■ |
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「長崎から」 |
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「 その日の朝が来ると 僕はまずカーテンを開き 既に焼けつくような陽射しを 部屋にむかえる 港を行き交う船と 手前を横切る路面電車 稲佐山の向こうの入道雲と 抜けるような青空
In August nine 1945 この街が燃え尽きたあの日 叔母は舞い降りる 悪魔の姿を見ていた 気付いた時炎の海に 独りさまよい乍ら やはり振り返ったら 稲佐の山が見えた もううらんでいないと彼女は言った 武器だけを憎んでも仕方がないと むしろ悪魔を産みだす自分の 心をうらむべきだから どうか くりかえさないで くりかえさないで 広島の空に向かって 唄おうと 決めたのは その時だった
くりかえさないで くりかえさないで 広島の空に向かって 唄ってる 広島の空も 晴れているだろうか 」
さだまさし「広島の空」 アルバム「逢いみての」より
「『No more Hiroshima』とアメリカ人に言うと 『Remenber Pearlharbor』とかえってくる。 しかし質からいって Hiroshima=Pearlharborではない。 (『Hiroshima』は唯一の被爆国の象徴として) 『No more Hiroshima』は「Know more Hiroshima』。 それは被爆者を『典型的な被爆者のもとに回収せず、 個々の生を持った者として生き返らせることだ。
さだが『広島の空」で亡くなった叔母を歌うのはまさにこのためである。
三崎鉄 著 「さだまさしのために」より KKベストセラーズ
8月6日広島に原子爆弾が落ちた日
さだまさしは今頃 「長崎から」という野外コンサートで 今年も歌っている。
「くりかえさない」というフレーズは広島の原爆慰霊碑の 言葉だそうだ。
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